1 / 1
お料理と婚約したい
しおりを挟む
「あ……お腹空きすぎて動けない……」
それが、わたしの最後の記憶でした。
派遣切りされて生きる気力をなくし、寝食を忘れて乙女ゲームに没頭しつづけたわたしの、悲しい最期です。
さようなら人生。
乙女ゲーだけは楽しかったよ――
***
「……? あ、これ、転生してる」
わたしはすぐに理解しました。
だってそこは、前世では親の顔よりよく見た、大好きな乙女ゲーの背景の中だったからです。
婚約パーティの背景。
ライバルである悪役令嬢が婚約破棄され、平凡だけど恋愛にまじめな主人公が指名される、物語のクライマックス。
壇上には悪役令嬢の婚約者が立っています。
「へえ、見ものね。悪役令嬢はどこかしら……?」
目立つ真紅のドレスに身を包んでいるはずですが、見当たりません。
――って、いたいた!
「わたしじゃん。真っ赤なのわたしだけだ。ああこれ、今から婚約破棄されるところね。はいはい」
主人公の視点からでしたが、何度も見たシーンです。
全キャラ攻略したし、スチルの表情差分もすべて集め終わったし。
本当にお気に入りのゲームだったので、コンプリート後もたまに起動しては、また最初から全キャラ攻略しなおしたりしていました。
飽きないのかって?
そんなバカな。
生きるのに飽きたとしても、乙女ゲーに飽きるなんてことはありえないでしょう。
同じ台詞や展開でも、そのときの気分によって違って聞こえます。
何度も聞いた「愛してる」だって、心の表面を撫でる心地いい声で聞こえる日もあれば、心の奥底をぐわっと揺り動かす真実の愛のように激しく聞こえることだってあるのです。
同じボイスデータですけど、心を映す鏡というか、何度聞いても味わいはまた違ってきます。
いつもはライバルが告げられる「ざまぁ」な台詞ですが、自分が言われるとなると、確実に新たな発見が生まれることでしょう。
はっきり言って、超楽しみ。
でも――
「やっば! マジでお腹減ってるわ」
餓死したのだから当然なのかもしれません。
よりにもよって、ここはパーティ会場。
壇上の婚約者以外は、みんな立食形式のご馳走を皿にとって食べています。
「あ、婚約破棄されたら泣きながら遁走しなきゃいけなくなる。食べるなら今しかないわ!」
わたしは急いでテーブルに向かいました。
胃が弱っているかもしれないと思い、初めは、おそるおそるサラダに口をつけます。
みずみずしいレタスのシャキッとした歯ごたえと、トマトの優しい酸味がじわっと口に広がりました。
かかっているドレッシングもまた上品で、レモンとオリーブオイルでしょうか、油っぽさが少なく、素材本来の味を邪魔していません。
「おいしい……」
至福を感じ、わたしは喜びに震えました。
胃は問題なさそうです。
転生したことで、身体はリセットされたということでしょう。
この激しい飢餓感は、きっと本当の空腹ではなく、魂に刻まれた悔いのようなもの。
「満たさなければ……」
わたしは使命感に突きうごかされます。
空腹にはとりあえず穀物。
丸パンをちぎっては口に入れ、ちぎっては口に入れ。
「おいしい! こんなパンがあるなんて!」
表面はこんがりパリッとしていますが、中はふんわりもちもち。
コンビニパンのもちもちとは違いますよ?
あれはもちもち感だけを求め、それだけを長持ちさせている、いわば擬似もちもち。
このパンは、焼きたて本来のもちもちなのです。
今まさに石窯から出てきたばかりのこれは、まるで生まれたての赤子のほっぺのよう。
ああ……もちもちぃ……。
穀物の次はお肉。
やはりここは、がっつり代表のビーフステーキでしょう。
「え、二段になってるの? あ、これ……これは!」
ステーキの上にステーキが乗った料理かと思ったら、上に乗っているのは極厚のフォアグラでした。
ステーキソースでこんがり焼きあげられ、まるで親子亀のように肉の上に乗せられています。
「贅沢すぎ~!」
そのままかぶりつかなかったのは、わずかに残った理性のおかげ。
わたしは、もどかしく感じながらもナイフをそのフォアグラ&ビーフに押しあてました。
スーッと、切れました。
なんて柔らかいのでしょう。
これがまさか生き物の身体から獲れたなんて。
最初から切られることがわかっていたみたいに、わたしの口のサイズに合わせて、たやすく切れてくれました。
そして、口に――
「ふわぁぁ! 芳醇に香りたつソースの深い味わいと、フォアグラの甘み、そしてお肉! お肉ってこんなにじわっと口に馴染んでくるものなのね! ああ……もう……わたし……」
感動が止まりません。
でも、とにかくもっと、食べたい。
全部。
全部……!
