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グリニャック聖女編
020 市場でデート
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自分で提案しておきながらなんですが、二番手の推しを引き合わせるとか、効果はなさそうですわよね。
まあ、国王陛下は実行なさったそうですけれども、よく見つけ出してきたものですわ。そうして、よくもまあ、その方が会う気になったものですわね。
そこのところのやり取りがどうなったのかはわかりませんが、結局は、エルネット様の怨霊の浄化は成し遂げることが出来ず、プリエマはエルネット様の怨霊に憑りつかれてしまったのだそうです。
学園にも来なくなってしまいました。
「ウォレイブ様、プリエマはどのような状態なのでしょうか?」
「神官達が二十四時間傍について居て、これ以上の事が起きない様に浄化作業を続けているよ。夜も眠れない、眠っても悪夢を見るようで、すっかりやつれてしまったな」
「然様でございますか。エルネット様の魂が、早くこの世から解放されるとよろしいのですけれどもね」
「そうだね。エルネット嬢の事を許すわけにはいかないが、それでも、プリエマ嬢の為にも一刻も早く浄化されることを祈っているよ」
昼食時、ウォレイブ様にプリエマの近況を聞いたのですが、よくはないようですわね。
あれから神様に呼び出されることもございませんし、エルネット様をこの世界から解放する手段が思いつきませんわね。
それにしてもプリエマ、ある意味自業自得とはいえ、気の毒ですわね。
怨霊化したエルネット様に結局憑りつかれてしまうなんて……、これも日ごろの行いでしょうか?
わたくしとトロレイヴ様、ハレック様は昼食も済みましたので、学園の中庭で一息つこうという話になりまして、中庭に出ました。
わたくしはリリアーヌが差す日傘の下で、お二人に挟まれる形でベンチに座っております。
うう、二学年に上がってから、当たり前のようにこのフォーメーションですけれども、なかなか慣れませんわね。
残暑という事だけではなく、熱いですわ。
「そうだ、グリニャック様」
「はい、なんでしょうか?」
「うん、今度の休日は三人で街の市場に行ってみないかい?」
「市場ですか?」
「そうなんだ、この間実地訓練で街の警備体験というものをしたんだが、活気にあふれたいい場所だったぞ」
「まあ、そうなのですか。それは確かに興味がありますわね」
「まあ、スラム街もあるから、絶対に僕達から離れちゃだめだよ?」
「何かあっても私達二人でグリニャック様を守るから、安心して着いて来てほしい」
「そうですわね、お二人がそこまでおっしゃるのでしたら、行けるようにお父様に相談してみますわ」
街に行くという事は、久しぶりに私服姿のお二人を見ることが出来るという事ですわよね。
あ、でも普段の服ではあからさまに貴族です、と宣伝して歩いているようなものですし、着ていくものも平民に合わせたものになりますわよね。
生コスプレ? いえ、変装ですわよね。この場合。
わたくしも平民が着るような洋服を用意しなければいけませんわね。
「リリアーヌ、お父様に許可はいただけると思うので、平民が着るような服の手配をお願いできるかしら?」
「かしこまりました、グリニャックお嬢様」
リリアーヌが頷いたのを確認して、わたくしは左右にお座りになっているお二人に、頷きを返しました。
「それにしても、騎士科ではそのような講義を受けているのですね、わたくしの特進科とはやはり違いますわね」
「そりゃそうだよ、特進科は高位貴族の中でも家を継ぐ人たちが領地経営とか、王宮や貴族達の様々なことを学ぶためにあるクラスなんだからね」
「そうだな、こっちは確かに体力勝負なところはあるが、グリニャック様達の方は知恵勝負なところがあるよな。私達にはついていけないさ」
「そんなことないと思いますけれども。だって、お二人だって、確かに剣の修行はなさっておいでですが、領地経営の勉強もなさっていると、お二人のお母様から聞いておりますわよ?」
「え、なんでばらしちゃうかなあ、母上」
「全くだな。せっかくこっそりトロレイヴと二人で勉強していたのに」
(二人でこっそり勉強! 秘密の勉強!)
まあまあまあ、なんという事でしょうか。お二人は二人で秘密のお勉強をなさっていたのですね。
どんな感じにお勉強なさっていたのでしょうか。肩を並べ合って、顔がくっつきそうになるような距離で、お勉強していらっしゃったのでしょうか?
それとも正面に向き合って、お互いの顔を見ながらお勉強なさっておいでだったのでしょうか?
ああ、どちらにせよ、ぜひともその場面を見て、あわよくば写真に収めたいですわ。
きっと素晴らしい思い出になったに違いありませんもの!
わたくしがうっとりとそんな事を考えていますと、両サイドから手が伸びてきて、わたくしの髪をそれぞれ持つと、髪の毛に口づけをされてしまいました。
(きゃぁぁぁっ! 何事⁉)
わたくしが顔を真っ赤にいたしますと、トロレイヴ様とハレック様が意味深な笑みをわたくしに向けてまいりました。
「また変な事考えていたでしょ? なんとなく雰囲気でわかるようになってきたよ」
「えっと……」
「まったく、グリニャック様には困ったものだな。もっと私達がグリニャック様を愛しているという事を自覚してもらわないといけないな」
くっ、腐女子として妄想しているのがバレると言うのは致命的ですわね。もっと隠蔽率を上げないといけませんわ、特訓ですわね。
わたくしは赤くなった頬を両手で覆って隠しながら、決意を新たに致しました。
お二人が愛し合っている仲ではないと思い知らされている最中でございますが、腐妄想は止められないのが腐女子の性と言うものですわよね!
それにしても、日を追うごとにトロレイヴ様とハレック様の色気は増していきますわね。
先日なんて、剣の居残り練習の終わりに、蛇口で頭から水を被って、濡れた前髪をかき上げたのですが、十六歳と思えないような色気を醸し出しておりましたのよ!
