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8巻
8-2
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「どうでもいいって!」
双子の冷たい言葉に、コルネリアは目を剥いて睨みつけた。クリストフはロアに巻き込まれて誘拐されたのだから、そこまで言われる筋合いはない。
〈ディートリヒ! コルネリアを殴って‼〉
〈とっとと、殴る!〉
「え?」
急に双子に言われ、ディートリヒは慌てる。
〈〈殴って‼〉〉
「はい!」
パシリ、と、乾いた音が響いた。
一瞬の出来事に、その場にいた全員が固まって静けさが流れる。
有無を言わせない双子の態度に、ディートリヒが思わず従ってしまったのだ。ただ、無意識ながら殴るのは気が引けたのだろう。拳ではなく平手で、しかも軽くその頬を叩いただけだ。
だが、軽くとはいえ、ディートリヒの力である。コルネリアの頬には赤い手形が残った。
「なっ、何するのよっ!!?」
叩いてしまったディートリヒ本人までが呆然とする中、一番最初に動いたのは叩かれたコルネリアだった。
目にも留まらぬ動きでディートリヒの腹を蹴り飛ばす。あまりの早業に、呆けていたディートリヒはもろに食らってしまう。
「げふっ」
声とも呻きともつかない音を喉から漏らし、ディートリヒは崩れ落ちた。
「女を叩くとか、最低っ! バカリーダー‼」
「ごふっ……腹を蹴り飛ばすようなやつを、女扱いする趣味は……」
膝を突き、身体を丸めながら涙目でディートリヒは反論する。
「うるさい!」
「痛てぇ……。訓練の時にいつも殴り合ってるんだから、今更だろ」
「なに⁉ 訓練と今は違うでしょ? 金的の方が良かったかしら⁉」
「すいませんでした。コルネリアさん」
なおも足を振り上げようとするコルネリアに、ディートリヒは素直に土下座した。
〈いけるね〉
〈だいじょうぶだね〉
背中を丸めて細かく震えているディートリヒと顔を真っ赤にして怒っているコルネリアを無視して、双子は頷き合った。何かを確かめるように目を細めた後に、無邪気に笑う。
「……何でいきなりコルネリア嬢を殴らせた?」
〈カールハインツ、魔力がある人がたくさんあつまってる場所はどこ?〉
〈らんぼうな人がいっぱいのところがいい!〉
カールハインツの問い掛けはあっさりと無視された。畳みかけるように質問をされ困惑したが、その必死な目にカールハインツもまた、逆らうことはできなかった。
「王城はダメなんだね?」
少し考え、カールハインツは呟く。それに双子は無言の頷きで返した。
双子が挙げた条件に合う場所と言えば、真っ先に思い浮かぶのは王城だろう。あそこなら魔術師もいるし、戦うために身体も魔力も鍛え抜いた騎士や軍の人間もいる。
しかし、双子の指示でカールハインツたちは王城を出てきたのだ。王城が目的にそぐわない場所だということは、言われずとも理解できた。
「今の時間なら、漁港かなぁ」
王城を外した候補地を考え、次に思い浮かんだのは漁港だ。
そろそろ早朝に漁に出ていた漁船が帰って来る時間だ。漁師たちで溢れているだろう。
この国の漁師は海賊に並んで血の気が多い。海の魔獣に対抗するために、魔法を鍛えている者も多くいる。魔力量は魔術師たちには及ばないが、それでも一般市民より高いはずだ。
もちろん、海賊たちもその条件に合うが、彼らの居場所は定まらず、調べる時間はないだろう。それならば、漁港が最も条件に合う。
〈ぎょこうに行くよ!〉
カールハインツの言葉を聞いて、双子は即座に漁港に行くことに決めた。
〈あと、お酒も手に入れて!〉
「酒?」
カールハインツは首を傾げる。
「酒を振る舞って漁師たちに何か協力させるのか?」
〈ディートリヒに飲ませるの!〉
双子の返答は、予想外だった。カールハインツは困惑に顔を歪める。ディートリヒが酒乱であることはこの国では有名な事実だ。そんなことをすれば……。
「ディートリヒに漁師たちを殴らせるのか?」
〈そういうこと! はやく準備して!〉
〈いそいで移動‼〉
ディートリヒは酒を飲むと好戦的になる。荒っぽい漁師たちの中に放り込めば、間違いなく殴り合いに発展するだろう。双子はそれを狙っているのだ。
コルネリアを叩かせた理由。そして、漁港に連れて行って、ディートリヒに酒を飲ませる理由。この二つは繋がっているのだろう。
カールハインツは口元を歪め、密かに笑みを浮かべる。
「何やら面白そうな企みがあるみたいだねぇ」
密偵などという仕事をしている性質上、カールハインツは謀略に関わることが多い。そしてまた、彼自身もそれを楽しむ質だった。
どうせ何かをするなら、仕事の内容にかかわらず楽しまなければ損だという考えだ。たとえそれが、他人を傷付ける仕事でも。
「ふむ。先ほどリーダーがコルネリアを叩いた時に、何やら魔力の繋がりのようなものを感じた。それが魔狼たちの目的か! 私の知らない魔法の気配がするぞ‼」
今まで大人しく様子を窺っていたベルンハルトも、やけに上機嫌で会話に混ざり始める。
彼は彼で、魔法が絡むと暴走する質だ。珍しい魔法のためなら、多少の犠牲は許されると考えている節すらある。暴走して饒舌になった彼を止められる人間はいない。
〈カールハインツとベルンハルトは、ディートリヒがたくさんたくさん殴れるようにしてね〉
〈殴られた人が別の人を殴って、大騒ぎになるようにできるよね?〉
「引き受けよう!」
「尽力しよう!」
二人と二匹はニヤリと笑い合うのだった。