「……ね、ねえ、あなた?」
「はふ?」
食べている途中で、話しかけられました。
見ると、主人公の女の子です。
「あなた婚約破棄を言い渡されたんだけど、平気? 泣いて逃げだしたりはしないの?」
「ま、待って……」
口の中のものを飲みこみました。
「わたしもう婚約破棄されたの?」
「ええ。かなりひどいこと言われてたから、心配したんだけれど……」
「ごめん、食べてて聞いてなかった」
改めて見渡すと、パーティ会場のみんながわたしに注目しています。
壇上の婚約者――元・婚約者も、唖然とした表情でこちらを見ていました。
わたしはバツの悪い気分のまま、皿に盛ったパスタをくるくるとフォークで回していると、
「ぼくの料理をそこまでおいしそうに食べてくれるレディは、初めてだよ」
シェフ帽をかぶった青年が、感極まった顔でわたしに近づいてきました。
そしてひざまずき、
「婚約破棄された直後で申し訳ないが、ぼくと婚約してくれないだろうか? 一生きみに料理を作りたい」
わたしは婚約を申し込まれました。
こんなシナリオ、見たことありません。
「っていうかボイス! シェフにまでボイスあったなんて知らなかった。キャストは誰? 誰の声なの?」
「……ぼくの声だよ」
「す、すてき」
今までのどんな乙女ゲーで聞いた声よりも、すてきな声に聞こえました。
「愛してるよ」
身体の奥底まで響いてわたしの心を掴むような、渋くて甘い声。
……掴まれたのは胃袋かもしれませんが、こんな新しいルートも、わたしはありだと思いました。
それが、わたしの最後の記憶でした。
派遣切りされて生きる気力をなくし、寝食を忘れて乙女ゲームに没頭しつづけたわたしの、悲しい最期です。
さようなら人生。
乙女ゲーだけは楽しかったよ――
***
「……? あ、これ、転生してる」
わたしはすぐに理解しました。
だってそこは、前世では親の顔よりよく見た、大好きな乙女ゲーの背景の中だったからです。
婚約パーティの背景。
ライバルである悪役令嬢が婚約破棄され、平凡だけど恋愛にまじめな主人公が指名される、物語のクライマックス。
壇上には悪役令嬢の婚約者が立っています。
「へえ、見ものね。悪役令嬢はどこかしら……?」
目立つ真紅のドレスに身を包んでいるはずですが、見当たりません。
――って、いたいた!
「わたしじゃん。真っ赤なのわたしだけだ。ああこれ、今から婚約破棄されるところね。はいはい」
主人公の視点からでしたが、何度も見たシーンです。
全キャラ攻略したし、スチルの表情差分もすべて集め終わったし。
本当にお気に入りのゲームだったので、コンプリート後もたまに起動しては、また最初から全キャラ攻略しなおしたりしていました。
飽きないのかって?
そんなバカな。
生きるのに飽きたとしても、乙女ゲーに飽きるなんてことはありえないでしょう。
同じ台詞や展開でも、そのときの気分によって違って聞こえます。
何度も聞いた「愛してる」だって、心の表面を撫でる心地いい声で聞こえる日もあれば、心の奥底をぐわっと揺り動かす真実の愛のように激しく聞こえることだってあるのです。
同じボイスデータですけど、心を映す鏡というか、何度聞いても味わいはまた違ってきます。
いつもはライバルが告げられる「ざまぁ」な台詞ですが、自分が言われるとなると、確実に新たな発見が生まれることでしょう。
はっきり言って、超楽しみ。
でも――
「やっば! マジでお腹減ってるわ」
餓死したのだから当然なのかもしれません。
よりにもよって、ここはパーティ会場。
壇上の婚約者以外は、みんな立食形式のご馳走を皿にとって食べています。
「あ、婚約破棄されたら泣きながら遁走しなきゃいけなくなる。食べるなら今しかないわ!」
わたしは急いでテーブルに向かいました。
胃が弱っているかもしれないと思い、初めは、おそるおそるサラダに口をつけます。
みずみずしいレタスのシャキッとした歯ごたえと、トマトの優しい酸味がじわっと口に広がりました。
かかっているドレッシングもまた上品で、レモンとオリーブオイルでしょうか、油っぽさが少なく、素材本来の味を邪魔していません。
「おいしい……」
至福を感じ、わたしは喜びに震えました。
胃は問題なさそうです。
転生したことで、身体はリセットされたということでしょう。
この激しい飢餓感は、きっと本当の空腹ではなく、魂に刻まれた悔いのようなもの。
「満たさなければ……」
わたしは使命感に突きうごかされます。
空腹にはとりあえず穀物。
丸パンをちぎっては口に入れ、ちぎっては口に入れ。
「おいしい! こんなパンがあるなんて!」
表面はこんがりパリッとしていますが、中はふんわりもちもち。
コンビニパンのもちもちとは違いますよ?