もちろんこっそりと写真に収めましたけれども、あれはご褒美でございましたわ。
ご褒美と言えば! 今日の昼食の際、お二人が注文したものが被ったのですが、わたくしも食べようか悩んでいたものでして、じっとお二人のお皿を見ていたら、お二人が「どうぞ」といって一口分、スプーンですくってわたくしの方に差し出して来ましたのよ! あれが前世の同人誌で見た「あーん」というものですのよね。
お返しに、わたくしもお二人に「あーん」をさせていただきましたが、緊張してしまいましたわ。思わず手がプルプルと震えてしまいましたわ。
トロレイヴ様とハレック様はそんなわたくしを、優しく見守って下っておりました。
おかしいですわね、見守るのはわたくしの特権のはずですのに……。
そんな感じに無事に学園での講義を終えて、いつものようにトロレイヴ様とハレック様の剣の居残り練習を見学して、それぞれ帰宅いたしました。
わたくしはいったん自室に戻りドレスに着替えると、今度の休日に街に行く許可をお父様に頂くために、執務室に向かいました。
執務室の前に到着いたしますと、扉をノックいたします。
「お父様、グリニャックです」
「入りなさい」
中から入室許可を頂きましたので、扉を開けようと手を上げた瞬間、中の方から扉が開けられました。
見れば、セルジルが扉を開けてくれていました。
「ありがとう」
「いえ、グリニャックお嬢様」
わたくしは執務室に入ると、お疲れのご様子のお父様の近くに行きます。
「お父様、なんだかお疲れのご様子ですわね。なにかありましたの?」
「いや、プリエマに憑りついているエルネットの怨霊の浄化作業が進まないせいで、プリエマの正妃教育に遅れが出ているそうなのだ。このままでは正妃の仕事が務まるかどうか」
「まあ、それは大変ですわね」
そうですわよねえ、怨霊に憑りつかれている状態で大公の正妃教育なんて進みませんわよね。
ウォレイブ様の寵愛ぶりから考えて、婚約破棄はないでしょうけれども、側妃選びを早々にしなければいけないかもしれませんわね。
エルネット様の怨霊に憑りつかれている状態では、性交どころかキスも難しいでしょうしねえ。
そもそも、ウォレイブ様とプリエマが一緒にいるだけで、怨霊は活発化するのではないでしょうか?
大変ですわねえ。プリエマも、このままでは衰弱死してしまうのではないでしょうか? なんと言っても地獄の道連れにしてやる、なんて言っておりましたものね。
「それで、今日はどうした? わしの仕事の手伝いをしに来た、と言った感じではないが」
「ええ、実はトロレイヴ様とハレック様に今度の休日に、街の市場に行ってみないかとお誘いを受けまして、行く許可を頂きに参りましたのよ」
「街の市場に? ふむ、まあ、トロレイヴ君とハレック君が一緒ならそう滅多な事は起きないだろうが、ドミニエルかリリアーヌを共に連れて行くと言うのであれば、許可をしよう」
「わかりましたわ、ありがとうございます、お父様」
ドミニエルやリリアーヌはわたくしの護衛も兼ねておりますものね。連れて行くのは当然の事ですわよね。
わたくしはお父様の許可を頂けましたので、執務室を後にいたしますと、淑女教育を受けるために、お母様のもとに行くことにいたしました。
数日経って、休日がやって来ました。
わたくしはリリアーヌが用意してくれた平民が着るような服に袖を通します。ドレスと違って着替えが楽なのはいいのですが、肌触りはやはり悪い布地が使われておりますわね。
まあ、これでもそこそこ裕福な家の娘が着るような服なのだそうですけれどもね。
わたくしは家紋の入った馬車で行くと目立ってしまいますので、待ち合わせの場所まで、家紋の入っていない、使用人が使う馬車で向かうことにいたしました。
待ち合わせは、街で一番大きな広場にある噴水の前になっております。
「楽しみですわね、ドミニエル」
「然様でございますね、グリニャックお嬢様」
学園には通常リリアーヌにお供をお願いしておりますので、今日はドミニエルにお供をお願い致しました。
わたくしが居ない間も仕事は沢山あると言っていましたが、セルジルとの時間を作れればいいな、と思っての事ですが、時間を作りますでしょうか?
二人とも真面目ですものね。職務中に逢瀬などしませんわよね、やっぱり。
トロレイヴ様とハレック様に、今日は食べ歩きというものをするから、お腹を空かせて来るように言われましたので、朝食はサラダだけを頂いてきたのですが、早速お腹が空いてきましたわ。
思わずお腹を押さえていますと、ドミニエルがおかしそうにわたくしを見てきました。
「グリニャックお嬢様、やはりもう少し食べてきた方がよかったのでは? トロレイヴ様とハレック様の前でお腹が鳴っては大変でございましょう」
「そうですわねえ。けれども、食べ歩きというものがどんなものかはわかりませんし、お二人にはお腹を空かせて来るように言われましたもの、仕方がありませんわ。お腹は、鳴らないように気を付けますわ」
「然様でございますか」
ドミニエルが暖かな眼差しをわたくしに向けてきます。幼少の頃より見慣れた眼差しですが、改めてドミニエルを見ますと、どうして攻略対象者になっていないのかと言うぐらいには男前ですわよね。
まあ、学園生活が開始したときには結婚して子供もいる状態ですし、攻略対象になっても困るのですけれどもね。寝取りはよくありませんわよね、うん。
「グリニャックお嬢様、目的地に着いたようです」
「そうですか、楽しみですわ」
わたくしは先におりたドミニエルの手を借りて馬車を下ります。
いつもの馬車とは違うせいでしょうか、二十分ほどしか乗っていなかったのになんだか疲れてしまいましたわね。
ドミニエルに案内されて噴水の前に行きますと、そこには帯剣したトロレイヴ様とハレック様がもういらっしゃっておりました。
「お待たせいたしました、トロレイヴ様、ハレック様。おはようございます」
「おはよう、グリニャック様。僕達が早く来すぎちゃっただけだから気にしないでいいよ」
「おはよう、グリニャック様。トロレイヴの言う通りだ。念のため、周囲の安全を確保しておくのは騎士としての常識だからな」
「まあ、そうなのですか」
お二人で仲良くこの周辺を警戒なさっておいででしたのね。
……平民が着るような服に身を包んだとしても、やはりトロレイヴ様とハレック様の麗しさは曇りませんわね。
むしろ新鮮でいい感じですわ。
「今日はよろしくお願いしますわね」
「うん、任せてよ、ばっちりエスコートするからね」
「食べ歩きなんて、私も初めてだが、グリニャック様と一緒なら何でも楽しいさ」
「わたくしも楽しみですわ。食べ歩きなんて本当に初めてですもの」
前世から、雑誌などで見て一度やってみたいと思っていたのですわよね。ああ、もう本当に楽しみですわ。
わたくし達は早速と言った感じに、市場の方に向かいますと、本当に活気に満ち溢れていて、あちらこちらから楽しそうな声や、呼び込みの声が聞こえてきます。
「本当に、すごい活気ですわね」
「でしょう、グリニャック様に是非とも見て欲しかったんだ」
「こういう体験も、将来の女公爵には必要な勉強になるだろう?」
「ええ、そうですわね。えっと、先ずはどこに行きますの?」
「あそこの屋台にまずは行ってみようよ」
「そうだな、私もお腹を空かせてきたせいで、今にも腹の虫が鳴いてしまいそうだ」
わたくし達はまず目についた屋台で、フライドポテトを三つ頼みました。学食や家で食べるような形のものではなく、皮の付いたまま切ったジャガイモを油で揚げている物ですが、揚げたてなのか、ホクホクで美味しいですわね。塩加減も絶妙ですわ。
食べ歩き用になっているのか、量は少なめになっております。
お茶会でも立食形式のものがございますので、立ちながら食べるという事はございますが、それとはまた違った感覚ですわね。
次に向かったのはホットドッグを売っているお店でした。ソースの味がいくつかあって、三人で別々の物を注文いたしました。
「トロレイヴ、そっち一口くれないか」
「いいよ、僕もそっちの味も食べてみたかったんだよね」
お互いに手にしたホットドッグを、お互いの口元に持って行きました。
(きゃぁぁぁぁ! 食べさせあいっこ! しかも間接キス!)
