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第六章 アメリア その三
拉致
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シオンたちを見送ったその日の昼頃、突然サラトガ公爵邸にけたたましい泣き声が響き渡った。
「…なんだか、本邸の方が騒がしいわね」
いつものように菜園に出ていたアメリアは、なんとなくざわついている本邸を見上げてそう呟いた。
そして、ハッとしたように作業の手を止めて立ち上がった。
「まさか…、閣下の身に何かあったわけじゃないわよね?」
「確かめてきます!」
アメリアの言葉を受け、カリナがすぐ本邸の方に走り出す。
「いいえカリナ!私も一緒に行くわ!」
何やら胸騒ぎを覚え、アメリアはカリナの後を追って本邸へ向かった。
結婚当初にセドリックから本邸には近づかないように言われて以来、アメリアはそれを忠実に守ってきた。
足を向けたのは、義母からお茶に誘われて断れなかった一度きりである。
久しぶりに本邸に足を踏み入れると、邸を守るべき騎士の姿もほとんどなく、厄介者の公爵夫人が入ってきても誰も気にも留めない。
メイドなどの使用人たちが右往左往している中、アメリアは女性の甲高い声が響く方へ足を向けた。
どうやら、義母や義妹が住むプライベートスペースの方から聞こえてくるようだ。
義母の部屋の前まで来ると、家令のトマスが青ざめた顔で扉の前に立っている。
「…何かあったの?」
アメリアが声をかけると、トマスは一瞬驚いたような顔をし、そして「しっ」とばかりに唇に指を当てた。
部屋の中からは、義母と義妹イブリンのものと思える叫び声が聞こえる。
「マイロ様が、さらわれたようなのです」
「なんですって⁈マイロ様が⁈」
驚いて部屋の中に立ち入ろうとしたアメリアを、トマスが止めた。
「今大奥様もイブリンお嬢様も興奮状態です。お顔をお見せしない方がよろしいかと」
「でも…」
マイロはアメリアにとっても義弟である。
何の役にも立たないかもしれないが、励ますことくらいは出来る。
しかしトマスはアメリアが八つ当たりされ、傷つけられる方を恐れたのだろう。
がんとして扉の前から動かず、結局アメリアは義母の顔を見ずに離れに戻って行った。
「私は本当に、いつもみそっかすなのね…」
と呟きながら。
しかしそれもまた、自分勝手な考えだと思い直す。
本来なら公爵不在の公爵邸を守るのは公爵夫人である自分のはずであり、その責任から逃げ回っているのは自分の方なのだから。
その後、トマスは離れに赴き、これまでの経緯をアメリアに説明した。
どうやらマイロは計画的に拉致されたようだということを。
◇◇◇
その日マイロは、領都から一番近い港町を訪れていたという。
武器商人との取引と交渉のためである。
国境の盾サラトガ領にはもちろん十分な武器を備えてあるし、また製造もしている。
しかし今回ソルベンティアとの開戦を受け、さらに予備の武器を調達することにしたのだ。
国境に出向いたままのセドリックの命を受けて重臣が交渉に赴こうとしたのだが、それにマイロが同行を申し出た。
留守を預かる者として、少しでも兄の役に立ちたいと願ってのことだろう。
当然先代公爵夫人は反対したが、マイロの決意は固かった。
そうして勇んで商談に向かったマイロだったが、その商談中、突然踏み込んできた武装軍団にあっけなく拉致されたという。
マイロを護衛していた騎士は多くが斬り倒され、大怪我をしたままその場に放置された。
そしてマイロただ一人が、その場から連れ出されたのだ。
その手口は鮮やかで、計画的なものと思われた。
その報告を受けた先代公爵夫人は当然半狂乱になった。
領都を守るかなりの兵をマイロの捜索と奪還のために港へ向かわせ、その上で王宮とセドリックの元へ早馬を飛ばしたという。
もちろんセドリックには即座にマイロ奪還に向かえという伝言、そして王宮には援軍を送って欲しいという催促である。
「勝手にそんなことをされて…。大奥様には本当に困ったものです」
そう言ってトマスは頭を抱えた。
二年前も、八年前も、サラトガ家は援軍など頼まず勝利した。
それなのに、誘拐された息子を探すために王室の援軍を送れとは…。
しかも、戦は始まったばかりである。
それに、サラトガ騎士団の多くはセドリックに従って国境へ向かったため、留守を守っていた兵は元々少なかった。
その少ない兵のかなりの数を捜索に行かせてしまったのである。
「領都の守りが手薄になり心配です。奥様は絶対に外には出ないでください」
「では、学校は…」
「もちろん休校にしてください。夜間学校に限らず、昼間の学校も、仕事をする者も、なるべく外に出ないよう通達を流しましょう」
「そうね…」
休校は残念だが、戦が始まり、領主は不在、領主代理は拉致されたのだから仕方のないことだと思う。
それに、生徒にまで危険が及んでは大変だ。
翌朝になってもマイロを拉致した犯人はまだ何者かわからず、また、何かを要求してくることもなく不気味な静けさを保っている。
外出を禁じられたアメリアは、礼拝堂に籠り、ただ、セドリックの、シオンの、騎士団の、民の、そしてマイロの無事を祈った。
