「免税対応のデジタル化は、店舗オペレーションの観点で見れば、レジ周りのコストを劇的に下げる取り組みです。紙とハンコの文化が色濃く残る日本の小売現場において、これが”当たり前”になるまでには時間がかかりますが、外国人富裕層を取り込むには不可欠な投資です」(湯浅氏)
(2)言語の壁を突破するモバイルオーダーとAI翻訳
飲食・宿泊の現場で最大の摩擦を生んでいるのは、依然として言語の問題だ。注文ミス、アレルギー対応の不備、要望の聞き取り違いは、口コミ評価に直結する。飲食・宿泊の現場で最大のボトルネックとなってきたのが言語と人員の問題であり、多言語対応モバイルオーダーシステムが実用的な解を提供しはじめている。Wovn Technologies(ウォーブン・テクノロジーズ)のような多言語対応プラットフォームは、ウェブサイトやアプリの多言語化を低コストで実現し、小規模事業者にも活用の門戸を開く。
注目すべきは、これらのツールが言語対応に留まらず「生産性向上策」として機能している点だ。24時間365日対応が自動化されることで、慢性的な人手不足を抱えるホテル・旅館のフロント業務が大幅に効率化される。限られた人員をより付加価値の高い接客に振り向けられるという発想の転換が、テクノロジー導入の本質的な意義といえる。
(3)動態ビッグデータによるマーケティングの精密化
「感」に頼った観光誘致から「データ」に基づくターゲティングへの転換も、着実に進んでいる。Vpon JAPAN(ヴィポン・ジャパン)などが提供するビッグデータ解析サービスは、訪日外国人の行動データを集計・分析し、「どの国の旅行者が、どのエリアで、いつ、何に消費しているか」を可視化する。観光政策アナリストは「データが観光計画のPDCAサイクルを変えた。勘でやっていたことが根拠を持って検証できるようになった」と語る。自治体や観光DMOが予算配分をエビデンスベースで見直せる環境が整いつつある。
インバウンドテックの市場が活況を呈する背景には、「日本特有のペインポイント」が大きな商機に転じるという逆説がある。
キャッシュレス化の遅れ、複雑な免税ルール、多言語対応の圧倒的な不足——こうした課題が山積している業界ほど、テクノロジーによる解決価値は高い。既存の大手SIer・IT企業に加え、観光特化型スタートアップが続々と参入するのは、この「解決余地の大きさ」を市場が評価しているからだ。業種を問わず、訪日外国人に対応するためにはデジタル化・キャッシュレス対応・多言語対応といった受け入れ基盤の整備が不可欠であり、旅行中の情報収集から予約、決済に至る全プロセスがデジタル化の対象となることで、プラットフォーム化の動きも加速している。
2030年の消費額15兆円目標を実現するには、訪日客数の単純な拡大だけでなく、質的向上が欠かせない。その文脈で、インバウンドテックに課せられた役割は大きく二つある。
一つはオーバーツーリズムの抑制だ。AIによる混雑予測を活用し、リアルタイムで周辺の代替スポットへクーポンやプッシュ通知で誘導する取り組みが、国内の複数観光地で実証が始まっている。データで人の流れを「設計」する発想は、住民との共生という持続可能性の観点からも重要だ。
もう一つは旅後(タビアト)戦略への展開だ。帰国後も越境ECを通じて日本の商品を買い続けてもらう仕組みは、一人当たりの顧客生涯価値(LTV)を高める。店舗で体験した商品をオンラインで購入して自国へ配送する「手ぶら観光」のニーズが高まっており、店頭QRコードによる多言語情報提供と越境ECサイトへの誘導を組み合わせたOMO戦略が広がっている。旅行消費は、旅中だけで完結しない時代になりつつある。
インバウンド対応は、もはや観光業だけの課題ではない。小売、飲食、交通、医療、金融——あらゆるサービス業において、外国人顧客へ対応できる体制はグローバルスタンダードへの適応を意味する。テクノロジーの活用は「コスト」ではなく「高単価・高効率なビジネスモデルへの投資」として捉え直す視点が、この変化の時代を生き抜く上での本質的な問いになっている。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=湯浅郁夫/観光政策アナリスト)