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人の優しさに感謝
しおりを挟むこの家は確か老夫婦が暮らしている。
コンコン
「すみません」
リーストファー様は戸を叩いた。
静けさが辺りを包んだ。
険しい顔をしたリーストファー様と目が合った。
「この家は確か老夫婦だったよな?」
「はい」
「こんな事は考えたくないが…」
私も最悪の事態が頭をよぎった。老夫婦と書いてあっただけで何歳かまでは書いていなかった。お爺さんとお婆さんも老夫婦は老夫婦。でも二人共ご年配ではあっても元気に暮らしている。
もしかして…、そう思いたくなくてもこの静けさに胸騒ぎがする。
フィンを連れてきてはいけなかった。
人に生がある以上必ず死も訪れる。でもその死に直面するにはまだフィンは幼い。父親の死を知っていても、訃報を聞くのと見るのではまた違う。それが例え知らない他人だったとしても。
リーストファー様はもう一度戸を叩いた。
「すみません、誰か居ますか?居たら返事をしてください。怪しい者ではありません。こちらの領地を治める者です。俺はリーストファー、ホーゲル伯爵当主です」
リーストファー様は何度も戸を叩いた。
「もし何も返事がなければこの戸を壊し家の中に入らさせて頂きます」
リックはいつでも走れるように少し後ろへ下がった。助走をつけて戸へ体当たりをし戸を壊せるように。
「もし家の中に誰か居るのなら身近にあるものを鳴らして頂いても構いません」
少し経ち『カン』と小さな音が聞こえた。家の中に人はいる。そして生存している。どんな状態かは分からないけど少しだけ胸をなでおろした。
「動けますか?動けるのならもう一度音を鳴らしてください」
『カン』ともう一度音が聞こえた。
「戸を開ける事は可能ですか?我々はあなたに危害を加えるつもりはありません。どうか信じてほしい。ただ確認したいだけです。もし動けないのなら医師の診察を受けてほしいと思っています。もし食べる物に困っているのならここにパンがあります。それを受け取ってほしい。だから一度顔を見せてはいただけませんか?」
沈黙が流れた。
リーストファー様は振り返った。
「無理強いはよくないな。パンを置いて明日また声をかけよう。毎日声をかけ続ければいつか戸を開けてくれると願おう」
「はい、それがよろしいかと思います。生存だけは確認ができましたし」
袋に入ったパンを戸の近くに置き、私達は家を離れようとした。
その時鍵を開ける音が聞こえた。
『キー』と戸が開く音が聞こえ、年配の女性が家の中から出てきた。
「何度も声をかけてすまない」
リーストファー様は女性に声をかけた。
「貴女お一人か?」
「寝たきりの夫が中に…」
「寝たきりか…、一度医師の診察を受けてほしいのだが」
「ですが払えるお金がありません」
「お金の心配はしなくていい。領民の健康を守るのは領主としての義務だ」
リーストファー様は私の近くに来た。
「俺が今から辺境まで戻り医師を連れて来る。俺が行くのが一番早いからな。ミシェル、ここは任せた」
「分かりました」
リーストファー様は馬に跨り辺境へ向かった。辺境伯へ頼むにしてもリーストファー様が行って頼むのが早い。
「はじめまして、私は彼の妻のミシェルです。何かお困りごとはありませんか?草むしりでも洗濯でも何でもやりますよ?」
私はお婆さんに微笑んだ。
この家に畑はない。それでも家の周りは草が生い茂っている。
「この花壇にはお花を?」
家の前には柵で囲われた場所があった。草が生い茂り花は咲いていない。
「以前は…」
リックとフィンに頼み草を抜いてもらう。お爺さんは壊れた所はないか家の周りを見ている。お爺さんの家よりフィン親子の家よりも古い家。
「お食事はとれていますか?」
「はい、恵んでくれる人がいます」
領民同士の交流はない。バーチェル国に友人がいるとしても行き来はできない。その中で誰に食べ物を恵んでもらっていたのだろう。
誰にも知られない抜け道がある?それとも何か裏取引のような闇ルート?
「罰は私が受けますので…」
震えて怯えているお婆さん。
私はいつの間にか険しい顔をしていたみたい。
「違うのよ?だから怖がらないで?誰も捕まえるつもりもないし咎めるつもりもないわ。ただそんな優しい人がいたのならお礼を言いたいと思ったの。本来なら私達がしないといけない事だもの。
もし差し支えなければ誰か教えてもらえると助かるのだけど」
私はお婆さんを怖がらせないように微笑んだ。
「今国境の石垣を積んでいる人達です」
「教えてくださりありがとうございます。彼等には改めてこちらからお礼をしますね」
お婆さんは警戒はしているものの今は怯えてはいない。
「ご主人はいつから寝たきりに?」
「数ヶ月前です。体調を崩しそれから…」
「それまでは元気に過ごされていましたか?」
「はい、毎日石垣を見に行っていました」
「まあ、ご主人はそういうお仕事を?」
「雇われですが家を建てたり修復したりしていました。石垣や城壁を見るのが趣味でしたので毎日見に行ってました」
「まあ素敵なご趣味だわ。そこで彼等と知り合いに?」
「はい。体調を崩し石垣を見に行けなくなり、顔を出さない夫を心配して家に訪ねてきてくれ、それから食料を少し頂いていました」
ご主人はきっと彼等から慕われていたのかもしれないわね。毎日来る人が急に来なくなれば、何かあったのではないかと心配になる。彼等はこの家に来てお爺さんの状態を知り、お婆さんに食料を渡していた。
食料を買いに行くにも辺境の街まで行かないといけない。畑があれば野菜は収穫できるけど見た所この家に畑はない。
きっとお爺さんが元気のうちは辺境の街まで買いに行っていたのかしら。でもお婆さん一人になりそれもできなくなった。だから彼等は自分達の食料を少し分けていた。
彼等が居なければこのご夫婦は亡くなっていたかもしれない。
感謝をしなければ。
充分なお礼をしなくてはいけないわ。
この領地へ来て人の優しさに改めて気付かされる。
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