※サブタイトルを不快に感じる方もいらっしゃると思いますが、『誘拐』よりピッタリくると思い、あえてこちらを使わせていただきました。
「…なんだか、本邸の方が騒がしいわね」
いつものように菜園に出ていたアメリアは、なんとなくざわついている本邸を見上げてそう呟いた。
そして、ハッとしたように作業の手を止めて立ち上がった。
「まさか…、閣下の身に何かあったわけじゃないわよね?」
「確かめてきます!」
アメリアの言葉を受け、カリナがすぐ本邸の方に走り出す。
「いいえカリナ!私も一緒に行くわ!」
何やら胸騒ぎを覚え、アメリアはカリナの後を追って本邸へ向かった。
結婚当初にセドリックから本邸には近づかないように言われて以来、アメリアはそれを忠実に守ってきた。
足を向けたのは、義母からお茶に誘われて断れなかった一度きりである。
久しぶりに本邸に足を踏み入れると、邸を守るべき騎士の姿もほとんどなく、厄介者の公爵夫人が入ってきても誰も気にも留めない。
メイドなどの使用人たちが右往左往している中、アメリアは女性の甲高い声が響く方へ足を向けた。
どうやら、義母や義妹が住むプライベートスペースの方から聞こえてくるようだ。
義母の部屋の前まで来ると、家令のトマスが青ざめた顔で扉の前に立っている。
「…何かあったの?」
アメリアが声をかけると、トマスは一瞬驚いたような顔をし、そして「しっ」とばかりに唇に指を当てた。
部屋の中からは、義母と義妹イブリンのものと思える叫び声が聞こえる。
「マイロ様が、さらわれたようなのです」
「なんですって⁈マイロ様が⁈」
驚いて部屋の中に立ち入ろうとしたアメリアを、トマスが止めた。
「今大奥様もイブリンお嬢様も興奮状態です。お顔をお見せしない方がよろしいかと」
「でも…」
マイロはアメリアにとっても義弟である。
何の役にも立たないかもしれないが、励ますことくらいは出来る。
しかしトマスはアメリアが八つ当たりされ、傷つけられる方を恐れたのだろう。
がんとして扉の前から動かず、結局アメリアは義母の顔を見ずに離れに戻って行った。
「私は本当に、いつもみそっかすなのね…」
と呟きながら。
しかしそれもまた、自分勝手な考えだと思い直す。
本来なら公爵不在の公爵邸を守るのは公爵夫人である自分のはずであり、その責任から逃げ回っているのは自分の方なのだから。
その後、トマスは離れに赴き、これまでの経緯をアメリアに説明した。
どうやらマイロは計画的に拉致されたようだということを。
◇◇◇
その日マイロは、領都から一番近い港町を訪れていたという。
武器商人との取引と交渉のためである。
国境の盾サラトガ領にはもちろん十分な武器を備えてあるし、また製造もしている。
しかし今回ソルベンティアとの開戦を受け、さらに予備の武器を調達することにしたのだ。
国境に出向いたままのセドリックの命を受けて重臣が交渉に赴こうとしたのだが、それにマイロが同行を申し出た。
留守を預かる者として、少しでも兄の役に立ちたいと願ってのことだろう。
当然先代公爵夫人は反対したが、マイロの決意は固かった。
そうして勇んで商談に向かったマイロだったが、その商談中、突然踏み込んできた武装軍団にあっけなく拉致されたという。
マイロを護衛していた騎士は多くが斬り倒され、大怪我をしたままその場に放置された。
そしてマイロただ一人が、その場から連れ出されたのだ。
その手口は鮮やかで、計画的なものと思われた。
その報告を受けた先代公爵夫人は当然半狂乱になった。
領都を守るかなりの兵をマイロの捜索と奪還のために港へ向かわせ、その上で王宮とセドリックの元へ早馬を飛ばしたという。
もちろんセドリックには即座にマイロ奪還に向かえという伝言、そして王宮には援軍を送って欲しいという催促である。
「勝手にそんなことをされて…。大奥様には本当に困ったものです」
そう言ってトマスは頭を抱えた。
二年前も、八年前も、サラトガ家は援軍など頼まず勝利した。
それなのに、誘拐された息子を探すために王室の援軍を送れとは…。
しかも、戦は始まったばかりである。
それに、サラトガ騎士団の多くはセドリックに従って国境へ向かったため、留守を守っていた兵は元々少なかった。
その少ない兵のかなりの数を捜索に行かせてしまったのである。
「領都の守りが手薄になり心配です。奥様は絶対に外には出ないでください」
「では、学校は…」
「もちろん休校にしてください。夜間学校に限らず、昼間の学校も、仕事をする者も、なるべく外に出ないよう通達を流しましょう」
「そうね…」
休校は残念だが、戦が始まり、領主は不在、領主代理は拉致されたのだから仕方のないことだと思う。
それに、生徒にまで危険が及んでは大変だ。
翌朝になってもマイロを拉致した犯人はまだ何者かわからず、また、何かを要求してくることもなく不気味な静けさを保っている。
外出を禁じられたアメリアは、礼拝堂に籠り、ただ、セドリックの、シオンの、騎士団の、民の、そしてマイロの無事を祈った。
※サブタイトルを不快に感じる方もいらっしゃると思いますが、『誘拐』よりピッタリくると思い、あえてこちらを使わせていただきました。
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