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4巻

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   プロローグ


 ドニ・アスト・ラヴァン辺境伯が統治するラヴァン領とアウストラ帝国の帝都との間には、弧状こじょうに連なる大山脈がある。この山脈――カバディア山脈は主に二つのことで有名だ。
 まず一つ。この山脈にはドラゴンが住む竜の巣があること。
 二つ目に、ここには南北の大国の緩衝かんしょう地帯があり、そこに大陸全土で信仰されるハドリア教の総本山があることだ。
 そんな理由から、この山脈には行商人や巡礼者、そして竜の巣に挑む冒険者などが古くから利用してきた街道がいくつもあった。
 マレビト――風見かざみ心悟しんごの召喚という大仕事を終えた枢機卿すうききょうのリイルも、本来の仕事場であるハドリア総本山に戻るためにそのうちの一つを使っている。
 神官騎士や白服が十数人も連なった、まるで軍隊のような一行なので、道行く人はその物々しさに慌てて道を空けたり、頭を垂れたりしていた。
 かれこれ半月もこんな風に見世物にされているため、リイルの愛想笑いに使う筋肉もさすがにひくついている。しかもこれだけ進んでも総本山まではまだ道半ばだ。気が滅入ることこの上ない。
 だからリイルは早く帰るために面倒も寄り道も避ける――と、思われたのだが。
 何を思ったのか、彼女は自分から寄り道を指示し、山麓さんろく高原にある街、スシーバを目指した。
 その理由は何一つ明かされていないのだが、隊の人間から一切文句は出ない。
 リイルが奔放ほんぽうにふるまい、周囲を困らせるのはいつものこと。部下はもはや諦め、命令に粛々しゅくしゅくと従うのみだ。
 季節はまだ秋の入口だが、標高が高いこの地ではもうしもが降りる。楽とは言えない山道と、肌寒さで疲れていた一行は、スシーバに到着すると早々に宿に入った。
 道中と同じくここでもリイルの部屋の前には物々しい警備が――と、思いきや、せいぜい一人が付く程度である。あまりに無防備なようだが、これには理由があった。

「くはーっ、連日馬に乗ってると痛いのなんの。あたしのやわいお尻もコチコチになっちゃうねー。夜は若い男にでも揉んでもらおっかなぁー?」
「お慎みください。見るにも聞くにも耐えかねる醜態しゅうたいにございます」
「出たな、万年コチコチ女」
「ライラにございます。それと最初からここにおりました」

 部屋に入るなりベッドに突っ伏したリイル。それを冷ややかに見下ろすのは鉄の女性であった。よわい四十数歳とのことだが、なんて迫力ある眼光だろうか。
 顔を引き締め、たたずまいにもぴしりとのりをきかせたこの姿を見れば誰でも、ああ確かに鉄だと頷くだろう。

枢機卿すうききょう。わざわざ遠回りまでして何故このような地に?」
「ほら、たまには風が吹くに任せてねえ。ただの気紛れだよ」
「風は山から吹き下ろす逆風でございました。誤魔化しではなく、本意をお聞かせください」
「まったくもう、あたしにその本意とやらがなかったらどうするんだか」

 よくできた理解者なのか、はたまた理由がなければお説教に突入するだけなのか。このポーカーフェイスを問いただすのは若干怖い。
 けれど幸いなことに今回はそれなりの理由があったので、リイルは肩をすくめてみせた。

「知り合いに野暮用があってね。というわけであたしは今からちょいと出てくるけど、心配しなさんな。数時間で戻るから適当に羽を伸ばしといて」
「なりません。枢機卿をこのような場所でお一人にするなど言語道断。私がご一緒するか、納得できる理由がない限りは断固阻止いたします」

 五十歳間近でしわの目立つライラはその溝をさらに深くしてねめつけ、行く手を塞ぐ。
 遺跡の守護獣よりも厳しい目をしているのではないだろうか。避けて通れる気がしない。
 並べば母と娘ほどの歳の差に見えるとおり――無論、長命種のエルフであるリイルの方が数十倍は年上なのだが――、リイルは彼女が苦手だった。

「あんたはさー、もうちっと肩の力を抜かないと、いつかガーゴイル級のコチコチになるよ?」
「あの直向ひたむきさは尊敬しておりますのでお構いなく。市勢の調査などでしたらついていきます」
「それはあとで適当に。今はもっとかるーい用事なんだよね、これが」
「だとしてもでございます」