その背後では、まだ怒りが収まらないコルネリアの説教と、ディートリヒの謝罪の声が響いていた。
一方、王都から離れた洋上では、ネレウス王国の艦隊とアダド帝国の艦隊が睨み合っていた。
すでに一度戦った後だ。
もっとも、それは戦いとは言えないような一方的な攻撃だった。まだ接近し切っていないのに、アダドの艦隊がネレウスの艦隊に攻撃を仕掛けて被害を与えたのだ。
普通であれば、魔法が届かない距離からの攻撃である。しかし、アダドの軍船が放った魔法はネレウスの船の一艘に当たり、その一部を破壊した。海戦の常識ではあり得ない出来事だった。
それが一回きりだったなら、まだそれなりに強い魔術師が魔力切れ覚悟の攻撃を仕掛けただけと思えただろう。だが、すぐに二発目の魔法が飛んで来て、またネレウスの船が壊された。
そうなると、強力な魔法を連発できる、女王に匹敵するバケモノのような魔術師が乗っていることになる。ネレウスの艦隊は戦略変更を余儀なくされた。
ネレウスの艦隊は大幅に船を後退させて、アダドの艦隊から距離を取って様子見することしかできなくなったのだった。
……ちなみに、その様子は海賊島から、グリおじさんと合流する前のロアとクリストフにも目撃されていた。最強だと信じていたネレウスの艦隊の後退に、クリストフは動揺した。
それがクリストフに焦りを生み、その後の行動に影響を与えたのだが、ネレウスの艦隊の人々はそれを知る由もない……。
「さて、どうするか……」
「ふむ……」
甲板で、サバス船長と剣聖ゲルトが呟き合う。二人の視線の先にあるのは、アダドの艦隊だ。
当然だが、海賊船であるサバス船長の船もネレウスの艦隊に組み込まれているため、アダドの艦隊とは距離を取ることになっていた。
アダドの艦隊はネレウスの艦隊が取った距離のまま、間を詰めてくることはない。そのことが逆に不気味だった。
「この船に乗れば最前線で戦えると思ったのだがな。間を詰めることすらできないとは……」
剣聖はため息混じりに呟く。海賊船は常に最前線で戦う。接近して敵の船に移乗して直接戦うのだ。
だからこそ敵と剣を交えたい剣聖は、役職から後方の旗艦に乗る必要のある孫娘のエミーリアと別れてこの船に乗ったのだった。
だが現在、距離を空けていてアダドの船に移乗するどころか近づくこともできない。
「…………あのガキなら、何か思い付くのかもしれないな……」
「? ………ああ、ロア殿のことか」
わざわざこのような場面で話題に上がる者など……特にガキと呼ばれるような年齢の者など限られている。サバス船長の呟きがロアを指していることに、剣聖はすぐに気が付いた。
「そう、ロア……殿だ。あれはなかなかの知恵者だぞ。末恐ろしいな」
「……」
場を和ませるためか、サバス船長は軽い口調で言うものの、剣聖は押し黙る。そして、左手で自らの右の上腕に触れた。
ロアの名前が出たことで、剣聖はグリおじさんのことを思い出した。
触れている右の上腕には、屈辱的な印がある。シャツに隠れて見えないが、それは間違いなくそこにあった。
三叉槍のような火傷の痕。それはグリおじさんが剣聖の腕に付けた、前足の痕だった。
下僕紋。
ディートリヒの話では、魔獣が下僕と認めた人間に施す印だそうだ。ディートリヒは双子の魔狼に付けられた下僕紋を見せてやけに嬉しそうにしていたが、剣聖にそんな歪んだ趣味はない。
彼にとって、それは屈辱の印でしかない。
腕を治す時に使われた魔法薬の余波で、もう痛みはない。場所が良いため、皮膚を剥いで治癒魔法薬を使えば痕すら残さずに消すことができるだろう。
だが、剣聖は消す気はない。それは失態を犯した自分への戒めであり、逆襲を誓った証拠だ。溢れ出す怒りに剣聖は唇を噛んで耐えた。
「どうかしたか?」
「何でもない。ロア殿のことだったな」
誤魔化すように薄く笑うと、剣聖は話を続ける。
「ロア殿なら、何か打開案を思い付くだろうか?」
「あのガキなら、あり得るかと思ってな。なにせ、大海蛇討伐の立役者だ…………いや、待てよ……」
不意に、サバス船長が口籠る。髭の生えた顎を撫でながら、鋭い視線を宙に這わせた。何か思い付いたらしい。
「……あの時の交易船のやつか……」
サバス船長はわずかな沈黙の後に呟くと、口元を緩めた。
「船長っ‼」
丁度その時だった。船員の一人がサバス船長に駆け寄って声を掛けてきた。
「船長じゃねぇ! 今は海賊船だ‼ お頭と呼べ! ……で、何だ?」
「は、はい。軍の船からの連絡艇が近づいてきます」
船員は促すように海へと視線を向ける。その先にある海には、一艘の小舟が浮いていた。
「気持ち悪いくらいにタイミングがいいな」
それに気付いたサバス船長は、笑みを強めた。
普段の船同士の連絡は魔法の光を使って行われる。動かしたり様々な色で光らせたりして、予め指定していた符号と照らし合わせてやり取りするのだ。
戦闘中だと連絡のための魔法や小鳥を使っても邪魔されることが多く、結局はこういった単純な手段の方が有効となる。
しかしそれではごく限られた内容しか送れないため、複雑な連絡の場合は人間が連絡艇などで移動してくるのだ。
しばらくして。連絡艇がサバス船長の船に接舷し、縄梯子を登ってある人物が顔を出した。
「なんだ、やけにお偉い方が連絡係で来たんだな。近衛騎士団副長殿、ようそこ荒くれ者どもの船へ‼」
サバス船長はその人物を両手を広げて歓迎した。
「込み入った話になりそうなので、私が参りました」
そう言って、握手するべく手を伸ばしたのは、エミーリアだった。
