結局、低姿勢こそが最強のビジネススキルである

「大切な人とケンカし、それ以来ずっと疎遠に……」そんな経験をした人に読んでほしい話

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そして、雪が降り積もる越後湯沢にて

そんな中、嶋氏が『広告』の編集長を後任に譲ることになった。2005年になったばかりの話だ。一緒に編集をしていた女性のA氏からそのことは伝えられた。そして、彼女はこう続けた。

「それでね、嶋さんが、中川も頑張ってくれたから一度お礼を言いたい、って言ってるんだよ」

予想外の展開だ。私は「えっ、本当ですか?」と言ったら彼女は「うん、本当」と言った。そしてこう続けた。

「すごく良い棚田と温泉が新潟にあるから、そこで1泊2日過ごそうって言っていた。もちろん私も行く」

嶋氏と私が連絡を取ることはなかったが、その当日の夕方、上越新幹線に乗り、越後湯沢駅へ。軽トラックで迎えに来てくれた宿の人は「もうAさんは温泉に行ってますよ。雰囲気の良い共同風呂があるんですよ。中川さんもそちらに行きますか?」と言い、私は直接温泉に行った。するとA氏が出てくるタイミングだったので「じゃあ後ほど」と言い、宿の人は40分後に迎えに来てくれることとなった。

宿に着くとA氏は宿のお母さんと一緒に台所で酒を飲んでいた。どうやらこの日の宿泊客は我々だけのようだ。嶋氏は最終の新幹線で来るという。

「よく来たね。あと、アンタ、色々大変だったね。でも、嶋さんもアンタと会いたがってたよ。今日、3人でじっくり喋ろうよ。お久しぶり、かんぱーい」

こうして我々3人は酒を飲み始めた。窓の外では雪がシンシンと降り積もり、山奥の里山は静寂に包まれていた。そこでなんとなく「戦友」的な存在のA氏としみじみと語り合った。宿のお母さんは空気を察し、「私はもう寝ますかね。ご自由に何でも飲んで食べてくださいね」と言って台所を出た。

そして、最終の新幹線で嶋氏はやってきた。すでに風呂には入っているという。昔だったら「嶋さーん!」「おぉ、中川、ビール飲んでるか!」といった会話になるが、この時は「あ、スイマセン、お久しぶりです」と私は目を合わせられずに言った。

嶋氏は「おぉ、お久しぶり。元気だった?」とだけ言った。

「はい、元気でした」

「よく遠くまで来たね。いいでしょ、ここ?」

「いいですね。久しぶりに東京から出て心底ほっとしました」

そこでA氏が「まぁまぁ、まずは飲みましょうよ」と3人での宴会が始まった。22時頃に開始し、3時まで続いたと思う。何を話したかはまったく覚えていないのだが、この会により、嶋氏と私の縁は戻った。A氏も我々の状態については心を痛めており、なんとか復活させようと骨を折ってくれたようだった。

そして、約2年ぶりに会った嶋氏はいつも通り飄々としており、そのブランクを感じさせない感じで、いつものように様々なトリビアを語った、のだろう。多分そうだ。

翌日、起きたらもう嶋氏はいなかった。朝早くから会議があるのだという。私はもう一度温泉に入り、その日の午後、東京に戻った。

復縁した師弟関係の、それから

以後、嶋氏と私は頻繁に会うようになる。

家が近かったというのが主だが、他にも理由があった。同氏はこの1年後に「博報堂ケトル」という会社を作るに至るのだが、果たしてこの会社を設立し、共同CEOに就任すべきかどうか迷っているのだという。

夜12時などに電話が来て、「中川、今から飲める?」と言われる。「行きますよ!」と私は答え、代々木上原のバーで朝まで飲んだ。会話は毎度「オレ、この話受けるべきかなぁ」「オレ、この仕事できるかなぁ」という嶋氏の逡巡に対し、「嶋さんなら大丈夫っすよ!」や「嶋さん、本当はもうやるべきだ、って分かってるんでしょ? だったらやりましょうよ!」などと私は答えていた。

結局、博報堂ケトルは2006年4月に誕生し、当時博報堂が入っていた東京・田町のグランパークタワーで設立記念パーティが行われた。その会で嶋氏は非常に高揚しており、楽しそうだった。

そして、私が「おめでとうございます!」と話しかけたら握手をしてくれ「いやぁ、あの時、しょっちゅう深夜に呼び出してごめんね。なんとか会社、できたよ、ありがとう」と言った。

あれから13年、自分にとっての「師匠」として嶋氏はますますの活躍を見せている。私に様々な仕事を振ってくれたし、毎年行っているPRのゼミでは、講師もやらせてもらっている。毎年京都で「ビジネス合宿」を嶋氏とケトルの原氏とやるようにもなった。

そんな男の出世の様をこの13年間見させてもらえたことに感謝するとともに、一度縁が切れた時、「あいつとの縁をこちらから復活させよう」と考えてくれたことに本当に感謝している。結局、人の縁が自分の人生を切り拓いてくれるのだから。

もしも今後、縁が切れた人がいた場合、自分が年上であろうともその人のことが気になるのであれば、自分から声をかけるつもりである。

そう、36歳だった嶋氏があの時やってくれたように。

 

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プロフィール

中川淳一郎
中川淳一郎

1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。ライター、雑誌編集などを経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『縁の切り方 絆と孤独を考える』『電通と博報堂は何をしているのか』『ネットは基本、クソメディア』など多数。

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