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27 本当の目的

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 冷たい地下室がしんと静まり返る。
 わたしの瞳からこぼれる雫がポツリと微かな音を立てた。

「……悪い、彼女と二人きりで話させて貰えないか」と、レイが静かに言うと公爵令息と伯爵は目配せをして無言で部屋を出て行った。


 扉が閉まるとレイはわたしの隣に来て、

 「座ろうか」

 優しく肩を掴んでゆっくりソファーに連れて行く。

 その間も涙は止まらなくて、わたしの奥底にしまってあった感情も一緒に溢れ出てきた。

「はい、どうぞ」と、レイがポケットからハンカチを出して渡してくれる。

「ありがとう……」

 わたしはそっと受け取って、目尻を押さえた。

「なにか温かい読み物を用意するよ」と、レイは再び立ち上がる。

「王太子殿下にそんなことさせられないわ」

「いいから、いいから。今はただのレイだから気にするな」

 しばらくコポコポとお湯の沸く音と僅かな食器の音だけが聞こえていた。静かな空間の中で、わたしの心も少しずつ静寂に引き寄せられていく。

「どうぞ、侯爵令嬢」

「ありがとうございます、王太子殿下」

 わたしはカップの口を付ける。レイの淹れてくれた温かいミルクティーはほんのり甘くて、まろやかな味が強張った身体を溶かしていった。

「ごちそうさま、とても美味しかったわ」

「それは、どうも」

「お茶を淹れるのも上手なのね。仮にも王子様がこんなことも出来るなんて意外だわ」

「あぁ、母上から教わったんだ。将来、伴侶のためにお茶くらい淹れられるようにしておけってね」

「まぁっ、それは未来の王太子妃に悪いことをしたわね」

「予行練習ってやつさ。――それで、落ち着いた?」

 わたしは深く頷いた。こうやって温かい飲み物を飲んで彼と話していると、心が安定した気がする。

「えぇ、お陰さまで。そう言えば、競売会場で気が動転していたときも、今みたいにあなたに助けてもらったわ。あのときも、今日も、本当にありがとう」

「なに、困っている親友に手を差し伸べることは当然のことさ」

「あら、まだ親友でいさせてくれるのかしら?」

「鉱山や軍隊で寝食を共にした仲だからな」

「そう言えばそうだったわね」



「…………話して、もらえるか?」レイが囁くように控えめに尋ねる。「もちろん、口外はしない。約束する。あと……その、さっきは辛辣な言葉を投げて悪かった」

「いいの。全部……本当のことだから」

 そう、彼の言っていることは正論だ。これまで自分が耳を塞いでいたことを言ってのけただけなのだ。

 一呼吸して、わたしはポツポツと話し始める。

「アンドレイ様から言われたの。このままでは婚約破棄になるって」

「なぜだ? 侯爵令嬢として、君に瑕疵なんてどこにもないと思うが……」

「わたしの能力が低すぎて王子の婚約者に相応しくない、って国の中枢部から話が出ているんですって。アンドレイ様はこれまで庇ってくださっていたらしいんだけど、もう無理かもしれないって。だから、反対勢力を黙らせるために一発逆転の大勝負に出ろって言われたの」