これは良いご褒美イベントですわ。
わたくしは手に持っているバーベキューソース味のホットドックをモグモグと食べながら、ニヤつきそうになるので表情筋を必死に維持致しました。もちろん、こっそり射影機でお二人が食べさせあいっこをしている場面を撮りましたわ。
その後も、それぞれ買った飲み物を三人で交換して飲んだり、小物を取り扱っている屋台を覗いたりと楽しい時間を過ごすことが出来ました。
わたくしは最後に、リリアーヌへのお土産にセルジルとお揃いで付けられるようなお守りを買って、トロレイヴ様とハレック様と別れて、ドミニエルと一緒に待たせていた馬車まで参りました。
その途中、目の端に見覚えのある顔が見えて、思わず振り返ったのですが、人ごみに紛れてしまって、また見る事は出来ませんでした。
……まあ、見間違えですわよね。こんな所に居るわけがありませんわ。
一瞬見えたのは隣国の第二王子でした。この国には今、この国に対して悪意を持っている方は侵入することが出来ないはずですので、隣国の第二王子が居るはずがありませんわよね。
うん、見間違えですわ。そうに決まっておりますわよね。
若干最後に気になることはありましたけれども、総じて良い時間を過ごすことが出来ましたわ。
わたくしは我が家につくと、着替えをするため自室に行き、そこで待っていたリリアーヌにお土産を渡しました。
「男女のペアのお守りなのですって。よければセルジルと一緒に使ってもらえれば、と思って買いましたのよ」
「ありがとうございます、グリニャックお嬢様。大切にさせていただきます」
リリアーヌはそう言うと、お守りの入った小さな紙袋を、大切そうに胸の前で包み込むように持ちました。
喜んでもらえて何よりですわ。
食べ歩きのせいですっかりお腹はいっぱいになっておりますので、今日の夕食はいらないとシェフに伝えてもらい、わたくしは今日も今日とてこっそりと撮影したトロレイヴ様とハレック様の写真を寝室のドレッサーの引き出しの一番上に入ってるアルバムに追加で貼り付けました。
「はあ、思い出すだけでまたお腹が膨れてしまいそうですわ」
この食べさせあいっこの写真など、まさに国宝級ですわね。
今日一日で良い写真が沢山撮れましたわ。
アルバムも、もう三冊目になりましたわね。
わたくしは写真を収めたアルバムを丁寧に引き出しの中にしまうと、湯あみをするために隣の部屋に戻りました。
「グリニャックお嬢様、今日は本当に楽しかったのでございますね」
「ええ、食べ歩きというものがあんなに楽しいものだとは思いませんでしたわ。立食形式のお茶会とはまた違った趣がございましたわ」
「然様でございますか、それはようございましたね」
「機会があったら、リリアーヌもセルジルと一緒に行ってみるといいですわ」
「そうでございますね、機会がありましたら、ぜひそうさせていただきますね」
「ええ」
そんな会話をしながら、湯あみを終えると、寝着に着替えて寝室に戻りました。
寝る前にもう一度アルバムを見て癒されると、幸せな気分のまま、ベッドに入り眠りにつきました。
街の市場に行ってからしばらく経ったある日の事です。
そろそろ冬の足音が聞こえて来るような時期に、わたくしはウォレイブ様に呼び出しを受けてしまいました。
同伴に関してはなにも言われておりませんでしたので、トロレイヴ様とハレック様に同伴していただくことにいたしました。
今日は、離宮の方ではなく、本宮にあるウォレイブ様の私室に直接招待されておりましたので、本宮の中を進んでいきますが、進んでいくたびに重苦しい空気が強くなっていき、思わず足取りが重くなってしまいます。
ウォレイブ様の部屋の前につきますと、護衛の騎士によって扉が開かれました。
その途端、瘴気というのでしょうか? 重苦しい空気が部屋の中から溢れ出て来たように思い、わたくしは思わず手を口元に持って行きます。
「グリニャック嬢、どうぞ中に入ってくれ」
「……ええ、ウォレイブ様」
部屋の中から聞こえて来たウォレイブ様の言葉に応えて、部屋の中に一歩足を踏み入れた途端、ぐっと重力が増したように感じました。
部屋の中にはもちろんウォレイブ様がいらっしゃいますが、その腕の中には、ぐったりとしたプリエマが居まして、そのお二人を囲む様にシャルナン様を含んだ神官が四人いらっしゃいました。
プリエマ、相当参っていますわね。顔色も悪いですし、肌も荒れているようですわ。何よりも眠れていないのでしょう、目の下の隈が酷いことになっておりますわね。
しばらく見ない間にすっかり変わってしまいました事。
「ご機嫌よう、ウォレイブ様。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「よく来てくれたね、グリニャック嬢。用事は他でもない、プリエマに関してなんだ」
「プリエマに関して、ですか? けれども、わたくしは聖女という肩書こそあれど、浄化作業などはできませんわよ?」
「神様に、エルネット嬢の怨霊をどうにかしてくれるよう、頼んではくれないだろうか?」
「出来ればしているのですが、神様よりお呼びがございませんので、わたくしにもどうしようもございませんの」
「そんな……。このままではプリエマは衰弱していくばかりだ」
ウォレイブ様は腕の中でぐったりしているプリエマの頬をそっと撫でます。
うーん、なんと言われましても、あの神様に呼び出されない限り、わたくしからコンタクトを取る方法などございませんし、本当にどうしようもないのですよね。
「……お姉様?」
プリエマの目がわたくしを捕え、弱々しい声がその口から発せられました。
「プリエマ、久しぶりですわね」
「もう、もうこんなこと止めてください」
「は?」
プリエマは何を言っているのでしょうか?
