騎士と竜

ぎんげつ

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04.どうやらハメられた

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 泣きそうだ。
 いっそ泣いてしまいたい。

 マイリスは、蛇のまま鱗を逆立てる王の前で、途方に暮れる。
 近衛に配属になって大栄転だと喜んでいたはずなのに。
 王の妃候補をあれこれ見繕ってうまくいけばエルヴェラム家だって安泰なはずなのに、どうしてこんなことになってしまったのか。
 シャーッと威嚇音をあげる王の前で、マイリスはひたすらに項垂れていた。

「蛇を食うとか見どころがあると思ったのに! 女だとは騙された!」
「その、陛下」

 確かに、普通の令嬢なら蛇なぞ食べたりしないだろうが、もしかしてそれで男だと確信されたのか。

「宰相が企んだのだろう! 近衛という建前で女をそばにおけば、俺が折れるとでも思ったのか! お前が妃候補なのか!」
「い、いえっ! さすがに私など、たまたま性別が女だったというだけですし、陛下のお相手などとは恐れ多いですから!」
「ではなぜ近衛に女がいるんだ! 俺に妃はいないんだぞ!」
「あ、あの、あの……恐れながら、陛下がいつでも妃を迎えられるようにとの、宰相方の配慮ではないかと……」
「そんな予定もないのにか!」

 シューシュー息を鳴らしながらいきり立つ王に、マイリスは首を竦める。
 いったいどうしたら落ち着いてもらえるのか。
 ビタンビタンと激しく尾で床を打って、王はシャーッと威嚇音を上げ続ける。

「陛下、陛下、どうか気をお鎮めください。その、私がお気に召さないのでしたら、近衛は辞任いたしますし、御前にも現れないようにしますから……」

 王が目を細め、じろりとマイリスを見やる。

「――なに? 近衛を辞任して、どうするつもりだ」
「また王国騎士に戻って国に仕えます。その……父や兄には呆れられるかもしれませんが、致しかたありません」

 肩を落とすマイリスに、王は、は、と吐息を漏らした。相変わらずピタピタと床を打ち続けながら、じっとなにやら考え込む。

「もういい……エルヴェラム、俺を洗え!」
「は、はい!」

 やけくそ気味にざぶんと浴槽へ飛び込む王に、マイリスは慌てて駆け寄った。
 せめて侍従の仕事くらいはつつがなくこなして、王に機嫌を直してもらわなくてはいけない。

「陛下、その、石鹸でよろしいのでしょうか」
「おう」

 ばしゃばしゃ泳いでお湯を跳ね散らかす王のおかげで、マイリスもずぶ濡れだ。官舎に帰ったらすぐに着替えなければ。

 そうこうするうち、ひとしきり泳いですっきりしたのか、王が寄ってきてだらりと身体を寛げた。「失礼します」と、マイリスはたっぷり泡を乗せた手を伸ばし、その身体を洗い始める。

「それにしても」
「はい」

 ふう、と、心なしか、王が満足げな吐息を漏らす。
 鱗を傷つけないよう細心の注意を払って身体を洗いつつ、マイリスは返事を返した。蛇を洗うなんてもちろん初めてだが、これで大丈夫だろうか。

「お前、本当に蛇に慣れているんだな」
「はあ……さすがに、入浴をお手伝いするのは初めてですが」

 慣れてると言っても、捕らえて捌いて焼くことに慣れているのであって、こうやって世話をすることに慣れているわけではないのだが。
 ふむ、と王が急に首を向ける。
 何か気に入らないところがあったろうかと、マイリスはまた冷や汗をかく。

「なら、トカゲはどうだ」
「トカゲは特に……手に乗る大きさのものしか見つけたことがありませんし、そのサイズのものをさすがに食べたりはしませんから」
「南方にいるとかいうワニは見たことがあるか。お前の口振りではカエルを食ったこともありそうだったが、ヤモリやイモリはどうだ」
「ワニは図録でしか見たことがありませんが、戦うとなれば厄介かもしれませんね。相当に大きくて鱗も固そうだと思いました」

 いったいどんな質問か。
 うっかり鱗を引っ掛けたりしないよう、ゆっくり丁寧に、撫でるように擦りながら、マイリスは内心首を傾げる。

「それからイモリですが、確か、錬金術師が薬になるからと飼っていたのを見たことがあります。ヤモリは……まだ実物は見たことがありません」
「ほう」

 いったいなんで、王を相手にこんな話をしているのだろうか。
 首を捻りながら、全身を洗い上げたところで泡を流す。お湯から上げて丁寧に水気を拭き取り、壁際のベンチにそっと置いた。

「陛下、喉は乾いておられませんか。何か飲み物をお持ちいたしましょうか」
「良い、構わん」

 ともかく、風呂から上がった王は機嫌を直したようだった。気持ちよさそうに長々と寝そべり、尻尾でぺたりぺたりと座面を打っている。
 マイリスは小さく安堵する。これで、王の不興は無しになっただろうか。

「エルヴェラム、お前もずぶ濡れだな。風呂に入っていいぞ」
「は、え」
「着替えなら心配するな。その戸棚に山ほど入っている。好きなものを使え」
「ですが、ですが、それは陛下のお召し物で……」
「構わん、俺が許すんだ」
「ですが……」

 構わんと言われても困る。
 そもそも、王が良いと言ったからと後先考えずにほいほい乗っかるのは、臣下としていかがなものか。

「それとも、俺の着替えを使うのは嫌だと申すのか?」
「いえ、そんな、めっそうもない」
「ならば早く風呂を使え。濡れたままでは風邪を引くだろう。俺ならおとなしくここに転がっていてやる」
 どうにも、言い出したら聞かない性質たちなのか。マイリスは小さく嘆息し、覚悟を決めた。申し開きは後でやろう。

