ビジネス書業界の裏話

私はどのようにしてビジネス書の編集者となったのか

2018.02.08 公式 ビジネス書業界の裏話 第48回
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マネジメントのベースはこの会で学んだ

ど素人の若造の呼びかけにもかかわらず、この会には当時の一流どころが集まった。銀行界からの参加はなかったが、それ以外は世界的な自動車メーカー、電機メーカー、医薬品メーカー、商社、外資系の社員教育担当者などが集まったのである。役所の人もいた。概ねは人事部に所属している人たちだった。

異業種交流会は一業種一社をルールとしていたので、総勢で40~50社ではあったが、企業内教育の世界では、かなり名のある人ばかりだった。だが、呼びかけた当人である私は、会発足の直後は、この人たちが名のある人であることさえ知らなかった。この異業種交流会は、私の巨大な情報源となる。会は月に一回、持ち回りでメンバーのだれかが1時間ほど話をして、その後、質疑応答、さらにその後、最寄りの居酒屋へみんなで飲みに行った。メンバーの話が一巡すると、メンバーの紹介でだれかを呼んで話をしてもらった。外部から来てもらうときには、タダというわけにはいかないので、飲み代だけはメンバーで持った。

この会は、当然ながら事務局である私が圧倒的に若い。私にとっては学ぶことばかりであったし、多少のヘマはみんなが大目に見てくれた。このメンバーの物心両面の助けがなければ、今日の私は存在しない。そのくらいの恩義がある。この社員教育研究の異業種交流会は、足かけで4~5年ほど続いた。私の仕事量が急激に増えるに従い、結局、自然消滅のような形で終わってしまったのは、本当に申し訳ないと思っている。だが、その後も何年かに一度、かつてのメンバーが集まって当時をなつかしむOB会のようなことを開いていた。

会社としては、この会から人材育成・社員教育関連の本が出ればいいくらいに思っていただろう。当時は、人材育成・社員教育の本も売れ筋であった。実際のところ、本は2年に1冊くらいしか出版できなかった。だが、この当時のメンバーの多くは、リタイア後にビジネス書の作家となって活躍している。私のマネジメント知識のベースは、この異業種交流会にある。ここで聞き、学んだことは、その後、経営者と話をするときに大いに役立った。ど素人も、4年も第一線の人たちの謦咳(けいがい)に接していれば、すこしは様子がわかるようになるものだ。

経営者から学ぶチャンスを得る

異業種交流会を始めて3年ほど経つころ、当時、私は若い経営者と知り合う機会が増えた。彼らは、いわゆるベンチャー経営者である。異業種交流会でも、取材先でも、年上ばかりを相手にしていたが、ベンチャー経営者は全員私より若い。私も30代になっていた。

私は、若い彼らからも学んだものがある。それは周囲にいるだれからでも学ぼうとする彼らの姿勢だ。年若い彼らは、だれに対しても低姿勢で学ぼうとしていた。たとえ相手が社員であったとしてもだ。無論、ベンチャー経営者全員がすべてそうだったわけではない。だが、成功した経営者はほぼ例外なくそうだった。

ところが、そんな彼らも経験を積み、会社が上場するようになると、美点であった「周囲から学ぶ」という姿勢は徐々に薄れていった。人間とはそういうものだと教えてくれたのも、また彼らであった。私は彼らの本を手掛けた。本の出版は、彼らの会社の売上にもかなり貢献したらしい。出版のもうひとつの側面であるブランディング効果を実感できたのは、彼らの本を手掛けたからだ。

そうこうしているうちに、やがて日本経済はバブル景気に突入する。その頃は、私の会社の本も資産活用のテーマが増え、表紙に金色が目立つようになった。日本経済がバブルのピークに向かっていった昭和の終わり、私の会社はある金融機関と事業提携をした。いまでいう「総研」を金融機関が設立し、その情報ソフト(マネジメントの情報と出版物制作)を、私の会社が担当するという共同事業である。

私はこの総研事業に関わることになり、金融機関の人たちと仕事をすることになる。総研では、定期的に取引先企業の経営者の懇談会を開いていた。私はこの懇談会で数100人の経営者と知り合い、彼らから多くのことを学んだ。この懇談会が、人材育成・社員教育の異業種交流会に次ぐ、私にとっての第二の情報源である。

この懇談会では、第一回目に忘れられない思い出がある。ときはバブルのピークである。投資話は株式、為替、土地、リゾートなどいくらでもあった。経営者には、その他にも相続対策として変額保険やレバジット・リースなど、際物に近い金融商品が持ち込まれていた。世の中全体がそんな話で盛り上がっていた頃である。

私は、最初に参加した懇談会でそんな話ばかりしていた。だが、ある経営者で、地域の名士でもある老舗の木材工務店の社長は、私の話に不愉快そうにしている。金融機関主催の懇談会なので、社長は露骨に怒り出すことはしない。しかし、はっきりとこう言われた。

「儲け話などこの場に必要ない。会社は誇りを持った職人が誇りの持てる仕事をするところだ。社員に誇りを持たせるのが社長の仕事、片手間でやっている投資の話など必要ない」と厳しく一喝された。

経営は正道を歩むべきだという、この社長の話は耳に痛かった。しかし、社長の言うことは正論である。当時、金融機関との共同事業でバブルにうわついたテーマに進みかけた私は、あえて地味な人材育成の方向へテーマを戻し、この社長に納得してもらえるような仕事をしようと決心したのである。

以下は次回。

 

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プロフィール

ミスターX
ミスターX

ビジネス雑誌出版社、および大手ビジネス書出版社での編集者を経て、現在はフリーの出版プロデューサー。出版社在職中の25年間で500人以上の新人作家を発掘し、800人を超える企業経営者と人脈をつくった実績を持つ。発掘した新人作家のうち、デビュー作が5万部を超えた著者は30人以上、10万部を超えた著者は10人以上、そのほかにも発掘した多くの著者が、現在でもビジネス書籍の第一線で活躍中である。
ビジネス書出版界の全盛期となった時代から現在に至るまで、長くビジネス書づくりに携わってきた経験から、「ビジネス書とは不変の法則を、その時代時代の衣装でくるんで表現するもの」という鉄則が身に染みている。
出版プロデューサーとして独立後は、ビジネス書以外にもジャンルを広げ文芸書、学習参考書を除く多種多様な分野で書籍の出版を手がけ、新人作家のデビュー作、過去に出版実績のある作家の再デビュー作などをプロデュースしている。
また独立後、数10社の大手・中堅出版社からの仕事の依頼を受ける過程で、各社で微妙に異なる企画オーソライズのプロセスや制作スタイル、営業手法などに触れ、改めて出版界の奥の深さを知る。そして、それとともに作家と出版社の相性を考慮したプロデュースを心がけるようになった経緯も。
出版プロデューサーとしての企画の実現率は3割を超え、重版率に至っては5割をキープしているという、伝説のビジネス書編集者である。

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