握手を求めたのは、対等の立場を示すためだ。海賊船の船長は貴族ではないが、この国では貴族に等しい礼式をもって応じられる存在だった。
「騎士の私は軍の命令系統の外ですからね。こういったことくらいにしか、今の状況では役に立ちません」
「剣では敵なしと言われた近衛騎士団副長殿も、今の状況では役立たずってわけだな。安心してくれ、すぐにその力を振るえるようになるぞ!」
伸ばされた彼女の手を、サバス船長は両手で包み込むように握る。
男前な外見のエミーリアだが、そうは言っても女性だ。長年の船の仕事で分厚く大きくなったサバス船長の掌は、しっかりとエミーリアの手を覆い隠した。
「サバス船長! 我が孫娘にあまり触れないでいただこう!」
「何だ、嫉妬か? 手を握るくらいいいだろう?」
「ダメだ!」
剣聖がサバス船長とエミーリアの間に無理やり身体を捻じ込み、二人の手をこじ開け離れさせる。エミーリアは剣聖の義理の孫娘であり弟子でもあるが、それを考えても、やけに嫉妬深い行動だった。
「ケチジジイ」
「うるさい! スケベジジイ‼」
剣聖とサバス船長は睨み合う。
「お義爺様! 船長‼ 今はそんな言い合いをしている場合ではありません」
エミーリアが一喝すると、二人はプイッと子供っぽく顔を逸らした後に真顔でエミーリアへと向き直った。
「それで……軍では方策どころか、敵の攻撃手段の推測すら立てられない状況です。仕方なく恥を忍んで、歴戦の猛者のお二人のお知恵を借りに来たのですが……。先ほどサバス船長はすぐにその力を振るえるようになるとおっしゃりましたよね? それはどういう意味ですか?」
「それだ!」
エミーリアの問い掛けに、サバス船長は声を張り上げて答える。まるで宝物を見つけた子供のようだ。
「つい先ほど思い付いてな。その後すぐに連絡艇が来たから、ワシの頭の中を覗いていたのでないかと驚いたぞ!」
「それで?」
よほど自分の思い付きに自信があるのか言葉を重ねるサバス船長に、エミーリアは焦りを感じつつも続く言葉を促した。
「あれは魔法筒を使っての攻撃だぞ!」
「魔法筒?」
サバス船長の答えに、エミーリアは眉を寄せて考えた。彼女の知識にはない言葉だ。
「知らないか?」
「はい。勉強不足で申し訳ありません」
「サバス船長。それはロア殿がアダドの交易船で見つけた物だな?」
困ったように自らの不勉強を詫びるエミーリアに対して、剣聖が思い出したように声を上げる。
魔法筒。
それは最近、このネレウス王国にも入って来ているが、まだまだ知名度の低いアダド産の魔道具だ。見た目は一端が塞がれただけの金属の筒だが、立派な魔道具だった。
筒の中に金属の粒を入れて中で魔法を爆発させて飛ばすことで、離れた場所への攻撃ができる魔道具だ。火魔法や水魔法なども同じ原理で飛ばすことができるため、どちらかと言えば魔法補助具と言えるだろう。
ロアはそれを海竜祭の朝市で手に入れていたが、その時に同じ屋敷内で暮らしていたエミーリアは知らなかったらしい。
もちろん、自身の屋敷内のことなので、エミーリアもロアの行動については報告を受けていたものの、何か魔道具を買ったという程度で、詳細までは把握していなかった。朝市で売られている魔道具なら、危険はないと放置していた。
そしてその後、ロアはまた別の魔法筒を思わぬ形で手にした。
それは、サバス船長の船でアダドの交易船を拿捕した時だ。アダドの交易船には、ロアが朝市で買った掌サイズの物と比べるとあまりに大きな、ロアが抱え切れないほど太く、ロアの身長よりも長い魔法筒があった。
ロアはその、大きくしただけで無意味としか思えない代物に興味を持ち、とりあえず自分の分け前として貰ったのだった。
サバス船長は、ロアが大きな魔法筒を手に入れた時に立ち会っていた。
また、ロアに大海蛇の生態について質問されまくった時に、なぜか話が逸れてロアからその機能について説明を受けることになった。
大海蛇の討伐に使えないかと考えて、思い付いたことを口走ったのだろう。
その時はムダ話だと思いながら半ば聞き流していたが、今になってその話が生きてきた。
「あのガキの話には閉口したがな。グリフォンに脅されながら耐えた、拷問みたいな時間にも意味はあったみたいだ」
サバス船長は渋い表情で空を仰いだ。その時の記憶がよみがえったらしい。
「どういう手段を使ってるのかまでは分からないが、あれは魔法筒を使って攻撃してるに違いないぞ」
「……なぜそのように言い切れるのですか?」
やけに自信ありげに言い切るサバス船長に、エミーリアは懐疑的な視線を向ける。
「あのガキの話では魔法筒の特徴は、筒の先を向けた方向に魔法が飛ぶってことだな。言うのは簡単だが、ガキの話じゃ、これがかなり難しいらしいぞ。筒の内側の小さな歪みや傷が原因で、すぐに見当違いの方向に飛んでいくらしい。弓よりも狙うのが難しいそうだ」
サバス船長は掻い摘まみながら、ロアから聞いた魔法筒の特徴や機能について話して聞かせる。
「ションベンの時に……すまん、失礼。その、なんだ。皮袋に入れた水を押し出して、飲み口の穴から飛ばして離れた的に当てるようなもんだと言ってたな」
サバス船長は何かを言いかけて、エミーリアにちらりと視線を向けてから言葉を濁して言い直した。
この世界では水筒に皮袋をよく用いる。皮袋で水を飛ばして掛け合う遊びは、子供の頃に誰もがやったことがある。
水を満たした皮袋を手で押さえつけて圧力をかけて、飲み口の部分から水流を発射する。それで互いの顔を狙って掛け合うのだった。
