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本編

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ガタン…
急に馬車が歩みを止めた。

「道が岩で塞がれています、落石があった様で…どうしたものか…」

御者の言葉に、エクレールはわたしに「そこに居ろ」と言い付け、馬車を降りた。
わたしが窓から顔を出し、外を覗くと、前方に幾つか大きな岩が見えた。
これでは馬車は通れない、迂回して別の道を探すしかないが、山道ではそれも難しいだろう。
普通ならば御者の様に慌ててもおかしくはない状況だが、エクレールは《魔王》だ。
彼が指を動かしただけで、一瞬にして大きな岩は砂になり、風に散って行った。

「凄いわ…!」

いつもの姿からは想像つかないが、エクレールは紛れもなく力ある《魔王》だった。
思わず感心して見ていると、振り返ったエクレールが険しい表情をした。
どうかしたのだろうか?キョトンとした瞬間、周囲が光に包まれた。

ドン!!

音がして、次の瞬間には、それは消えていたが、何かが起こった事は確かだ。
馬車の扉が乱暴に開けられたかと思うと、険しい表情のエクレールが乗り込んで来た。

「どうなさったのですか!?」
「何者かがこちらを目掛け、岩を落としてきた」
「ええ!?」

わたしは驚きに声を上げていたが、逆にエクレールの表情からは険しさが消えた。
エクレールは長い足を組み、顎に手をやった。

「勿論防いだが、力の加減が出来なかった、少しばかり山を削った」
「そんな事はどうでも良いわ!それよりも、一体どうして!?賊でしょうか?」
「賊ならば徒党を組んで襲って来る。賊と言うよりは、暗殺者だな」
「暗殺!??」

わたしは思わず声を上げ、慌てて両手で口を塞いだ。

「安心しろ、狙われたのはおまえではなく、私だ。ただ、馬車を標的にしていたがな…」
「エクレール様を!?どうしてですか!?」

エクレールは王が滞在を許した、いわば国賓だ。
誰が、何故に命を狙うというのか…わたしには理解出来なかった。
だが、エクレールはあっさりと告げる。

「私が脅威だからだろう、珍しい事ではない、だが、おまえは巻き込まれない様に気を付けろ」
「でも、わたしにはエクレール様の呪いがあるのでしょう?」
「呪いは暴力に対してのものだ、他には効かん。
大体、そんな万能なものがあれば、私は無敵ではないか」

エクレールが皮肉に言い、肩を竦めたが、わたしは内心で返した。
十分、無敵だと思いますわ。

「エクレール様、魔界に帰られた方が良いのではないですか?」
「私を追い払おうとしても無駄だぞ、賭けが済むまではここに居る」
「そうではありません!そんな事で、ご自身が危険な目に遭われても良いというのですか!?」

賭けよりも、自分の身が大事に決まっている。
だが、エクレールは揺るがなかった。

「ああ、構わん、おまえが運命の相手と結ばれるのを見届けない内は、
私も諦められんからな」

エクレールがニヤリと笑う。
わたしはとても笑う気分では無く、「そんな価値は無いわ」と呟いた。

わたしが誰と結ばれようと、どう生きようと、
エクレールが求めている《運命の相手》は、クリスティナなのだから…



エクレールを狙っている者がいるという事で、帰路、そして城に着いてからも
わたしは気を張り詰め、周囲を注意深く見回していた。
エクレールからは「警戒し過ぎだ、逆に変に思われるぞ」と忠告されたが、
この状況で平静を装うなど、無理というものだ。
とは言え、わたしに応戦出来る術など無いのだけど…

「安心しろ、おまえは私が守ってやる」

エクレールが余裕の笑みでサラリと言う。
正直…心強いし、実際、これ程頼りになる者は居ないのだが…

「あなたが狙われているのですから、わたしを守ると言うのでしたら、
わたしから離れるべきではありませんか?」

「おまえは分かっていないな、私は自分の為におまえを守るのだぞ?」

分からないわ。
やはり、人間と魔族では思考が違うのだろう。
わたしは、狙われているエクレールを心配しているというのに…

「わたしよりも、ご自身を守って下さい、魔王様。
あなたに何かあれば、泣くのはわたしでは無く、あなたのお城の方たちだわ」

わたしが淡々と述べると、エクレールは半目になった。

「何故、おまえは泣かない?」
「何故、わたしが泣くとお考えなの?」

図々しいわ!