「私がウォレイブ様の正妃になるのが決まったからって、こんな風にエルネット様の怨霊を使って私を苦しめるなんて、あんまりです」
「言っている意味が分かりませんわね」
「だって、お姉様が元凶なのでしょう? 私ばかりがウォレイブ様の正妃になるからって、嫉妬して」
「なぜわたくしがそのような事に嫉妬しなければなりませんの? わたくしには最愛の婚約者がお二人もいますのよ」
「だって、私がエルネット様に恨まれる要素なんて何もないもの、お姉様が裏で何かしたに違いありません」
「本当に何もしておりませんわよ? エルネット様に個人的な恨みを買ったのは、貴女の日ごろの行いが悪かったせいではなくって?」
「酷い」
プリエマの瞳からポロポロと涙が流れ始めます。やつれてはいますが、流石はヒロインですわね、泣く姿は様になっておりますわ。
それにしても、本当にどうしてわたくしがプリエマに対して何かをしなければならないのでしょうか?
プリエマは未だにわたくしに悪役令嬢の役柄を求めているのでしょうか? 無事にウォレイブ様の正妃となれる婚約者になれたのですから、わたくしなどもう用済みでしょうに。
やつれたせいでしょうか、以前はくりくりとした可愛い眼が、今はぎょろりとした感じに見えますわね。まあ、ヒロイン補正なのか、それでもまだ可愛らしく見えるのですけれども。
「プリエマ、本当に、わたくしは何もしておりませんわよ」
「嘘です」
「現実を見なさい。貴女は自分の行いの何かが悪かったから、エルネット様に恨まれ、今のように怨霊となったエルネット様に憑りつかれておりますのよ」
「私は何も悪くありません。わたしは、セルジルを諦めて、お姉様が望む通りにウォレイブ様を選んだんですよ。こんな仕打ちあんまりです」
「セルジル? って、エヴリアル公爵家の執事長? プリエマの元想い人は執事長だったのか」
あら、思わぬところでバレてしまいましたわね。せっかく誰なのかぼかしておりましたのに、自爆するなんて、プリエマもうっかりさんですわね。
わたくしは、プリエマをじっくりと眺めます。そうしますと、黒い靄のような物が見えて、それが女の形を取っている事が分かります。
なるほど、これがエルネット様の怨霊なのでございますね。
うーん、ここに居ても本当にわたくしに出来ることはないのですけれどもね。
わたくしはそう思いながら、プリエマの方と言うよりも、エルネット様の怨霊に近づいて行きます。
「グリニャック様、危ないよ」
「そうだ、近づかないほうが良い」
「えっと、わたくしに対する悪意は感じませんので、エルネット様の怨霊がわたくしに何かをするとは思えませんので、大丈夫だと思いますわ」
わたくしはトロレイヴ様とハレック様の言葉に答えてから、エルネット様の怨霊に手を触れました。
『ぐ……グリ、ニャック』
「ええ、お久しぶりですわね、エルネット様」
『なんの、よう』
「いえ、怨霊になってまでプリエマを恨むという内容を知りたくて」
わたくしが触れたことによって、怨霊となったエルネット様が可視化されたのか、神官の方々が息を飲んだのが分かります。
「エルネット嬢! プリエマから離れてくれ!」
『ウォ、レイ、ブ様……いや、よ。この女はあたしが、地獄に、連れて行く、のよ』
「プリエマは、何もしていないじゃないか! なぜ憑りつくんだ」
『なに、も……しなかったから、この、女のせいで、あたしは、未来を、失ったのよ』
「そんなの言いがかりだろう!」
『あたしは、必死だったのに、この女は、なにもしなかったのよ』
ふむ、何かしたからではなく、何もしなかったから恨んでいるという事でしょうか? 難しいですわね。
「エルネット様、プリエマに憑りつくなんて非生産的なことをなさらずに、神の御許に行かれ、新たなる人生を迎えるまで、安らかにお眠りになるべきです」
『そんなの、いや、よ。あたしは、安らかな眠り、なんて、いらない。この女を道連れにして、地獄にいく、のよ』
「困りましたわねえ。どうすれば、エルネット様はプリエマから離れて下さるのでしょうか?」
『絶対に、離れ、無い』
本当に困りましたわ。最終手段は神様に強制的にどうにかしていただくという方法しか思い浮かばないのですが、こういう時に限って神様が出て来ないのですよね。
「ウォレイブ様、やはりわたくしには何も出来ないようですわ」
「そんな! このままではプリエマが!」
『恨んでやる、呪ってやる、プリエマァァァァ』
これは、相当根深い怨念ですわねえ。
わたくしは溜息を吐きながらトロレイヴ様とハレック様の元に戻ります。
途端に、エルネット様の怨霊から庇う様にわたくしの前にお二人は立ち位置を変えてくださいました。
本当に紳士ですわね。
「ウォレイブ様、エルネット様はウォレイブ様への想いが反転してプリエマへの怨念に変化してしまったのだと思います」
「そんな、ではボクは何をしたらプリエマを救えるんだい?」
「しばらくの間、プリエマから離れてみてはいかがでしょうか?」
「嫌よ! ウォレイブ様、私から離れないでください!」
プリエマがそう言ってウォレイブ様の胸に抱き着きます。
「きゃぁぁぁっ」
ほら、そんな事をするからエルネット様の怨霊がパワーアップするのですわよ。
エルネット様の怨霊は、プリエマの首に噛みついております。せっかくふさがった傷口がまた傷つけられておりますわね。
……噛み千切るおつもりなのでしょうか?