これが単純なように見えて、狙いが定まらず意外と難しい。出口の角度や押す時の手の位置や圧し方で、すぐに見当違いの方向に飛んでいく。
剣聖もエミーリアもその経験があったのだろう、サバス船長の例えに素直に納得した。
それと同時に、剣聖はサバス船長が何を言いかけたかも察したが、あえて口にするようなことはしない。魔法筒の説明としてはそちらの方が相応しいと感じたものの、エミーリアには理解できない話だろう。何より女性がいる場でする話ではない。
「それを踏まえた上で、アダドの攻撃を考えてみてくれ。あの魔法は、やけに妙な所に当たっていたと思わないか?」
そう言われて、エミーリアと剣聖は考える。魔法攻撃を受けた直後は慌てていて思い至らなかったが、確かにおかしい。アダドの魔法は普通なら攻撃しないような場所ばかりに当たっていた。
あえて狙いを外したのではなく、当てられなかったと言うなら……。
「あれほどの大魔法を扱える魔術師であれば、いくら距離があっても狙った場所に必ず当てる。当たらないなら威力を抑えて当たるようにする。だからこそ、あの魔法はおかしい」
魔法の攻撃というのは、余程の初心者ではない限りは狙った場所に飛んでいく。魔法式をそのように組むものだからだ。
もっとも、動いている標的の場合は、動きを予測して狙う先をずらしたり、もしくは追尾するための魔法式を組む必要はあるが、魔法とは基本的には必ず狙った場所に飛んでいくものである。
大型船のような大きな的で、艦隊を組んでのゆったりとした移動速度なら外す方が難しい。
「なるほど。それでロア殿の魔法筒の話に繋がるわけか。確かに、合ってそうだが……」
剣聖も同意する。エミーリアは顎に手を当て、深く考え込んでいた。
「あのガキも大きな魔法筒を見つけた時は何のための物なのか悩んだらしいが、こういう使い方なら納得だな。アダドのやつら、どうにかして魔法筒を使って大きな魔法を放つ方法を考え出したというわけだ」
そうあっさりと言ったが、サバス船長はもっと深く考えていた。
サバス船長は、魔法筒の魔法は軍人たちの魔力を利用していると考えていた。
錬金術師のような、魔力は少ないが操作に長ける人間とは反対に、魔力量が多くても魔力操作が下手で魔法が発動できない人間もいる。
そういう人間は魔術師にも錬金術師にもなれないため、軍人や騎士になる者が多い。
魔法という形で魔力を外に出せなくても身体の内側で扱うことはできるため、身体強化の魔法とは相性がいいからだ。目の前にいる剣聖とエミーリアもこのタイプだ。
軍人たちの魔力を利用できるなら、軍船が魔法筒を使っているというのも納得できる話だ。
魔法筒は単純に筒の中で魔法を発動させて飛ばすだけの道具なのだから、細かな魔力操作も必要ない。
魔法が発動する方向すら決めなくても、筒を向けた方向に飛ばすことができる。本来であれば必要になる、標的を定めるための魔法式や、飛ばすための魔法式も必要ない。
ただ、魔法を暴発させればいい。暴発のせいで自分や周囲に被害が出ないように考える必要すらない。
だが、通常の持ち運べるサイズの魔法筒では、他の船を攻撃するような大きな魔法には耐えられず爆発してしまう。それを避けるために、大きく、頑丈な魔法筒が必要になるのだろうと、サバス船長は考えていた。
「……いや、しかしサバス船長。狙いが定まらないと言っていたが、船には当たっていた。そこはどう考える?」
エミーリアは眉間に皺を深く刻みながら顔を上げ、サバス船長を見つめた。
まだ納得し切っていないようだった。責任ある立場にいるため、安易に信じるわけにはいかないのだろう。
「我々の船も正面から戦うつもりで密集していたからな。その中心に放てば、いくら当て難くとも、どこかの船には当たるんじゃないか? 魚の群れに銛を打つ時は、一匹を狙わずに群れの中心を狙うだろう?」
「狙いを定めず、最初からまぐれ当たりを狙っていたということか……」
エミーリアは一理あると頷いた。むしろ、そのためにアダドの艦隊は正面から戦う姿勢を見せて、ネレウス側が同じような陣形を組むように誘導していた可能性もある。
「なるほど……そうか……。それで、サバス船長。どう対策する?」
エミーリアは話を進めることにした。
サバス船長の意見を信じ切ったわけではないが、それなりの理屈は通っていると感じた結果だった。それに、今後の方針を聞かなければ、サバス船長の推測が外れた場合の危険も考えられない。
「なに、簡単なことだ」
サバス船長は笑みを浮かべて言い切ったが、傷のある厳つい顔では脅しているようにしか見えない。
「我ら海賊が得意としている戦法だ! 少数精鋭‼ 当たらぬ魔法など気にせず、高速で一気に攻め込め! 狙いなど付けさせるな! 攻めて攻めて、翻弄しろ! 敵が崩れたところで総攻撃だ‼」
サバス船長は高らかに叫んだ。
「……とまあ、こんな対策なんだが、どうだ? 近衛騎士団副長殿?」
サバス船長の言葉に、剣聖とエミーリアは思わず笑みを浮かべ頷き合った。その答えは、二人を納得させるに十分だったようだ。
「では、攻めようぞ!」
剣聖は、勢い良く腕を振り上げた。
その瞬間、振り上げた剣聖の腕が一瞬だけ淡く光ったように見えた。
陽の光に照らされたのだろうと、誰もが気にも留めなかった。海の水に光が反射して思いもよらない所が光って見えることなど、洋上ではよくあることだ。
光って見えたのは丁度ディートリヒがコルネリアの頬を叩いて双子が何かを確認した瞬間だったが、それを知る者はいない。
