近年でも、ALPS処理水の海洋放出を巡って「汚染水」などの喧伝が繰り返されてきた。海洋放出開始後は迷惑電話が福島県内の飲食店に1日1000件を超えて殺到し、行政窓口にも心ない言葉が届いた。その一部は今も続いている。しかも、これらの加害者は責任を問われることもなく、社会的な立場を失うことも無かった。
こうした「事あるごとに理不尽に叩かれた」「一方的な独善をぶつけられ、話が全く通じない」「社会が加害者を抑制せず泣き寝入りさせられた」経験の反復は、少なからぬ行政のトラウマになっている。結果、「亀のように頭を引っ込め嵐が過ぎ去るのを待つ」対応が常態化した一面もあるのではないかと推察する。
ただし筆者個人としては、これに「理解」はしても、同情は全くしない。子ども達を護るべき立場にある大人が電話1本に屈し、本来の主役に背を向けたからだ。
服部教育長は「1本でもそういう電話があった以上、何とかしたいと思った」と言うが、卒業の日に赤飯を楽しみにしていた2100人以上の子どもたちは、その意思決定の土俵に上げてすらもらえず透明化された。さらに赤飯の廃棄、無駄な非常食の使用、非常食の補充、そして代替品にかかる費用も全て、結局は市民の負担によって賄われる。
こうした事態がなぜ起きたのか。それは担当者個人の判断ミスに矮小化できる問題ではない。その深層にある構造的な課題──15年間の「風評対策」の欠陥に着目する必要がある。
今回の問題は、福島の風評加害対策が15年間にわたって犯し続けた構造的誤りの副産物が露呈した事例とも言える。前述したように、福島は苛烈な「風評加害」に晒されてきた。その一方で、県や自治体はそれらの矢面に立つことを極度に恐れ、風評が発生・長期化する原因に正面から向き合うことを避けてきた。加害者から目を背け、「正しい情報が足りない」「丁寧に情報発信すればわかってもらえる」かのような前提を疑わない「風評対策」に終始した。(『原発事故「風評被害」で流出する国富!得をしている「風評加害者」の存在、対策不足は福島だけの問題ではない #知り続ける』)
その代償として、矢面に立たされ続けたのは現場に生きる農家・漁業者・飲食店経営者・子どもたちだった。たとえばALPS処理水放出後に嫌がらせ電話の標的にされた飲食店経営者が、「汚染水」と喧伝してきた政治家に説明責任を求めても無視され、メディアにも「報じるのは難しい」と透明化され続けた。
今回の件を先行して報じた記事では、給食の廃棄を決定したのは教育委員会であるにもかかわらず、生徒へのプリントの連絡先には「学校給食共同調理場」の名前と電話番号が記されていたという。さらに、ネットでは「食べて応援を続けてきたが、風評加害に屈し食べ物を粗末にしたのでもう応援しない」に類した言葉も見られ、地域や住民に対する県外からの視線にも影響を与えている。またしても、現場が矢面に立たされている状況と言えるだろう。
また、これまでの「風評対策」として、明るい話題や地域の魅力といったポジティブな話題ばかりを発信してきたことで、申し立て対応の経験不足にも繋がったのではないか。情報発信を妨害するデマや風評加害などの暴力から目を背け、理不尽に対しては頭を引っ込め「反論しない」「無視してやり過ごす」無抵抗と逃避を経験として積み重ねてきた帰結が、安全性とは無関係な個人からの電話たった1本で給食2100食を急遽廃棄するという極端にバランス感覚を欠いた脆弱さで現れた。問い直されるべきは、その矛盾を生み出した15年間の設計そのものだ。