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翡翠の選択

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暫くは、翡翠を落ち着かせようと普通の生活を送った。
習い事も休ませ、なるべく部屋から出さないように手を回した。もっとも、翡翠はトイレとシャワー以外は子供部屋にこもっているが……
今朝も、俺はヨーグルトとフルーツの盛り合わせを持って子供部屋を訪ねる。
ちなみに俺が普段あまりやらないノックは欠かせない。
「今日はヨーグルトとフルーツを持って来たよ、起きれる?」
翡翠はあれから体調を崩し、ずっとベッドで過ごしている。時にはうなされたり、嘔吐したりと食事もあまり口にしなくなった。
体が辛そうなのに、翡翠から怖がられている俺は、彼女の背中をさすってやる事も躊躇われた。
「はい、すみません」
翡翠が布団を捲ってベッドから出ると、シーツが俄に赤く染まっていた。
秘部の裂傷は粘膜なだけに傷がくっつきにくいのだろう。一応鷹雄に傷を診てもらい、化膿止めやら何やら薬を出してもらったが、翡翠の寝相のせいかなかなか血は止まらない。
ちなみに鷹雄に診察してもらう上で、翡翠は患部を俺に見られるのは嫌がったのに、鷹雄には素直に脚を開き、俺は翡翠と鷹雄の信頼関係をまざまざと見せつけられたようでとても落ち込んだ。
俺が翡翠の体を洗ってやった時、あいつにとっては耐え難い苦痛だったんだろうよ……
「……なかなか血が止まらないな。俺はシーツを取り替えるから、お前は朝御飯を食べてろ」
俺は勉強机の上に朝御飯を置き、椅子を引いて翡翠を座らせ、自身は手際よくシーツを回収し、それを洗濯機に放って新しい物を出す。
俺が新しいシーツを持って子供部屋に戻ると、皿の端に結ばれたさくらんぼの茎が1つ置かれていた。
キスの訓練の時、こうしてさくらんぼの茎を口の中で結ばせていたけど……
俺は、翡翠がいつもの癖でそんな事をしたのだろうと思った。
翡翠はヨーグルトを何口かと、さくらんぼを1つと、バナナを3切れ食べると合掌して大半を食べ残した。
いつもなら『ちゃんと食べろ』と叱るのだが、今の翡翠には酷で何も言えない。
「偉いな、翡翠、今日は昨日より食べれたな」
最初は全く食べ物を受け付けなかったのだ、それに比べたらいい方だろう。
俺は無意識に翡翠の頭を撫でようとして、寸前でその手を引っ込める。
いけないいけない、翡翠が怖がる。
不用意に触れて翡翠に嫌われたくない。
あれから俺はガラスでも扱うように彼女と接している。
痩せて尚更頼りなくなった翡翠の肩を見ると、俺はそれを抱き締めたい衝動にかられるのに、触れると壊れてしまいそうで手出しが出来ない。可哀想なのに何もしてやれないのが本当に辛かった。

その後、俺は翡翠の薬を貰いに鷹雄の部屋を訪ねた。
「鷹雄、翡翠の出血が止まらないんだが、痛み止めとか、何か気の利いた薬はないか?」
部屋に入るなり、俺は挨拶もはしょって鷹雄に手を差し出す。
「昨日も薬を貰いに来ただろ、まったく心配性だな」
鷹雄は読んでいたゴシップ誌をソファーに置き、キッチンの薬棚から錠剤を何個か持って来た。
「縫う必要は無いかと思ってたけどなかなか治りが遅いな。ちゃんと栄養のある物を与えてる?」
俺は鷹雄から薬を受け取りシャツの胸ポケットにしまう。
「栄養は考えているが、なにぶん翡翠が食べたがらないから、必然的に食べやすいものばかりになっている」
「うーん、まあ、仕方ないか……それで?」
「それで?」
急に鷹雄に話題を変えられ、俺は彼の顔を凝視する。
「今後はどうするつもりなんだ?」
「あぁ……」
『その話か』と俺は鷹雄から視線を外して俯いた。 
「翡翠を処断する気も、売り飛ばす気もないんだろ?そもそも翡翠は曲がりなりにも王族だから前者の選択肢が強制力を持つが、俺が思うにお前には出来ない」
『だろ?』と鷹雄に顔を覗き込まれ、俺は頷く。
「そうだな、俺には出来ない。翡翠を手にかけるくらいなら死んだ方がましだ。だから俺は……」
あれからずっと考えていた。
献上品の資格を失った翡翠をどうしたら幸せにしてやれるのか?
そこで考えあぐねいた末、導き出した俺の答えは──

