40歳「実話怪談」をメジャーにした男の大逆転人生

実話怪談ブームの立役者的存在である吉田悠軌さん。どのような経緯で怪談・オカルトにハマり、それを職業にするようになったのか?
これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむが神髄を紡ぐ連載の第95回。

実話怪談ブームの立役者的存在

昨今、実話怪談がブームになっている。

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さまざまな人が本当にあった怖い話を語って競い合うショーレースが開催されているし、実話怪談をテーマにした書籍もたくさん発売されている。

また、YouTubeなどの配信メディアで、実話怪談を語る若者も増えている。

吉田悠軌さん(40)は、そんな実話怪談ブームの立役者的存在だ。

吉田さんは2005年から怪談サークル「とうもろこしの会」を立ち上げ、怪談業界を盛り上げてきた。

怪談・オカルト研究家を名乗り『恐怖実話 怪の残滓』(竹書房)、『禁足地帯の歩き方』(学研プラス)、『一行怪談』(PHP研究所)など、多数の怪談本・オカルト本を出版している。

今年の3月に上梓した『一生忘れない怖い話の語り方 すぐ話せる「実話怪談」入門』(KADOKAWA)では、実話怪談の歴史を客観的な目線で追いつつ、実話怪談に興味を持った若者が

「実話怪談はどのように取材するのか?」

「実話怪談はどのように話すのか?」

などを学ぶことができる1冊になっている。

吉田さんはどのような経緯で怪談・オカルトにハマり、それを職業にするようになったのか?

KADOKAWAの会議室で話を聞いた。

吉田さんは東京都八王子市の長房団地周辺の公営住宅に生まれた。

「私の両親はかなり経済的に厳しい環境で育ったそうです。父は母子家庭なんですが、祖母が妊娠中に祖父が逃げちゃったらしいんです。父親が中学生のときに、祖父が北海道でのたれ死んでいたのが発見されたそうです。いつか父親に詳しい話を聞いてみたいと思ってます」

両親はともに地方公務員であり、とても真面目な生活をしていたので、経済的には問題なかった。

吉田さんが物心ついたころには、公営住宅から高尾のニュータウンに引っ越した。

「その後、公立小学校、公立中学校と進学したんですが、学内には柄の悪い生徒も多かったです。1世代前までは暴走族もいました。

ただ私が住んでいたニュータウンは、いい言い方をしたらとても平和な、悪い言い方をしたら面白みのない街でした。いい大学を出て固い企業に入った知人が多いです」

その頃から、吉田さんは実話怪談を好きだったのだろうか?

「実は全然好きじゃなかったんです。3歳上の姉がいて、彼女が読んでいた『ホラーM』『ハロウィン』(どちらも少女向けホラー漫画雑誌)を盗み見ていましたけど、それくらいでした。

実話怪談の元祖的な存在の稲川淳二さんももちろん知ってはいましたけど、ただの一視聴者にすぎなかったですね。

小学校の頃から勉強はできました。いい大学に入って、その後大学院に行くか、シンクタンクへ進むなどし、社会の表舞台で活躍するのが夢でした」

吉田さんは、中央大学附属高等学校に進学した。ほとんどの生徒が中央大学へ進む高校であり、また制服がないなどとても自由な校風でも知られていた。

「学内にすごく大きい図書館があったのも魅力の1つでした。先生には『授業中は本を読みます』と宣言して、本当にずっと本を読んでいました。映画サービスデーには学校に行かずに映画館に行っていました」

高校時代は演劇と映画にとくに興味があった。吉田さん自ら「演劇愛好会」を立ち上げた。部員は1人で、学園祭ではたった1人で芝居をやった。