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第4章
第51話 掴み取ったものは
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『可哀そうな愛し子。傷つけられて、男なんてみんなそう。……だから、ね。忘れてしまいましょう。嫌なことを全部』
「…………うん」
もう頑張ったからいいよね。
疲れちゃったもの。
私は躊躇いながらも、白薔薇の茨に手を伸ばす。
「シン様、愛しておりました。…………さようなら」
「ダメだ!」
ぶちぶち、と音がした。
血が石畳に零れ落ちる。
しかしそれは──私のものではない。私の後ろから伸びた手は、勢いよく白薔薇の茨を掴んでいた。手のひらにトゲが刺さり、血が白薔薇を赤く染める。
「……っ!」
「行くな、ソフィ!」
すぐ後ろから必死な声が届く。
私を後ろから抱きしめて──薔薇から引き剥がした。
「な、んで……」
振り返ると、息を切らしたシン様がいた。
今年で二十二歳を迎えたシン様は立派な成人男性になられており、艶やかな長い黒髪、アメジスト色の瞳に、陶器のような白い肌が真っ青だった。
【今、死なれたら困る】
「ソフィ、そっちに行ってはダメだ……」
【駒として役割を果たす前に、これだから面倒なのだ。早く聖女の元に戻りたいのに】
「──っ」
声変わりをしたせいでより男らしく、大きな体躯は間近で見るとかなり迫力がある。言葉と心の声が交互に聞こえてくる。
「ソフィ……」
「聖女様のところに……戻れば良いではないですか……」
「──っ。戻らない。君を傷つけてしまったことは事実だ。そう見えてしまったのなら謝る。黙っていたのも、勝手に動いたのも、全て私が悪い。怒るのも当然だ、後で文句を言ってくれ。……だけれど、手の届かないところに行くのだけは、止まってほしい」
シン様の切羽詰まった声に、心が大きく揺らぐ。
【面倒だ。早く頷け】
冷ややかな声に、ズキンと胸が痛んだ。
「ソフィ…………、…………」
【早く戻りたい】
【嫌いだ】
「…………、…………? …………! …………!」
【いなくなれ】
【役に立たない駒】
心の声が溢れて、シン様の言葉が聞こえない。耳を塞いでも、否定的な声だけが届く。
(これがシン様の本心なの……?)
「そこか!」
シン様は何かを投擲した──ように見えた。
『─────!!』
刹那、物凄い蒸気が吹き出した。シン様は風圧から守るように私を腕の中に押し込んだ。
彼の汗ばった匂いにくらくらしてしまう。胸板に押し付けられたせいでシン様の心臓の鼓動が聞こえてくる。かなり速い。
(あ。心の声が消えた?)
なんだか現実味がなくて、シン様の声が遠い。こんなに近くにいるのに、どうしてだろう。
「…………、私を置いていかないでくれ、ソフィ。もし君を失うことになったら……私は壊れてしまう……。お願いだ。戻ってきてくれ……!」
「……シン様」
震えた声で、今にも泣きそうだった。
なぜ。
なぜ、シン様のほうがつらそうなのだろう。
「ソフィ! 私の声が届いているか?」
「は、はい……」
「私のことを覚えているか? 怪我は? 違和感はあるか?」
シン様は私をギュッと抱きしめた後、すぐに体に異常がないかと心配そうに尋ねてきた。
なんだか頭がふわふわして、思考が上手くまとまらない。
「私が愛しているのも、触れたいのも、結婚したいのも、ずっと傍にいたいのもソフィーリアだけだ!」
「ひゃ」
突然の告白に夢心地が一気に醒める。シン様は「好きだ、愛している」を恥ずかしげもなく口にする。
嘘とか、その場しのぎとは思えない熱量に、今度は心臓がバクバクと音を鳴らす。
「シン様……」
「ソフィ、愛している」
ふと唇が触れ合い、シン様の唇がやけに冷たいことに気づく。
よく見れば顔色がとても悪い。その上、体温も徐々に下がっているような気がした。
「シン様、体が……」
「……大丈夫だよ。今度は間に合ったから、そのための埋め合わせなら……安いものだ」
正面から抱きしめられ、シン様の鼓動が激しく高鳴っているのが聞こえてくる。この温もりに安堵してしまった自分が憎い。それでも両手で押し返そうと足掻く。
もう傷つきたくない。だからハッキリさせよう。
