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6. クレア
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呆然と自室に向かい、真っ白な頭で着替えを大きめのバッグに詰め込んだ。ロマンが背後から私に何か声をかけたが、答える気力があるはずもなかった。
家を出ると、クレアが庭の向こうの路肩に立っていた。彼女は何も聞かずにこう声をかけた。
「迎えにきたわ」
事前にクレアには、今日泊まりにいく旨をメールしていた。クレアはオーシャンから、私が自宅に荷物を取りに戻ることを聞いて、自分の家に向かう途中で迷うのではないかと心配になって迎えにきてくれたらしかった。
クレアの送迎用の車の後部座席に一緒に乗りこむ。彼女の家はここから車で20分ほどのところなのだという。
正直、クレアが来てくれたことに安心した。このまま1人でバスに揺られてクレアの家に向かうことを考えると、虚しくてしかたながない。
彼女は私が泣いた直後であることに気づいていたはずだが、何も聞かなかった。
結局、自分の感情をぶつけてみたもののロマンの本心は分からぬままだった。彼女の涙の理由も、噛み殺していた言葉の正体も、霧に包まれたみたいに見えてこない。
「姉妹なのに、こんなに分からないなんてね」
自嘲気味に呟いた私に、クレアが視線を向ける。
「家族だって、わからないことは沢山あるわ。あなたのケースとは違うかもしれないけど、私は両親が未だに怖いし、彼らのことが分からなくなることがよくある」
クレアは幼い頃から旅劇団に所属し、舞台監督の父親と舞台女優の母、そのほかの役者やスタッフとともに世界中を飛び回っていたらしい。両親はクレアの芝居はもちろんのこと、プライベートに関しても事細かに、非常に厳しく指導した。少しでもクレアが彼らに背くような行動を取れば激しく叱り、相応の罰を与えた。
そのため、未だに彼女は両親の前だと心が休まらないのだと打ち明けた。
「家族だから分かり合えるっていうのは、幻想なのかもしれないわね」
クレアは静かに頷いた。
「家族だからこそ、分かり合えないこともあるかもしれないわ」
ロマンと私は血のつながりはないけれど、紛れもない家族だ。幼い頃は一緒にお風呂に入り、同じ布団で寝て、お互いの誕生日にはプレゼントを贈りあった。お互いの好きな映画や音楽や本を共有する時間は、とても幸せだった。彼女のノートに書かれた作品を読んでいる時間も。
彼女は私に対してとても優しかったし、姉として申し分ないほどの愛情を注いでくれた。声を荒げたことなど一度もなかった。私が欲しいと言えば、どんなものでも差し出した。だが唯一、彼女の心を手に入れることはできなかった。
「一番欲しいものは、手に入らないものなのかもしれないわ」
呟いた私を、クレアの若草色の瞳が見つめる。
「例え一番欲しいものを手に入れても、幸せになれるとは限らないわ」
「それでも、欲しいものは欲しい」
「将来、それよりももっと素敵なものが手に入るかもしれないわ」
「例えば?」
「そうね……。今以上の、真実の愛を見つけるとか?」
「あなたって、ロマンチスト?」
「そうかも」
苦笑いを浮かべたクレアの横顔を見る。彼女のような有名人が、私と肩を並べてプライベートな会話をしながら、同じ車に乗っている。そのことが不思議な気がしてならない。
「あなたって、全然芸能人って感じじゃないわね」
「そう?」
「うん」
オーシャンが以前、クレアのことを『出来た人間』と評していたことを思い出した。確かに目の前のクレアは全く偉ぶったところもなければ、一般人である私を下に見るような素振りも見せない。自分の能力について自慢をすることも全くなく、終始穏やかに微笑みながら私の話に耳を傾け、優しい口調で語りかける。そんなクレアはかなり心の広い人物なのかもしれない。
「そういえば、あなたのシスターは誰?」
不意にクレアが尋ねた。
「シスターって?」
「シスターフッドっていう制度が、この学校にはあるのよ。一年生と三年生がランダムで『姉妹』って呼ばれるペアになって、三年生が一年生のお世話をして、一年生が三年生を助けるの。この間、講堂の前に貼り出されてたわ。私のペアは、凄い人だった」
「すごい人?」
「そうよ、ミアさんって知ってる?」
「ミア……。あの、子役の時からテレビに出てる?」
「そうよ、すごいびっくりしたわ」
ミアとは、ダンサーとモデルの両親を持つ女優のミア・パスカルのことだ。彼女の姿を学校で見かけたのは一度か二度ほどだったが、テレビでは何度も観たことがある。煌びやかなブロンドと透き通った青い目。神聖なほどに無垢で美しい容姿をした彼女は、幼い頃は『連ドラの天使』とマスコミに呼ばれていた。普段それほどテレビを観ていない私ですら知っているのだから、彼女の知名度は相当なものといえる。
「今度、顔合わせがあるのよ。三年生が一年生を料理でもてなしてくれるの。凄く楽しみ!」
「あなたはミアさんでラッキーだったかもしれないけど、これで最悪な先輩に当たったら地獄だわ」
クレアとミアならきっとよい姉妹になるだろう。2人はお互いに子役の時から芸能界で活躍しているし、通じ合うところも多いに違いない。だが、後輩を使いパシリにして泣かせるような先輩がいないとも限らない。万が一そんなシスターに当たってしまったら、暗黒の学校生活が待っている。
ふと、ロマンの妹は誰だったのだろうと考える。彼女の妹となった私の同級生とロマンが仲良くなるような事態にもしなったとしたらーー。