神官の方々が一斉に呪文のような物を唱え始めます。
『ぎゃぁぁっ』
「あふっ……くぅ」
あ、エルネット様の怨霊がプリエマの首元から離れましたわね。
プリエマは痛みの為か、それとも別の原因かはわかりませんが、ボロボロと涙を流してウォレイブ様の胸に縋りついております。
「……一応、王宮の礼拝堂に行って、神様に祈りを捧げてまいりますわ」
「頼めるか、グリニャック嬢」
「ええ、けれどもお役に立てるかはわかりませんわ」
「構わない。今は出来ることは全てして、プリエマを救いたいんだ」
「わかりましたわ。トロレイヴ様、ハレック様、礼拝堂に参りましょう」
わたくしはそう言うと、ウォレイブ様の私室を出て礼拝堂へと向かいました。
礼拝堂につくとすぐ目に入るのが、石碑に飾られたアーティファクトです。今もあの時と変わらぬ輝きを放っておりますわ。
わたくしは意味がないと思いつつ、石碑の前に行くと、神様にエルネット様の魂をこの世界から解放して欲しいと祈りを捧げました。
…………まあ、わかっておりましたが、何の変化もありませんわね。
わたくしは小さくため息を吐き出しますと、トロレイヴ様とハレック様と共に王宮を後にいたしました。
まあ、国王陛下は実行なさったそうですけれども、よく見つけ出してきたものですわ。そうして、よくもまあ、その方が会う気になったものですわね。
そこのところのやり取りがどうなったのかはわかりませんが、結局は、エルネット様の怨霊の浄化は成し遂げることが出来ず、プリエマはエルネット様の怨霊に憑りつかれてしまったのだそうです。
学園にも来なくなってしまいました。
「ウォレイブ様、プリエマはどのような状態なのでしょうか?」
「神官達が二十四時間傍について居て、これ以上の事が起きない様に浄化作業を続けているよ。夜も眠れない、眠っても悪夢を見るようで、すっかりやつれてしまったな」
「然様でございますか。エルネット様の魂が、早くこの世から解放されるとよろしいのですけれどもね」
「そうだね。エルネット嬢の事を許すわけにはいかないが、それでも、プリエマ嬢の為にも一刻も早く浄化されることを祈っているよ」
昼食時、ウォレイブ様にプリエマの近況を聞いたのですが、よくはないようですわね。
あれから神様に呼び出されることもございませんし、エルネット様をこの世界から解放する手段が思いつきませんわね。
それにしてもプリエマ、ある意味自業自得とはいえ、気の毒ですわね。
怨霊化したエルネット様に結局憑りつかれてしまうなんて……、これも日ごろの行いでしょうか?
わたくしとトロレイヴ様、ハレック様は昼食も済みましたので、学園の中庭で一息つこうという話になりまして、中庭に出ました。
わたくしはリリアーヌが差す日傘の下で、お二人に挟まれる形でベンチに座っております。
うう、二学年に上がってから、当たり前のようにこのフォーメーションですけれども、なかなか慣れませんわね。
残暑という事だけではなく、熱いですわ。
「そうだ、グリニャック様」
「はい、なんでしょうか?」
「うん、今度の休日は三人で街の市場に行ってみないかい?」
「市場ですか?」
「そうなんだ、この間実地訓練で街の警備体験というものをしたんだが、活気にあふれたいい場所だったぞ」
「まあ、そうなのですか。それは確かに興味がありますわね」
「まあ、スラム街もあるから、絶対に僕達から離れちゃだめだよ?」
「何かあっても私達二人でグリニャック様を守るから、安心して着いて来てほしい」
「そうですわね、お二人がそこまでおっしゃるのでしたら、行けるようにお父様に相談してみますわ」
街に行くという事は、久しぶりに私服姿のお二人を見ることが出来るという事ですわよね。
あ、でも普段の服ではあからさまに貴族です、と宣伝して歩いているようなものですし、着ていくものも平民に合わせたものになりますわよね。
生コスプレ? いえ、変装ですわよね。この場合。
わたくしも平民が着るような洋服を用意しなければいけませんわね。
「リリアーヌ、お父様に許可はいただけると思うので、平民が着るような服の手配をお願いできるかしら?」
「かしこまりました、グリニャックお嬢様」
リリアーヌが頷いたのを確認して、わたくしは左右にお座りになっているお二人に、頷きを返しました。
「それにしても、騎士科ではそのような講義を受けているのですね、わたくしの特進科とはやはり違いますわね」
「そりゃそうだよ、特進科は高位貴族の中でも家を継ぐ人たちが領地経営とか、王宮や貴族達の様々なことを学ぶためにあるクラスなんだからね」
「そうだな、こっちは確かに体力勝負なところはあるが、グリニャック様達の方は知恵勝負なところがあるよな。私達にはついていけないさ」
「そんなことないと思いますけれども。だって、お二人だって、確かに剣の修行はなさっておいでですが、領地経営の勉強もなさっていると、お二人のお母様から聞いておりますわよ?」
「え、なんでばらしちゃうかなあ、母上」
「全くだな。せっかくこっそりトロレイヴと二人で勉強していたのに」
(二人でこっそり勉強! 秘密の勉強!)
まあまあまあ、なんという事でしょうか。お二人は二人で秘密のお勉強をなさっていたのですね。
どんな感じにお勉強なさっていたのでしょうか。肩を並べ合って、顔がくっつきそうになるような距離で、お勉強していらっしゃったのでしょうか?
それとも正面に向き合って、お互いの顔を見ながらお勉強なさっておいでだったのでしょうか?
ああ、どちらにせよ、ぜひともその場面を見て、あわよくば写真に収めたいですわ。
きっと素晴らしい思い出になったに違いありませんもの!