「シン様が本当に好いているのは、運命の相手、聖女様ではないのですか?」
「私の運命の相手は、何度繰り返したとしても、ソフィただ一人だよ。……それと過去の時間軸では私が洗脳にかかっていた可能性が高かったから対策をしっかりしている。でもこの時間軸ではソフィ、君が色濃く洗脳……というか強い暗示にかかっている」
「……え」
予想していなかった単語に、私は困惑する。何が正しいのか、何を信じればいいのか。
「私が?」
「ああ。……三カ月前の話を覚えているかい?」
「はい……。その辺りからシン様との連絡があまり取れなくなってしまったのです」
「うん、その段階でソフィは強い暗示あるいはそう仕向けられたのか、私の手紙を読まなくなったし、気づかなくなったと報告を受けている」
「え……?」
「贈り物や手紙もほとんど手に取らず、見えていないようで、妖精や家族の声も半分ぐらいしか届いていなかった。それに今日はお茶会で歌を歌うはずだっただろう?」
「私が……?」
三カ月前に音楽祭に話が出て、お茶会で試してみようと話したようなことを思い出す。ぼんやりした記憶で、なんだか夢心地のような感覚だった。
「ソフィ。……今なら周りがよく見えるはずだ。怖がらずに、周りを見てくれ」
「周り?」
真っ白な薔薇が咲き乱れて──違う。白い霧とトゲだらけの茨が周囲を埋め尽くそうとしていたが、音を立てて崩れ去った。
「!?」
私の影とシン様の影からも、黒い茨が消えていく。
「どうやら私の血は黒薔薇にとっては猛毒だったようだ」
「血? シン様の……!?」
よく見ればシン様の周囲には水たまりができるほどの血溜まりがあった。
それが全部、シン様の血だというのなら──。
一瞬で血の気が引く。
「シン様!」
「大丈夫……と言いたいところだけれど……」
シン様が出血多量で死んでしまう!
それに《クドラク症》を引き起こしかねないとお思い、慌ててシン様にカネレのドライフルーツを口の中に押し込んだ。
「んんっ!」
「カネレのドライフルーツです!! シン様死なないで!」
もぐもぐと咀嚼するシン様はなんだか可愛く見える。そういえばずっと昔に、バルコニーで死にたがりに男の子にも同じようにドライフルーツを上げたのを思い出す。
「…………まさか常備しているのかい?」
「ええ。……昔、死にたがりの男の子にあげてから……なんとなく?」
そう言ったらシン様は、泣きそうな顔で微笑んだ。
「…………うん」
もう頑張ったからいいよね。
疲れちゃったもの。
私は躊躇いながらも、白薔薇の茨に手を伸ばす。
「シン様、愛しておりました。…………さようなら」
「ダメだ!」
ぶちぶち、と音がした。
血が石畳に零れ落ちる。
しかしそれは──私のものではない。私の後ろから伸びた手は、勢いよく白薔薇の茨を掴んでいた。手のひらにトゲが刺さり、血が白薔薇を赤く染める。
「……っ!」
「行くな、ソフィ!」
すぐ後ろから必死な声が届く。
私を後ろから抱きしめて──薔薇から引き剥がした。
「な、んで……」
振り返ると、息を切らしたシン様がいた。
今年で二十二歳を迎えたシン様は立派な成人男性になられており、艶やかな長い黒髪、アメジスト色の瞳に、陶器のような白い肌が真っ青だった。
【今、死なれたら困る】
「ソフィ、そっちに行ってはダメだ……」
【駒として役割を果たす前に、これだから面倒なのだ。早く聖女の元に戻りたいのに】
「──っ」
声変わりをしたせいでより男らしく、大きな体躯は間近で見るとかなり迫力がある。言葉と心の声が交互に聞こえてくる。
「ソフィ……」
「聖女様のところに……戻れば良いではないですか……」
「──っ。戻らない。君を傷つけてしまったことは事実だ。そう見えてしまったのなら謝る。黙っていたのも、勝手に動いたのも、全て私が悪い。怒るのも当然だ、後で文句を言ってくれ。……だけれど、手の届かないところに行くのだけは、止まってほしい」
シン様の切羽詰まった声に、心が大きく揺らぐ。
【面倒だ。早く頷け】
冷ややかな声に、ズキンと胸が痛んだ。
「ソフィ…………、…………」
【早く戻りたい】
【嫌いだ】
「…………、…………? …………! …………!」
【いなくなれ】
【役に立たない駒】
心の声が溢れて、シン様の言葉が聞こえない。耳を塞いでも、否定的な声だけが届く。
(これがシン様の本心なの……?)
