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閑話・這って出てきて転がり落ちて
⑦
しおりを挟む口づけを交わしたまま、ゆっくりと、音もなく体をベッドに押し倒される。
まだ熱を持たないシーツが背中を冷やす。しかし唇に舌先がそっと触れて、その舌を積極的に絡め取れば、今度は俺たちの熱がシーツを乱し、温度を高めていった。
はじめ遠慮がちだった隼人もその頃には興奮が隠しきれなくなっており、舌の根まで長い舌に愛撫され、脇腹から探るように手のひらが這っていき、秘めておきたい甘い吐息が漏れ出ていく。
しかし、だ。
その探るような手はだんだんと、俺の反応を見る動きではなく。
撫でて、滑っていくのではなく。
俺の体のパーツ一つ一つにしっかりと手をおいて、その形を確かめて。
もうその指に熱なんてない。
まるで自分の醜さを暴かれていくかのようだった。
洋服の、布に覆われ隠された、欲情などできるはずのない身体を、その手によって暴かれたのだ。
枯れ枝のような二の腕を掴んだ隼人は、とっくのとうに硬直していた舌を引っ込め、唇を離した。
目線を下げ、何度も細かく瞬きを繰り返す隼人の、狼狽えた顔が見えてくる。愛する人に触れてもらえたのに、俺に触れたことでこんな表情をさせてしまうなんて。こんなにやりきれないことはない。
確かに隼人は俺を愛してくれていて、俺も隼人を愛しているのに。
結ばれることが叶わなくても、愛し合っているのは確かなのに。
悲しくて、恥ずかしくて、たまらなかった。自分の身体が憎くて、憎くて、たまらなかった。
もう何もかも諦めてこの場から逃げ出したかった。今すぐにでも消えてなくなってしまいたかった。
しかしそんな暇もなく、隼人は躊躇いがちに、いや指が震えているのかもしれない、とにかく覚束ない手つきで俺のワイシャツのボタンに手をかける。
体を重ねるのだ、裸体を晒さなければいけないことは分かっていた。
しかし自分の干からびた、骨の浮く肌が少し晒されただけで耐えられなかった。見て欲しくなかった。
これ以上、自分の身体のせいで顔色を悪くする隼人を見たくなかった。
「脱がなくても、抱けるだろう」
開かれたシャツをギュッと握りしめ、肌を隠す。
「脱ぎたくないか?」
頷けばあやすような口付けをされ、温かい手が腕に触れていく。しかしその手すら、骨の感触を確かめられてるように感じて心が落ち着くことはない。
そしてとうとう、隼人の言葉が俺にトドメを刺す。
「玲児……この身体抱いても大丈夫なのか?」
「何がだ」
声が上擦りそうになるのを懸命に堪えながら、できる限り短い返答をした。
「また痩せただろ。何キロ落ちてるんだ。今体重いくつあるんだよ」
いつでも唇が触れ合える距離から外れ、顔を背ける。
唇を重ねて、肌に触れても、やっぱり隼人から欲望を引き出すことはできなかった。あたたかな色をした瞳に何とか熱を灯したところで、俺自身が彼を正気に戻してしまう。
髪の上を滑っていく手は確かに温かい。言葉だけではなく、その手のひらが指先が、語りかけてくる。
愛情を感じるのにこんなに自分を惨めに思うことがあるなんて初めて知った。
「さあな。五十……はないだろうな」
穏やかだった呼吸音に違和感が起き、手の動きも止まる。
もういい。
これ以上はもういい。
鼻の奥がつんとする。上顎に舌を擦り合わせ、唾を飲み込む。もう耐えられそうにない。
「俺はずっと怖いんだ……玲児がいつか、消えてなくなってしまうんじゃないかって。そんなはずないのに、本気で心配してる」
隼人の優しさが恋人としてのそれではなく(恋人ではないが)、子を心配する親のようで嫌だった。求めているのは慈愛ではない。そう、思ったのに。
頭上から降りてきた声は弱々しくてまるで隼人のほうが助けを求める小さな子供みたいだった。逸らしたままでいた顔を向けてみれば、眉根を寄せて顔をくしゃくしゃにさせて、いつもの鋭い目つきが嘘のようだった。そうだ、あの目つきの悪い意地っ張りが、こんなにも素直に不安をあらわにして泣き言を吐いている。
自然と手が出て、そっと両方の頬を包み、撫でる。瞼を下ろして唇を誘う。
遠慮がちに口づけた後また離れていく隼人の首に腕を絡ませて抱き寄せるこの行動は、欲情ではなく、否定したかった慈しむ気持ちそのものだった。
今、ここにある、自分の身体へ引き寄せて。
こんなにすぐ近くに存在していることを教えてやりたくて。
お前の唇が肌を滑っていけば熱のこもった吐息だって出ていく身体を知ってほしくて。
「あっ……あ、んん」
そっと、ズボンの上から膨らんだモノを探られる。形をなぞって起立しているのがわかると上下に擦られて、必死で声を我慢した。きゅっと目を閉じた時に目尻が濡れるのがわかる。涙まで熱い。
とても心地が良かった。
感情のぶつけ合いではない。駆け引きでもない。欲情でもない。
ただ互いが愛しくて、触れ合っている。脳が痺れる快感とは違う、身体の奥からじんわりあたたかくなっていく心地良さ。