わたくしがうっとりとそんな事を考えていますと、両サイドから手が伸びてきて、わたくしの髪をそれぞれ持つと、髪の毛に口づけをされてしまいました。
(きゃぁぁぁっ! 何事⁉)
わたくしが顔を真っ赤にいたしますと、トロレイヴ様とハレック様が意味深な笑みをわたくしに向けてまいりました。
「また変な事考えていたでしょ? なんとなく雰囲気でわかるようになってきたよ」
「えっと……」
「まったく、グリニャック様には困ったものだな。もっと私達がグリニャック様を愛しているという事を自覚してもらわないといけないな」
くっ、腐女子として妄想しているのがバレると言うのは致命的ですわね。もっと隠蔽率を上げないといけませんわ、特訓ですわね。
わたくしは赤くなった頬を両手で覆って隠しながら、決意を新たに致しました。
お二人が愛し合っている仲ではないと思い知らされている最中でございますが、腐妄想は止められないのが腐女子の性と言うものですわよね!
それにしても、日を追うごとにトロレイヴ様とハレック様の色気は増していきますわね。
先日なんて、剣の居残り練習の終わりに、蛇口で頭から水を被って、濡れた前髪をかき上げたのですが、十六歳と思えないような色気を醸し出しておりましたのよ!
もちろんこっそりと写真に収めましたけれども、あれはご褒美でございましたわ。
ご褒美と言えば! 今日の昼食の際、お二人が注文したものが被ったのですが、わたくしも食べようか悩んでいたものでして、じっとお二人のお皿を見ていたら、お二人が「どうぞ」といって一口分、スプーンですくってわたくしの方に差し出して来ましたのよ! あれが前世の同人誌で見た「あーん」というものですのよね。
お返しに、わたくしもお二人に「あーん」をさせていただきましたが、緊張してしまいましたわ。思わず手がプルプルと震えてしまいましたわ。
トロレイヴ様とハレック様はそんなわたくしを、優しく見守って下っておりました。
おかしいですわね、見守るのはわたくしの特権のはずですのに……。
そんな感じに無事に学園での講義を終えて、いつものようにトロレイヴ様とハレック様の剣の居残り練習を見学して、それぞれ帰宅いたしました。
わたくしはいったん自室に戻りドレスに着替えると、今度の休日に街に行く許可をお父様に頂くために、執務室に向かいました。
執務室の前に到着いたしますと、扉をノックいたします。
「お父様、グリニャックです」
「入りなさい」
中から入室許可を頂きましたので、扉を開けようと手を上げた瞬間、中の方から扉が開けられました。
見れば、セルジルが扉を開けてくれていました。
「ありがとう」
「いえ、グリニャックお嬢様」
わたくしは執務室に入ると、お疲れのご様子のお父様の近くに行きます。
「お父様、なんだかお疲れのご様子ですわね。なにかありましたの?」
「いや、プリエマに憑りついているエルネットの怨霊の浄化作業が進まないせいで、プリエマの正妃教育に遅れが出ているそうなのだ。このままでは正妃の仕事が務まるかどうか」
「まあ、それは大変ですわね」
そうですわよねえ、怨霊に憑りつかれている状態で大公の正妃教育なんて進みませんわよね。
ウォレイブ様の寵愛ぶりから考えて、婚約破棄はないでしょうけれども、側妃選びを早々にしなければいけないかもしれませんわね。
エルネット様の怨霊に憑りつかれている状態では、性交どころかキスも難しいでしょうしねえ。
そもそも、ウォレイブ様とプリエマが一緒にいるだけで、怨霊は活発化するのではないでしょうか?
大変ですわねえ。プリエマも、このままでは衰弱死してしまうのではないでしょうか? なんと言っても地獄の道連れにしてやる、なんて言っておりましたものね。
「それで、今日はどうした? わしの仕事の手伝いをしに来た、と言った感じではないが」
「ええ、実はトロレイヴ様とハレック様に今度の休日に、街の市場に行ってみないかとお誘いを受けまして、行く許可を頂きに参りましたのよ」
「街の市場に? ふむ、まあ、トロレイヴ君とハレック君が一緒ならそう滅多な事は起きないだろうが、ドミニエルかリリアーヌを共に連れて行くと言うのであれば、許可をしよう」
「わかりましたわ、ありがとうございます、お父様」
ドミニエルやリリアーヌはわたくしの護衛も兼ねておりますものね。連れて行くのは当然の事ですわよね。
わたくしはお父様の許可を頂けましたので、執務室を後にいたしますと、淑女教育を受けるために、お母様のもとに行くことにいたしました。
数日経って、休日がやって来ました。
わたくしはリリアーヌが用意してくれた平民が着るような服に袖を通します。ドレスと違って着替えが楽なのはいいのですが、肌触りはやはり悪い布地が使われておりますわね。
まあ、これでもそこそこ裕福な家の娘が着るような服なのだそうですけれどもね。
わたくしは家紋の入った馬車で行くと目立ってしまいますので、待ち合わせの場所まで、家紋の入っていない、使用人が使う馬車で向かうことにいたしました。
待ち合わせは、街で一番大きな広場にある噴水の前になっております。
「楽しみですわね、ドミニエル」
「然様でございますね、グリニャックお嬢様」
学園には通常リリアーヌにお供をお願いしておりますので、今日はドミニエルにお供をお願い致しました。
わたくしが居ない間も仕事は沢山あると言っていましたが、セルジルとの時間を作れればいいな、と思っての事ですが、時間を作りますでしょうか?