「そこか!」
シン様は何かを投擲した──ように見えた。
『─────!!』
刹那、物凄い蒸気が吹き出した。シン様は風圧から守るように私を腕の中に押し込んだ。
彼の汗ばった匂いにくらくらしてしまう。胸板に押し付けられたせいでシン様の心臓の鼓動が聞こえてくる。かなり速い。
(あ。心の声が消えた?)
なんだか現実味がなくて、シン様の声が遠い。こんなに近くにいるのに、どうしてだろう。
「…………、私を置いていかないでくれ、ソフィ。もし君を失うことになったら……私は壊れてしまう……。お願いだ。戻ってきてくれ……!」
「……シン様」
震えた声で、今にも泣きそうだった。
なぜ。
なぜ、シン様のほうがつらそうなのだろう。
「ソフィ! 私の声が届いているか?」
「は、はい……」
「私のことを覚えているか? 怪我は? 違和感はあるか?」
シン様は私をギュッと抱きしめた後、すぐに体に異常がないかと心配そうに尋ねてきた。
なんだか頭がふわふわして、思考が上手くまとまらない。
「私が愛しているのも、触れたいのも、結婚したいのも、ずっと傍にいたいのもソフィーリアだけだ!」
「ひゃ」
突然の告白に夢心地が一気に醒める。シン様は「好きだ、愛している」を恥ずかしげもなく口にする。
嘘とか、その場しのぎとは思えない熱量に、今度は心臓がバクバクと音を鳴らす。
「シン様……」
「ソフィ、愛している」
ふと唇が触れ合い、シン様の唇がやけに冷たいことに気づく。
よく見れば顔色がとても悪い。その上、体温も徐々に下がっているような気がした。
「シン様、体が……」
「……大丈夫だよ。今度は間に合ったから、そのための埋め合わせなら……安いものだ」
正面から抱きしめられ、シン様の鼓動が激しく高鳴っているのが聞こえてくる。この温もりに安堵してしまった自分が憎い。それでも両手で押し返そうと足掻く。
もう傷つきたくない。だからハッキリさせよう。
「シン様が本当に好いているのは、運命の相手、聖女様ではないのですか?」
「私の運命の相手は、何度繰り返したとしても、ソフィただ一人だよ。……それと過去の時間軸では私が洗脳にかかっていた可能性が高かったから対策をしっかりしている。でもこの時間軸ではソフィ、君が色濃く洗脳……というか強い暗示にかかっている」
「……え」
予想していなかった単語に、私は困惑する。何が正しいのか、何を信じればいいのか。
「私が?」
「ああ。……三カ月前の話を覚えているかい?」
「はい……。その辺りからシン様との連絡があまり取れなくなってしまったのです」
「うん、その段階でソフィは強い暗示あるいはそう仕向けられたのか、私の手紙を読まなくなったし、気づかなくなったと報告を受けている」
「え……?」
「贈り物や手紙もほとんど手に取らず、見えていないようで、妖精や家族の声も半分ぐらいしか届いていなかった。それに今日はお茶会で歌を歌うはずだっただろう?」
「私が……?」
三カ月前に音楽祭に話が出て、お茶会で試してみようと話したようなことを思い出す。ぼんやりした記憶で、なんだか夢心地のような感覚だった。
「ソフィ。……今なら周りがよく見えるはずだ。怖がらずに、周りを見てくれ」
「周り?」
真っ白な薔薇が咲き乱れて──違う。白い霧とトゲだらけの茨が周囲を埋め尽くそうとしていたが、音を立てて崩れ去った。
「!?」
私の影とシン様の影からも、黒い茨が消えていく。
「どうやら私の血は黒薔薇にとっては猛毒だったようだ」
「血? シン様の……!?」
よく見ればシン様の周囲には水たまりができるほどの血溜まりがあった。
それが全部、シン様の血だというのなら──。
一瞬で血の気が引く。
「シン様!」
「大丈夫……と言いたいところだけれど……」
シン様が出血多量で死んでしまう!
それに《クドラク症》を引き起こしかねないとお思い、慌ててシン様にカネレのドライフルーツを口の中に押し込んだ。
「んんっ!」
「カネレのドライフルーツです!! シン様死なないで!」
もぐもぐと咀嚼するシン様はなんだか可愛く見える。そういえばずっと昔に、バルコニーで死にたがりに男の子にも同じようにドライフルーツを上げたのを思い出す。
「…………まさか常備しているのかい?」
「ええ。……昔、死にたがりの男の子にあげてから……なんとなく?」
そう言ったらシン様は、泣きそうな顔で微笑んだ。
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