「移動コストの上昇は、出張の投資対効果(ROI)を厳格に見直す契機になる。結果として、コストに見合うだけの“本当に価値のある移動”に絞り込まれていく。短期的には負担だが、長期的には企業の収益体質を強化する自浄作用と捉えることもできる」(元大手航空会社収益管理部長・航空経営コンサルタントの中村哲也氏)
航空運賃に上乗せされるコストは、日本の消費者行動にも構造的な変化を促している。
アウトバウンド(日本発海外旅行)では、サーチャージの影響を受けにくいLCC(ZIPAIRなど)や、サーチャージ自体が比較的低額な近距離アジア路線へのシフトが観測される。実際、ANAの燃油サーチャージ表を見ると、韓国・台湾・香港など近距離路線は片道7400円〜1万5400円程度にとどまり、欧米路線との差は歴然としている。海外旅行の代替として、国内の高級リゾートへ需要が還流する動きも見られ、これは地方の観光産業にとって追い風となっている。
一方、インバウンド(訪日外国人)需要は依然として高い水準を維持している。日本政府観光局(JNTO)によれば、2025年の訪日外国人数は約4268万人と過去最高を更新し、2026年に入っても米国・ベトナム・英国など複数の市場で単月過去最高を記録する状況が続いている。海外発の旅客にとっては円安によるメリットがサーチャージ負担を大きく上回るため、日系航空会社の国際線需要を下支えしている構図だ。
実際、ANAの2025年度(2025年4月〜2026年3月)の国際線旅客数は前年度比11.8%増の902万人超となった。一方、出入国在留管理庁の速報値によれば、2026年3月の日本人出国者数は前年同月比6.7%増の約152万人にとどまり、コロナ前の2019年同月比では2割以上少ない水準にある。日本人の海外旅行需要が完全には戻りきらない中、訪日需要がそれを補完することで、航空会社の国際線事業全体としては高稼働を維持できているというのが、現状の実態に近い。
「これだけサーチャージを取れば、航空会社は潤うのではないか」という見方は、実態とは異なる。燃油サーチャージは、あくまでシンガポールケロシン市況の価格変動分を事後的に実費として回収する仕組みであり、航空会社の利益(マージン)には直結しない。
むしろ、航空会社は需要減退と燃油ヘッジのジレンマに直面している。運賃の総額が高騰しすぎれば、日本発のビジネス・観光需要そのものの絶対数が減少するリスクがある。とくにマイルを使った特典航空券であってもサーチャージは現金で徴収されるため、ロイヤルカスタマー(マイラー)のエンゲージメント低下を懸念する声もある。
「サーチャージの仕組み自体は、燃料費上昇のリスクを利用者と分担する合理的な制度だ。だが上昇のペースが速すぎると需要そのものが縮小し、結果的に航空会社の収益を損なう“諸刃の剣”になりかねない」(同)
加えて、現在の価格高騰は中東情勢という地政学リスクに起因しており、先行きの予測は極めて難しい。燃油価格の先物ヘッジのタイミングを誤れば、地政学リスクが後退した局面でも割高な調達コストが固定化されるリスクを抱える。なお、2026年6月15日には米国とイランの戦闘終結に向けた合意が報じられており、今後の燃料市況とサーチャージの動向を左右する材料として注目される。
往復13万円という燃油サーチャージの現実は、日本経済に対し、これまでの「安価で気軽な国際移動」を前提としたビジネスモデルからの転換を迫っている。
航空業界にとっては、日本発需要を冷え込ませずに、堅調なインバウンド需要をどれだけ取り込めるかが課題となる。政府は「2030年に訪日客数6000万人」という目標を掲げているが、その実現に向けては、燃料価格の変動に左右されにくい収益構造の構築が前提となる。一方、企業にとっては、デジタルとリアルを組み合わせた最適なハイブリッド体制の構築が、コスト効率と事業機会の両立を図るうえでの鍵となるだろう。
地政学リスクという外部要因に振り回されやすい現状を踏まえれば、短期的な価格変動に過度に反応するのではなく、移動の「質」そのものを見直す機会として捉える視点が、企業・個人の双方に求められている。往復13万円という数字は、日本経済が「移動」というインフラの価値を改めて問い直す、一つの転換点として記憶されるかもしれない。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=中村哲也/航空経営コンサルタント)