上 下
34 / 77

第32話 愛してる

しおりを挟む
 ところで、とフォールスに言われ、何も言えず黙っていた私は、彼を見た。

「君が僕との結婚にためらってるのは、さっきスクルに話してた通り、僕と君の立場が原因?」

 私は頷く。

「……気持ちが分かるまでの時間が欲しいとは言ったけれど、本当に引っかかっているのは、それだわ」

 時間を置けば、頭が冷静になって、恋だの愛だのというのは単なる気の迷い、と片付け諦められるのではと期待していた。
 だって、彼の立場も、私の生まれも、私にはどうにもできないのだ。それを無視する勇気など、持てそうにない。

 そう考えていた私に、フォールスは別の質問を投げてきた。

「結婚の問題は別として、君は僕の事……どう思ってる?保留されてた答えを聞きたい」
「あなた……待つって言ってくれたじゃない……」
「僕の忍耐力は、君の貞操を守るために使い切ってしまった」

 私の抗議もむなしく、そう言われたらもう何も言い返せない。

 仕方ない。私は、どう話せばいいか迷いながら、口を開いた。
 
「私、あなたの側にいると、胸が苦しかったり、動悸が激しくなる。離れている時は、とても恋しくなる。あなたが笑うと嬉しくて、悲しそうにしてると辛い。あなたに、私が出来る事があるなら、何でもしてあげたいと思ってしまう。キスをされても、嫌だなんて思わなかった。……ねえ、これって、やっぱり、そういう事なのかしら」

 愛という言葉を口に出すのが躊躇われて、あれこれと、回りくどく説明してしまう。

 でも、フォールスにはちゃんと伝わったようだった。

「そんなの、確実にそうだろ!?くそ……ああ……夢みたいだ。ねえアステ、きちんと言ってほしい。僕を、愛してるって」

 その瞬間、私の頭の中に警告が響く。

 お前はそこを越えてはいけない。お前のような女が、その手を取ってはいけない。選ばれし純血の血筋を、混血の女が穢してはならない。

 でももう、その警告に、私は心を動かされなかった。

(なぜ私は、いつまでも、遠慮し続けなければならないの?)

 これまで決して芽を出すことのなかった、反抗という種が、芽吹く。

 私は心を決めた。まっすぐフォールスを見る。

「私、フォールスを……愛してる」

 言い終えないうちに、私の唇は、フォールスの唇で塞がれていた。しかも、前にされたような、そっと触れるようなものではない。

「んっ……」

 何度も離れ、また塞がれ、その繰り返し。

「あっ!んっ!ちょっと!んんっ!待って!んむっ!」

 一体何回するのか、と思うくらい終わらない。

 やっと彼が離れてくれた時には、うまく息ができてなかった私の呼吸は荒くなっていた。

「もう遠慮しなくていいと思ったら、止まらない……」
「もう!」

 またしようとするので、慌てて手のひらでフォールスの顔を押さえた。

「むぐ」
「ちょっと落ち着いて!あなたと違って私、全然慣れてないのよ?あまりにもいそぎすぎだわ!」

 迫るフォールスと、拒む私。その攻防は、馬車が止まるまで続いた。

***

 結局、あれ以上キスをするのは諦めたフォールスだったけれど、私の手をずっと握ったまま、離してくれなくなった。

 そして、馬車を降りても彼は、私の手を離す気配がない。

「離れたくない」
「もう……子供みたいな事言わないの。私は逃げたりしないから、ね?もう遅いし、あなたも早く帰って休まないと」

 私の言葉に、納得いかないまま渋々といった様子で手を離すフォールス。

「式についてはスクルに任せるから、何かあれば彼に言ってほしい。あと、ミスオーガンザに挨拶に行こうと思う……明日までに予定を立てるから、それもあわせてスクルに伝えさせる」
「分かったわ……何から何まで頼りっきりで……お願いした張本人が何もしないなんて、本当にごめんなさい。落ち着いたら、あなたにもスクルさんにも、たくさんお礼をさせて?」
「分かった……楽しみにしてる」

 彼は、名残惜しそうに私を見て、それから、こんな質問をしてきた。

「……ねえアステ。もし僕が、何の地位も持たない男だったとしても、僕と結婚したいと思う?」

 なぜ彼はそんな事を聞くのだろう。私は、彼が領主だから好きになった訳でもなく、ただ彼自身が好きだというのに。

「私、むしろ、そっちの方がいいわ」

 そう答えると、フォールスはほっとしたような表情になる。

「でもなぜ、絶対に叶わない夢を聞くの?あなた、残酷ね」
「そんなつもりじゃ……」

 ごめんなさい、気にしないで、と私は首を横に振る。

「そうね。そんな世界があったらいいわ。ただの男と女として出会って、愛し合って……そして私はあなたの妻になる。まるで夢のよう」

 私の答えに、フォールスは嬉しそうに笑う。

「分かった……ありがとう、アステ。僕も、覚悟が決まったよ」

 そう言うと、フォールスは私を抱き寄せる。私は、彼の言葉の意味が分からず、首を傾げる。

「フォールス、ねえ、どういうこと?覚悟って……」
「それは秘密。じゃあ、最後に一回だけ」

 私から体を離したかと思うと、フォールスはすかさず私にキスをした。

「もう……こんなところで……」
「油断した君が悪い。じゃあ、また!」

 彼は、私に文句を言う暇も与えず、馬車へ乗り込んでいってしまう。

「困ったひとね、本当」

 私は、呆れるのと、少しの嬉しさとを感じながら、動き出した馬車を見送った。
しおりを挟む
1 / 4

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!


処理中です...