 それにしても、今日一日で訳が分からない状況になってしまったが、自分はこれからいったいどうなるのだろうか。

「で、では、失礼いたします」
「おう」

 鷹揚な返事に、マイリスは背を向けてそそくさと服を脱ぐ。
 王の態度が態度なだけに、色っぽい雰囲気は皆無だ。そのことに少しだけほっとして浴槽に浸かると、ふう、と息を吐いた。それに、いかに心配したところで、余分な肉のない女としては色気に欠ける身体を見られても気まずさのほうが先に立つだけだ。

「湯加減はどうだ」
「ちょうどよいくらいです」
「ここは広いからな。お前も泳いで構わんぞ」
「いえ、さすがにそれは……」

 さすがにこの歳でそれは少し恥ずかしい。
 温まるのもそこそこに、さっと身体を流して出ることにする。
 ざば、と水音を立てて立ち上がり、置いておいた拭き布を取って……。

「さすがに、男と女では筋肉のつき方は違うんだな」
「は? え?」
「巻き付いてる時も細いと思ったが、見た目もやっぱり細い」
「え、え」
「近衛騎士なら同じように鍛えてるはずなんだろうが、そうも体格が違うとはおもしろいもんだ」
「へ、陛下、み、見るなら見ると言ってください……」

 首をもたげ、しげしげと眺めていたらしい王の声に、マイリスは慌てて振り返る。いや、見ると宣言があればいいというわけでもないが……怒るべきなのか恥じらうべきなのか反応に迷った結果、マイリスはかろうじて前を布で隠したまま、呆然と立ち尽くす。

「ふむ」

 王はなおも興味深そうに眺めている。
 ハッと我に返ったマイリスは、水気を取るのもそこそこに必死に隠しながら借りた服を着る。
 そんなマイリスを眺めて、王は「なるほど」となどと頷く。

「――何がなるほどなのでしょうか」
「お前は他の女に比べて凹凸が少ないのだなと思ってな」
「は……自覚、しております」
「やはり騎士の鍛錬のせいなのか?」
「おそらくは」

 王は、マイリスの体型をあげつらってどうしたいのか。
 鍛錬のおかげで太ってはいないが、女にしては筋肉質だし胸や腰の肉のつき方も心もとないのはわかっている。

「エルヴェラム」
「はい」
「率直に言って、俺は生粋の人間の美醜はよくわからん」
「はあ」
「とはいえ、さすがに顔立ちの区別はつくし、宰相が姫どもの絵姿やら何やらと持ち寄っては美しいだかわいいだと騒ぐから、それなりには把握している」

 王がいったい何を言いたいのか、マイリスにはやっぱりわからない。

「まあ、そういう御託は置いといて、お前の身体は悪くないな」
「はあ、その、ありがとうございます」
「何と言っても、風や水の抵抗が少なそうだ。変にぶよぶよしていないから、巻き心地もいい」
「抵抗と、巻き心地ですか」
「気に入らないか? これでも真面目に褒めてやったんだが」
「いえ、とても斬新な褒め言葉で、光栄に存じます。
 ですが……私はともかく、普通の姫君や令嬢には誤解される恐れがあるかと。その褒め方は避けたほうがよろしいのではないでしょうか」
「む、そうか?」

 むむむと目を眇める王に、マイリスは手を差し伸べた。

「陛下、失礼でなければ、部屋にお連れいたします」
「うむ」

 王はするすると機嫌よく腕に巻き付いた。
 やはり、程よい太さと弾力で、しかも居心地がいい。
 以前、騎士団長の腕に巻き付いたこともあるが、あれはイマイチだった。太すぎるし固すぎるし汗臭いし、何より動きも雑だ。
 それに比べて、マイリスの腕の居心地の、格別なことよ。

「陛下、その、少々席を外してもよろしいでしょうか」
「ん?」
「その、私の服の替えの手配を、侍女殿にお願いしようかと」
「ああ、そうだな。ついでに、何か酒肴を運ぶようにも伝えてくれ。内容は任せるとも」
「はい」

 長椅子に王を置くと、マイリスはすぐに控えの間へと向かう。軽くノックをして扉を開けると、そこに控えていた侍女に一礼した。

「侍女殿、王が酒肴をご所望です。内容は任せると仰っております」
「はい、すぐに用意いたしましょう。王にはしばしお待ちいただけるよう、お伝え願えますか」
「はい、もちろんです。
 ――ところで、たいへん申し訳ないのですが、近衛騎士の官舎に私の着替えを届けるようにと言伝を送って……」
「まあ、ご心配なさらずに。宰相殿から伺っておりますわ。明日の朝にはちゃんとお持ちいたします」
「え、あの、朝? 朝ですか?」
「はい、宰相殿からそう申し付けられておりますが?」
「宰相閣下が……?」
「はい」

 にっこり微笑む侍女の笑顔に、マイリスはすぐにはめられたことを悟った。
 王の激昂は、あながち間違いではなかったのかと。
 落ち着いて考えてみれば、そもそも、宰相こそが、女なら何でも良いと最初に言い出したのではなかったか。
 マイリスの性別だって一応は女だ。試したことはないが、順調に手順を踏めば子供を産むことも可能だろう。今日のようすに、どうせ駄目元なのだからうまくいけば儲けものとでも考えて、マイリスを王に押し付けたということなのか。

「エルヴェラム様、いかがいたしましたか?」
「いえ……なんでも、ありません」

 いったいどうしたものか。
 マイリスは扉を閉めて、はあ、と大きな溜息を吐いた。
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