また、光った場所がグリおじさんが付けた下僕紋の場所であったことも。
双子の冷たい言葉に、コルネリアは目を剥いて睨みつけた。クリストフはロアに巻き込まれて誘拐されたのだから、そこまで言われる筋合いはない。
〈ディートリヒ! コルネリアを殴って‼〉
〈とっとと、殴る!〉
「え?」
急に双子に言われ、ディートリヒは慌てる。
〈〈殴って‼〉〉
「はい!」
パシリ、と、乾いた音が響いた。
一瞬の出来事に、その場にいた全員が固まって静けさが流れる。
有無を言わせない双子の態度に、ディートリヒが思わず従ってしまったのだ。ただ、無意識ながら殴るのは気が引けたのだろう。拳ではなく平手で、しかも軽くその頬を叩いただけだ。
だが、軽くとはいえ、ディートリヒの力である。コルネリアの頬には赤い手形が残った。
「なっ、何するのよっ!!?」
叩いてしまったディートリヒ本人までが呆然とする中、一番最初に動いたのは叩かれたコルネリアだった。
目にも留まらぬ動きでディートリヒの腹を蹴り飛ばす。あまりの早業に、呆けていたディートリヒはもろに食らってしまう。
「げふっ」
声とも呻きともつかない音を喉から漏らし、ディートリヒは崩れ落ちた。
「女を叩くとか、最低っ! バカリーダー‼」
「ごふっ……腹を蹴り飛ばすようなやつを、女扱いする趣味は……」
膝を突き、身体を丸めながら涙目でディートリヒは反論する。
「うるさい!」
「痛てぇ……。訓練の時にいつも殴り合ってるんだから、今更だろ」
「なに⁉ 訓練と今は違うでしょ? 金的の方が良かったかしら⁉」
「すいませんでした。コルネリアさん」
なおも足を振り上げようとするコルネリアに、ディートリヒは素直に土下座した。
〈いけるね〉
〈だいじょうぶだね〉
背中を丸めて細かく震えているディートリヒと顔を真っ赤にして怒っているコルネリアを無視して、双子は頷き合った。何かを確かめるように目を細めた後に、無邪気に笑う。
「……何でいきなりコルネリア嬢を殴らせた?」
〈カールハインツ、魔力がある人がたくさんあつまってる場所はどこ?〉
〈らんぼうな人がいっぱいのところがいい!〉
カールハインツの問い掛けはあっさりと無視された。畳みかけるように質問をされ困惑したが、その必死な目にカールハインツもまた、逆らうことはできなかった。
「王城はダメなんだね?」
少し考え、カールハインツは呟く。それに双子は無言の頷きで返した。
双子が挙げた条件に合う場所と言えば、真っ先に思い浮かぶのは王城だろう。あそこなら魔術師もいるし、戦うために身体も魔力も鍛え抜いた騎士や軍の人間もいる。
しかし、双子の指示でカールハインツたちは王城を出てきたのだ。王城が目的にそぐわない場所だということは、言われずとも理解できた。
「今の時間なら、漁港かなぁ」
王城を外した候補地を考え、次に思い浮かんだのは漁港だ。
そろそろ早朝に漁に出ていた漁船が帰って来る時間だ。漁師たちで溢れているだろう。
この国の漁師は海賊に並んで血の気が多い。海の魔獣に対抗するために、魔法を鍛えている者も多くいる。魔力量は魔術師たちには及ばないが、それでも一般市民より高いはずだ。
もちろん、海賊たちもその条件に合うが、彼らの居場所は定まらず、調べる時間はないだろう。それならば、漁港が最も条件に合う。
〈ぎょこうに行くよ!〉
カールハインツの言葉を聞いて、双子は即座に漁港に行くことに決めた。
〈あと、お酒も手に入れて!〉
「酒?」
カールハインツは首を傾げる。
「酒を振る舞って漁師たちに何か協力させるのか?」
〈ディートリヒに飲ませるの!〉
双子の返答は、予想外だった。カールハインツは困惑に顔を歪める。ディートリヒが酒乱であることはこの国では有名な事実だ。そんなことをすれば……。
「ディートリヒに漁師たちを殴らせるのか?」
〈そういうこと! はやく準備して!〉
〈いそいで移動‼〉
ディートリヒは酒を飲むと好戦的になる。荒っぽい漁師たちの中に放り込めば、間違いなく殴り合いに発展するだろう。双子はそれを狙っているのだ。
コルネリアを叩かせた理由。そして、漁港に連れて行って、ディートリヒに酒を飲ませる理由。この二つは繋がっているのだろう。
カールハインツは口元を歪め、密かに笑みを浮かべる。
「何やら面白そうな企みがあるみたいだねぇ」
密偵などという仕事をしている性質上、カールハインツは謀略に関わることが多い。そしてまた、彼自身もそれを楽しむ質だった。
どうせ何かをするなら、仕事の内容にかかわらず楽しまなければ損だという考えだ。たとえそれが、他人を傷付ける仕事でも。
「ふむ。先ほどリーダーがコルネリアを叩いた時に、何やら魔力の繋がりのようなものを感じた。それが魔狼たちの目的か! 私の知らない魔法の気配がするぞ‼」
今まで大人しく様子を窺っていたベルンハルトも、やけに上機嫌で会話に混ざり始める。
彼は彼で、魔法が絡むと暴走する質だ。珍しい魔法のためなら、多少の犠牲は許されると考えている節すらある。暴走して饒舌になった彼を止められる人間はいない。
〈カールハインツとベルンハルトは、ディートリヒがたくさんたくさん殴れるようにしてね〉
〈殴られた人が別の人を殴って、大騒ぎになるようにできるよね?〉
「引き受けよう!」
「尽力しよう!」
二人と二匹はニヤリと笑い合うのだった。
その背後では、まだ怒りが収まらないコルネリアの説教と、ディートリヒの謝罪の声が響いていた。
一方、王都から離れた洋上では、ネレウス王国の艦隊とアダド帝国の艦隊が睨み合っていた。
