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8.再会
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12月25日、怒涛の一晩を終えた翌日。いろいろなことが起こりすぎて、なにが現実でなにが夢なのかもわからないような気分のまま、聖人は自宅へと戻った。
玄関外に置かれていたはずのコートとジャケットは見当たらず、どうやら室内に入れられたらしい。緊張しながら玄関の鍵を開けた瞬間、その音に反応した彼女が即座に玄関を開けた。
やはり、昨日服を取りに戻らなくて良かった。ずっと待ち構えていたのだ。
「聖人、昨日はどこへ行ってたの!?私、謝りたくて何度も電話したのに!!繋がらないし、返事もくれないし!!」
そんな彼女にできる限り穏やかに別れを告げた。自分にも至らないところはあった。自分のことは気にせず友人と堂々と付き会って欲しい、と。
だが、彼女は別れたくないと泣き叫び、聖人に抱きついた。
そして、首筋の鬱血痕に気づくと、激怒し、襲ってきた。
聖人も男だから振りほどけないことはなかったが、新太から借りたパーカーを伸ばされないように自ら脱ぎ、昨日から着ていたワイシャツになると、彼女はヒステリックに服を裂いた。
ボタンが弾け、はだけた聖人の首から鎖骨にかけて、いつの間につけられたのか、聖人の身体にはたくさんの赤い痕がつけられていた。
「なにこれ…私のことは抱けないのに…他の人は抱けるの?」
彼女の声が低くなる。震えていた。
聖人も浮気がわかったその日に若い男に抱かれてしまったという罪悪感があった。彼女を満足させてあげることができなかった負い目。だがそんなことは口にできない。言葉に詰まると、ますます彼女は激怒した。
もう聖人には別れるという選択肢しかなかったから、粘り強く説得した。だが最後まで別れることを承諾しない彼女を置いて聖人は部屋をでた。
部屋の契約者は聖人で、部屋を解約され、本人も出て行ってしまえば、彼女は従うしかなかった。
鍵を返却する前に、何もなくなった部屋を訪れ、少し寂しい思いがした。
1年と数か月前、彼女と一生をともにする覚悟をもって同棲を始めたはずだった。だが、裏切られ、そして聖人は新太に抱かれ、痛いほどに自分のセクシャリティを思い起こさせられた。
彼女の責任だけではない。自分のせいで彼女も傷つけてしまった。自分のような人間は人と関わらない方がいい。
あれ以来、新太には会っていない。
部屋の片付けはほとんど引越し業者に頼んだし、新太の働いているコンビニにはその後一度も行かなかった。
借りた服はクリーニングに出し、新太がいないタイミングを見計らってお礼の品と一緒に宅配ボックスにそっと返した。連絡先を教えると約束したのに、約束を破った。
新太の連絡先を知ってしまったら、自分の方が彼に依存してしまう。別れる時にきっとみっともなくすがりついてしまう。そんな恐怖があった。
年が明けると、年度末にむかって仕事は忙しくなり、バタバタとあわただしい日々がやってきた。
ちょうど聖人が携わっていたプロジェクトも大詰めで、会社に缶詰の日々が続いていた。
そんな中、別れた彼女が会社までやってきて「別れたくない」と泣き叫び、社内の注目を浴びた。
あの後、友人とはうまくいかなかったのだろうか。もうその友人とは連絡も取っていなかった。
「聖人の浮気を許す」とズレた発言をする彼女を冷たく突き放した。「自分がしていたくせに責任転嫁するな」と。疲労もピークで、かなりきつい言葉が出た。
噂好きの社内で、さまざまな憶測が飛び交い、好奇の視線にさらされる。注目されたくない聖人にとってはいたたまれなかった。もうこれ以上なにも詮索されないように、冷たい表情をうかべ、周りと壁を作った。
そうしていると、直接聞いてくるものはいなかった。それでいい。ただなにも考えず、仕事に追われていたい。
新しい期が始まると、仕事は落ち着き、他の部署から異動してきた小林と、営業事務の女性・原が聖人の下についた。
