群青の空の下で(修正版)

花影

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第3章 ダナシアの祝福

おまけ ワールウェイドの光と影1

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「もう、放っておいて!」
 マリーリアはその言葉とともに枕をアスターに投げつけると寝室への扉をバタンと閉めた。投げつけられた枕は彼の顔面を直撃し、ポフンと軽い音を立てて床に落ちる。アスターは慌てて妻の後を追おうとするが、扉は内側からカギをかけられていた。
「マリー……」
 声をかけてみるが返事はない。こうなると彼女は梃子てこでも動かなくなり、態度が軟化するまでひたすら待つことになる。この1年余りの結婚生活でそれを思い知らされていたアスターはその場で思わず深いため息を吐いた。
 マリーリアから懐妊を知らされて2日。アスターは喜ぶと同時に妻の体を心配するあまり、彼女の行動にあれこれと口を出していた。
 現在、休暇で滞在中のワールウェイドの城から皇都への帰還を遅らせ、飛竜ではなく船で移動すると決めてすぐに手配を命じたあたりまではまだ良かった。転ぶといけないからと城の中でも常に妻を抱き上げて移動し、体を冷やしてはいけないからと、食事中も膝の上に座らせた。
 最初の頃は仕方がないといった様子で付き合っていたマリーリアだったが、終始張り付かれていては気も休まらない。耐えきれなくなった彼女が怒るのも当然の事だった。
「アスター卿」
 しばらくその場で立ち尽くしていると、不意に声をかけられる。振り返るとワールウェイドの城代を任せているリカルドが立っていた。苦笑気味なのは主たる2人の様子から、早晩、このような事態になるのを予測していたからかもしれない。
「リカルド殿……」
「少し、よろしいか?」
「……ああ、構わない」
 妻の傍から離れることに躊躇ためらいはあるが、それでも彼女の機嫌が直らない限り傍には寄れない。時間を置くことが必要と重々承知している彼は、リカルドに促されると後ろ髪引かれる思いでその場を去った。



「散らかっておりますが、どうぞ」
 着いたのはリカルドの執務室だった。散らかっていると言うが、報告書の類と思われる書類が机に山積みとなっている他は整然としている。本宮にあるアスターの執務室の方がよほど散らかっているかもしれない。
 勧められるまま来客用のソファに腰掛けると、ワインの杯が差し出される。アスターはありがたく受け取ると、それを飲み干した。リカルドが見せてくれたラベルを確認すると、タランテラ産の年代物。さすがにブレシッド産には劣ってしまうが、それでもワールウェイド家で所蔵しているだけあってなかなかの味わいだった。
 ちなみにブレシッドとの交易を再開して1年たったが、それでもかの国のワインはまだまだ希少品で、地方に出回っていないのが現状だった。気軽に飲めるようになるにはもう少し時間がかかりそうだ。
 おいしいワインで一息ついたついたところで本題とばかりにリカルドが報告書を差し出す。
「ニクラスが城代となる前にワールウェイド家の家令をしていた男の記述です。ちょうど20年くらい前のものです」
 20年位前というと、マリーリアの実父ジェラルドとグスタフの娘イサベルの婚礼が華々しく行われた時期である。グスタフの念願が果たされたと言っても過言ではないのに、当主本人だけでなく夫人や娘達の日記すら見当たらず、公的な記録がそっけない文章で残されているだけだったのだ。
 ワールウェイド家に残された資料は国から派遣された文官にも手伝ってもらって精査してあるので、これは間違いない。そのことからワールウェイド家にとって不都合な事があり、意図的にそれらの記述は闇に葬られたといえるだろう。その徹底度合いから考慮すると、家令の記述が残っていたのは奇跡的ともいえるかもしれない。
 ちなみに内乱に関する資料の精査はこの春にほぼ完了していた。改めてグスタフとカルネイロの深い係わりが判明したその報告書は、エドワルドと共にアスターも目を通した。リカルドの捕捉によると、カルネイロとのやり取りは余人を交えずほぼ単独で行っていたことが分かっている。
「精査はまだ完了しておりませんが、ここには特に重要と思える記述を集めました。日々の業務も書き込まれておりますので、印を挟んでいるページをお読みください」
 手渡された冊子は6冊。さすがに1日や2日で読み切るのは難しいだろう。こうして必要な部分を抜き出してくれているのはありがたい。
「分かった。早速目を通してみる」
 妻を怒らせて寝室からは締め出されてしまったが、隣接する自室には入ることができる。寝るにはまだ早いし、どのみち今はすることがない。自室に籠ってこれらに目を通せばいいだろう。
そうと決まれば行動は早かった。アスターは手渡された資料を抱えると、自室に足を向けた。



 資料は正式な日誌へ書き起こすための覚書だった。試しに印のないページに目を通してみると、毎日の天気や日々の業務の気づきだけでなく、領内に出没した盗賊や天災への対応なども記されていた。今後に役立ちそうな記述もあり、思わず読みふけってしまいそうになる。しかし、今は優先する事柄がある。気を取り直すとリカルドが印をつけているページを開いた。

『旦那様はお嬢様の事が心配ではないのだろうか?』

 この記述が残された年の秋口にジェラルドとの婚約が調っていたブリギッテが病に倒れていた。冬になって容体が悪化したと知らせが来ると、グスタフはすかさず彼女を見限り、ジェラルドの相手を次女のイザベルに切り替える主の命令が記載されていた。命令に従いながらも思うところがあったのか、その記述と共にそんな呟《つぶや》きとも思える書き込みが添えられていた。
 春を迎えるころ、その努力は実ってイザベルはジェラルドの婚約者と内々に決まった。驚くことに、それはブリギッテが他界してから一月も経っていなかったのだ。喪中ということで1年の猶予期間が設けられ、イザベルは急遽、妃教育を受けることとなった。
 当初は順調と思われていた妃教育だが、実際には侍女のマリーを身代わりにして本人は遊び惚けていた。婚礼まであと1月と迫った頃になってグスタフはようやくその事実に気づき、イザベルは半ば監禁状態で妃教育を受けることになった。
 どうにか体裁を整え、無事に婚儀を終えた。そしてその2カ月後には早速イザベル懐妊の知らせが届く。グスタフは大喜びして娘をねぎらったが、乳母から子供の父親がジェラルドではないことを知らされて激怒する。
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