 ライラはそれはもう、厳しいことで有名だ。口を開けば「なりません」とお小言が出る。頭が堅い神官の中でも輪をかけて融通が利かない規律の鬼なのだ。
 その厳しさは食事中のマナーから始まり、一挙手一投足にまで向けられ、文句を言わずについていった人間は、れなく人格者となる。要するに、現在マレビトである風見に付き添っているクロエをより先鋭化したのが、この〝白服〟の女性統括長、ライラ・リスト・クローウェルだ。
 この宿屋においてリイルの警備がゆるいのは、彼女が傍に控えているからである。
 戦闘においては教団内で一目おかれるクロエでさえ、ライラには足腰が立たなくなるほどしごき倒されるのだから腕前は言うまでもない。ハドリア教では一、二を争う戦闘能力であり、恐らくアウストラ帝国が誇る騎士団と比べても十指には入るだろう。
 彼女は長らくお付きという名の、リイルのしつけ担当をしており、リイルが少しでも言動の軽いところを見せるとすぐに鞭を打ってくる。いろいろと緩すぎるリイルにはこれでちょうどいいと周囲は納得顔だった。

「んもー、固いこと言わない。警護だか何だか知らないけど、そんなのは出かけたことが誰にも知られなきゃ心配する必要ないっしょ?」
「その誰かがどこに潜んでいるかも不明でございますから」
「少なくとも部屋ん中にゃいないよ。あたしにゃ、その事実だけで十分だって知ってるでしょうに」
「だとしても同行させていただきます」

 即答にげんなりしたリイルは早々に諦めた。一度なりませんと言われたら、撤回されることはない。この四十年ほどで嫌というほど思い知らされた。

「あーもう、あんたは昔っからあたしの言うことなんか聞きゃしないんだから。年寄りの言うことにゃ従うもんだよ?」
「ならば尚更。私の方が早く老いていることは間違いありませんし、何があろうと枢機卿を先立たせることはありませんから」

 その言葉にリイルは「そりゃ、その時が来たら寂しくなるね」と言って肩をすくめた。

「――この街の狐様って知ってるかい? ここに来たのは久方ぶりにそいつに会うためなんだよ」
「狐……? 旧友ということはもしや、キュウビ様がここにおられると?」
「そうらしいね。あたしも長らく会ってないから不確かなんだけど。最後に会ったのはいつだっけかなー?」
「公式な場に足を運ばれたのは、四十年前が最後と聞き及んでいます」
「あー、ライラが小間使いなのに礼儀作法に口を出し始めた時代だったか。懐かしいねえ。あの時はこーんなに小さくてかわいかったのに。リイル様、こんなお花を見つけましたって――」

 リイルが感慨深く思い出していると、ライラはごほんと咳払いで邪魔をする。どうやらこの鉄の女も昔の話をされるのはこたえるらしい。
 悪女は内心にやりと笑い、心のライラ対策手帳に戦法を一つ追加した。

「しかしキュウビ様に何用でございますか?」
「面白い男の話でも聞かせてやろうかと思ってね」
げいのお話にございますね」

 ライラの推察にこくりと頷いたリイルは「知ってるかい?」と問いかける。

「あの男、早速グール退治をしたそうだ。しかもそれだけじゃなく、ヒュドラを仕留めた上に、次はアースドラゴンを飼い慣らしたとか話題が尽きない。この世界にばれてひと月も経たないのにここまでされると、過去の英雄様も形無しだよねえ」
「猊下の成したことなど知るはずもございません。私どもが帝都を離れたのは半月以上も前のことですよ? 後追いの旅人から伝わるまで、枢機卿すうききょう以外に知る者などいないでしょう」
「あっはっは、そういうことだね。土産話にゃちょうど良さそうな鮮度だろう? そういうわけで腐らないうちに持ってってやるとしようか」

 Eu escrevo isto  Gravataと、リイルが詠唱と共につうっと空中を撫でると、ペンで線引きしたかのように空間が裂けた。その先に見えたのは獣道が一本通っただけの深い森である。
 彼女の律法は異なる二点を繋げるものだ。距離が遠くなるほど空間を繋げる穴は小さくなるので、こことハイドラでは覗き穴一つを作るのが精一杯であるが、距離がそう離れていなければ移動にも使える。ちなみに先ほどの風見の情報もこの能力で手に入れたものだ。
 今リイルがどれほどの距離を繋いでいるのかライラには知る由もなかったが、香ってくる深い緑の匂いからして、人里から遠く離れた場所なのは確かだ。
 怪しい気配はないと確かめた彼女は先に穴をくぐるとリイルを呼び、獣道を進んでいった。
 だが、数分もしないうちにライラは突然歩みを止め、リイルを背に隠す。