「それが、この国で諜報活動をすること?」

「その……」

 わたしは遠慮がちにレイを見た。

 彼はふっと微笑んで、

「話して?」

「その……怒らないでよ?」わたしは一拍置いてから「レイモンド王太子殿下を籠絡してこい、って……」

「籠絡ぅっ!?」と、レイは目を剥いた。

「そうよ、籠絡。そして王太子殿下が企てている戦争の計画を暴いて来い、って」

「はぁっ!? 戦争だって!? 僕が? アングラレスと!?」

 レイは心底驚いた様子で、大声で叫んだ。そして天井を仰いで、なにかを考えているようだ。

 わたしは違和感を覚えた。今の彼の態度は、戦争計画なんて端から微塵も考えていないみたいだ。ただ驚愕している表情だけが張り付いていた。

「えっ、と……ローラントはアングラレスに侵略戦争を仕掛けるつもりなんじゃないの?」

「そんなことをしてうちになんのメリットが……いや、戦争計画を立てていたのはアンドレイ王子のほうなんじゃないのか?」

「えぇっ!?」

 わたしは目をぱちくりさせた。アンドレイ様が戦争計画? 彼からはローラントのほうが戦を始める予定だ、って…………。

「だって、君が調査していたのは鉱山と軍隊だろう? それは我が国の戦力を調べて、鉱山に攻め込んで来るつもりなのでは……」

 二人して押し黙った。気まずい空気が流れる。
 わたしたちはお互いに大きな勘違い……いえ、情報の読み間違いをしていたのだ。

「…………」
「…………」

 少しの沈黙のあと、思案顔をしていたレイが口火を切った。

「そういうことか……」

「どういうこと?」

「その……これから僕の言うことは君を傷付けることになると思うが、いいか?」と、彼は真剣な表情でわたしを見つめる。

「もう、ここまで来たら覚悟の上よ。どんな事実でも受け入れるわ」と、わたしも彼の紅い瞳を見返した。

「そうか。では、単刀直入に言うが、アンドレイ王子は君と婚約破棄をするつもりでこっちに送ったようだな」

「えっ…………」

 覚悟はしていたものの、レイの言葉にわたしの気持ちはぐらりと揺さぶられた。すかさず深く呼吸をして正気を保つ。
 お、落ち着くのよ……大丈夫よ……わたしなら大丈夫…………。

「……なぜ、そう思ったの? 遠くの地へ送って、どうやって婚約破棄するつもり?」と、わたしは平静を装って彼に訊いた。

「まずは婚約者に対しての扱いがあり得ない。未婚の令嬢を平然と異国の地へ送るなんて言語道断だ。だから元より君とは婚約破棄するつもりなのだと推測される。そして、王太子を籠絡しろと命令したのは、成功すれば不貞を訴えて婚約破棄をできるからだ。そして、仮に失敗したときのための戦争計画の調査なのだろう」

「どういうこと……?」

 またもや心に棘が刺さっていく感覚に陥る。
 聞きたくない気持ちが耳を閉ざそうとする。

 ……でも、最後まで聞かないと。

「君がローラントの戦争について調査するということは、君……あるいはジャニーヌ侯爵家が戦争をしたがっている――という事実を作り上げるためだ。そこを突いて……例えば、侯爵家は戦が起きた際に莫大な利益が得られるので、紛争勃発のために工作をした、とでっち上げて糾弾する。そうしたら婚約破棄は確実だ。最悪は君の家門も取り潰されて処刑も免れないかもな」

「そんな……」

 わたしは絶句した。信じたいような、信じたくないような、不安定な気持ちだった。
 アンドレイ様がそんなことを考えていたなんて……。あんなに素晴らしい方が…………、


 ――本当に彼は素晴らしい方なの?


 ずっと心に引っかかっていた考えが、みるみるわたしを呑み込んでいった。




「これは、現時点でのアンドレイ王子に対する調査書だ。……恋人の令嬢のことも記されてある」

「っ…………!」

 おそるおそるレイから封書を受け取った。それはただの紙なのにずっしりとして、金属のように重たく感じられた。
 この中には真実が書かれてある。
 カタカタと指先が小刻みに震えた。

「アンドレイ王子については現在も調査を継続している。また新たに情報を得たら逐一君に伝えよう」

「…………」

 わたしは無言で頷く。もう返事をする余裕もなかったのだ。


「オディール嬢」

 レイはわたしの名前を呼んで、ソファーに座っているわたしの眼前で跪いた。

「えっ……!? そんなっ、お立ちください、王太子殿下!」

 わたしは慌てて立ち上がろうとするが、彼から両腕を押さえられて身動きが取れなかった。

 レイの深い真紅の瞳と、わたしの淡い翠玉色の瞳が重なった。

「さっきも言ったが、僕は君の親友だ。友が辛い思いをしているのなら、助けたいと思う。だから……もし、君がそのつもりなら僕は喜んで共犯者になろう」

「それって、どういう――」

「君が逆にアンドレイ王子たちを嵌める、ということだ」

「っ…………!」

 言葉が出なかった。どう答えれば良いのか分からずに、ただ視線をおろおろと動かす。

 分からない。
 だって、わたしは生まれたときからアンドレイ様の婚約者で、それはもう決定事項で、それ以外の選択なんて…………。

「ま、調査結果を読んでゆっくり考えるといい」

 レイは立ち上がって、わたしの頭をポンと軽く撫でた。殿方にこんなことをされるのは初めてで、パッと頬が赤く染まる。

「これは君にとっての人生の分岐点だ。仮に現状維持を望むのなら、アンドレイ王子が用意した証拠は僕が全て潰してやろう。婚約破棄など初めから存在しなかったように、このまま君は王子妃になる。……もし、復讐をするのなら、僕は君と一緒に戦おう」

「………………」

 まだ答えは出なかった。

 レイは苦笑いをして、

「じゃあ、今日はこの話はここまで。疲れただろう? 大使館まで送るよ」



 わたしは王太子殿下のお忍び用の馬車に乗せられて、帰路に就く。
 帰りの間も、手にはレイからもらった調査書を握って、じっと封を眺めていた。


 この中には真実が書かれてある。

 知りたくなかった現実が。
 
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