すでに一度戦った後だ。
もっとも、それは戦いとは言えないような一方的な攻撃だった。まだ接近し切っていないのに、アダドの艦隊がネレウスの艦隊に攻撃を仕掛けて被害を与えたのだ。
普通であれば、魔法が届かない距離からの攻撃である。しかし、アダドの軍船が放った魔法はネレウスの船の一艘に当たり、その一部を破壊した。海戦の常識ではあり得ない出来事だった。
それが一回きりだったなら、まだそれなりに強い魔術師が魔力切れ覚悟の攻撃を仕掛けただけと思えただろう。だが、すぐに二発目の魔法が飛んで来て、またネレウスの船が壊された。
そうなると、強力な魔法を連発できる、女王に匹敵するバケモノのような魔術師が乗っていることになる。ネレウスの艦隊は戦略変更を余儀なくされた。
ネレウスの艦隊は大幅に船を後退させて、アダドの艦隊から距離を取って様子見することしかできなくなったのだった。
……ちなみに、その様子は海賊島から、グリおじさんと合流する前のロアとクリストフにも目撃されていた。最強だと信じていたネレウスの艦隊の後退に、クリストフは動揺した。
それがクリストフに焦りを生み、その後の行動に影響を与えたのだが、ネレウスの艦隊の人々はそれを知る由もない……。
「さて、どうするか……」
「ふむ……」
甲板で、サバス船長と剣聖ゲルトが呟き合う。二人の視線の先にあるのは、アダドの艦隊だ。
当然だが、海賊船であるサバス船長の船もネレウスの艦隊に組み込まれているため、アダドの艦隊とは距離を取ることになっていた。
アダドの艦隊はネレウスの艦隊が取った距離のまま、間を詰めてくることはない。そのことが逆に不気味だった。
「この船に乗れば最前線で戦えると思ったのだがな。間を詰めることすらできないとは……」
剣聖はため息混じりに呟く。海賊船は常に最前線で戦う。接近して敵の船に移乗して直接戦うのだ。
だからこそ敵と剣を交えたい剣聖は、役職から後方の旗艦に乗る必要のある孫娘のエミーリアと別れてこの船に乗ったのだった。
だが現在、距離を空けていてアダドの船に移乗するどころか近づくこともできない。
「…………あのガキなら、何か思い付くのかもしれないな……」
「? ………ああ、ロア殿のことか」
わざわざこのような場面で話題に上がる者など……特にガキと呼ばれるような年齢の者など限られている。サバス船長の呟きがロアを指していることに、剣聖はすぐに気が付いた。
「そう、ロア……殿だ。あれはなかなかの知恵者だぞ。末恐ろしいな」
「……」
場を和ませるためか、サバス船長は軽い口調で言うものの、剣聖は押し黙る。そして、左手で自らの右の上腕に触れた。
ロアの名前が出たことで、剣聖はグリおじさんのことを思い出した。
触れている右の上腕には、屈辱的な印がある。シャツに隠れて見えないが、それは間違いなくそこにあった。
三叉槍のような火傷の痕。それはグリおじさんが剣聖の腕に付けた、前足の痕だった。
下僕紋。
ディートリヒの話では、魔獣が下僕と認めた人間に施す印だそうだ。ディートリヒは双子の魔狼に付けられた下僕紋を見せてやけに嬉しそうにしていたが、剣聖にそんな歪んだ趣味はない。
彼にとって、それは屈辱の印でしかない。
腕を治す時に使われた魔法薬の余波で、もう痛みはない。場所が良いため、皮膚を剥いで治癒魔法薬を使えば痕すら残さずに消すことができるだろう。
だが、剣聖は消す気はない。それは失態を犯した自分への戒めであり、逆襲を誓った証拠だ。溢れ出す怒りに剣聖は唇を噛んで耐えた。
「どうかしたか?」
「何でもない。ロア殿のことだったな」
誤魔化すように薄く笑うと、剣聖は話を続ける。
「ロア殿なら、何か打開案を思い付くだろうか?」
「あのガキなら、あり得るかと思ってな。なにせ、大海蛇討伐の立役者だ…………いや、待てよ……」
不意に、サバス船長が口籠る。髭の生えた顎を撫でながら、鋭い視線を宙に這わせた。何か思い付いたらしい。
「……あの時の交易船のやつか……」
サバス船長はわずかな沈黙の後に呟くと、口元を緩めた。
「船長っ‼」
丁度その時だった。船員の一人がサバス船長に駆け寄って声を掛けてきた。
「船長じゃねぇ! 今は海賊船だ‼ お頭と呼べ! ……で、何だ?」
「は、はい。軍の船からの連絡艇が近づいてきます」
船員は促すように海へと視線を向ける。その先にある海には、一艘の小舟が浮いていた。
「気持ち悪いくらいにタイミングがいいな」
それに気付いたサバス船長は、笑みを強めた。
普段の船同士の連絡は魔法の光を使って行われる。動かしたり様々な色で光らせたりして、予め指定していた符号と照らし合わせてやり取りするのだ。
戦闘中だと連絡のための魔法や小鳥を使っても邪魔されることが多く、結局はこういった単純な手段の方が有効となる。
しかしそれではごく限られた内容しか送れないため、複雑な連絡の場合は人間が連絡艇などで移動してくるのだ。
しばらくして。連絡艇がサバス船長の船に接舷し、縄梯子を登ってある人物が顔を出した。
「なんだ、やけにお偉い方が連絡係で来たんだな。近衛騎士団副長殿、ようそこ荒くれ者どもの船へ‼」
サバス船長はその人物を両手を広げて歓迎した。
「込み入った話になりそうなので、私が参りました」
そう言って、握手するべく手を伸ばしたのは、エミーリアだった。
握手を求めたのは、対等の立場を示すためだ。海賊船の船長は貴族ではないが、この国では貴族に等しい礼式をもって応じられる存在だった。
「騎士の私は軍の命令系統の外ですからね。こういったことくらいにしか、今の状況では役に立ちません」
