99 / 190
第98話
しおりを挟む
「体に異常は無いようですね、良かったです」
あれから司雀は、日向の体調を調べていた。
また突然眠ってしまったのだ、何かが起きてもおかしくは無い。
そう考えていた司雀は、正直気が気ではなかった。
しかし、そんな司雀の心配に反し、日向の体は驚くほど正常だった。
熱もなく、体のだるさも無い。
悪影響になるようなことは、一切なかった。
日向も何ともないという表情を浮かべ、少しずつ司雀の緊張と不安を取り除く。
一通り調べ終え、司雀はホッと胸を撫で下ろした。
司雀は近くにあった椅子にゆっくりと腰掛けると、改まって日向へと向き直る。
「では日向様。話の続きをしましょう。
先程の私の説明を踏まえて、何があったのか話していただけませんか?」
体のこともそうだが、1番気にするべき部分は、このことだった。
1人庭で鍛錬していた日向に起きた、謎の現象。
突然開花した力の成長と共に、日向の中に隠された、何者かの力と気配。
魁蓮から詳しく内容を聞いた司雀は、魁蓮が感じた謎の気配のことを日向に説明していた。
そして、何があったのかを日向に尋ねる。
しかし、日向からすれば、訳が分からないのだ。
「いやぁ……何も無かったと思うけど……」
「何も?」
「うん。寝落ちたくらい」
「……そう、なんですか?」
日向の記憶では、庭で鍛錬をしていたら、いつの間にか寝落ちていた。
そして、次に目が覚めた時には、なぜか本来の力の使い方を知っていた。
誰かに教えてもらったわけではなく、ただ自分の頭が、体が覚えていたのだ。
まあ、無事で良かった、という話にもならない。
「司雀の説明は聞いたけど……ごめん、僕も何が何だか分からなくてさ。一応、何か変わったことは無かったのは確かだぜ?」
元々、自分の力なんて、ただ偶然恵まれただけのものだと日向は思っていた。
よくある、おとぎ話の中に出てくるような。
何か大きないいことをしたから、天が与えてくれたものなのだ、と。
結局は、そんな感じのものなのではと思っていた。
自分の力どころか、出生も親も知らない。
もう、自分に何が起きても不思議ではないだろう。
その程度の認識、その程度の覚悟だった。
それが今、新たな形として表れただけ。
「怪我を治すってのは、多分今も変わってない。感覚としては、覚えてるから。
問題は、花を咲かせられるようになったことかな」
基礎が治癒なのだとしたら、花を咲かせるのは応用。
だとしても、このふたつになんの関係があると言うのか。
なぜ今になって、成長が見えてきたのか。
司雀は日向の様子を見つめながら、顎に手を当てる。
「日向様の体に異常が無かったのは、むしろ運が良かったですね……
日向様の言葉を聞く限り、本当に何も無かったようですけど……」
(あの魁蓮が動いたんですから、何も無かったとは言い難い……)
長年の勘が訴えてくる。
こればかりは、魁蓮と一緒に過ごしてきた時間の中で芽生えた、彼に対する類まれない信頼からくるもの。
司雀はそれを信じているからこそ、日向に未だ疑っている部分はあった。
対して日向は、あの声を思い出していた。
(あの声……どこかで……)
今なら、冷静に考えることが出来た。
笛の音と共に聞こえてきた、幸せそうな会話。
その全てが、鮮明に残っている。
あれは、夢ではなかったのだろうか。
本来、夢というものは薄れていくものだ。
目覚めた直後はうっすらとは覚えていても、いざ起きてしまえば、それは泡のように消えて無くなる。
ただ怖かった夢か、変な夢だったか、そんな曖昧なことしか頭には残らない。
でも、今の日向は、全てが鮮明に残っていた。
それはまるで……遠い記憶のように……。
「日向様?」
突然黙り込んだ日向に、司雀が声をかける。
日向はピクっと眉が上がった。
「大丈夫、ですか?」
「あっ、えっと……」
そういえば、これは司雀の言う「何かあった」の類に入るのだろうか。
ただの夢ならば、語るだけ無駄だ。