「枢機卿、お下がりを」

 彼女は鋭い眼光で森の奥を見据え、白服の袖を素早く横に振った。リイルの目では何も捉えることはできなかったが、同時にひゅんと二つの風切り音が響く。
 どうやら二つの刃物が投擲とうてきされたらしい。森の暗さでは見切るのは至難のわざだろう。
 けれど、返ってきたのはカカッと木に突き刺さった音のみだ。ライラは眉をひそめる。

「……! よもや避けられようとは。付加武装を使用しますのでご注意を」
「随分と本気だねえ。そんな風に対応するだけの相手かい?」
「小虫であろうと全力でほふること。白服全体に徹底して教えている心構えです」

 ライラは白服の裾をひるがえすと、三節棍さんせつこんのように柄が折りたたまれていた武器を取り出した。瞬時に組み上げられたそれは、クレセントアックスである。
 彼女が何かを口ずさむと武器にはめられた黒色の魔石が輝き、黒いよどみが武器を覆う。己の身長にも等しいそれを軽々と構え、敵が間合いに入るのを待った。
 耳を澄ませば枝や葉をはね上げる音が前方から聞こえてくる。速さや足音からして人ではなく、獣の足取りだと推測できた。

「待ちな。ライラ、死にたくなければ今すぐ目と耳を塞ぎなさい」

 音がさらに近付き、獣の息遣いまで聞こえてきた時のことだった。ライラは急に投げられたリイルの声に意識を向ける。

「――御意」

 臨戦態勢の最中さなかだったが、忠実に従う。主のための諌言かんげんならいくらでもするし、多少無礼であろうとも、そのためならば口答えもする。けれども主から命を捨てろと言われれば迷うことなく従う。それが彼女の在り方だ。このように意図の読めない命令だろうと関係ない。
 次の瞬間、獣道から飛び出てきた巨大な狼がライラの首下に食らいついた――はずだったのだが。獣の白い牙は彼女に触れた直後、風となって跡形もなく消えてしまった。
 もういいと肩を叩かれ、ライラは目を開く。

枢機卿すうききょう、今のは……?」
「キュウビの幻術。だから攻撃を当てても効かない。あれは下手すると心を噛み殺しにくるから気をつけなよ? ここはもうあれの縄張りなんだよねー。招かれてないあたしたちは不法侵入者と認識される。当然、キュウビの自動防衛システムにさらされるから、向こうに着くまではその都度、あたしの指示に従いなさい。やれやれ、あたしからも伝書鳩で知らせられたらよかったのにねえ。まいったまいった」

 リイルがそう言った途端、今度は薄暗かった森に濃い霧が立ち込め始めた。
 さらにはボウと火の玉が無数に上がり、木々の間を揺蕩たゆたう。先ほどの幻術で制圧できなかったため、防衛のレベルが一段階上がったようだ。狐色の炎は肌を焼く熱気を撒き散らしている。

「キュウビったら今度は狐火まで持ち出して、まーたド派手な歓迎だこと。ちゃんとあれの家を見つけるまで無事でいられるかねえ?」
「こちらの火は幻術ではないのですか?」
「本物の火だよ。あれは人とはちょっと違うから、いくつかこういうのが使えるんだよね。あんの女狐ったらほんとに見境ない。こりゃあ大声で呼びかけた方が早いか」

 狐火は二人を囲い込むようにどんどん輪を狭めてくる。大木でさえ火にあぶられると即座に炎上してしまった。幻術は通用しなくともこのように炙られてはひとたまりもない。肩をすくめたリイルは「おーい!」と大声で叫びかけるのだった。


 それから数分後のこと。

「もう、来るなら来ると事前に伝えてくださいましね? 危うく数少ない親友をこうばしくするところでしたもの」
「うへえ、焼きエルフは勘弁だよ。多分マズいし」

 おっさんのようなしかめっ面で首を振るリイルに、着物姿の女性が控えめに微笑んだ。外見以外はどこまでも女らしくないリイルの隣だと、女性のしとやかさは一層際立つ。

「そもそも仕方ないでしょうよ。あんたはあたしの居場所を知る鳩を持ってるけど、こっちにはないんだから。今までだってあたしゃ、あんたの返信としてしか手紙を出してないよ?」
「あら、思えばそうでしたわね」