「おまえは幼子の様に良く泣くからな」

その赤い目がキラリと煌めき、口元に皮肉な笑みが浮かぶ。
わたしは今までの事を思い出し、カッと頬が赤くなった。

「もう、絶対に泣かないわ!」

顔を背け、頬を膨らませ唇を尖らせるわたしを、エクレールは気持ち良く笑った。


幸い、その後は何事も無く、三日も経てば、わたしの警戒も薄れていた。

きっと、あの時だけね。
城の外に出たのがいけなかったのかも。
黒尽くめの男なんて、怪しいもの!


◇◇


その日、わたしはレイモンから正式に結婚を申し込まれた。
彼は跪くと、懐から指輪を取り出し、わたしに掲げた。

「ソフィ、僕と結婚してくれるかい?」

レイモンは甘い笑みを見せる。
期待していなかった訳では無いが、突然の事に、わたしは驚き、息を飲んだ。
夢に見ていた事が現実になった。
だが、驚きの所為か、他の感情が浮かんでこない…

「ソフィ?」と促され、わたしは微笑み、「はい」と答えた。
レイモンの唇が綺麗に弧を描く。
骨ばった手がわたしの手を取り、小さなダイヤの石が付いた銀色の指輪を嵌めてくれた。
勿論、レイモンがわたしの指のサイズを知っている筈も無く、
それは見れば分かる程、わたしの指には大きな物で、着けているには無理があった。

「ごめんよ、急いで用意したから…直してから、改めて渡すよ」
「はい、すみません…」

わたしの指から抜き取られ、それはレイモンの懐に仕舞われた。

「さぁ、食べよう、ソフィ」

レイモンはバスケットを開き、いつもの様に、サンドイッチを取り出し渡してくれた。

「はい、ソフィの分だよ」
「ありがとうございます」

レイモンは優しく、礼儀正しい、そして気配りも出来る人だ。
きっと、良い夫になるだろう…

「レイモン様、結婚はいつ頃をお考えですか?」

差し出がましく、失礼な行為かもしれないが、わたしには聞いておく必要があった。

【おまえがその者と三月以内に結婚しなかった場合】
【結婚し一年以内に別れる事になった場合は、潔く、私の花嫁になって貰う】

エクレールの出した条件を満たさなくてはいけない…

「直ぐにでも結婚したいけどね、僕には問題があるんだよ…」

レイモンがそう言い出した時、わたしは《家》の問題だと思った。
レイモンは伯爵子息だ、跡継ぎでは無いが、貴族ならば相手はそれなりの者を選ぶだろう。
両親や親戚から認めて貰えないのでは…と、不安が過った。
だが、レイモンの言う問題というのは、その事では無かった___

「城の警備、衛兵なんて、給金も知れているからね…
もっと出世をしてからじゃなきゃ、家庭を持つ事は難しいと思うんだ」

レイモンは言うが、城の警備、衛兵の給金は、町の役人たちの給金よりも良いと聞く。
わたしも不承不承ではあるが、侍女として就いたのには、給金が良いだろうと思ったからだ。
残念ながら、今の処支払われてはいないが…
それでも、部屋を与えられ、メイド服も支給され、三食たっぷりと食べさせて貰える。
それを考えれば、家庭を持つのに何の問題も無い様に思えた。

「今のままでも十分ですわ、わたしも働きますし、
二人の給金でなら、十分に家庭は持てるのではないですか?」

「ソフィ!十分なんて!結婚して子供が出来たらそうもいかないよ?
僕は自分の子供たちに不憫な思いをさせたくないし、妻にはいつも着飾っていて欲しいんだ。
君にこんな仕事なんてさせたくないよ」

「わたしは…」

わたしの夢は、自分の仕立て屋を持つ事だった。
それが出来なくても、仕立て屋で働き生活していくだろうと思っていた。
自分は結婚出来ないと思っていたからだ。

結婚となると、違ってくるものなのね…
夫が求める妻の姿になるべきなのよね…

わたしは口を開いたものの、続きを言う事が出来なかった。
そんなわたしに、レイモンは青色の瞳を甘く輝かせ、見つめた。

「君もそう思ってくれるだろう?僕たちに相応しい、理想の家庭を作らなきゃ」

相応しいものが何かは分からなかったが、レイモンには理想がある様だ。
夫の理想を叶える手助けをするのも、妻の勤めだろう…

「僕はね、一生衛兵で終わる気は無いよ、こんな仕事では、僕の力は発揮出来ないからね。
僕なら、もっと重要な仕事を任されて然るべきだよ、だけど、ここでは、家柄が物を言うからね、
伯爵子息では、衛兵になるのもやっとだよ…」

