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愛なき結婚、スタートしました
僕は戸惑ってばかりいる
しおりを挟む「フローラ?どうかしたの?」
僕が肩に手を掛けるとフローラの視線がゆっくりと僕に向けられた。
「マックス?」
ぼんやりと僕を呼ぶとフローラの目から涙が溢れぽとりと転がり落ちる。泣くつもりなど無く自分でも驚いたのだろう、心許なくうろうろと視線をさまよわせた。
「多分……夜風が目に滲みたんだわ……」
フローラは両手の甲を目に当ててぶるぶると顔を振った。まるで小さな女の子みたいなその仕草、ほんの些細な所作一つにも隙がないのにフローラはふとこんな子どもじみた顔を覗かせる。それを見る度どういう訳か僕は滲み出てくるような切なさを感じさせられた。
「もう部屋に行くわ」
フローラはすくっとたち上がり背中を向けたが『あ』と声を洩らして振り返った。静かなランプの灯りでもはっきり判るほどに青ざめた顔色に僕は急速に指先が冷えていくのを感じた。
「どうした?」
「タルト……食べてなかったのに……」
いかにも残念そうに眉尻を下げたフローラの表情を見て僕はふうっと大きく息を吐き、それから出来るだけ優しい声で話し掛けた。何だか淋しげな暗い目をしたフローラを思いっきり甘やかしたくなったから。
「寝室に運んでおくよ、寝る前に一緒に食べよう」
「寝室で?」
「あぁ、僕がこっそり運んでおくしまたお茶を淹れてあげる。だからマイヤ達には秘密だよ」
フローラはふふんと小さな笑い声を上げた。
「マックスったら、私を共犯者にしたいのね」
「そうだよ、僕はフローラと共有の隠し事が欲しいんだ」
「変な人……」
フローラは呆れたようにぽそりと言い、ぷいっと踵を返して部屋に戻って行った。
ーー何だったんだ?
僕は突然流したフローラの涙の理由を考えたが何一つ思い当たらなかった。だって、フローラは小鳥の巣の思い出話をしていただけなのだから。
幼馴染みとは誰の事だろう?フローラには親しくしている友人が何人かいるが、彼女達が小さな女の子だった頃とはいえ梯子に登って木の枝の小鳥の巣を覗くようなお転婆な事をしたとは信じ難かった。むしろ僕の知っている淑やかなフローラにこそそんな面影はまるでなかったから、スモモを摘み取るあの姿に血の気が引いたんだ。でも今にして思えば確かにあの時のフローラには危なげなんか少しもなくて、庭師達がにこにこと見守っていたのも当然だったのだと解る。
結局僕らはお互いのことをあまり知らないのだ。そして何度も巻き戻りを繰り返している僕こそもっとフローラを理解しているはずなのに、今の僕は驚き戸惑ってばかりいる。
僕は梯子から抱え降ろした時のぷんすか怒っているフローラを思い出して思わず吹き出した。あれは……実に可愛かった。しつこいのは自覚しているが堪らない愛らしさだった。初めの頃の僕らは口喧嘩とは言えない程のちょっとした意見の食い違いで言い合いになる事もあった。そんな時に拗ねたように唇を尖らせるフローラが愛しくてならず、拗ねた顔見たさにわざとフローラに反論し押さえつけるような事までしたことすらある。僕は最低だ……腕の中で眠るフローラの寝顔を見ながら後悔するけれど、そうしながらもあの可愛らしさを思い出し金色の髪に思わず頬を押し当てたものだ。拗ねているフローラですらあんなに可愛らしかったのにぷんすか怒ったフローラと言ったら……よくぞ耐え抜いたと僕の心臓を誉めてやりたいと思う。
僕はスモモのタルトに目を落とした。あのスモモはそのまま食べると震えが来るほど酸っぱいから誰も食べようとせずタルトになったは初めてだ。フローラだって自分でスモモを採るなんてことはもちろんスモモについて何か言っていたことすらない。
「でもフローラはフローラなんだ……」
僕は確かめるように声に出した。大人しくて穏やかで、そして幸せだったはずの初めの頃ですら何故かふと何もかもを諦めたかのような淋しそうな横顔をしていたフローレンスは、心の中に大切な大切な自分らしさを押し込めていたのではないか?
フローラ、僕だけの愛しい君だからいつか僕だけの特別な名前で君を呼びたいと思っていたんだ。
ようやくフローラになった君はこれからどんな顔を見せてくれるのだろう?
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