二人とも真面目ですものね。職務中に逢瀬などしませんわよね、やっぱり。
トロレイヴ様とハレック様に、今日は食べ歩きというものをするから、お腹を空かせて来るように言われましたので、朝食はサラダだけを頂いてきたのですが、早速お腹が空いてきましたわ。
思わずお腹を押さえていますと、ドミニエルがおかしそうにわたくしを見てきました。
「グリニャックお嬢様、やはりもう少し食べてきた方がよかったのでは? トロレイヴ様とハレック様の前でお腹が鳴っては大変でございましょう」
「そうですわねえ。けれども、食べ歩きというものがどんなものかはわかりませんし、お二人にはお腹を空かせて来るように言われましたもの、仕方がありませんわ。お腹は、鳴らないように気を付けますわ」
「然様でございますか」
ドミニエルが暖かな眼差しをわたくしに向けてきます。幼少の頃より見慣れた眼差しですが、改めてドミニエルを見ますと、どうして攻略対象者になっていないのかと言うぐらいには男前ですわよね。
まあ、学園生活が開始したときには結婚して子供もいる状態ですし、攻略対象になっても困るのですけれどもね。寝取りはよくありませんわよね、うん。
「グリニャックお嬢様、目的地に着いたようです」
「そうですか、楽しみですわ」
わたくしは先におりたドミニエルの手を借りて馬車を下ります。
いつもの馬車とは違うせいでしょうか、二十分ほどしか乗っていなかったのになんだか疲れてしまいましたわね。
ドミニエルに案内されて噴水の前に行きますと、そこには帯剣したトロレイヴ様とハレック様がもういらっしゃっておりました。
「お待たせいたしました、トロレイヴ様、ハレック様。おはようございます」
「おはよう、グリニャック様。僕達が早く来すぎちゃっただけだから気にしないでいいよ」
「おはよう、グリニャック様。トロレイヴの言う通りだ。念のため、周囲の安全を確保しておくのは騎士としての常識だからな」
「まあ、そうなのですか」
お二人で仲良くこの周辺を警戒なさっておいででしたのね。
……平民が着るような服に身を包んだとしても、やはりトロレイヴ様とハレック様の麗しさは曇りませんわね。
むしろ新鮮でいい感じですわ。
「今日はよろしくお願いしますわね」
「うん、任せてよ、ばっちりエスコートするからね」
「食べ歩きなんて、私も初めてだが、グリニャック様と一緒なら何でも楽しいさ」
「わたくしも楽しみですわ。食べ歩きなんて本当に初めてですもの」
前世から、雑誌などで見て一度やってみたいと思っていたのですわよね。ああ、もう本当に楽しみですわ。
わたくし達は早速と言った感じに、市場の方に向かいますと、本当に活気に満ち溢れていて、あちらこちらから楽しそうな声や、呼び込みの声が聞こえてきます。
「本当に、すごい活気ですわね」
「でしょう、グリニャック様に是非とも見て欲しかったんだ」
「こういう体験も、将来の女公爵には必要な勉強になるだろう?」
「ええ、そうですわね。えっと、先ずはどこに行きますの?」
「あそこの屋台にまずは行ってみようよ」
「そうだな、私もお腹を空かせてきたせいで、今にも腹の虫が鳴いてしまいそうだ」
わたくし達はまず目についた屋台で、フライドポテトを三つ頼みました。学食や家で食べるような形のものではなく、皮の付いたまま切ったジャガイモを油で揚げている物ですが、揚げたてなのか、ホクホクで美味しいですわね。塩加減も絶妙ですわ。
食べ歩き用になっているのか、量は少なめになっております。
お茶会でも立食形式のものがございますので、立ちながら食べるという事はございますが、それとはまた違った感覚ですわね。
次に向かったのはホットドッグを売っているお店でした。ソースの味がいくつかあって、三人で別々の物を注文いたしました。
「トロレイヴ、そっち一口くれないか」
「いいよ、僕もそっちの味も食べてみたかったんだよね」
お互いに手にしたホットドッグを、お互いの口元に持って行きました。
(きゃぁぁぁぁ! 食べさせあいっこ! しかも間接キス!)
これは良いご褒美イベントですわ。
わたくしは手に持っているバーベキューソース味のホットドックをモグモグと食べながら、ニヤつきそうになるので表情筋を必死に維持致しました。もちろん、こっそり射影機でお二人が食べさせあいっこをしている場面を撮りましたわ。
その後も、それぞれ買った飲み物を三人で交換して飲んだり、小物を取り扱っている屋台を覗いたりと楽しい時間を過ごすことが出来ました。
わたくしは最後に、リリアーヌへのお土産にセルジルとお揃いで付けられるようなお守りを買って、トロレイヴ様とハレック様と別れて、ドミニエルと一緒に待たせていた馬車まで参りました。
その途中、目の端に見覚えのある顔が見えて、思わず振り返ったのですが、人ごみに紛れてしまって、また見る事は出来ませんでした。
……まあ、見間違えですわよね。こんな所に居るわけがありませんわ。
一瞬見えたのは隣国の第二王子でした。この国には今、この国に対して悪意を持っている方は侵入することが出来ないはずですので、隣国の第二王子が居るはずがありませんわよね。
うん、見間違えですわ。そうに決まっておりますわよね。
若干最後に気になることはありましたけれども、総じて良い時間を過ごすことが出来ましたわ。
わたくしは我が家につくと、着替えをするため自室に行き、そこで待っていたリリアーヌにお土産を渡しました。
「男女のペアのお守りなのですって。よければセルジルと一緒に使ってもらえれば、と思って買いましたのよ」
「ありがとうございます、グリニャックお嬢様。大切にさせていただきます」
リリアーヌはそう言うと、お守りの入った小さな紙袋を、大切そうに胸の前で包み込むように持ちました。
喜んでもらえて何よりですわ。
食べ歩きのせいですっかりお腹はいっぱいになっておりますので、今日の夕食はいらないとシェフに伝えてもらい、わたくしは今日も今日とてこっそりと撮影したトロレイヴ様とハレック様の写真を寝室のドレッサーの引き出しの一番上に入ってるアルバムに追加で貼り付けました。
「はあ、思い出すだけでまたお腹が膨れてしまいそうですわ」
この食べさせあいっこの写真など、まさに国宝級ですわね。
今日一日で良い写真が沢山撮れましたわ。
アルバムも、もう三冊目になりましたわね。
わたくしは写真を収めたアルバムを丁寧に引き出しの中にしまうと、湯あみをするために隣の部屋に戻りました。
「グリニャックお嬢様、今日は本当に楽しかったのでございますね」
「ええ、食べ歩きというものがあんなに楽しいものだとは思いませんでしたわ。立食形式のお茶会とはまた違った趣がございましたわ」
「然様でございますか、それはようございましたね」