 リイルが「あんたはいっつもそれだ」とぼやく。
 しかし、直後に苦笑が続くところが旧知らしさを感じさせた。

「許してくださいませんの?」

 少しばかりねたように、そしてうるわしさと弱々しさを活かす上目遣いで妖女はささやく。

「未遂なら許すよ。でも、あんたはいつかやらかしそうなんだよね。ほら、髪の毛焦げてる」
「その時は誠心誠意謝らせていただきますわね」
「なんというか、あんたは図太いよね。ほんと」

 おお、怖いとリイルは女狐を疑わしげな目を向ける。けれどキュウビの整った笑みは相変わらずだ。
 名女優の演技と一緒で、キュウビは喜怒哀楽をしっかり表すのだが、心が伴っているのか非常に怪しい。長寿のリイルでも、この奥底を見通すことはできなかった。

「そちらの方ははじめまして。わたくしはキュウビ・バイツェンと申します。遠路はるばるこのような場所にようこそおいでくださいました」

 キュウビが座礼をすると、稲穂色の長髪から獣の耳が現れる。背後ではその名のとおり九つの狐の尾が踊っていた。
 ――あの時、リイルが叫ぶと霧が割れ、木々が埋めんばかりだった獣道は、綺麗な道となって一軒の家へ続いた。それがここである。
 歴代のげい――その中でも二代目が伝え知らせた文化では日本家屋と呼ばれる造りの一軒家だった。
 わらぶき屋根と土の壁、障子にふすま、囲炉裏いろりや畳。縁側に吊るされた柿や魚からして独特だ。
 古い木の香りをはじめとした自然の匂いが鼻をくすぐり、整った庭園からは虫たちの合唱が聞こえる。庭を流れる小川の音だけが時を刻んでいた。時間がゆったりと流れるような雰囲気は、こちらの世界ではかなり珍しい。
 が、ライラはそんな中でも生真面目に背筋を正してキュウビと向き合う。主のように視線を散らしたり、お茶を適当にすすったりはしない。

「キュウビ様、かしこまらないでください。私はハドリア教特殊執行官統括兼、リイル様のお付きのライラ・リスト・クローウェルと申します。まずは貴女様に庭での非礼を詫びさせていただきたく」
「さて? わたくしは知らないことですし、詫びられるほどのことではありません。どうか頭をお上げになってくださいな」
「よく言うねえ。その耳でちゃーんと聞いてたくせに」
「ふふ、どうでしょうね。わたくしの耳はエルフと違って伏せられますので」

 お茶目にも狐耳はぴこぴこと上下に動いていた。
 リイルはその口達者なさまに旧友が今も健在であると認め、出された緑茶をずずっとすする。随分と苦いお茶であった。

「それでこの急な訪問には何か理由があるのかしら?」
「愚問だね。あんたにとっちゃ一番興味のありそうな話があんの」

 含みのある物言いにキュウビは少なからず関心を示す。
 反応したのは彼女のみではない。ぴくりと鉄の表情にひびを入れたライラもリイルに目を向ける。

「お話し中申し訳ありませんが、そのご様子からするに、やはりキュウビ様が二代目猊下のご息女であるという話は真実なのでございますか?」
「ええ、そのとおりですわ」
「となると貴女様は千年も――」
「しっ。女の歳を口に出すものではありませんわ」

 キュウビは妖しく微笑むと、ライラの唇を人差し指で封じた。そのれ出す色香は枯れた女であるライラですらどきりとするほど強い毒だった。
 げい――つまりマレビトというものは数百年に一度召喚される人であり、今代の風見心悟が五代目となる。二代目の娘だとすれば、それだけでもどれほどの時を生きているのか推測できるだろう。
 リイルといい、このキュウビといい、見た目は年齢推測のよすがにならない。

「しかし何故このようなところに? 貴女様なら慕う人も多いはず。都市はわずらわしいかもしれませんが、ここまで人里から離れるとかえって面倒が多いのでは?」
「心はそうですわね。けれどわたくしの体はそうではないの」
「……?」
「これはちょいと特殊でね。魔物と一緒で、人の近くだと頭が痛くなったりするんだよ」
「確かに魔物は友好的ではございませんが、そのような話は初耳にございます」
「言葉を操る魔物なんてそうそう会えないから普通は知らないだろうね。これはマレビトと魔物のハーフだから長生きだし、律法も幻と炎を使える。けど、いいことばっかじゃないのさ」