期末をゴールに終えたプロジェクトは、とりあえず順調に走り出し、しばらくはデータの取得とフォローやメンテナンスで済む。
そんな時の新人教育だから、妥当な人事だ。
4月の後半になれば、研修を終えた新入社員が新たに部署にやってくる。チームの人数的に聖人の下に付く可能性が高い。
それまでに小林に仕事を任せられるようにしなければいけない。聖人の通常業務を後回しにして、後輩の指導にあたる。後進の指導は時間と手間のかかる仕事だったが、それでも余計なことは何も考えず仕事ができてよかった。
聖人は会社から3駅程度の場所へ引っ越していた。何も考えたくなくて、ギリギリまで仕事をして、疲れ果てて帰って寝る。
時々あの夜を思い出して、一人で後ろを慰めることもあった。思い出すたびに湧き上がる罪悪感と幸福感。なにも考えず、愛を囁かれ、好みのタイプの男と身体をつなげた幸せな一時。
二度と会うことのないであろう新太との思い出は、綺麗なまま心にしまっておくことにした。
関係が進んでしまえば別れが待っている。だからこの思い出を美化して、絶対に壊したくない宝物のように大切にした。
……なのに。
新しく部署に入ってきた新入社員は来栖新太だった。
明るかった髪は黒く落ち着いた色に染められ、パリッとしたスーツを着て、ますますかっこよくなった新太が目の前に現れた時に、聖人は目を疑った。
「今年入社しました、来栖新太です。よろしくお願いします」
聞き間違えるはずのない、その名前。
みんなの前で自己紹介するときに、一瞬目が合った気がしたが、新太はすぐ目をそらした。
「柊木くん、来栖くんは君のチームでいいかな。先輩とは言え小林くんもまだ異動してきたばかりだし、一緒に教えてあげてよ」
想定通りの内容を上司に言われ、聖人は引きつった笑顔で了承する。できれば断りたかったが、断れるはずもなかった。
表向き後輩の小林が新太を直接指導することとはなっているが、小林は異動して一ヶ月も経っていない。実際の指導は聖人もかなり関わることになる。
こんな星の数もある会社の中で、こんな何百人もいる社員の中でなぜ聖人の下なのだ。聖人はこの悪縁を恨んだ。
不安な気持ちをよそに、新太は聖人に対しても他の社員と同じように接し、知り合いだという素振りを見せることもなかった。
あのコンビニで向けてくれていた笑顔はもうない。
ほっとすると同時に、胸が少し痛んだ。自分から連絡しなかったくせに、会ってしまうと愛を囁いてくれたことを思い出して恋しさが生まれる。
だが「これでいいんだ」と自分を納得させる。同じ会社ならば余計、必要以上に関わらないのが賢明だ。
あれはお互いが見た一夜の夢だったのだ。夢が覚めたら代わり映えのしない日常が待っている。
ゴールデンウィーク前にされる配属は、新入社員が部署の雰囲気に慣れる程度しかできない。
業務に支障のない、基本的な仕事を小林が指導し、聖人と新太はあまり関わることなく仕事に専念した。
そしてその週末。ゴールデンウィークに入る直前の金曜日、課主催の新入社員歓迎会兼交流会が開かれた。任意なのだが、聖人のチームは全員参加した。
会社近くの居酒屋。
新太は、上役はもちろん、他のチームの人にも礼儀正しお酌をし、そつのない会話を交わしていく。
聖人のところにもやってきた。
「柊木さん…これからご指導よろしくお願いします。あの、ビールで大丈夫ですか?」
「……あぁ…」
なにか言いたげにじっと見つめる新太の視線に耐えきれず、注がれるグラスに視線を落とした。
じんわり嫌な汗がでていた。
「あの…聖人さん、今度二人で話したいことが…」
名前で呼ばれ、グラスを持つ手がびくっと過剰に反応してしまった。言葉に詰まっていると、小林がやってきた。
「柊木さーん、お疲れ様っす。お酌させてくださいよー。ビールでいいですか?」
「あ、あぁ…ありがとう」
新太は一瞬不満げな顔をしたが、すぐに作り笑いを浮かべた。
しばらく3人で他愛もない会話をしていたが、程々なところで「席に戻って食事しろ」と、二人を帰す。お酌をしている二人の席には、手のつけられていない料理がたくさん置かれていた。