「剣では敵なしと言われた近衛騎士団副長殿も、今の状況では役立たずってわけだな。安心してくれ、すぐにその力を振るえるようになるぞ!」
伸ばされた彼女の手を、サバス船長は両手で包み込むように握る。
男前な外見のエミーリアだが、そうは言っても女性だ。長年の船の仕事で分厚く大きくなったサバス船長の掌は、しっかりとエミーリアの手を覆い隠した。
「サバス船長! 我が孫娘にあまり触れないでいただこう!」
「何だ、嫉妬か? 手を握るくらいいいだろう?」
「ダメだ!」
剣聖がサバス船長とエミーリアの間に無理やり身体を捻じ込み、二人の手をこじ開け離れさせる。エミーリアは剣聖の義理の孫娘であり弟子でもあるが、それを考えても、やけに嫉妬深い行動だった。
「ケチジジイ」
「うるさい! スケベジジイ‼」
剣聖とサバス船長は睨み合う。
「お義爺様! 船長‼ 今はそんな言い合いをしている場合ではありません」
エミーリアが一喝すると、二人はプイッと子供っぽく顔を逸らした後に真顔でエミーリアへと向き直った。
「それで……軍では方策どころか、敵の攻撃手段の推測すら立てられない状況です。仕方なく恥を忍んで、歴戦の猛者のお二人のお知恵を借りに来たのですが……。先ほどサバス船長はすぐにその力を振るえるようになるとおっしゃりましたよね? それはどういう意味ですか?」
「それだ!」
エミーリアの問い掛けに、サバス船長は声を張り上げて答える。まるで宝物を見つけた子供のようだ。
「つい先ほど思い付いてな。その後すぐに連絡艇が来たから、ワシの頭の中を覗いていたのでないかと驚いたぞ!」
「それで?」
よほど自分の思い付きに自信があるのか言葉を重ねるサバス船長に、エミーリアは焦りを感じつつも続く言葉を促した。
「あれは魔法筒を使っての攻撃だぞ!」
「魔法筒?」
サバス船長の答えに、エミーリアは眉を寄せて考えた。彼女の知識にはない言葉だ。
「知らないか?」
「はい。勉強不足で申し訳ありません」
「サバス船長。それはロア殿がアダドの交易船で見つけた物だな?」
困ったように自らの不勉強を詫びるエミーリアに対して、剣聖が思い出したように声を上げる。
魔法筒。
それは最近、このネレウス王国にも入って来ているが、まだまだ知名度の低いアダド産の魔道具だ。見た目は一端が塞がれただけの金属の筒だが、立派な魔道具だった。
筒の中に金属の粒を入れて中で魔法を爆発させて飛ばすことで、離れた場所への攻撃ができる魔道具だ。火魔法や水魔法なども同じ原理で飛ばすことができるため、どちらかと言えば魔法補助具と言えるだろう。
ロアはそれを海竜祭の朝市で手に入れていたが、その時に同じ屋敷内で暮らしていたエミーリアは知らなかったらしい。
もちろん、自身の屋敷内のことなので、エミーリアもロアの行動については報告を受けていたものの、何か魔道具を買ったという程度で、詳細までは把握していなかった。朝市で売られている魔道具なら、危険はないと放置していた。
そしてその後、ロアはまた別の魔法筒を思わぬ形で手にした。
それは、サバス船長の船でアダドの交易船を拿捕した時だ。アダドの交易船には、ロアが朝市で買った掌サイズの物と比べるとあまりに大きな、ロアが抱え切れないほど太く、ロアの身長よりも長い魔法筒があった。
ロアはその、大きくしただけで無意味としか思えない代物に興味を持ち、とりあえず自分の分け前として貰ったのだった。
サバス船長は、ロアが大きな魔法筒を手に入れた時に立ち会っていた。
また、ロアに大海蛇の生態について質問されまくった時に、なぜか話が逸れてロアからその機能について説明を受けることになった。
大海蛇の討伐に使えないかと考えて、思い付いたことを口走ったのだろう。
その時はムダ話だと思いながら半ば聞き流していたが、今になってその話が生きてきた。
「あのガキの話には閉口したがな。グリフォンに脅されながら耐えた、拷問みたいな時間にも意味はあったみたいだ」
サバス船長は渋い表情で空を仰いだ。その時の記憶がよみがえったらしい。
「どういう手段を使ってるのかまでは分からないが、あれは魔法筒を使って攻撃してるに違いないぞ」
「……なぜそのように言い切れるのですか?」
やけに自信ありげに言い切るサバス船長に、エミーリアは懐疑的な視線を向ける。
「あのガキの話では魔法筒の特徴は、筒の先を向けた方向に魔法が飛ぶってことだな。言うのは簡単だが、ガキの話じゃ、これがかなり難しいらしいぞ。筒の内側の小さな歪みや傷が原因で、すぐに見当違いの方向に飛んでいくらしい。弓よりも狙うのが難しいそうだ」
サバス船長は掻い摘まみながら、ロアから聞いた魔法筒の特徴や機能について話して聞かせる。
「ションベンの時に……すまん、失礼。その、なんだ。皮袋に入れた水を押し出して、飲み口の穴から飛ばして離れた的に当てるようなもんだと言ってたな」
サバス船長は何かを言いかけて、エミーリアにちらりと視線を向けてから言葉を濁して言い直した。
この世界では水筒に皮袋をよく用いる。皮袋で水を飛ばして掛け合う遊びは、子供の頃に誰もがやったことがある。
水を満たした皮袋を手で押さえつけて圧力をかけて、飲み口の部分から水流を発射する。それで互いの顔を狙って掛け合うのだった。
これが単純なように見えて、狙いが定まらず意外と難しい。出口の角度や押す時の手の位置や圧し方で、すぐに見当違いの方向に飛んでいく。
剣聖もエミーリアもその経験があったのだろう、サバス船長の例えに素直に納得した。