悪い想像が膨らみそうになったところで、考えを振り払う。
忘れよう、ロマンのことは。
自分に言い聞かせながら、私はクレアに続いて停車した車を降りた。
家を出ると、クレアが庭の向こうの路肩に立っていた。彼女は何も聞かずにこう声をかけた。
「迎えにきたわ」
事前にクレアには、今日泊まりにいく旨をメールしていた。クレアはオーシャンから、私が自宅に荷物を取りに戻ることを聞いて、自分の家に向かう途中で迷うのではないかと心配になって迎えにきてくれたらしかった。
クレアの送迎用の車の後部座席に一緒に乗りこむ。彼女の家はここから車で20分ほどのところなのだという。
正直、クレアが来てくれたことに安心した。このまま1人でバスに揺られてクレアの家に向かうことを考えると、虚しくてしかたながない。
彼女は私が泣いた直後であることに気づいていたはずだが、何も聞かなかった。
結局、自分の感情をぶつけてみたもののロマンの本心は分からぬままだった。彼女の涙の理由も、噛み殺していた言葉の正体も、霧に包まれたみたいに見えてこない。
「姉妹なのに、こんなに分からないなんてね」
自嘲気味に呟いた私に、クレアが視線を向ける。
「家族だって、わからないことは沢山あるわ。あなたのケースとは違うかもしれないけど、私は両親が未だに怖いし、彼らのことが分からなくなることがよくある」
クレアは幼い頃から旅劇団に所属し、舞台監督の父親と舞台女優の母、そのほかの役者やスタッフとともに世界中を飛び回っていたらしい。両親はクレアの芝居はもちろんのこと、プライベートに関しても事細かに、非常に厳しく指導した。少しでもクレアが彼らに背くような行動を取れば激しく叱り、相応の罰を与えた。
そのため、未だに彼女は両親の前だと心が休まらないのだと打ち明けた。
「家族だから分かり合えるっていうのは、幻想なのかもしれないわね」
クレアは静かに頷いた。
「家族だからこそ、分かり合えないこともあるかもしれないわ」
ロマンと私は血のつながりはないけれど、紛れもない家族だ。幼い頃は一緒にお風呂に入り、同じ布団で寝て、お互いの誕生日にはプレゼントを贈りあった。お互いの好きな映画や音楽や本を共有する時間は、とても幸せだった。彼女のノートに書かれた作品を読んでいる時間も。
彼女は私に対してとても優しかったし、姉として申し分ないほどの愛情を注いでくれた。声を荒げたことなど一度もなかった。私が欲しいと言えば、どんなものでも差し出した。だが唯一、彼女の心を手に入れることはできなかった。
「一番欲しいものは、手に入らないものなのかもしれないわ」
呟いた私を、クレアの若草色の瞳が見つめる。
「例え一番欲しいものを手に入れても、幸せになれるとは限らないわ」
「それでも、欲しいものは欲しい」
「将来、それよりももっと素敵なものが手に入るかもしれないわ」
「例えば?」
「そうね……。今以上の、真実の愛を見つけるとか?」
「あなたって、ロマンチスト?」
「そうかも」
苦笑いを浮かべたクレアの横顔を見る。彼女のような有名人が、私と肩を並べてプライベートな会話をしながら、同じ車に乗っている。そのことが不思議な気がしてならない。
「あなたって、全然芸能人って感じじゃないわね」
「そう?」
「うん」
オーシャンが以前、クレアのことを『出来た人間』と評していたことを思い出した。確かに目の前のクレアは全く偉ぶったところもなければ、一般人である私を下に見るような素振りも見せない。自分の能力について自慢をすることも全くなく、終始穏やかに微笑みながら私の話に耳を傾け、優しい口調で語りかける。そんなクレアはかなり心の広い人物なのかもしれない。
「そういえば、あなたのシスターは誰?」
不意にクレアが尋ねた。
「シスターって?」
「シスターフッドっていう制度が、この学校にはあるのよ。一年生と三年生がランダムで『姉妹』って呼ばれるペアになって、三年生が一年生のお世話をして、一年生が三年生を助けるの。この間、講堂の前に貼り出されてたわ。私のペアは、凄い人だった」
「すごい人?」
「そうよ、ミアさんって知ってる?」
「ミア……。あの、子役の時からテレビに出てる?」
「そうよ、すごいびっくりしたわ」
ミアとは、ダンサーとモデルの両親を持つ女優のミア・パスカルのことだ。彼女の姿を学校で見かけたのは一度か二度ほどだったが、テレビでは何度も観たことがある。煌びやかなブロンドと透き通った青い目。神聖なほどに無垢で美しい容姿をした彼女は、幼い頃は『連ドラの天使』とマスコミに呼ばれていた。普段それほどテレビを観ていない私ですら知っているのだから、彼女の知名度は相当なものといえる。
「今度、顔合わせがあるのよ。三年生が一年生を料理でもてなしてくれるの。凄く楽しみ!」
「あなたはミアさんでラッキーだったかもしれないけど、これで最悪な先輩に当たったら地獄だわ」
クレアとミアならきっとよい姉妹になるだろう。2人はお互いに子役の時から芸能界で活躍しているし、通じ合うところも多いに違いない。だが、後輩を使いパシリにして泣かせるような先輩がいないとも限らない。万が一そんなシスターに当たってしまったら、暗黒の学校生活が待っている。
ふと、ロマンの妹は誰だったのだろうと考える。彼女の妹となった私の同級生とロマンが仲良くなるような事態にもしなったとしたらーー。
悪い想像が膨らみそうになったところで、考えを振り払う。
忘れよう、ロマンのことは。
自分に言い聞かせながら、私はクレアに続いて停車した車を降りた。
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