新太が離れて、やっと一息ついた。思った以上に自分は緊張していたらしい。
玄関外に置かれていたはずのコートとジャケットは見当たらず、どうやら室内に入れられたらしい。緊張しながら玄関の鍵を開けた瞬間、その音に反応した彼女が即座に玄関を開けた。
やはり、昨日服を取りに戻らなくて良かった。ずっと待ち構えていたのだ。
「聖人、昨日はどこへ行ってたの!?私、謝りたくて何度も電話したのに!!繋がらないし、返事もくれないし!!」
そんな彼女にできる限り穏やかに別れを告げた。自分にも至らないところはあった。自分のことは気にせず友人と堂々と付き会って欲しい、と。
だが、彼女は別れたくないと泣き叫び、聖人に抱きついた。
そして、首筋の鬱血痕に気づくと、激怒し、襲ってきた。
聖人も男だから振りほどけないことはなかったが、新太から借りたパーカーを伸ばされないように自ら脱ぎ、昨日から着ていたワイシャツになると、彼女はヒステリックに服を裂いた。
ボタンが弾け、はだけた聖人の首から鎖骨にかけて、いつの間につけられたのか、聖人の身体にはたくさんの赤い痕がつけられていた。
「なにこれ…私のことは抱けないのに…他の人は抱けるの?」
彼女の声が低くなる。震えていた。
聖人も浮気がわかったその日に若い男に抱かれてしまったという罪悪感があった。彼女を満足させてあげることができなかった負い目。だがそんなことは口にできない。言葉に詰まると、ますます彼女は激怒した。
もう聖人には別れるという選択肢しかなかったから、粘り強く説得した。だが最後まで別れることを承諾しない彼女を置いて聖人は部屋をでた。
部屋の契約者は聖人で、部屋を解約され、本人も出て行ってしまえば、彼女は従うしかなかった。
鍵を返却する前に、何もなくなった部屋を訪れ、少し寂しい思いがした。
1年と数か月前、彼女と一生をともにする覚悟をもって同棲を始めたはずだった。だが、裏切られ、そして聖人は新太に抱かれ、痛いほどに自分のセクシャリティを思い起こさせられた。
彼女の責任だけではない。自分のせいで彼女も傷つけてしまった。自分のような人間は人と関わらない方がいい。
あれ以来、新太には会っていない。
部屋の片付けはほとんど引越し業者に頼んだし、新太の働いているコンビニにはその後一度も行かなかった。
借りた服はクリーニングに出し、新太がいないタイミングを見計らってお礼の品と一緒に宅配ボックスにそっと返した。連絡先を教えると約束したのに、約束を破った。
新太の連絡先を知ってしまったら、自分の方が彼に依存してしまう。別れる時にきっとみっともなくすがりついてしまう。そんな恐怖があった。
年が明けると、年度末にむかって仕事は忙しくなり、バタバタとあわただしい日々がやってきた。
ちょうど聖人が携わっていたプロジェクトも大詰めで、会社に缶詰の日々が続いていた。
そんな中、別れた彼女が会社までやってきて「別れたくない」と泣き叫び、社内の注目を浴びた。
あの後、友人とはうまくいかなかったのだろうか。もうその友人とは連絡も取っていなかった。
「聖人の浮気を許す」とズレた発言をする彼女を冷たく突き放した。「自分がしていたくせに責任転嫁するな」と。疲労もピークで、かなりきつい言葉が出た。
噂好きの社内で、さまざまな憶測が飛び交い、好奇の視線にさらされる。注目されたくない聖人にとってはいたたまれなかった。もうこれ以上なにも詮索されないように、冷たい表情をうかべ、周りと壁を作った。
そうしていると、直接聞いてくるものはいなかった。それでいい。ただなにも考えず、仕事に追われていたい。
新しい期が始まると、仕事は落ち着き、他の部署から異動してきた小林と、営業事務の女性・原が聖人の下についた。
期末をゴールに終えたプロジェクトは、とりあえず順調に走り出し、しばらくはデータの取得とフォローやメンテナンスで済む。
そんな時の新人教育だから、妥当な人事だ。
4月の後半になれば、研修を終えた新入社員が新たに部署にやってくる。チームの人数的に聖人の下に付く可能性が高い。
