
子どものしつけ、どうしていますか?
先日SNSで、ある芸能人が子どもが新幹線で走り回って大騒ぎしている様子をアップして、「好き勝手させるのが我が家流」とコメントして大炎上しました。「しつけがなっていない」「非常識」「ダメな親」と非難ごうごうでした。
また別の芸能人が、食品スーパーで会計前のお菓子を袋を開けて食べ始めてしまった子どもの様子を面白がってアップしたところ、「買っていない商品を食べてしまうのは、盗みと一緒。それを教えないのは親の怠慢」と大批判を受けていました。
その他にも、居酒屋で走り回る子どもを注意しない親に、赤の他人が「ちゃんとしつけなさい」と注意する動画がバズったり、電車の中で赤ちゃんが泣き続けるのを見て「子どもが泣きやまないのに電車に乗せるなよ」と批判する投稿が人気を集めたりなど、世間は「しつけ」に対して厳しい目を持っているようです。
一方海外では、子どものすることに温かい目線があるようで、海外在住のとある日本人歌手は、「日本とフランスで育てやすさがまったく違う」と言っていました。たとえば、電車の中で子どもが大騒ぎしても、「子どもは元気に騒ぐのが仕事よね」という感じで、声をかけてくれたり、泣いていても気にしない人たちが多いのだとか。
皆さんは、子どもにはのびのびと制限をかけず自由にさせるべきだと思いますか? それとも、しっかりと社会のルールを教え、守らせるべきだと思いますか?
我が家でも、しつけの問題は、妻と私でかなりの認識ギャップがありました。
私は、子どもが泣いたり騒いだりすることはむしろ自然なことで、それに対して寛容ではない現代日本人に問題があるのではないか、というくらいのスタンスでした。
子どもの可能性を抑制するようなことはしたくないし、田舎であれば子どもは大自然の中で、世間の迷惑を気にすることなく、大いに声を出し、大いに体を動かし、元気に飛び回って育つのだから、都会に住んでいるからといって周りの目を気にして、子どもらしい表現をする自由を奪うべきではない、というのが私の主張です。
それに対して妻は、不快に思う人がいるのだからなるべく不快にならないようにできることはしようよ、という立場です。妻からすると真逆に考える私は、デリカシーがなく図々しい人間である、とバッサリやられてしまうのでした。
子どもはきちんとしつけたほうがいいのでしょうか。それとも、大人がもっと寛容になり、のびのびと制約のない幼少期を過ごしたほうがいいのでしょうか。
その問いに対する答えについて、研究されているデータによれば、正しいのは妻でした。
しつけはするべきであるというのは、すでに証明されていることだったのです。
テレビ番組を見ていたら面白い特集をしていました。東大生に聞く「東大生の親は、どういう教育をしていたのか?」というテーマです。東大に合格した学生に、「親からどんな育て方をされたんですか?」という、世の親が誰しも知りたいであろう質問をしたら、興味深い事実が浮かび上がってきました。
東大に合格した学生の大半は、親から「ある言葉」を言われたことがないというのです。
この「ある言葉」を考えてみてください。親であれば子どもについつい言ってしまう言葉なのですが、なんだと思いますか?
正解は、「勉強しなさい」です。
東大は日本でも最難関の大学ですから、勉強をしないで合格することはできません。したがって、めちゃくちゃ勉強をするわけですが、東大に合格するほど勉強をする学生の親は、「勉強しなさい」と言ったことがないというのです。
東大に多数送り込んでいる大学受験の予備校の講師もこの結果に頷いており、東大生の親は「勉強しなさい」と言っていないというのは、どうやら事実のようでした。
しかし、ではどうして「勉強しなさい」と言わずに勉強する子どもを育てることができたのか。その塾講師の考えを私なりに整理すると、次のようなものです。
勉強のように子どもが取り組む課題は、MUST・CAN・WANTに分けることができます。
MUSTはやるべきこと、CANはできること、WANTはやりたいことです。
多くの親は、子どもにとって勉強がWANTとなり、「勉強がしたい!」と思ってくれるようになることを求めますが、それを求めるのは非常に難しいことです。子どもが何もせずに、勉強したいとWANTがわき上がるなんてラッキーはありえないわけです。
東大に入れる家庭の親はどうしているかというと、じつはMUSTを重視しています。
たとえばレストランに行って、小さな子どもにWANT(何がやりたいか)を聞いたら、正直に話してくれるかどうかさておき、その内心では「騒ぎたい」とか「走り回りたい」とか思っているはずです。そこで、東大生の親はMUSTを教えます。「レストランは会話する場所だから、騒いだら会話ができなくなるでしょ。だから我が家では、レストランでは、走り回ったり騒いだりしてはいけないんだよ」と教えるわけです。このMUSTを伝えることが、いわば「しつけ」です。
東大生の親は、何をするべきで、何をするべきではないか、家族のルールをMUSTとして教えて、徹底させているそうです。
MUSTを教え、それを守らせたあとは、CANに注目します。
たとえば子どもが昆虫に関心を持っていたら、本棚に昆虫の本を忍ばせておきます。そして子どもがその本を引っ張り出して読んだら、「昆虫の本を読んでいるんだ、すごいね!」と褒める。すると子どもは喜んで、「もっと読みたい」「もっと知りたい」というWANTが生まれるのです。
CANが増えるたびに褒められると学ぶのが楽しくなり、「勉強したい!」というWANTが育っていく、というメカニズムです。
この、MUST→CAN→WANTの順番は、大人を動かすときにも同じことが言えます。
ビジネスの現場でも強い組織は、MUST基準が高いのです。
たとえば飲食店で言えば、お客様が入店した際に、「元気で明るい、ウェルカム感あふれる挨拶をする」というのは、とても大切なことです。入店時のお出迎えの印象で、お客様の満足度も大きく変わりますし、リピート率にも影響します。うちのお出迎えは、こういう声の大きさで、こういう表情で、こういうしぐさでウェルカム感を表現するのだ、というMUSTを教え、新人にも徹底させられているお店のサービスレベルは高くなります。
ここでこのMUSTに根拠はいりません。ただ従ってもらうのです。無理やり理由付けしようとしても、最近は理屈をこねることに長けている人もいますから、「私は挨拶をする意味がわかりません」「私はそんな挨拶をされたらイヤです」とかいろいろ言われてしまいます。
子どものしつけも同様で、家族のMUSTは夫婦で合意していれば、根拠なく求めて問題ありません。
朝何時に起きるかとか、人と会ったら挨拶するとか、お小遣いはいくらかとか、YouTubeを1日何時間見ていいのかとか、携帯電話を持つかどうかとか、塾に行くのかどうかとか、夫婦で決めて、強引に「うちはうち、よそはよそ」とします。根拠を付けようとしても埒があきません。「うちのルールはそうなんだ」とMUST基準として伝えることが重要です。
そのうえで、MUST基準を守れていたら、他のことはどんどん褒める。CANを増やす。そうすると、子どものWANTが育っていくのです。