愛恋の呪縛

サラ

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第98話

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「体に異常は無いようですね、良かったです」



 あれから司雀は、日向の体調を調べていた。
 また突然眠ってしまったのだ、何かが起きてもおかしくは無い。
 そう考えていた司雀は、正直気が気ではなかった。
 しかし、そんな司雀の心配に反し、日向の体は驚くほど正常だった。
 熱もなく、体のだるさも無い。
 悪影響になるようなことは、一切なかった。
 日向も何ともないという表情を浮かべ、少しずつ司雀の緊張と不安を取り除く。

 一通り調べ終え、司雀はホッと胸を撫で下ろした。
 司雀は近くにあった椅子にゆっくりと腰掛けると、改まって日向へと向き直る。



「では日向様。話の続きをしましょう。
 先程の私の説明を踏まえて、何があったのか話していただけませんか?」



 体のこともそうだが、1番気にするべき部分は、このことだった。
 1人庭で鍛錬していた日向に起きた、謎の現象。
 突然開花した力の成長と共に、日向の中に隠された、何者かの力と気配。
 魁蓮から詳しく内容を聞いた司雀は、魁蓮が感じた謎の気配のことを日向に説明していた。
 そして、何があったのかを日向に尋ねる。

 しかし、日向からすれば、訳が分からないのだ。



「いやぁ……何も無かったと思うけど……」

「何も?」

「うん。寝落ちたくらい」

「……そう、なんですか?」



 日向の記憶では、庭で鍛錬をしていたら、いつの間にか寝落ちていた。
 そして、次に目が覚めた時には、なぜか本来の力の使い方を知っていた。
 誰かに教えてもらったわけではなく、ただ自分の頭が、体が覚えていたのだ。

 まあ、無事で良かった、という話にもならない。



「司雀の説明は聞いたけど……ごめん、僕も何が何だか分からなくてさ。一応、何か変わったことは無かったのは確かだぜ?」



 元々、自分の力なんて、ただ偶然恵まれただけのものだと日向は思っていた。
 よくある、おとぎ話の中に出てくるような。
 何か大きないいことをしたから、天が与えてくれたものなのだ、と。
 結局は、そんな感じのものなのではと思っていた。
 自分の力どころか、出生も親も知らない。
 もう、自分に何が起きても不思議ではないだろう。

 その程度の認識、その程度の覚悟だった。
 それが今、新たな形として表れただけ。



「怪我を治すってのは、多分今も変わってない。感覚としては、覚えてるから。
 問題は、花を咲かせられるようになったことかな」



 基礎が治癒なのだとしたら、花を咲かせるのは応用。
 だとしても、このふたつになんの関係があると言うのか。
 なぜ今になって、成長が見えてきたのか。
 司雀は日向の様子を見つめながら、顎に手を当てる。



「日向様の体に異常が無かったのは、むしろ運が良かったですね……
 日向様の言葉を聞く限り、本当に何も無かったようですけど……」



 (あの魁蓮が動いたんですから、何も無かったとは言い難い……)



 長年の勘が訴えてくる。
 こればかりは、魁蓮と一緒に過ごしてきた時間の中で芽生えた、彼に対する類まれない信頼からくるもの。
 司雀はそれを信じているからこそ、日向に未だ疑っている部分はあった。

 対して日向は、あのを思い出していた。



 (あの声……どこかで……)



 今なら、冷静に考えることが出来た。
 笛の音と共に聞こえてきた、幸せそうな会話。
 その全てが、鮮明に残っている。
 あれは、夢ではなかったのだろうか。
 本来、夢というものは薄れていくものだ。
 目覚めた直後はうっすらとは覚えていても、いざ起きてしまえば、それは泡のように消えて無くなる。
 ただ怖かった夢か、変な夢だったか、そんな曖昧なことしか頭には残らない。

 でも、今の日向は、全てが鮮明に残っていた。
 それはまるで……遠い記憶のように……。



「日向様?」



 突然黙り込んだ日向に、司雀が声をかける。
 日向はピクっと眉が上がった。



「大丈夫、ですか?」

「あっ、えっと……」



 そういえば、これは司雀の言う「何かあった」の類に入るのだろうか。
 ただの夢ならば、語るだけ無駄だ。
 けれど、夢なのかすら分からない微妙な境目で、日向は少し困った様に笑顔を浮かべる。



