●この記事のポイント
・銀座のソニービル跡地に「Ginza Sony Park」開業
・一等地にもかかわらず規模はソニービルより小さく、テナントを入居させず、オープンスペースが多いという異例ずくめ
・コンセプトは「街に開かれた施設」、その名の通り公園という位置づけ。ビルの規模は必ずしも来場者数とは相関しないことが分かり、旧ビルよりも小規模なものに
2017年、銀座・数寄屋橋交差点に面する「ソニービル」が閉館した。同ビルはモダニズム建築を代表するビルの一つとされ、開館中は主にソニーのショールームとして機能した。ソニービルの解体途中、18年から21年までの間は公園として一般向けに公開された。だがその後、公園跡地でビル建設が始まり、25年1月に「Ginza Sony Park」が誕生した。一等地にもかかわらず規模はソニービルより小さく、テナントを入居させていない。しかもオープンスペースが多いという異例ずくめだ。ソニーはなぜ、このようなビルを建てたのか。そもそもなぜ、建設前の3年間は公園としてオープンしたのか。Ginza Sony Parkを運営するソニー企業株式会社の代表取締役社長、永野大輔氏に取材し、同ビルのコンセプトを聞いた。
●目次
旧ソニービルが竣工したのは1966年。地上8階・地下5階建ての規模で、主にソニーのショールームとして機能した。PlayStationを遊べるフロアや、古くはトヨタ自動車のショールームが置かれたこともあったようだ。白を基調とした色合いで、外観はコンクリートやガラスで構成される。工業材料を使い、木材などを見せない「モダニズム建築」の一つとされる。だが、解体途中で、冒頭の通り3年間は公園として開放した。下記3点の理由があると永野社長は話す。
(1)建て替えのプロセス自体をユニークにしたい
(2)50年お世話になった銀座への恩返しをしたい
(3)新ビルのための検証実験をしたい
「1点目は、”ソニーらしく”ユニークなプロセスで解体したいという狙いがありました。2点目はソニービルが50年間お世話になった銀座に対する恩返しという意味合いです。銀座には公園が少なく、休憩できる場所が少ないなかで、公園として開放することは街にも価値があるのではないかと考えました。3点目は、新しいビルを建てる前に実験をしておきたかった。ショールームではなく公園というコンセプトで場を運営した場合、どの程度の集客力や満足度があるのかなどを検証する目的がありました。」(永野社長)
オープンな公園として開放した後、新たに「Ginza Sony Park」が誕生した。新ビルは地上5階・地下4階建ての規模で、旧ソニービルよりは規模が小さい。そしてビル内はテナントがなく、オープンスペースが多い構造となっている。地下3階に自社運営のレストランがあるが、それ以外に店舗は入っておらず”空き”が多い。商業的に言えば一等地を有効活用できていないとも言えるが、敢えてそうしたようだ。
「Ginza Sony Parkのコンセプトは『街に開かれた施設』であり、その名の通り公園と位置づけています。公園には余白が大切です。余白があるから休憩もできるしアクティビティもできます。来るたびに変わり続ける公園でありたいからこそ、テナントはいらない、と考えました。また、3年間の実験を経て、来場者数は閉館前の旧ソニービルよりも街に開かれた公園の方が多いという結果が得られました。フロア数が多いことは必ずしも来場者数とは比例しないことが分かり、低層な建物にすることができたのです」(同)