2021東京ヤクルトスワローズ 高津流 燕マネジメント

僕もチームも「勝利」だけを信じて戦った――
M3の大敗から優勝の瞬間まで、高津監督が見ていたもの

「グラウンドでは決して泣くまい」と決めていた

――そして、ついに歓喜の瞬間を迎えます。この時点ではすでに三塁側ベンチに待機して、胴上げの準備もできていました。優勝が決まった瞬間、瞳が潤んでいるようにも見えました。感極まる思いもあったのでは?

高津 もちろん、ウルッとはきました。でも、僕は昔から「絶対に泣かない」と決めているんで、「泣いちゃいかん」という自分もいましたね(笑)。決して醒めているわけじゃなくて、嬉しくて仕方ないんだけど、割と冷静にその瞬間を迎え、冷静に胴上げに臨めたと思います。

――現役時代から「泣くまい」と決めていたんですか?

高津 そうです。「嬉し泣きはこれで終わりにしよう」と決めたきっかけがあるんです。

――それは、いつのことなんですか?

高津 1993(平成5)年の日本シリーズ第7戦の後です。野村克也監督の下で初めて日本一になったあの日、僕は恥ずかしいぐらいに泣いてしまいました。このとき、「嬉しいことでグラウンドで涙を流すのはこれで最後にしよう」と決めたんです。同時に「優勝したときは笑っていたい」と思ったんです。

――93年11月1日、王者西武を撃破して野村ヤクルトとして初の日本一に輝いたあの日。当時24歳の高津さんは胴上げ投手となりました。あの日以来の「決意」だったんですね。

高津 「決意」というほど大げさなものではないけど、僕はその後も何度か日本一になったし、独立リーグの監督時代にも日本一になりました。すごくいい思いをさせてもらったけど、一切泣いていないと思います。僕はどちらかというと、「勝って、みんなで爆笑して喜び合いたい」という考えなんです(笑)。

――さて、11月10日からは、いよいよクライマックスシリーズファイナルステージが始まります。対戦相手が阪神になるのか、巨人になるのかはまだ未定ですが、短期決戦の戦い方、心得があれば教えていただけますか?

高津 短期決戦というのはすごく難しくて、一番大切なのは「乗り遅れないこと」だと思うんです。バッターなら最初の打席にヒットが一本出たり、ピッチャーなら登板してすぐにアウトが取れたり、とにかく「しっかりといいスタートを切る」ということがポイントだと思っています。短期決戦はスタート勝負。その考えで、全力で臨みたいと思います。

――最後に、多くのヤクルトファンへのメッセージをお願いします。

高津 少し遅くなりましたが、ファンのみなさん優勝おめでとうございます! 昨年、一昨年と悔しい思いをさせてしまいましたが、みなさんの熱い気持ちはしっかりと届いていました。本当にありがとうございました。これから、さらに厳しい戦いは続くけど、引き続き応燕をよろしくお願いいたします!

 

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プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

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