「ううん!ちょっと、ボーッとしてただけ」

「まさか、どこか悪いのではっ」

「違う違う!ほんとっ、何も無いよ!寝起きだから、まだ頭が目覚めきってないんじゃない?あははっ!」



 少し分かりやすい、誤魔化したような言葉と笑顔。
 日向は心臓が緊張で早く脈を打つ音を聞きながら、本当になんでもないと言うように、できるだけの笑顔を浮かべた。
 話すべきなのだろう、異変と言えば異変なのだから。
 だが、まだ何一つ確信していないものを、いきなり話すのもどうだろうか。
 ずっと心配してくれている司雀を、さらに心配させてしまう可能性だってある。

 だから、日向は「話さない」選択をした。



 (また、同じような夢を見たら、話せばいっか)



 軽い判断だったが、今は一旦置いておこう。
 司雀も日向の笑顔を見て、また肩を落とした。





┈┈┈┈┈┈┈ ❁ ❁ ❁ ┈┈┈┈┈┈┈┈





 同時刻。



「主様、こちらお召し物を」



 女妖魔「紅葉」が、風呂に入っている男に扉越しから声をかける。
 手には綺麗な衣を持っていた。
 風呂の中では、男が機嫌が良さそうな鼻歌を歌っていた。



「ああ、ありがとう。そこに置いておいてくれるかな」

「かしこまりました」



 指示された通り、紅葉は近くにあった机の上に、持ってきた綺麗な衣をそっと置く。
 紅葉からすれば、いつも通りの日常。
 主の男の側近として、常日頃から身の回りを援助している。
 だがそれは、紅葉自身も望んでやっていることだった。
 向こうからは見えていないというのに、紅葉は律儀に一礼して、風呂場から出ていこうとする。



「ねぇ、紅葉」



 そんな紅葉を、風呂の中にいた男は呼び止めた。
 紅葉はその声に足を止めると、クルッと扉に向き直る。
 自分を呼ぶ主の声を、彼女が聴き逃したことは無い。
 だからこそ、男も聞こえているのか聞こえていないのか、などという心配は一切せず、あくまでいつも通りに呼んだ。



「しばらく、

「っ!左様にございますか」

「予定よりは早いけど、時間は十分ある。
 もいるんだ、丁度いいよ」



 体を温める。
 それは、直接的な意味ではなく、本心を遠回しにした言い方。
 詳しく説明せずとも、紅葉には本当の意味で伝わる。
 流石は側近と言うべきか、主からの信頼も厚い。



「では、早急に準備を」

「うん。ごめんね、君も忙しいのに」

「主様のためならば、本望です」

「頼りにしているよ、紅葉」



 冷静な顔で対応しているが、内心紅葉は喜んでいる。
 そんなことなど知らず、男は浸かっていたお風呂からゆっくりと立ち上がり、濡れて落ちてきた髪をかきあげた。
 お風呂に入っている時に感じる脱力感を背負いながら、バシャバシャと音を立てて、お風呂の中を歩く。



「あれから、何年経ったかな……今となっては、もう薄れていく記憶のひとつに過ぎないけど」



 記憶の中に蘇るのは、長い白髪の美しい姿。
 あのに見つめられ、心を動かされた感覚を、男は今でも覚えている。
 心から望んだ、心から欲した、全て、全て。

 唯一取りこぼしてしまった、何よりも欲しいもの。



「主様。決行の日は……」



 ふと聞こえた紅葉の声に、男は顎に手を当て考える。



「そうだね。日を跨いだから、今は8月1日か。ちょっと先になっちゃうけれど……
 決行は、来年の7月7日にしよう」

「7月7日……?それは、なぜです?」

「その日は、彼らにとっては特別な日だからね。せっかくなら、合わせてあげよう。約1年間……体を温めている間は、に時間を稼いで貰おうか」



 具体的、且つ明確な目標。
 男が抱える野望、その第1歩が始まった。



「鬼の王……君と戦う日が楽しみだよ。
 私と会うその日まで、君は存分にと時を共にすると良い。だが……

 君は、幸せにはなれない。天涯孤独の王だ。
 どうか、私の期待を裏切らないでおくれ……」
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