レイモンには野望があるのだ。
力のある者は、大きな仕事をしたいと思うものなのだろう。

確かに、城の仕事に就くには、家柄が重要視される部分がある。
わたしなども、本来であれば、城などに来る事さえ難しい、不可能と言える。
王妃の妹というだけで、雇われている。
勿論、優秀で、秀でた者であれば、採用試験に通るだろう。

レイモンは伯爵子息なので、家柄にも問題は無い様に思えた。
それでも、衛兵になるのがやっとというのだから、中々狭き門の様だ。

「衛兵はご立派なお仕事ですわ」

城を守る重要な任務だ。
わたしを襲い、生贄として運んで行った者たちの手際は、実に見事だった。
わたしは、身動き一つ、声を漏らす事すらも出来なかったのだから…
今更ながら、顔はほとんど見ていないし覚えていないが、
あの時の衛兵たちには会いたくないと思った。

「ソフィ、慰めはよしてくれよ!」

レイモンの鋭い声で我に返った。
悪い事を言ってしまった様で、レイモンは珍しく不機嫌な顔をしていた。
結婚の約束をしたばかりで、これは良くない…わたしは急いで謝った。

「余計な口出しをして、すみませんでした…」
「いや、いいんだよ、ソフィ、ただ、僕の気持ちを分かって貰いたかったんだよ」

レイモンがわたしの手を取り、握った。
そして、その潤んだ青色の瞳で、じっと、わたしの目を見つめた。
キスされる…
息を飲んだわたしに、彼は告げた。

「もし、王に何か重要な事を進言する事が出来れば、信頼を得られ、出世出来ると思うんだ」

キスでは無かった…
拍子抜けし、詰めていた息を吐いた。

「重要な事ですか…」

思えば、わたしの世界は小さな町で収まっていた。
家の商売の事や、自分の毎日の生活をどうするか…という事しか関心も無く、
世の中や国の事など、考えた事も無かった。国の重要機密など、想像も付かない。
レイモンたちは日々そんな難しい事を考えているのかと、わたしは感心した。
男性は視野が広いのね…

わたしの手を握るレイモンの手に力が籠った。

「そうだよ、例えば、魔王の弱点とか…」

え?
わたしは聞き間違いかと問う様に見たが、レイモンは頷いた。

「魔王がこの国に現れた目的とか、何か分からないかな?」

「いえ…わたしは存じません」

弱点など知らないし、来た目的は重要機密にはなりえないのは確かで、
わたしは誤魔化した。

「ああ、ソフィ、焦らさないで、僕たちの将来が掛かっているんだよ?
君さえ話してくれたら、僕は出世出来るし、君と直ぐにでも結婚出来るんだ」

「本当に知らないんです」

「だったら、探ってくれるよね?君なら出来るさ、君は魔王のお気に入りだからね!
ソフィ、僕たちの将来の為だよ…」

レイモンがわたしの手の甲に、熱くキスを落とした。


レイモンと別れ、わたしは嘆息した。

「探るなんて…密偵みたいだわ」

尤も、わたし自身、そんな気は全く無かった。
エクレールには恩もあるし、一緒に居た事で、今では《情》の様なものも感じている。
エクレールに不利になる様な事はしたくない。
それでレイモンが出世出来たとしても、とても喜べない、嫌な感じだ。
それに、この事をエクレールが知れば鼻で笑うだろう…わたしは想像し、口を曲げた。

その場で断れなかったのは、レイモンが何かにつけ、『僕たちの為』と言うので、
気持ちが重くなったからだ。
レイモンは自分たちの事を考えてくれている、それを無碍にするのも悪い気がした。

『探っても分からない』としておけば、レイモンも諦めてくれるだろう。
レイモンが出世出来れば、何も問題は無さそうだが…

「出世などしなくても良いと、考え直してくれないかしら…」

レイモンが衛兵の仕事に満足していない事には驚いた。
わたしに声を掛けてくれたレイモンは、優しく、明るく、礼儀正しく…
一人前の立派な衛兵だった。
そんなレイモンを、わたしは素敵な人だと思った。

遣り甲斐のある立派な仕事に思えるが、レイモンにとっては違うのだろうか…
レイモンは一体、どんな仕事をしたいのだろう?

「想像つかないわ…」

わたしなら、お金は必要なだけあれば良い。
贅沢などしなくても良い。
愛があり、家族が幸せなら、それで十分だ。

「そうよ、大事なのは、愛だわ!」


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