ここ(城)に翡翠の幸せは無いという事。

「俺は翡翠を連れてここを出る」

「何年も前に瑪瑙で失敗してるのに、出来るの?」
鷹雄が俺を試す様に挑発的に聞いてきたが、俺の心は揺るがない。
「やる。やるしかないんだ。俺には翡翠を切り捨てる事は出来ない」
「翡翠にはもう話した?」
「いや、これから話して、翡翠の怪我や体力が回復したらすぐにここを脱出する」
「セキレイは王の兄だし、王の物である献上品をさらって行くんだ、一生追われる事になるけど?」
「解っている。でも決めたんだ。何があろうと俺は一生翡翠を守る」
俺がそうして曇りない眼で鷹雄を見据えると、彼は肩を竦めて仕方なさそうに苦笑した。
「お前の事だ、そうくると思ったよ。そうでなかったら俺が翡翠を連れて出ていたとこだったけど、お前がそう言うなら、全面的に協力しよう」
そう言って鷹雄は薬棚から仮死状態になれる薬を出して来てくれた。
「翡翠を死んだ事にして、土葬すると見せかけてそのまま城を出たらいい」
「すまない、鷹雄」
持つべきものは憎き親友か、俺はひきつった顔で鷹雄にハグをした。

それから数日間をおき、俺の心は決まっていたが、念のため翡翠に確認しようと子供部屋を訪れた。
それと言うのも俺はこれを機に翡翠に想いを伝えようと考えていたからだ。気は早いが先日買いに行った指輪も後ろ手に用意している。金にダイヤが2つ埋め込まれたシンプルな物だ。
まだ付き合ってもいないが、俺が翡翠をさらうという事は、一生を添い遂げるという事になる。形式的だがこういったところはちゃんとしたい。何より、俺を怖がる翡翠を自分の物にするには指輪で彼女を縛るほかなかった。
みっともない独占欲だ……
「セキレイさん、どうしたんですか?」
俺が自己嫌悪に浸っていると、翡翠がベッドで上体を起こす。
「あのな、翡翠、そろそろこれからの話をしておこうと思ってな、聞いてくれるか?」
俺はベッドの脇に片膝を着いた。
「はい、私も、それは話しておかなければと思っていました」
翡翠はその場に正座して姿勢を正す。
相変わらず生真面目な奴だな、可愛い。
ちょっと雑念が入ったが俺は真剣な面持ちで話を続けた。
「お前は献上品としての資格を失った訳だけど、俺にはお前を処断するつもりも、売り飛ばすつもりも毛頭ない」
「はい、私は構いませんが、セキレイさんには2度とそんな十字架を背負ってほしくないので私もそれ以外の選択肢を考えていました」
それなら話は早い。
「それでだな、俺はお前に第2の選択を迫る前に言っておきたい事があるんだ」
2人で逃亡生活を送るという事は互いしか頼れる者がいないという訳で、否応なしに夫婦の様な関係になるのだが、翡翠がどんな反応をするのか少し怖かった。
試しに俺がソッと片手で翡翠の手を握ると、彼女はそれを落ち着いて受け入れ、俺は僅かに安堵する。
俺は一度軽く深呼吸して翡翠の左手を取ると、後ろ手に指輪の箱を開けスタンバイした。
ドキドキ……
鼓膜の奥で自分の脈拍が早まる音がする。
心臓が破裂しそうだ。
ああ、緊張するな。
俺は呼吸を整え、一呼吸おいてから切り出した。
「翡翠、ここを出よう。こんな事になってしまったけれど、俺はそんなもの関係なしにお前を愛──」
「セキレイさん」
「……何?」
いきなり翡翠に話(告白)の腰を折られ、俺は出鼻をくじく。
何だってこんな時……
「先に話しておきたい事があるんです」
「何?」
俺は少々やさぐれていたが翡翠の気迫に圧されて耳を傾けた。
そして翡翠の次の言葉で耳を疑う事になる。

「セキレイさん、私は献上品を辞めません」

「……は?」
いや、だって、翡翠はもう……
俺はあまりの事に呆気にとられ、頭の中が一瞬真っ白になった。
「翡翠、お前にはもう献上品としての資格は無いじゃあないか」
言いたくはなかったがそれが現実なので仕方がない。それを何故翡翠はそんな事を言うのか、血迷ったとしか思えない。
翡翠は襲われたショックでどうにかなってしまったんだろうか……心配だ。
しかし翡翠はしっかりとした口調で、顔つきも真剣だ、冗談を言っている訳ではなさそうだった。
「はい、ちゃんと理解しています。でも私は、セキレイさんにとりつけた約束を果たしたいんです。悪あがきしたいんです。諦めたくないんです」
「いやいや、無茶だって。翡翠、処女は献上品の絶対条件だ。残念だけどそれは曲げられない」
それに俺は翡翠と一緒になろうと決めたんだ。今度こそ、愛する人を幸せにしたいと思ったんだ。

