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第四章
87. オメガの任務
しおりを挟むどのくらいの時間が経ったのか。
「おい、レオンス。任務だぞ。起きろ」
「……ぅ……。っ……」
痛みと苦痛とで体も心も限界で、何かから逃げるようにして目を閉じていたレオンスに声がかかり、腹を蹴づかれた。目を開ければ、そこにはレオンスを凌辱した男たちが立っていた。恐怖で喉が引き攣る。けれど、布を噛ませられている口からはくぐもった声しか漏れない。
そうする間に荷物のように抱えられて、レオンスは再び、ゴーチェたちによって天幕から運び出された。
どこに行くのか。何をさせられるのか。
疑問はぐるぐると頭の中を渦巻くが、何一つとしてレオンスは疑問を口にすることもできない。暴れようとして体を捩れば、腹を殴られ、背中を殴られ、顎を強く掴まれた。その痛みが怖くて、体が竦んで動けなくなる。
「へへへっ。任務が終わったら、またたっぷり可愛がってやるからなぁ」
「次は俺に先に入れさせろよ」
「どうせなら、口にも一緒に突っ込んでやろうぜ」
「はは、そりゃいい! 淫乱オメガには、いい褒美になるだろうよ」
下卑た笑いと話がレオンスの耳にこだまする。
誰か、いっそ耳を潰してくれないだろうか。目も耳も塞いでほしい。そうして何も感じなくしてほしい。
男たちが話す言葉は、レオンスの心ごと痛めつけていく。
運ばれている途中、周りに他の帝国兵はいないのか、あるいは聞いてはいるが止める術がないのか。男たちの下品な会話を止める者は誰もいない。レオンスは天幕に運ばれたときとは違って、粗末な毛布で頭部ごとぐるぐるに巻かれていたので、周囲を伺うことができなかった。
逃げることも、暴れることも叶わず、レオンスは運ばれた。
「着いたぞ」
ドサリ、と乱暴に降ろされ、ようやく視界が開けた。そこは岩場ではなく、森の中だった。
けれど近くに天幕や野営をしている痕跡はない。帝国軍が野営地を張っている森とは離れているのかもしれない。
「さぁーて、お仕事お仕事。レオンスぅ、昨日の今日で役立てるんだから、よかったなぁ」
「んんーぅっ!」
口に含み、覆っている布と、両手に嵌められた皇国製の枷はそのままに、レオンスは地面に転がされている。足は自由なのだが、立ち上がる力が残ってもおらず、せめて精一杯に声を上げた。酸欠になっている頭が、空気を求めてクラクラした。
せめてもの抵抗を見せるレオンスだが、鍛え上げられた軍人から見れば子供が喚いているくらいにしかならないのだろう。嗤いながら、ゴーチェは注射器をレオンスに躊躇いなく刺した。皇国兵たちに見つかる前に打たれた発情促進剤だ。
「んっ! んんっ!」
ただでさえ、強制的に発情状態にさせられたレオンスは、まだその状態を抜け切れていない。そこに再度、促進剤を打ち込むなど狂気の沙汰だ。レオンスはこれまで促進剤を使ったこともなければ、それを複数回打たれたこともない。体への負担を考えると、背筋が凍る思いだった。
だがレオンスが暴れようとも、注射器内の薬液はあっという間にレオンスに注入されてしまう。
「ほんじゃ、ごゆっくりー。終わった頃に、また来るからな」
「んんーっ!」
ゴーチェはひらひらと手を振り、他の部下たちと共にその場を去っていった。レオンスはその事実に目が眩む。
(くそ……くそっ……)
岩場での凌辱からどのくらいの時間が経っているかは不明瞭だったが、ゴーチェが「昨日の今日」と言っていたので一日は経過しているのだろう。つまり、たった一日しか経っていないうちに発情促進剤を二度も打たれている。この促進剤がどのくらいで効力を発揮するのか、レオンスにはわからないが、薬が効いてくれば多くのフェロモンを分泌してしまうだろう。促進剤の影響もわからない状態で、放置される恐怖がレオンスを襲っていた。
さらに、もし近くに皇国兵がいれば、理性の有無によらずレオンスに近づいてくる可能性は高い。
皇国兵がレオンスをどう扱うかはわからないが、レオンスを囮だと思わぬ敵兵が自分を確保したところで、また火矢なり剣なり斧なりが飛んでくるのだ。そして夥しいほどの血が流れ、肉が千切れ、焼け焦げていくのをレオンスは見続けることしかできない。敵国の民であろうとも、不当な方法で人が殺されていく光景はレオンスの心を容易く傷つけた。
そして殺戮が終わり、もしレオンスが生き残ってさえいれば、あのゴーチェという男と周りのアルファは再びレオンスを手酷く抱くのだろう。ただ辱め、欲をぶつけ、解消するだけの行為が待っている。
(誰か……誰か、助けて……。シモン隊長……助けて、くださ……い……)
レオンスの頭に浮かぶのは、深緑の森林に抱かれているかのような匂いを放つアルファの軍人の姿だ。
特攻隊として要塞を離れる際に、彼はレオンスに「もしもの場合は逃げろ」と言っていた。あのときの言葉を蔑ろにしたわけではない。万が一のときは逃げるつもりであった。
ただ、レオンスには逃げる隙すらなかったのだ。
それでも、シモンを裏切ってしまった気がして、心が苦しい。胸が痛い。彼が伝えてくれた真摯な想いに、レオンスはずっと答えられずにいたのに、その相手に助けを求めるのは間違っているだろうか。
でも、気づいてしまったのだ。
シモンに抱かれていたあの時間は、苦しいことはあったが、気持ち悪くはなかった。嫌悪感で体が引き裂かれそうにもならなかった。シモンが与える刺激は、戸惑いは生まれたものの、ひどく心地の良いものだった。ゴーチェたちの手は気持ちが悪く、吐き気が止むことはない。けれど、シモンの手はどこまでも優しく、甘いものであった。
(隊長……すみません、シモン隊長……。俺、あなたのこと……もっと考えておけば、よかった……)
レオンスはただ、認めたくなかっただけなのだ。
本能で求めてしまう相性の良い相手に、多くの言葉を交わさずに惹かれてしまうことなんて。
恋仲になる前に体を重ねてしまった相手を好きになるなんて。
忌避していた戦争という場に身を投じている軍人の男に心を奪われるなんて。
不埒だと決めつけて、求めていないと思い込んで、好きになれない相手だと目を背けていた。
レオンスが抗いたい本能と体のほうが、ずっとずっと心に素直だった。
「ん……ふ、ぅぐ……ぅ……」
徐々に熱が高まってきていた。
地面に転がる体は、身じろぎするだけでビクビクと震えてしまう。どうせ汚れるのだからと、昨日運ばれたときにろくに清潔にされなかった衣服の内側は昨日放ったものだけでなく、新しい淫液で汚れ始めていた。
(ああ、だめだ……ヒートが始まった……。来るな……。頼むから、誰も来ないでくれ……!)
皇国兵が近くにいなければいい。
ゴーチェたちに手酷く扱われることは変わらないかもしれないが、人が死ぬ光景は見なくて済む。
僅かな祈りを胸に、レオンスはざわめく体で転がり続けることしかできない。
だから——ガサガサと草をかき分ける音は、レオンスにとって絶望の音に聞こえた。
聞こえるのは、岩場のときと同じような、誰かを探す声だ。明らかに帝国兵のものではなく、皇国兵のものだ。
それは、苦しく、痛く、逃げ出したい時間がまた始まることを告げていた。
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