2021東京ヤクルトスワローズ 高津流 燕マネジメント

絶対に掴み取りたい20年ぶり日本一の座
初戦、初回、初球それぞれの「1」を大事に行く

「野村監督ならどうするかな?」と、しばしば考えた

――さて、監督が考える「ペナントレースのMVP」は誰でしょうか?

高津 みんな頑張ってくれたけど、強いて言えばベテランの二人、青木(宣親)と石川(雅規)ですかね。彼らが選手間のつながりを本当によくしてくれていますね。ベテランですけど、若い子と同じ目線で一緒に考えることもできるし、日本人だけれども外国人選手と積極的にコミュニケーションを図ってくれるし。チーム内の年齢、国籍の壁を取っ払ってくれたのは、青木であり、石川なのは間違いないですね。

――監督自ら青木、石川両選手に対して、「若手、外国人選手を頼むぞ」と声がけをしたことはあるんですか?

高津 もちろん、僕が頼んだわけじゃないです。でも、そういうことができるからこそ、この年齢まで現役を続けることができているんだと思いますね。何歳になっても、自分自身の野球を楽しみつつ、チームの中心的存在としての意識も忘れない。彼らの存在は、監督としてとても頼りになります。

――野村克也元監督の死から一年以上が経過しました。今シーズン、野村さんのことを意識されることはありましたか?

高津 自分では特に意識しているつもりはなかったけど、気がつけば「こんな場面、野村監督ならどうするかな?」と考えることは何度かありましたね。もし、生きていらしたら「ちょっと聞いてみたいな」と思うこともありましたね。

――それは、いわゆる「野村ノート」に書かれていないことなんですか?

高津 書いてあることももちろんありましたけど、改めてご本人の言葉で「ここはどうですか? あれはどうなんですか?」と質問したかったですね。今までは「監督と選手」という立場だったけど、今は「監督と監督」としての対話がしたかったです。

――それは戦術的なことですか? それとも用兵的なこと、あるいは組織のまとめ方ですか?

高津 戦術ももちろんだし、組織論ももちろんです。仮に今もご存命だったら、シーズン中であっても、会いに行っていたかもしれないですね。でも、実際にそうすることはできなかった。だから、行き当たりばったりになってしまったこともあったし、答えを探しながら手探りで進んでいったこともありました。結果的にうまくいったことも、全然だったこともあったけど、すべてが勉強だと思っています。

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プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

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2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
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