けれど、夢なのかすら分からない微妙な境目で、日向は少し困った様に笑顔を浮かべる。
「ううん!ちょっと、ボーッとしてただけ」
「まさか、どこか悪いのではっ」
「違う違う!ほんとっ、何も無いよ!寝起きだから、まだ頭が目覚めきってないんじゃない?あははっ!」
少し分かりやすい、誤魔化したような言葉と笑顔。
日向は心臓が緊張で早く脈を打つ音を聞きながら、本当になんでもないと言うように、できるだけの笑顔を浮かべた。
話すべきなのだろう、異変と言えば異変なのだから。
だが、まだ何一つ確信していないものを、いきなり話すのもどうだろうか。
ずっと心配してくれている司雀を、さらに心配させてしまう可能性だってある。
だから、日向は「話さない」選択をした。
(また、同じような夢を見たら、話せばいっか)
軽い判断だったが、今は一旦置いておこう。
司雀も日向の笑顔を見て、また肩を落とした。
┈┈┈┈┈┈┈ ❁ ❁ ❁ ┈┈┈┈┈┈┈┈
同時刻。
「主様、こちらお召し物を」
女妖魔「紅葉」が、風呂に入っている男に扉越しから声をかける。
手には綺麗な衣を持っていた。
風呂の中では、男が機嫌が良さそうな鼻歌を歌っていた。
「ああ、ありがとう。そこに置いておいてくれるかな」
「かしこまりました」
指示された通り、紅葉は近くにあった机の上に、持ってきた綺麗な衣をそっと置く。
紅葉からすれば、いつも通りの日常。
主の男の側近として、常日頃から身の回りを援助している。
だがそれは、紅葉自身も望んでやっていることだった。
向こうからは見えていないというのに、紅葉は律儀に一礼して、風呂場から出ていこうとする。
「ねぇ、紅葉」
そんな紅葉を、風呂の中にいた男は呼び止めた。
紅葉はその声に足を止めると、クルッと扉に向き直る。
自分を呼ぶ主の声を、彼女が聴き逃したことは無い。
だからこそ、男も聞こえているのか聞こえていないのか、などという心配は一切せず、あくまでいつも通りに呼んだ。
「しばらく、体を温めようかと思ってね」
「っ!左様にございますか」
「予定よりは早いけど、時間は十分ある。
あの子もいるんだ、丁度いいよ」
体を温める。
それは、直接的な意味ではなく、本心を遠回しにした言い方。
詳しく説明せずとも、紅葉には本当の意味で伝わる。
流石は側近と言うべきか、主からの信頼も厚い。
「では、早急に準備を」
「うん。ごめんね、君も忙しいのに」
「主様のためならば、本望です」
「頼りにしているよ、紅葉」
冷静な顔で対応しているが、内心紅葉は喜んでいる。
そんなことなど知らず、男は浸かっていたお風呂からゆっくりと立ち上がり、濡れて落ちてきた髪をかきあげた。
お風呂に入っている時に感じる脱力感を背負いながら、バシャバシャと音を立てて、お風呂の中を歩く。
「あれから、何年経ったかな……今となっては、もう薄れていく記憶のひとつに過ぎないけど」
記憶の中に蘇るのは、長い白髪の美しい姿。
あの青い瞳に見つめられ、心を動かされた感覚を、男は今でも覚えている。
心から望んだ、心から欲した、全て、全て。
唯一取りこぼしてしまった、何よりも欲しいもの。
「主様。決行の日は……」
ふと聞こえた紅葉の声に、男は顎に手を当て考える。
「そうだね。日を跨いだから、今は8月1日か。ちょっと先になっちゃうけれど……
決行は、来年の7月7日にしよう」
「7月7日……?それは、なぜです?」
「その日は、彼らにとっては特別な日だからね。せっかくなら、合わせてあげよう。約1年間……体を温めている間は、子どもたちに時間を稼いで貰おうか」
具体的、且つ明確な目標。
男が抱える野望、その第1歩が始まった。
「鬼の王……君と戦う日が楽しみだよ。
私と会うその日まで、君は存分に彼と時を共にすると良い。だが……
君は、幸せにはなれない。天涯孤独の王だ。
どうか、私の期待を裏切らないでおくれ……」
あれから司雀は、日向の体調を調べていた。