あれはもちもち感だけを求め、それだけを長持ちさせている、いわば擬似もちもち。
このパンは、焼きたて本来のもちもちなのです。
今まさに石窯から出てきたばかりのこれは、まるで生まれたての赤子のほっぺのよう。
ああ……もちもちぃ……。
穀物の次はお肉。
やはりここは、がっつり代表のビーフステーキでしょう。
「え、二段になってるの? あ、これ……これは!」
ステーキの上にステーキが乗った料理かと思ったら、上に乗っているのは極厚のフォアグラでした。
ステーキソースでこんがり焼きあげられ、まるで親子亀のように肉の上に乗せられています。
「贅沢すぎ~!」
そのままかぶりつかなかったのは、わずかに残った理性のおかげ。
わたしは、もどかしく感じながらもナイフをそのフォアグラ&ビーフに押しあてました。
スーッと、切れました。
なんて柔らかいのでしょう。
これがまさか生き物の身体から獲れたなんて。
最初から切られることがわかっていたみたいに、わたしの口のサイズに合わせて、たやすく切れてくれました。
そして、口に――
「ふわぁぁ! 芳醇に香りたつソースの深い味わいと、フォアグラの甘み、そしてお肉! お肉ってこんなにじわっと口に馴染んでくるものなのね! ああ……もう……わたし……」
感動が止まりません。
でも、とにかくもっと、食べたい。
全部。
全部……!
「……ね、ねえ、あなた?」
「はふ?」
食べている途中で、話しかけられました。
見ると、主人公の女の子です。
「あなた婚約破棄を言い渡されたんだけど、平気? 泣いて逃げだしたりはしないの?」
「ま、待って……」
口の中のものを飲みこみました。
「わたしもう婚約破棄されたの?」
「ええ。かなりひどいこと言われてたから、心配したんだけれど……」
「ごめん、食べてて聞いてなかった」
改めて見渡すと、パーティ会場のみんながわたしに注目しています。
壇上の婚約者――元・婚約者も、唖然とした表情でこちらを見ていました。
わたしはバツの悪い気分のまま、皿に盛ったパスタをくるくるとフォークで回していると、
「ぼくの料理をそこまでおいしそうに食べてくれるレディは、初めてだよ」
シェフ帽をかぶった青年が、感極まった顔でわたしに近づいてきました。
そしてひざまずき、
「婚約破棄された直後で申し訳ないが、ぼくと婚約してくれないだろうか? 一生きみに料理を作りたい」
わたしは婚約を申し込まれました。
こんなシナリオ、見たことありません。
「っていうかボイス! シェフにまでボイスあったなんて知らなかった。キャストは誰? 誰の声なの?」
「……ぼくの声だよ」
「す、すてき」
今までのどんな乙女ゲーで聞いた声よりも、すてきな声に聞こえました。
「愛してるよ」
身体の奥底まで響いてわたしの心を掴むような、渋くて甘い声。
……掴まれたのは胃袋かもしれませんが、こんな新しいルートも、わたしはありだと思いました。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
54
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(2件)
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
やはり生きて行くのに大切なのはまず食べる事でしょう。愛や恋では腹は膨れませぬ。胃袋万歳(∩´∀`)∩きっと幸せな人生が送れると思います。
ご感想ありがとうございます。
わんちゃんかわいい〜。
食事の幸福感が伝わって嬉しいです。
おいしいもの食べたときのこと思いだしながら書いたので、わたしも幸せでした(笑)
最高《*≧∀≦》
料理に負ける元婚約者ざまぁ(σ≧▽≦)σ
お幸せに(゜∇^d)!!
ご感想ありがとうございます。
元婚約者のセリフ、一切ないですからね(笑)
おいしい料理と食欲には勝てません。
これからも、幸せそうに作っては食べるふたりが目に浮かびます。