 それについてキュウビは多くを語らない。奥ゆかしく口に笑みを乗せたまま茶を注ぎ足し、一息ついたところで話を元の方向に戻した。

「そういえばリイルは猊下の召喚が近々あると言っていたわね。今回はそのことかしら?」
「そうだよ。抜けているようだったけど面白いやつだった。今代は随分と知識が豊富でね、律法やグールなんかの真実も探そうとしてた。何でも、元は獣の医者をしてたらしいよ」
「まあ、それは頼もしい限りですわね。いつかはドラゴンを駆り、お父様と並び立つのかしら?」
「たったひと月で竜種を倒したし、もうドラゴンとは心を通わせているよ。あたしはちょっと面白そうだなーって見てる。あんたはどうなんだろうね」
「あら、つまみ食いをしてもよろしいの?」
「そこはあたしが口を挟むことではないね。別につばをつけているわけでもないし、あんたはあんたの好きにするといいさ」

 リイルには、どうこうしようという気はまったくない。むしろ、個人的にはキュウビのようなトラブルの塊に遭遇した彼がどう動くのかに興味がある。

「ともあれ、そいつの詳しい話はおいおいね。用件はもう一つあるんだけど……ライラはちょっと席を外してくれるかい?」
「かしこまりました」

 何故かは問わない。自分には聞く権限がないと主が判断したのだと理解し、ライラはすぐに部屋を出た。それを見計らい、リイルは再び口を開く。

「あれに聞かせて困ることではないし、別にいても構わないんだけどね。立場上、不謹慎なことも言うからとりあえず外してもらったよ」
「あなたは不謹慎の塊のような気もしますわ」
「ま、違いないけどね」

 肩をすくめるリイルを、キュウビはふふふと笑う。

「さて、重要な方の今代について話そうか。いや、言い方が悪いかね。もう一人の今代について、と言う方がわかりやすいか。その前に一つ聞くけど、西の情勢は知ってるかい?」
「ほどほどにですわね。だってそれほどの緊張はなくなったのでしょう?」

 この国――アウストラ帝国から見て北、東、西にはそれぞれ国がある。
 北は面積が最も広く、政治的にも安定した国だ。作物、金属などの資源もほど良いバランスを保っている。軍事力も強大で、大規模な戦争が起きない程度にこの国が周囲を牽制してくれるおかげで四国のバランスが保たれていると言っても過言ではない。
 東は土地が貧弱なためにしばしば飢饉ききんで苦しんでいるが、代わりに鉱石はよく取れる。だからその秀でた武具を使い、隣接した穀倉地帯であるラヴァン領を奪おうとしていた。
 ここ、南のアウストラ帝国といえば作物はある程度取れ、国土の規模は二番目。その他に特筆すべき点は特にない。良くも悪くも北の大国に続く二番手だ。
 そして西は平原が多く、騎馬民族が統治している国なのだが、よく内部で争いをしていた。しかし、最近では一つの勢力が勢力を伸ばし、国を一つにまとめ始めたらしい。そのおかげで商人は気兼ねなく通商を行えるようになると喜んでいた。
 街で聞けるのはこの程度の情報であり、キュウビもそれ以上は知らなかったのだが、リイルの面持ちを見るにまだ続きがあるようだ。

「あの国は最近鬼を討ったりしている。終いにはドラゴンも一頭殺したらしいね」
「異常ですわね。もうろくして領域外で暴れる魔獣なんて数百年に一度でしょう。しかもその噂が他国に広まる前に討ったと? ないとは言いませんが、武具に適合する勇士が見つかるのも早すぎます」
「選ばれた勇者が悪いドラゴンを倒す英雄譚えいゆうたんなら、ただの偶然で済ませてもいいんだけどね。問題は軍が組織としてドラゴンを殺してしまえたってことだよ」

