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第10話 疑いの色

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 茶会が終わり、その日の夜。私は母に呼び出され、彼女の部屋を訪れていた。

「あの子と随分楽しそうにしていたそうじゃないか。この前まで、あんなに浮かない顔をしてたのが嘘のようだね」
「はい……色々とお話しできて、よかったです」
「ふふっ、それはよかった」

 母が満足そうに笑うなど、いつ以来だろう。ようやく母を満足させられたと、私の心は弾んだ。

 でも、それも長くは続かなかった。

「ところで、あの子と一緒にいた男だが」

 あの男……スクルさんのことだろうか。

「どうやら、私の周りをこそこそと嗅ぎ回っているようだよ。お前みたいなお人好し、簡単に騙されるんだから、決して気を許さないようにね」

(嗅ぎ回っている……スクルさんが?)

 私の心臓が早鐘を打つ。

「また何かあれば呼ぶわ。今日はもうお休み」
「……はい、母様。おやすみなさい」

 一礼して、部屋を出る。

 母の一言で、さっきまでの弾んだ気持ちに、冷たい水をかけられたような気持ちになってしまった。

(……どういうことなの?あんなにいい人だと思っていたのに、本当は違うの?)

 その瞬間、私の頭に、よくない想像が浮かぶ。

(まさか……スクルさんも、フォールスも、私を騙してる……?)

 やっと少し歩み寄れた、その嬉しかった記憶が、疑いという絵の具で真っ黒く塗りつぶされていく。

 でも、本当に、母の言葉だけで、疑っていいのだろうか。

(違う……まだ、彼らから何も聞いていない。それなのに、決めつけるなんて、愚かだわ)

 そうだ。これまでの自分は、思い込んで、決めつけて、真実を確かめようともせずずっと逃げ回っていた。

(そうよアステ……勝手に思い込んで悲しむのだけはだめ!たとえどんな事だったとしても……聞かなきゃ、彼らに)

 私は急いで部屋に戻ると、便箋とインク、そしてペンを用意する。

(手紙を書こう、もう一度会いたいと。……あなたから、直接聞かせてちょうだい……)

 夜の静寂の中、文字を綴る音だけが響いた。

***

 再会の日は、わりとすぐに訪れた。

 私が出した手紙の返事は、思っていたより早く届いた。
 母に知られない方がいいと思い、職場である病院に送ってくれるよう頼んでいたけれど、ちょうど研究室に行っていた日に届いたようで、確認するのが遅くなってしまった。

 フォールスからの手紙には、便箋と、あとチケットが入っていた。

「歌劇のチケットだわ」

 どうやら、歌劇が行われている劇場の桟敷席を取っており、そこで話を聞きたいという事らしい。
 でも、そこに書かれた日付は明日の夜。間近であるため、都合が悪ければ無理して来なくてもいいし、遅れても構わない……と。

(桟敷席は、2階以上にある個室のようなところよね……。観劇だけではなく、社交目的で使う場所でもあると聞いた事はあるけれど、本当だったのね)

 自分には縁がないと思っていた場所。そんなところを提案してくるのは、そういった場所にふさわしい地位を持っているフォールスには、当たり前なのだろう。

 そう、たまたま、母のおかげで彼との縁ができただけで、本当なら雲の上の存在なのだ。

(きっとこれは、いつか醒める夢のようなもの。彼の気が済めば、きっと彼との縁も消えてなくなるんだわ)

 そうなればもう、彼の言葉に傷ついたり、優しさに嬉しくなったり、騙されているのかも不安になったり……そんなふうに、心をかき乱される事もなくなる。

(きっとそれがいちばんよ……そうよね、アステ)
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