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第六章

160話 一輪の薔薇

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 万の、様子がおかしい。

 そう思って、ヴァントリアに近寄ろうとした時だ。

 ヴァントリアから黒い霧が溢れ出して、それ等が徐々に量を増していく。

「ま、まさか」

 ヴァントリアの靴に付けられた、マデウロボスの体内石、ホウククォーツから黒い触手が飛び出す。

 ヴァントリアの脚に引き寄せられるように張り付いて、張り付いた触手の先っぽが離れようともがくみたいにビチビチと動いている。

 そして腕からは赤い触手が飛び出し、どくどくと脈打つ。

 何だあれは、と周囲の兵士が後ずさった。

 ヴァントリアが双剣を手放せば、俺のあげたマデウロボスの素材で作られた剣が彼に向かって飛んでいく。

 ヴァントリアがその柄を掴んだとたん、彼の腕から飛び出した赤い触手が刀身に巻きつき、呪いで紫がかっていた刀身を真っ赤に染め上げる。

 吸収している——マデウロボスの呪いを吸収しているんだ——ッ。

「万ッ!?」

 駆け寄ろうとすると、自分の近くにいたイルエラに止められる。

「イ、イルエラ?」
「近づくな、危険だ」

 危険?

 そんなの。

 分かってる。

 ヴァントリアの周囲を、呪いが舞う。

 黒い砂がヴァントリアから出て行き、それらは集合して液体へ、そして赤黒い物体へと変化する。それは内臓のように脈打って、ヴァントリアの周りを蠢いた。

 アレが、ヴァントリアの呪いの姿だ。


 兵士が後退する中、騎士団ビレストとウロボスの兵士は、ヴァントリアを取り押さえようと武器を構えて向かっていく。

 シストも舞台の上から驚愕した様子で、ヴァントリアの姿を眺めている。

「イルエラ、離せ、止めないと——っ」

 ヴァントリアは剣を支える為の金具から剣を抜き去り、金具を放り捨てる。

 斬りかかるウロボスの兵士を、ヴァントリアは美しい剣舞で凌駕し、彼等の腹にサッと流れるように刃をくぐらせた。

「ぐあ、あああああっ、あああ、あ、あ、あ、あああ、ああ」
「な、何だ、うあ、ひいい、ううえ」

 その際に付けられた傷口から黒い痣が広がり、黒い泡がぶくぶくと吹き出し、皮膚が溶け、酷い腐臭が周囲を包み込む。

 呪いはウロボスの兵士の内臓を突き破り、暴れ狂う触手が兵士の身体を飲み込む。兵士の異様な叫び声が会場に響き渡った。

 兵士の姿は跡形もなく消え去り、残ったのは呪いの姿だけだ。
 地面でビチビチと動いていた触手がやがて、呪い、液体、物体へと変化していく。

 ヴァントリアの周りを漂う呪いと合流して、同じように彼の周りを漂い出した。

 それを見た兵士達が「ひっ……」とみっともない声をあげて、後ずさる。

「おのれっ、よくもッ」
「化け物めッ!!」

 今度は勇敢に突っ込んでいった数名のビレストの兵士を、ヴァントリアは軽くあしらう。

 踊るようにしなやかで、手を、指を使うように——まるで——身体の一部であるかのように剣を操る。

 死角から敵が現れようとも——剣を逆手に持ち替えて、相手を見ずに、その首を落としてしまう。

 兵士達はヴァントリアの死角を狙った攻撃を続けた。

 すると、剣を持たないもう一方の腕からも赤い触手が飛び出し、それらは黒く硬化して鋭く尖った槍へと変化する。

 それは後ろに目が付いているんじゃないかというくらい、正確に、死角から仕掛けてくる相手の心臓を貫いた。

 ヴァントリアの前の兵士にも、ヴァントリアの剣が迫る。

 ヴァントリアの持つ剣の切っ先が相手を貫こうとした瞬間――真っ赤な刀身が、真っ黒に染まった。

 マデウロボスの呪いをヴァントリアが吸収しているから、刀身は本来の赤い色を取り戻していたが。

  一瞬だけ、吸収のスピードを緩めれば、刀身がマデウロボスの呪いに満たされて黒く染まるのだ。

 再び赤い刀身となった剣と、ヴァントリアの腕や足に蠢く赤い触手達。
 赤黒いブクブクした物体が周囲を漂い、内臓のように脈打つ。

 ヴァントリアの異様な雰囲気に気を取られて、イルエラの拘束が緩む。

 彼の腕から逃れて——ヴァントリアに突っ込んでいく。

「ウォルズッ!!」

 俺を制止するイルエラの声が聞こえたが、そんなことには構っていられない。

 俺はヴァントリアを助けるためにこの世界を生きてきたんだから。

 レクサリオンでヴァントリアの剣をうち払い、懐に入り込もうとしたが、その腹から大量の赤い触手が飛び出し、俺を取り込もうと伸びてくる。

 地面を蹴り、咄嗟に距離を取ったが、ヴァントリアは一瞬にして俺の背後に回り込んできた。

「万ッ!! 正気に戻るんだッ!!」

 伸びてきた触手を光の剣レクサリオンで斬りつければ、それらは黒く染まって硬化し、バラバラに砕けて地面へと散らばった。粉を吹いて地面に広がる様はまるで炭のようだ。

 そう思った束の間——視界の端で、ヴァントリアの剣が左から迫っているのを確認する。

 空気が流れるように音もなく自然に近寄ってくる切っ先を間一髪で交わすが、相手の剣から溢れ出した呪いによって、自分の着ていた服も、地面も、近くにいた兵士の鎧も、ドロドロに溶け落ちる。

「くっ」

 鎧も服もかろうじて形を残しているがかなり肌が露出している、皮膚が赤く腫れている者、爛れている者と、決して良かったとは言えない状況だが、レクサリオンが無かったら、みんなヴァントリアの呪いの餌食になっていただろう。

「力を」

 ヴァントリアの唇から小さな呟きが漏れる。彼の瞳は虚ろだ。俺をまっすぐ見据えているのに、彼の目には意志を感じない。赤い髪も、赤い瞳も。

 周囲を漂う呪いや、ヴァントリアの中から飛び出してくる赤い触手と同じだ。

 ヴァントリアの赤い容姿は、彼の呪いの色に違いなかった。


 俺を見ているヴァントリアの瞳は、呪いの色で染め上げられている。


「ヴァントリア、目を覚ますんだッ!! 君は呪いに意識を取り込まれているだけだッ!! 君が欲しがってた力はそんなものじゃない筈だッ!!」
「——邪魔だ」

 戦闘中に、突然、背後からそんな声が聞こえて——背中を引っ張られる。後方に投げ付けられ、地面に倒れ込んだ。

 咄嗟に身体を起こせば、シストがヴァントリアに近付いていく姿が見える。

「ダメだシスト、戻れ——ッ」

 地下都市で一番強いと言われる王様の出番に、兵士達が安堵する中、俺は焦っていた。


 ——ヴァントリアは倒せないッ!! 誰にもッ!!


 シストがその一瞬の間で地面に倒れ伏し、みんな息を呑む。

 ヴァントリアは、周囲を舞う、気味の悪い呪いの中心にいる。


 危険な荊棘の中で美しく咲く、一輪の薔薇のように、凛として佇んでいる。



「流石はA and Zのラスボスだよ……」



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