 鬼、巨人、吸血鬼、ドラゴンなどは最上位の魔物――魔獣として知られる。
 通常このクラスの魔物の外皮はまともな剣では傷つけられず、仮に刃を突き刺せても肉の厚みや強さに阻まれたり、敵本体が霧やコウモリになってしまったりして意味をなさない。その上、彼らは強力無比な律法まで扱い、単独で一国の軍をぎ払ってしまうほど別格の存在だ。
 だが不思議なことに、彼らはおのれの縄張りから出てくることはない。その理由を知る者などいなかったが、こちらから手を出さなければ決して危険な存在ではないのだ。彼らとは棲み分け、互いに干渉をしないのが、この世界の暗黙の了解である。
 しかしごくまれに例外も存在する。縄張りから出て、人々を襲う魔獣――人はそれを悪鬼、悪竜などと呼び、その都度、聖剣に選ばれた勇者が打ち滅ぼしてきた。
 そんな事態になると、いわく付きの武具がまるで時が定めたように人を選び、役目を終えるとまた眠りにつく。都合が良すぎるかもしれないが、それが太古から続く〝当たり前〟だった。
 春が過ぎれば夏が来る。そんな感覚と同じである。
 つまり、魔獣はそういった竜殺しなどと名を冠する武具があって初めて対抗できる相手であり、それがないなら軍をもってしても到底敵うはずもない相手だった。
 しかし、西はそれを下した。キュウビが知る限りでは前例のないことである。
 少なくとも、通常の武具では不可能な芸当だ。ならば、それをくつがえす何かを作ったのが、もう一人の今代なのだろうとキュウビは察する。

「あんたにも半分は同じ血が流れてるんだ。興味はないのかい?」
「あなたはわたくしの背を押して、それをなんとかさせたいのかしら」
「そのあたりの解釈も含めてあんたに任せるよ。あたしはね、話をしにきただけで何も強制する気はない。何事かない限りは、ずぅーっと傍観者さ。あたしはそういうお役目だからね」

 リイルはそう言うと気軽に笑う。キュウビは少し考えたあと、そんな彼女に首を横に振って返した。

「どちらの今代にも興味はありませんわ。今の世の出来事は、今の世の人間が手を下すべきでしょう。それに、三代や四代のように趣味が合わないやからだとえてしまいます。お父様のような方はそうそういませんもの、変に期待するのはやめておきますわ。縁さえあれば会うこともありましょう。運命が引き合わせないのなら、それもまた必然です」
「あんた、考えがほんとにご隠居になってるねえ」
「当然です。救いを求めるだけの者なんて、神にでもすがればいい。そんな輩のために人柱ひとばしらになるなど、もう二度と御免ですわ。わたくしが支えるとすれば、自らの足で立とうとする人だけです」
「惚れた相手にしかなびかないってか? あんたってそういうところは運命やロマンを求めているよねえ。年食っているくせに、そーんなとこだけいつまでも乙女みたいだよ」
「……長い時を生きれば、むしろそうならない方がおかしいですわ」

 キュウビは静かに呟く。が、直後、勢いよく言葉を発する。

「色恋や情事なんてまさにそう! 幻に惑わされ、言い寄る有象無象うぞうむぞうに何の喜びを見出せと!? ぶっちゃけ、刺激のない、思いどおりのことが溢れていて欲求不満なのです。わかりきった結末ほどつまらないものはありませんわ。外を歩くたびに退屈がわたくしを殺しに来るのです」

 キュウビは、ほう、とさも悲しそうな息を吐く。獣混じりなだけに本能からくる飢えと渇きに、相当なストレスを感じているらしい。
 だが、リイルに言わせればそれは自業自得だ。
 キュウビの幻術は先刻の狼のような攻撃だけでなく、化粧のように自分を彩ることもできる。例えばあの人は温和そう、などという他人が抱く印象を、幻でそっくり入れ替えることができるのだ。
 これはもう自動機能であり、彼女が望もうと望むまいとキュウビを〝その人の理想像〟に仕立ててしまう。結果、キュウビは誰からも寵愛される体質となってしまった。
 それはそれで有効活用しているものの、彼女にとっては不幸なことらしい。

「要するに、あんたはここで隠遁いんとん生活を続けるのかい?」
「ええ。東も西も、今代も関係ありませんわ」
「ま、あんたがそれでいいならいいさ」
「わたくしが言うのもなんですが、これでよろしいの?」
「いいよ。あたしは単に駄弁だべりに来ただけだし。むしろこのことに熱心に取り組まにゃならんのは、自分の巣に引きこもった赤いのの方だからね」
「あの子は融通が利かないから望み薄でしょうね」

 二人は紅い竜を思い浮かべ、ほうとため息をつくのだった。


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