気持ちいい。快感、というのとは違うかもしれない。けれど、こんなに気持ちのいい触れ合いは初めてだった。
「あっ、はやと……待て、あっ……あ……」
ズボンに入ってきた手がとうとう下着越しに性器に触れてきて、恥ずかしいほどに布地が濡れていることを気付かせる。待てと言ってるのに隼人は夢中で、しかも亀頭ばかり指先で揉んだり撫で回したりと執拗に弄り回されて、自分自身も責められている先っぽもとろとろに蕩かされていく。
「はっ……んッ、んぁっ……」
「ヤバい……玲児のちんこ可愛すぎてずっと触ってられる」
「やめろっ、すけべ……」
恥ずかしい。さっきまであんなに欲情されたいされたいと願っていたのに、いざ甘い愛撫を受けると恥ずかしくて堪らない。
隼人はこんなに素直になってくれるのに、俺はこんな時ですら素直になれない。
そんな俺を見て隼人はふっと笑った。
やっぱりその目は欲望よりも慈愛に満ちている。
「なぁ玲児……俺、これ以上したら止まらねぇよ」
それなのに、低く掠れた雄の声で囁いてくる。本当に、本当にずるい男だ。
「それのなにが……だめ、なんだ……」
本当に。
「俺のこと、好きって言えよ」
ずるい。
薄くしか開けられていなかった目を開けて、しっかりと見つめ合う。一瞬、照れたように視線が落ちるのがわかった。そんな風に慌てて戸惑うような表情を見せるのもずるいと思った。すぐに視線が戻って、琥珀色の瞳にしっかり俺を映すのも、全部、全部ずるい。
今、またその言葉で引き出そうとするのはずるい。
「俺は玲児が好きだよ。違う、愛してる。玲児が隣にいてくれない人生じゃないともう嫌だ。愛してる……」
深いため息が漏れそうになるのを飲み込んでできるだけ反応を見せず、ただ見つめ返した。
愛してる。
その言葉を何度もらって、何度渡しただろう。
さようならと愛してる。
縋りつく為の愛してる。
殺してしまいたいほど愛してる。
そしてまた、さようならと愛してる。
思い返せばろくなものではない。気持ちだけは強いのかもしれないけれど、その重い想いは一方的に押し付けるばかりだった。
こんなにも優しく、自然と溢れ出るように紡がれる言葉だったのだな。
初めて知ったけれど、知っていたような気もする。
はじめて「俺のこと、好きって言えよ」と言われた時、探り探り好きと言い合った。あの時口にした好きは、緊張しながらも口に出すだけで堪えきれない愛情が溢れるようだった。
この気持ちを受け取ってほしい、たくさん贈りたいと思えるような、言葉だった。
ずっとほしかった。
でももう、まがい物の俺では受け取れない、返すこともできない言葉。
「……そんな大事な台詞を下半身をまさぐりながら言うな」
真面目な顔をしてる癖してずっと亀頭やらカリ首をいじくられていたのを指摘すると、隼人の顔は瞬時に真っ赤に染まって一瞬で下着から手が引っ込んでいった。
「うわ、やらかした」
ずっといじられていたわけだが、その手つきはそわそわして手持ち無沙汰で落ち着かないという心情が察せられるようなもので、別段“感じる”などということもなかったので、おかしくなって笑いが止まらなくなってしまった。
真っ赤な顔をして恥ずかしさに唸る姿なんて、本当にカッコ悪くて面白くて、愛しかった。
いつもかっこつけて、それが本当にかっこいいくせに。
そんなに緊張して、大事なところでダサい姿を晒して。
笑いが止まらない。
声が漏れる。苦しい。
はぁぁと長く息を吐いたあと肺がしゃくる。
そんなかっこつかない姿でも好きだなって、全部全部好きだなって、欲ばっかり向けることが愛することじゃないんだったって今更思い直して、色んなことを忘れていたなって、名前を呼ばれるだけで、指先がほんの少し触れるだけで、ああもう、こんなにもこんなにも愛してた。
だめだ、やっぱり。
隼人を騙したまま抱かれるなんてできない。
こんなものにその言葉を向けないでほしい。
隼人にもらった“愛してる”は真実じゃない。
「玲児……? どうしたんだよ」
気がつけば涙を止めることができなくなっていた俺の背を隼人はそっと抱き寄せて、ゆっくりと上半身を起こしてくれた。隼人の中に沈むように身を任せ、二人でベッドに座る。
あたたかい。体温が高くて気持ちがいい。背を撫でられているとこのまま溶けて隼人の中へ入っていけるんじゃないかと思った。そうなってしまえればどんなにいいだろう。
隼人は涙を流す俺を黙って慰め続けてくれているが、なんとなく焦りのような気配を感じる。俺が泣き止むか、言葉を発するのを待ちたいが不安で堪らず、気が急いで行動を起こすのを我慢しているのかもしれない。
ずっと俺の様子を見て待ってくれていた隼人がやっとの思いで自分の気持ちを伝えてくれたんだ。そうなるのも無理はない。
しかし話せることなんて何もない。
次に俺が言葉を紡げば、夢物語が終わる。
ずっとこの、幸せな夢を見ていたかった。
でも、そう、本当はもう覚めていたのだ。
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