また突然眠ってしまったのだ、何かが起きてもおかしくは無い。
そう考えていた司雀は、正直気が気ではなかった。
しかし、そんな司雀の心配に反し、日向の体は驚くほど正常だった。
熱もなく、体のだるさも無い。
悪影響になるようなことは、一切なかった。
日向も何ともないという表情を浮かべ、少しずつ司雀の緊張と不安を取り除く。
一通り調べ終え、司雀はホッと胸を撫で下ろした。
司雀は近くにあった椅子にゆっくりと腰掛けると、改まって日向へと向き直る。
「では日向様。話の続きをしましょう。
先程の私の説明を踏まえて、何があったのか話していただけませんか?」
体のこともそうだが、1番気にするべき部分は、このことだった。
1人庭で鍛錬していた日向に起きた、謎の現象。
突然開花した力の成長と共に、日向の中に隠された、何者かの力と気配。
魁蓮から詳しく内容を聞いた司雀は、魁蓮が感じた謎の気配のことを日向に説明していた。
そして、何があったのかを日向に尋ねる。
しかし、日向からすれば、訳が分からないのだ。
「いやぁ……何も無かったと思うけど……」
「何も?」
「うん。寝落ちたくらい」
「……そう、なんですか?」
日向の記憶では、庭で鍛錬をしていたら、いつの間にか寝落ちていた。
そして、次に目が覚めた時には、なぜか本来の力の使い方を知っていた。
誰かに教えてもらったわけではなく、ただ自分の頭が、体が覚えていたのだ。
まあ、無事で良かった、という話にもならない。
「司雀の説明は聞いたけど……ごめん、僕も何が何だか分からなくてさ。一応、何か変わったことは無かったのは確かだぜ?」
元々、自分の力なんて、ただ偶然恵まれただけのものだと日向は思っていた。
よくある、おとぎ話の中に出てくるような。
何か大きないいことをしたから、天が与えてくれたものなのだ、と。
結局は、そんな感じのものなのではと思っていた。
自分の力どころか、出生も親も知らない。
もう、自分に何が起きても不思議ではないだろう。
その程度の認識、その程度の覚悟だった。
それが今、新たな形として表れただけ。
「怪我を治すってのは、多分今も変わってない。感覚としては、覚えてるから。
問題は、花を咲かせられるようになったことかな」
基礎が治癒なのだとしたら、花を咲かせるのは応用。
だとしても、このふたつになんの関係があると言うのか。
なぜ今になって、成長が見えてきたのか。
司雀は日向の様子を見つめながら、顎に手を当てる。
「日向様の体に異常が無かったのは、むしろ運が良かったですね……
日向様の言葉を聞く限り、本当に何も無かったようですけど……」
(あの魁蓮が動いたんですから、何も無かったとは言い難い……)
長年の勘が訴えてくる。
こればかりは、魁蓮と一緒に過ごしてきた時間の中で芽生えた、彼に対する類まれない信頼からくるもの。
司雀はそれを信じているからこそ、日向に未だ疑っている部分はあった。
対して日向は、あの声を思い出していた。
(あの声……どこかで……)
今なら、冷静に考えることが出来た。
笛の音と共に聞こえてきた、幸せそうな会話。
その全てが、鮮明に残っている。
あれは、夢ではなかったのだろうか。
本来、夢というものは薄れていくものだ。
目覚めた直後はうっすらとは覚えていても、いざ起きてしまえば、それは泡のように消えて無くなる。
ただ怖かった夢か、変な夢だったか、そんな曖昧なことしか頭には残らない。
でも、今の日向は、全てが鮮明に残っていた。
それはまるで……遠い記憶のように……。
「日向様?」
突然黙り込んだ日向に、司雀が声をかける。
日向はピクっと眉が上がった。
「大丈夫、ですか?」
「あっ、えっと……」
そういえば、これは司雀の言う「何かあった」の類に入るのだろうか。
ただの夢ならば、語るだけ無駄だ。
けれど、夢なのかすら分からない微妙な境目で、日向は少し困った様に笑顔を浮かべる。
「ううん!ちょっと、ボーッとしてただけ」