それと同時に、剣聖はサバス船長が何を言いかけたかも察したが、あえて口にするようなことはしない。魔法筒の説明としてはそちらの方が相応しいと感じたものの、エミーリアには理解できない話だろう。何より女性がいる場でする話ではない。
「それを踏まえた上で、アダドの攻撃を考えてみてくれ。あの魔法は、やけに妙な所に当たっていたと思わないか?」
そう言われて、エミーリアと剣聖は考える。魔法攻撃を受けた直後は慌てていて思い至らなかったが、確かにおかしい。アダドの魔法は普通なら攻撃しないような場所ばかりに当たっていた。
あえて狙いを外したのではなく、当てられなかったと言うなら……。
「あれほどの大魔法を扱える魔術師であれば、いくら距離があっても狙った場所に必ず当てる。当たらないなら威力を抑えて当たるようにする。だからこそ、あの魔法はおかしい」
魔法の攻撃というのは、余程の初心者ではない限りは狙った場所に飛んでいく。魔法式をそのように組むものだからだ。
もっとも、動いている標的の場合は、動きを予測して狙う先をずらしたり、もしくは追尾するための魔法式を組む必要はあるが、魔法とは基本的には必ず狙った場所に飛んでいくものである。
大型船のような大きな的で、艦隊を組んでのゆったりとした移動速度なら外す方が難しい。
「なるほど。それでロア殿の魔法筒の話に繋がるわけか。確かに、合ってそうだが……」
剣聖も同意する。エミーリアは顎に手を当て、深く考え込んでいた。
「あのガキも大きな魔法筒を見つけた時は何のための物なのか悩んだらしいが、こういう使い方なら納得だな。アダドのやつら、どうにかして魔法筒を使って大きな魔法を放つ方法を考え出したというわけだ」
そうあっさりと言ったが、サバス船長はもっと深く考えていた。
サバス船長は、魔法筒の魔法は軍人たちの魔力を利用していると考えていた。
錬金術師のような、魔力は少ないが操作に長ける人間とは反対に、魔力量が多くても魔力操作が下手で魔法が発動できない人間もいる。
そういう人間は魔術師にも錬金術師にもなれないため、軍人や騎士になる者が多い。
魔法という形で魔力を外に出せなくても身体の内側で扱うことはできるため、身体強化の魔法とは相性がいいからだ。目の前にいる剣聖とエミーリアもこのタイプだ。
軍人たちの魔力を利用できるなら、軍船が魔法筒を使っているというのも納得できる話だ。
魔法筒は単純に筒の中で魔法を発動させて飛ばすだけの道具なのだから、細かな魔力操作も必要ない。
魔法が発動する方向すら決めなくても、筒を向けた方向に飛ばすことができる。本来であれば必要になる、標的を定めるための魔法式や、飛ばすための魔法式も必要ない。
ただ、魔法を暴発させればいい。暴発のせいで自分や周囲に被害が出ないように考える必要すらない。
だが、通常の持ち運べるサイズの魔法筒では、他の船を攻撃するような大きな魔法には耐えられず爆発してしまう。それを避けるために、大きく、頑丈な魔法筒が必要になるのだろうと、サバス船長は考えていた。
「……いや、しかしサバス船長。狙いが定まらないと言っていたが、船には当たっていた。そこはどう考える?」
エミーリアは眉間に皺を深く刻みながら顔を上げ、サバス船長を見つめた。
まだ納得し切っていないようだった。責任ある立場にいるため、安易に信じるわけにはいかないのだろう。
「我々の船も正面から戦うつもりで密集していたからな。その中心に放てば、いくら当て難くとも、どこかの船には当たるんじゃないか? 魚の群れに銛を打つ時は、一匹を狙わずに群れの中心を狙うだろう?」
「狙いを定めず、最初からまぐれ当たりを狙っていたということか……」
エミーリアは一理あると頷いた。むしろ、そのためにアダドの艦隊は正面から戦う姿勢を見せて、ネレウス側が同じような陣形を組むように誘導していた可能性もある。
「なるほど……そうか……。それで、サバス船長。どう対策する?」
エミーリアは話を進めることにした。
サバス船長の意見を信じ切ったわけではないが、それなりの理屈は通っていると感じた結果だった。それに、今後の方針を聞かなければ、サバス船長の推測が外れた場合の危険も考えられない。
「なに、簡単なことだ」
サバス船長は笑みを浮かべて言い切ったが、傷のある厳つい顔では脅しているようにしか見えない。
「我ら海賊が得意としている戦法だ! 少数精鋭‼ 当たらぬ魔法など気にせず、高速で一気に攻め込め! 狙いなど付けさせるな! 攻めて攻めて、翻弄しろ! 敵が崩れたところで総攻撃だ‼」
サバス船長は高らかに叫んだ。
「……とまあ、こんな対策なんだが、どうだ? 近衛騎士団副長殿?」
サバス船長の言葉に、剣聖とエミーリアは思わず笑みを浮かべ頷き合った。その答えは、二人を納得させるに十分だったようだ。
「では、攻めようぞ!」
剣聖は、勢い良く腕を振り上げた。
その瞬間、振り上げた剣聖の腕が一瞬だけ淡く光ったように見えた。
陽の光に照らされたのだろうと、誰もが気にも留めなかった。海の水に光が反射して思いもよらない所が光って見えることなど、洋上ではよくあることだ。
光って見えたのは丁度ディートリヒがコルネリアの頬を叩いて双子が何かを確認した瞬間だったが、それを知る者はいない。
また、光った場所がグリおじさんが付けた下僕紋の場所であったことも。
応援ありがとうございます!
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