路地裏のアン

ねこしゃけ日和

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 真理恵が派遣されている会社は電車で終点の大きな駅まで行き、そこから更にべつの電車に乗り換える必要があった。
 家を出てから着くまで四十五分ほど。もう同じ会社に二年以上勤めている。自分より若い女性が多く、会話にもついていけなくなっていた。
 それでも仕事はきちんとこなし、信頼はされている。しかし友達と呼べる者はおらず、職場でプライベートの話はしなかった。
 派遣ということもあり、職場を転々としてる真理恵は誰かと仲良くなってもしばらくすれば別れることを知っていたし、なにより仕事は仕事と割り切っているため、会話は業務連絡くらいだった。
 そんな真理恵だが今日はこの職場では初めて自分から仕事以外のことを話そうとしていた。そのせいで緊張している。
 昼休みのことだった。今朝遅れると連絡があった女性社員が会社にやってきた。
 松下という女性社員は真理恵を見つけると申し訳なさそうに頭を下げた。
「すいません。子供が熱出しちゃって」
「それは大変ですね。来ても大丈夫なんですか?」
「熱も下がったしもう大丈夫だと思います。お母さんにも来てもらったんで」
 松下は真理恵より十歳も若いがしっかりとして見えた。
 いつもならここで会話が終わるはずだが、今日の真理恵は少し違った。
「えっと、お子さんはいくつなの?」
「え?」松下は少し驚いてから笑った。「三歳です」
「そう。三歳」
 小白はたしか五歳だった。真理恵からすれば三歳も五歳も変わらない。
「その、一つ聞いていい?」
「はい」松下は不思議そうにした。
「今うちで五歳の女の子を預かってるんだけど、その、どう接したらいいか分からないの」
「えっと、今は誰かが見てるんですか?」
「いえ。留守番中よ」
「五歳で留守番できるんですか? すごいですね」
「そうなの? まあしっかりはしてる方だとは思うけど……」
 真理恵はなんだか心配になってきた。だが同時に小白なら大丈夫だとも思った。
 松下は少し考えてから答えた。
「そうですね。結局は一緒に遊んであげることですかねえ。お話聞いてあげたり。子供ってわりと大人のこと見てて、気を遣ったりしますから。なるべく楽しむようにはしてます」
 松下は「疲れてるとそれも難しいですけど……」と続けて苦笑した。
「話を聞く……」
 真理恵は小白から話を聞くことに躊躇いながらも頷いた。
「なるほど……。参考になります。ありがとう」
「いえいえ」松下は楽しそうに笑った。「なんか鈴原さんとこういう話するの新鮮ですね」
 真理恵自身、自分らしくない話題なのは分かっていて思わず照れ笑いを浮かべる。
 それでも話せてよかったと思った。真理恵の方が人生では先輩だが、知らないこともたくさんある。
 新鮮さを感じる反面、真理恵はこの三十五年間、一体自分はなにをしてきたのだろうと思ってしまった。
 子供を持つことはとっくに諦めたつもりだったし、結婚することも同じだった。もしこれから良い人がいたとしても年齢的に出産までは厳しいだろう。
 だけど本人はそれでいいと思っていたし、仕方がないとも思っていた。
 本音を言えば結婚も出産も子育てもしたかった。しかしそういうことを望める環境ではなかったし、望んだとしても真理恵は自分を選んでくれる人がいるとも思ってない。
 手放したはずのそれは、予期せぬ形で手に触れ、真理恵を動揺させた。
 それでもイヤな気持ちではなかった。
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