それが俺の望みだったんだ。

「セキレイさん、私はうまいこと処女を演じてみせます。血だって、うまく細工して誤魔化します」
翡翠は不動の意思で俺を正視し、一歩も退かない。
「いや、いくら薄暗い室内で初夜を迎えるからと言って、バレればその場で処刑されるぞ?」
「はい、でもセキレイさんが私を王から盗んで2人共罰を受けるよりはリスクはありません」
自分1人がリスクを背負おうというのか、翡翠らしい。
翡翠らしいが俺としては翡翠の分の重荷も背負ってやりたいのが正直なところだったし、何より、もう翡翠を誰にも渡したくなかった。
「翡翠、俺はお前と一生──」
一生一緒にいたいのに翡翠の覚悟は頑なで決して揺るがない。
「セキレイさん、私の幸せを願うのなら承諾して下さい。私が正室まで上り詰めるには調教師であるセキレイさんの協力が必要なんです」
翡翠は俺の想いを言わせまいとする様に食い気味にそんな事を口にした。

『私の幸せを願うのなら』

そんな風に言われたら、俺はもう何も言えない。
俺としては褒美の国など今やどうでもよくなっていたが、翡翠は自分の意思で王の正室になる道を選んだのだ、それを誰が止められよう。
「セキレイさん、私は絶対に献上の儀式を成功させて、必ず正室になってみせます!」
そう言った翡翠の瞳は、かつての臆病な彼女の物とは全く違った輝き方をしていて、俺はその強くて美しい宝石にこれでもかと心を魅了された。
翡翠は俺が舌を巻くくらいとても強くなった。雷が怖くて怯えていた彼女とは違う。自立した1人の女性だ。
もう、俺なんかの庇護は必要ない。
──そう思ったら、えもいわれぬ物悲しさが俺を襲った。
「セキレイさん、献上の儀当日までどうかご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします」
翡翠は堅苦しく三つ指を着いて深々と頭を下げ、俺は後ろ手でソッと指輪の箱を閉じた。

思えば翡翠は昔から頑固だった。
根は素直で良い娘なのだが、特に自分で言い出した事となるととことん納得するまでやらないと気が済まない。たかだかなめ茸の瓶詰めだって、俺に預ければ秒で開けてやるのに、自分で開けると言い出したらどんな手を使ってでも開けた。それによってスプーンやバターナイフがぐにゃぐにゃになってしまったのは言うまでもない。
とにかく翡翠は融通の利かない石頭なのだ。
俺は翡翠とカケオチしようとしていただけに、献上品宣言をされた時、軽くフラれた気分だった。
翡翠が何のつもりで正室になると言い出したかは本人にしか解らないけれど、俺が彼女に想いを伝えたところでそれは重荷にしかならない。だから俺は調教師に徹するしかないのだ。翡翠を何処に出しても恥ずかしくないところまで調教して彼女を正室までのし上げてやらなければならない。その為には翡翠への想いは邪魔になる。俺は翡翠への想いをひた隠し、圧し殺して指南しなければならない。
これを拷問と言わずして何と言うのやら。
でもそれで翡翠が幸せになれると言うのなら、俺は協力を惜しまない。尽力したい。
手放しで納得とまではいかないが、あれからまた調教師と献上品という関係性で改めて翡翠との同居生活を再スタートさせ、俺は嬉しいような、嬉しくないような、複雑な心境でいる。
今は特に、献上の儀式の期日まで時間が無いので短期集中で翡翠をしごいていた。
『脇をしめろ』『カチャカチャいうな』『それ以上前のめりにスープを飲むな』『箸の持ち方が崩れてる』『ドッグイート!』『アボカドをペーストにするな!』
──これは食事中の一幕だ。プライベートで食事を摂るにもこの調子で翡翠を厳しく躾ている。
翡翠と一緒に廊下を歩いている時ですら俺は目を光らせ、彼女の姿勢や歩き方をチェックし、良くないところがあればどこでだって鞭でその尻を叩いた。
翠や鷹雄にはやり過ぎだと諭されたが、当の翡翠はもっと厳しくてもいいと受けの姿勢だ。
それに俺がこうも厳しくするのは、翡翠の願いである『正室になる』という夢(?)を叶えてあげたいからだ。やるからには全力でやりたい。
しかしここで1つ問題が浮上する。
翡翠は一番肝要な指南をことごとく怖がった。
俺は(ど)サドで鬼畜だが鬼ではない。翡翠が少しでも嫌がるとそこで手を止めてしまう。
強姦された翡翠は過剰なスキンシップを怖がり、俺もまた怯える彼女が可哀想になり踏み込めずにいた。
翡翠は完全に腫れ物だ。ABCのAすら始められない。この分だと献上の儀式当日まで間に合わない。下手をしたら嫌がる翡翠は王に無理矢理犯され、強姦された時と同じ恐怖を味わう事になる(風斗は嫌がる少女に悪戯するプレイが大好物だ)
仕方がない。
俺は王に献上の儀式を遅らせるよう頼みに彼の寝室を訪ねた。
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