だが、この魔法には代償がある。海外への窓口が一本化されるほど、評価軸も一本化される。つまり「世界で見られる作品」ではなく、「アルゴリズムに拾われる作品」へと制作思想が寄っていく。
「Netflixの成功モデルは“世界普遍”に見えて、実は“世界共通の消費耐性”に最適化されています。国ごとの文化的な尖りが、制作段階で削られていくケースが増えています」(同)
かつて韓国映画が強かったのは、社会の矛盾、階層、暴力性、情念といった“濃度の高いローカル”を、普遍的な物語に変換する力だった。その原点が、産業構造の変化によって揺らいでいる。
観客の行動変容も、劇場離れを加速させている。韓国の映画鑑賞料金は約1,600円前後。加えて予約の手間、移動時間、混雑、そして「つまらなかったら損をする」という心理的コストが乗る。
一方でNetflixは、映画1回分と大差ない月額料金で無限のコンテンツを提供する。面白くなければ即座に離脱し、別の作品へ移ればよい。視聴者にとっては、コスパもタイパも圧倒的に良い。
この比較において、劇場体験は“贅沢品”へと追い込まれた。問題はここから先だ。
贅沢品は、所得格差の影響を強く受ける。つまり、映画館が「万人の文化」から「一部の趣味」へ変質する瞬間、産業の市場規模は不可逆に縮小してしまう。
「今の若年層は『失敗に時間を払わない』傾向が強い。劇場は“失敗コストが高いメディア”になりました。劇場が勝つには、『失敗しない保証』か『失敗しても満足できる体験』を設計するしかない」(同)
だが、体験価値の設計には投資がいる。投資には市場の見通しがいる。市場の見通しには観客がいる。ここでも循環が壊れている。
ここまで見てきたように、韓国映画界の危機は作品数の減少ではない。より根深いのは、映画産業の中核が、次のような構造に書き換えられてしまった点である。
・投資家は劇場映画を避け、プラットフォーム型へ移動する
・クリエイターは収益の安定を求め、OTTへ流れる
・劇場は縮小し、新作の出口が塞がる
・新人が育たず、作品の多様性が失われる
・文化的厚みが薄れ、“当たる型”だけが残る
この状態は、単なる不況ではない。産業が“自己再生産できない”状態であり、だからこそ「絶滅危機」と表現されるのだ。
日本は「対岸の火事」なのか。結論から言えば、そうではない。日本でもNetflixによるクリエイター囲い込みは進み、劇場離れは進行している。現時点で韓国ほど急激に崩れていないのは、いくつかの“防波堤”が働いているからだ。
代表例が製作委員会方式である。複数企業が出資することでリスクを分散し、映画単体の失敗が即座に企業倒産に繋がりにくい。また、日本はアニメ作品が劇場の集客力を支えている。劇場の経営基盤が完全に崩れていない背景には、アニメという強いコンテンツ資産がある。
しかし、そのことは逆に、日本の実写映画が脆弱であることも示唆する。劇場の売上を支える柱が“実写”ではない以上、実写のエコシステムは見えにくい形で弱体化していく可能性が高い。そしてもし、実写の制作がプラットフォーム依存へ傾き、IPを持たないまま制作だけを担う下請け化が進めば、日本映画の自律性もまた損なわれていく。
「制作が潤っているように見えても、IPが外に流出していれば産業は痩せていきます。日本は今、アニメの成功がある分だけ“問題が見えにくい”段階にいます」(同)