それまでに小林に仕事を任せられるようにしなければいけない。聖人の通常業務を後回しにして、後輩の指導にあたる。後進の指導は時間と手間のかかる仕事だったが、それでも余計なことは何も考えず仕事ができてよかった。
聖人は会社から3駅程度の場所へ引っ越していた。何も考えたくなくて、ギリギリまで仕事をして、疲れ果てて帰って寝る。
時々あの夜を思い出して、一人で後ろを慰めることもあった。思い出すたびに湧き上がる罪悪感と幸福感。なにも考えず、愛を囁かれ、好みのタイプの男と身体をつなげた幸せな一時。
二度と会うことのないであろう新太との思い出は、綺麗なまま心にしまっておくことにした。
関係が進んでしまえば別れが待っている。だからこの思い出を美化して、絶対に壊したくない宝物のように大切にした。
……なのに。
新しく部署に入ってきた新入社員は来栖新太だった。
明るかった髪は黒く落ち着いた色に染められ、パリッとしたスーツを着て、ますますかっこよくなった新太が目の前に現れた時に、聖人は目を疑った。
「今年入社しました、来栖新太です。よろしくお願いします」
聞き間違えるはずのない、その名前。
みんなの前で自己紹介するときに、一瞬目が合った気がしたが、新太はすぐ目をそらした。
「柊木くん、来栖くんは君のチームでいいかな。先輩とは言え小林くんもまだ異動してきたばかりだし、一緒に教えてあげてよ」
想定通りの内容を上司に言われ、聖人は引きつった笑顔で了承する。できれば断りたかったが、断れるはずもなかった。
表向き後輩の小林が新太を直接指導することとはなっているが、小林は異動して一ヶ月も経っていない。実際の指導は聖人もかなり関わることになる。
こんな星の数もある会社の中で、こんな何百人もいる社員の中でなぜ聖人の下なのだ。聖人はこの悪縁を恨んだ。
不安な気持ちをよそに、新太は聖人に対しても他の社員と同じように接し、知り合いだという素振りを見せることもなかった。
あのコンビニで向けてくれていた笑顔はもうない。
ほっとすると同時に、胸が少し痛んだ。自分から連絡しなかったくせに、会ってしまうと愛を囁いてくれたことを思い出して恋しさが生まれる。
だが「これでいいんだ」と自分を納得させる。同じ会社ならば余計、必要以上に関わらないのが賢明だ。
あれはお互いが見た一夜の夢だったのだ。夢が覚めたら代わり映えのしない日常が待っている。
ゴールデンウィーク前にされる配属は、新入社員が部署の雰囲気に慣れる程度しかできない。
業務に支障のない、基本的な仕事を小林が指導し、聖人と新太はあまり関わることなく仕事に専念した。
そしてその週末。ゴールデンウィークに入る直前の金曜日、課主催の新入社員歓迎会兼交流会が開かれた。任意なのだが、聖人のチームは全員参加した。
会社近くの居酒屋。
新太は、上役はもちろん、他のチームの人にも礼儀正しお酌をし、そつのない会話を交わしていく。
聖人のところにもやってきた。
「柊木さん…これからご指導よろしくお願いします。あの、ビールで大丈夫ですか?」
「……あぁ…」
なにか言いたげにじっと見つめる新太の視線に耐えきれず、注がれるグラスに視線を落とした。
じんわり嫌な汗がでていた。
「あの…聖人さん、今度二人で話したいことが…」
名前で呼ばれ、グラスを持つ手がびくっと過剰に反応してしまった。言葉に詰まっていると、小林がやってきた。
「柊木さーん、お疲れ様っす。お酌させてくださいよー。ビールでいいですか?」
「あ、あぁ…ありがとう」
新太は一瞬不満げな顔をしたが、すぐに作り笑いを浮かべた。
しばらく3人で他愛もない会話をしていたが、程々なところで「席に戻って食事しろ」と、二人を帰す。お酌をしている二人の席には、手のつけられていない料理がたくさん置かれていた。
新太が離れて、やっと一息ついた。思った以上に自分は緊張していたらしい。
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