「まさか、どこか悪いのではっ」
「違う違う!ほんとっ、何も無いよ!寝起きだから、まだ頭が目覚めきってないんじゃない?あははっ!」
少し分かりやすい、誤魔化したような言葉と笑顔。
日向は心臓が緊張で早く脈を打つ音を聞きながら、本当になんでもないと言うように、できるだけの笑顔を浮かべた。
話すべきなのだろう、異変と言えば異変なのだから。
だが、まだ何一つ確信していないものを、いきなり話すのもどうだろうか。
ずっと心配してくれている司雀を、さらに心配させてしまう可能性だってある。
だから、日向は「話さない」選択をした。
(また、同じような夢を見たら、話せばいっか)
軽い判断だったが、今は一旦置いておこう。
司雀も日向の笑顔を見て、また肩を落とした。
┈┈┈┈┈┈┈ ❁ ❁ ❁ ┈┈┈┈┈┈┈┈
同時刻。
「主様、こちらお召し物を」
女妖魔「紅葉」が、風呂に入っている男に扉越しから声をかける。
手には綺麗な衣を持っていた。
風呂の中では、男が機嫌が良さそうな鼻歌を歌っていた。
「ああ、ありがとう。そこに置いておいてくれるかな」
「かしこまりました」
指示された通り、紅葉は近くにあった机の上に、持ってきた綺麗な衣をそっと置く。
紅葉からすれば、いつも通りの日常。
主の男の側近として、常日頃から身の回りを援助している。
だがそれは、紅葉自身も望んでやっていることだった。
向こうからは見えていないというのに、紅葉は律儀に一礼して、風呂場から出ていこうとする。
「ねぇ、紅葉」
そんな紅葉を、風呂の中にいた男は呼び止めた。
紅葉はその声に足を止めると、クルッと扉に向き直る。
自分を呼ぶ主の声を、彼女が聴き逃したことは無い。
だからこそ、男も聞こえているのか聞こえていないのか、などという心配は一切せず、あくまでいつも通りに呼んだ。
「しばらく、体を温めようかと思ってね」
「っ!左様にございますか」
「予定よりは早いけど、時間は十分ある。
あの子もいるんだ、丁度いいよ」
体を温める。
それは、直接的な意味ではなく、本心を遠回しにした言い方。
詳しく説明せずとも、紅葉には本当の意味で伝わる。
流石は側近と言うべきか、主からの信頼も厚い。
「では、早急に準備を」
「うん。ごめんね、君も忙しいのに」
「主様のためならば、本望です」
「頼りにしているよ、紅葉」
冷静な顔で対応しているが、内心紅葉は喜んでいる。
そんなことなど知らず、男は浸かっていたお風呂からゆっくりと立ち上がり、濡れて落ちてきた髪をかきあげた。
お風呂に入っている時に感じる脱力感を背負いながら、バシャバシャと音を立てて、お風呂の中を歩く。
「あれから、何年経ったかな……今となっては、もう薄れていく記憶のひとつに過ぎないけど」
記憶の中に蘇るのは、長い白髪の美しい姿。
あの青い瞳に見つめられ、心を動かされた感覚を、男は今でも覚えている。
心から望んだ、心から欲した、全て、全て。
唯一取りこぼしてしまった、何よりも欲しいもの。
「主様。決行の日は……」
ふと聞こえた紅葉の声に、男は顎に手を当て考える。
「そうだね。日を跨いだから、今は8月1日か。ちょっと先になっちゃうけれど……
決行は、来年の7月7日にしよう」
「7月7日……?それは、なぜです?」
「その日は、彼らにとっては特別な日だからね。せっかくなら、合わせてあげよう。約1年間……体を温めている間は、子どもたちに時間を稼いで貰おうか」
具体的、且つ明確な目標。
男が抱える野望、その第1歩が始まった。
「鬼の王……君と戦う日が楽しみだよ。
私と会うその日まで、君は存分に彼と時を共にすると良い。だが……
君は、幸せにはなれない。天涯孤独の王だ。
どうか、私の期待を裏切らないでおくれ……」
応援ありがとうございます!
10
お気に入りに追加
103
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる