そもそもの話だが、日本人はなめられることへの感度が低い。理由は簡単、性善説を信じている人が圧倒的に多いからだ。
性善説とは「人は誰しも元は善人」という考え方のことで、家族、友達、職場の同僚はみんないい人が基本と考える。そうなると、嫌な目に遭わされても「なめる人なんてそうそういないでしょ」とか「扱いが軽い気がするけど自分の考えすぎでは」という具合に考えるから、「なめる/なめられない」という話が遠い話に感じられて全然実感がわかない。
なんなら人によっては「なめられたほうがいい」くらいに考えている場合もある。本人としては「嫌われて人が離れてしまうより、ちょっとあなどられてもいい。自分の周囲に人がいるほうがさみしくない」くらいに思っているのだろう。
しかしハッキリと断言するが、衝突を嫌い、性善説を信じる人の割合が多い日本でも「なめる/なめられない」関係は非常に身近な話だ。それでも身近に感じられないのは、日本人が考える「これぞなめられるイメージ」と、なめられることで起きる現実の問題の間に大きなギャップがあるから、気づいていないだけなのだ。
「人生なめられたほうが得ですよ。自分はなめられても気にしません」という主張もよく耳にする。だが、それを真に受けてはいけない。こうした主張をする人たちは「どんな形であれ、反応が増えると自分に得がある」という立場だからだ。
この主張をする人はいわゆるインフルエンサーが多いのだが、自分をなめる人が増えてヤジを飛ばされたり、アンチコメントを書かれたりしてもそれがメディアエンゲージメントを高める。それに対してファンがアンチとコメント欄でけんかか何かを始めてさらにアクセスが回り続け、それが回り回って彼らの広告収入や知名度アップにつながるのだ。
「無名は悪名に勝る」という彼らと、我々一般人とでは立場が違うことを忘れてはいけない。我々はなめられてマウントを取られたり、ヤジを飛ばされれば自尊心が傷つくだけでデメリットしかないのだ。
一度なめられるポジションに落ちると、相手は何度でもなめてきてさらにマウント度合いがエスカレートしてくるし、それを見て「ああ、こいつはやり返してこないんだ」と触発された人が集まってさらにマウントを取ろうとする。
あなたは、炎上騒動が起きて次々と有象無象が集まってきて「正義」の名の下に相手を叩きまくるのを見たことがあるはずだ。あれは、完全になめられているからこそ起きることだ。
仮に相手が強面のチンピラとか敏腕弁護士だったら、誰もそんなことは絶対にしてこない。反撃が怖いからだ。
こうした一連の炎上騒動では、相手が反撃しないことがわかると、たとえ炎上が収まってもいつまでもなめて見下すようなコメントをし続けてくる者が発生する。
「なめられても損しないじゃないか?」というのは大間違いだ。なめられると大損! メリットなんて何一つない。今こそ、あなたはなめられる自分を卒業するときが来たのだ。