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9.執着のはじまり

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 新太の隣の席には先輩の小林がいた。そして反対には営業事務の原。

「ごめん、来栖くん。言うの忘れてたんだけど、柊木さんに恋愛話厳禁ねー。あの人、最近までぐっちゃぐちゃの泥沼だったから。俺、この間まで違う部署だったけど、社内でかなり話題になっててさー。柊木さん、その話かなりピリピリしてんの」

「泥沼…ですか?」

「うん、さっき柊木さん、すっげー怖い顔してたから、来栖くん地雷踏んだかとひやひやしちゃったよー」

「柊木氏には怖くて聞けないですもんねぇ。でも私、会社の前で二人が喧嘩してるの見ちゃったんですよ!柊木氏は、彼女と同棲しながら浮気してたんですって!それでも彼女は許すからヨリ戻したいって言ってましたよー!」

 そういって、話に加わってきた原はめがねの奥の瞳を輝かせ、にかっと笑った。

「え?浮気したの柊木さんじゃないよ。相手の女でしょ?だってその浮気相手、取引先の社長の息子で、仕事サボって柊木さんの元カノと昼間から浮気してたのバレて、春に地方に飛ばされてたよ?」

「えー、マジですか?私、彼女が言ったの聞いたんだけどなー。で、柊木さん、めずらしくめっちゃブチギレてて!!」

「え…っと、で、柊木さんはその彼女とヨリ戻したんですか?」

 アイツ、仕事中に浮気してたのか、と思いつつ、新太は一番知りたい質問をする。
 彼女とヨリが戻ったから気まずくて連絡してくれなかったんだろうか。

「いや、さすがに別れたと思っていたんだけど…でも柊木さんも浮気してたんだったら、わかんないなぁ。あの人あんな美形だけど、社内で浮いた噂も全くなくて、ずっとプライベートが謎な人だったから。…それで寝取られじゃん?もー、噂がすごくて。俺も異動してあの人の下についたから、他の奴らからすげー聞かれんだよ、その話。でも怖くて本人に聞けるわけないしっ!」

「あはは、ホント。あんなにかっこいいし、年齢的にもちょうどよくて、狙ってる女性社員も多いんですけどねー。ちょっと隙きがなくて近寄りがたいんですよ。でもまたそれが尊かったのに!!だからあんな派手な感じの子と付き合ってたのは意外でしたー。所詮、柊木氏も普通の男かー、ってファンはがっかりしたものですよ!!」

「なんだよ、その『普通の男』って。柊木さんフツーだよ!イケメン、美化し過ぎ」

 そう言って、小林は笑いながら、新太を見た。

「あ、でもさ。来栖くんもゴールデンウィーク空けたら直接柊木さんに教わる機会も増えるから言っとくけど、仕事はできるから安心して?淡々としてるけど、仕事丁寧だし、ゴール提示して、的確に指示出してくれるから、はじめて教わるにはすごく良い上司じゃないかな?」

「あぁ、『鬼の春永』の生き残りですもんねぇ」

「鬼の春永…ですか?」

「今、大阪の方にいる人。まだ40そこそこだけど、うちの会社で一番の出世頭なの。すごいやり手で。すっげー怖い人だから、会ったら気をつけて。俺は関わったことないけど、あの人についていけなくてやめちゃった人、たくさんいるって話。でも、柊木さん、その春永さんのシゴキに耐えて残ってるからねぇ。てか、春永さんが出世すれば柊木さんも引っ張られるんじゃないかな?」

「柊木氏は春永氏のお気に入りですからねぇ」

「あ、それより、来栖くんは彼女いるの?他の部署から聞かれて聞かれて。来栖くん、注目の新人だから」

「そうそう、私もよく聞かれます。どうなんですか?来栖氏」

「いや、いないんですけど、でもずっと好きな人がいて…」

「えぇ!?来栖氏の片思いですかっ!?告白などはっ!?」

「いえ、一度告白したことはしたんですけど……どうも、フラレたみたいで…」

「えー、ハイスペ来栖氏をフルとかどんな相手ですか!?相手の子、すごい!!どんな人ですか!?大学の人?」

「いや、それは…」

 いい淀んだ新太に小林が助け舟を出す。

「ってか原さん?さっきからその『氏』っつーの何?」

「ふふ、我々の組織の呼び方ですのでお気になさらず。我々は社内の様々な人間関係からありとあらゆる妄想をしておりまして…」

「えええぇ、なに?なんか触れない方がよさそげ?原さん、なんかこえぇんだけど!!!」

 新太は原の言うことをなんとなく察したが、小林と同様、触れないほうがよいと判断し、聞き流した。
 それよりも、聖人の事が気になった。
 聖人は浮気なんかしていなかった。彼女と真面目に付き合い、結婚しようと思っていたはずだ。
 もし彼女とヨリが戻っていたら?誰か新しい人ができたのなら?
 聖人は「長く男性と付き合っていた」「女性と付き合うのははじめてだった」とは言ったが、「男性でなければだめだ」とは言わなかった。
 新太は焦った。あれからもう5ヶ月がたってる。
 一度手に入りかけた存在。自分の前から姿を消した聖人を恨んだこともあった。
 だが、再び自分の前に現れた。これが運命でなくてなんなのか。
 誰かのものになる前に自分のものにしたい。

 *

 会はお開きになった。その後二次会に行く人達もいたが、聖人は帰ることにした。
 もともと苦手な人付き合いだったが、新太がいることによって、心労がピークだった。
 気がつけば目の端で新太の存在を確認してしまう。そんな自分に心底うんざりした。

「じゃぁ、また。お疲れ様」

 皆に別れを告げ、駅に向かう人、次の店に行く人とは逆方向の大通りの方へ向かう。今日はタクシーで帰るつもりだった。早く一人になりたかった。

「柊木さんっ!!」

 タクシーをに乗り込もうとして呼び止められる。この声は…。彼はさっき、皆と駅に向かったはず。
 恐る恐る振り返り、返事をする。声が震えた。

「……く、来栖くん、どうした?」

 このままドアを閉めて去ろうか逡巡していると、新太は聖人を奥の席へ押しやり、一緒に乗り込んできた。

「どちらまで?」

 タクシーの運転手が聞く。

「この人の自宅まで」

 言葉に詰まっている、聖人の代わりに新太が答えた。

「お客さん、自宅どこ?」

「えっと…」
 
 聖人は自宅近くの何度か行ったことのあるファミレスを答えた。車は動き始める。

「そこ、自宅ですか?」

「違うけど、話しならそこがいいかと思って…」

 新太はため息をついて、運転手には聞こえないように耳元でつぶやいた。

「俺、あの時の写真持ってるんですよね…。だから…、逃げられるなんて思わないほうがいいと思いますよ?」

 新太は隣に座る聖人の手をそっと握りながら、にっこりと不穏な笑みを浮かべた。
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