「機会があったら、リリアーヌもセルジルと一緒に行ってみるといいですわ」
「そうでございますね、機会がありましたら、ぜひそうさせていただきますね」
「ええ」
そんな会話をしながら、湯あみを終えると、寝着に着替えて寝室に戻りました。
寝る前にもう一度アルバムを見て癒されると、幸せな気分のまま、ベッドに入り眠りにつきました。
街の市場に行ってからしばらく経ったある日の事です。
そろそろ冬の足音が聞こえて来るような時期に、わたくしはウォレイブ様に呼び出しを受けてしまいました。
同伴に関してはなにも言われておりませんでしたので、トロレイヴ様とハレック様に同伴していただくことにいたしました。
今日は、離宮の方ではなく、本宮にあるウォレイブ様の私室に直接招待されておりましたので、本宮の中を進んでいきますが、進んでいくたびに重苦しい空気が強くなっていき、思わず足取りが重くなってしまいます。
ウォレイブ様の部屋の前につきますと、護衛の騎士によって扉が開かれました。
その途端、瘴気というのでしょうか? 重苦しい空気が部屋の中から溢れ出て来たように思い、わたくしは思わず手を口元に持って行きます。
「グリニャック嬢、どうぞ中に入ってくれ」
「……ええ、ウォレイブ様」
部屋の中から聞こえて来たウォレイブ様の言葉に応えて、部屋の中に一歩足を踏み入れた途端、ぐっと重力が増したように感じました。
部屋の中にはもちろんウォレイブ様がいらっしゃいますが、その腕の中には、ぐったりとしたプリエマが居まして、そのお二人を囲む様にシャルナン様を含んだ神官が四人いらっしゃいました。
プリエマ、相当参っていますわね。顔色も悪いですし、肌も荒れているようですわ。何よりも眠れていないのでしょう、目の下の隈が酷いことになっておりますわね。
しばらく見ない間にすっかり変わってしまいました事。
「ご機嫌よう、ウォレイブ様。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「よく来てくれたね、グリニャック嬢。用事は他でもない、プリエマに関してなんだ」
「プリエマに関して、ですか? けれども、わたくしは聖女という肩書こそあれど、浄化作業などはできませんわよ?」
「神様に、エルネット嬢の怨霊をどうにかしてくれるよう、頼んではくれないだろうか?」
「出来ればしているのですが、神様よりお呼びがございませんので、わたくしにもどうしようもございませんの」
「そんな……。このままではプリエマは衰弱していくばかりだ」
ウォレイブ様は腕の中でぐったりしているプリエマの頬をそっと撫でます。
うーん、なんと言われましても、あの神様に呼び出されない限り、わたくしからコンタクトを取る方法などございませんし、本当にどうしようもないのですよね。
「……お姉様?」
プリエマの目がわたくしを捕え、弱々しい声がその口から発せられました。
「プリエマ、久しぶりですわね」
「もう、もうこんなこと止めてください」
「は?」
プリエマは何を言っているのでしょうか?
「私がウォレイブ様の正妃になるのが決まったからって、こんな風にエルネット様の怨霊を使って私を苦しめるなんて、あんまりです」
「言っている意味が分かりませんわね」
「だって、お姉様が元凶なのでしょう? 私ばかりがウォレイブ様の正妃になるからって、嫉妬して」
「なぜわたくしがそのような事に嫉妬しなければなりませんの? わたくしには最愛の婚約者がお二人もいますのよ」
「だって、私がエルネット様に恨まれる要素なんて何もないもの、お姉様が裏で何かしたに違いありません」
「本当に何もしておりませんわよ? エルネット様に個人的な恨みを買ったのは、貴女の日ごろの行いが悪かったせいではなくって?」
「酷い」
プリエマの瞳からポロポロと涙が流れ始めます。やつれてはいますが、流石はヒロインですわね、泣く姿は様になっておりますわ。
それにしても、本当にどうしてわたくしがプリエマに対して何かをしなければならないのでしょうか?
プリエマは未だにわたくしに悪役令嬢の役柄を求めているのでしょうか? 無事にウォレイブ様の正妃となれる婚約者になれたのですから、わたくしなどもう用済みでしょうに。
やつれたせいでしょうか、以前はくりくりとした可愛い眼が、今はぎょろりとした感じに見えますわね。まあ、ヒロイン補正なのか、それでもまだ可愛らしく見えるのですけれども。
「プリエマ、本当に、わたくしは何もしておりませんわよ」
「嘘です」
「現実を見なさい。貴女は自分の行いの何かが悪かったから、エルネット様に恨まれ、今のように怨霊となったエルネット様に憑りつかれておりますのよ」
「私は何も悪くありません。わたしは、セルジルを諦めて、お姉様が望む通りにウォレイブ様を選んだんですよ。こんな仕打ちあんまりです」
「セルジル? って、エヴリアル公爵家の執事長? プリエマの元想い人は執事長だったのか」
あら、思わぬところでバレてしまいましたわね。せっかく誰なのかぼかしておりましたのに、自爆するなんて、プリエマもうっかりさんですわね。
わたくしは、プリエマをじっくりと眺めます。そうしますと、黒い靄のような物が見えて、それが女の形を取っている事が分かります。
なるほど、これがエルネット様の怨霊なのでございますね。
うーん、ここに居ても本当にわたくしに出来ることはないのですけれどもね。
わたくしはそう思いながら、プリエマの方と言うよりも、エルネット様の怨霊に近づいて行きます。
「グリニャック様、危ないよ」
「そうだ、近づかないほうが良い」
「えっと、わたくしに対する悪意は感じませんので、エルネット様の怨霊がわたくしに何かをするとは思えませんので、大丈夫だと思いますわ」
わたくしはトロレイヴ様とハレック様の言葉に答えてから、エルネット様の怨霊に手を触れました。
『ぐ……グリ、ニャック』
「ええ、お久しぶりですわね、エルネット様」
『なんの、よう』
「いえ、怨霊になってまでプリエマを恨むという内容を知りたくて」
わたくしが触れたことによって、怨霊となったエルネット様が可視化されたのか、神官の方々が息を飲んだのが分かります。
「エルネット嬢! プリエマから離れてくれ!」
『ウォ、レイ、ブ様……いや、よ。この女はあたしが、地獄に、連れて行く、のよ』
「プリエマは、何もしていないじゃないか! なぜ憑りつくんだ」
『なに、も……しなかったから、この、女のせいで、あたしは、未来を、失ったのよ』
「そんなの言いがかりだろう!」
『あたしは、必死だったのに、この女は、なにもしなかったのよ』
ふむ、何かしたからではなく、何もしなかったから恨んでいるという事でしょうか? 難しいですわね。
「エルネット様、プリエマに憑りつくなんて非生産的なことをなさらずに、神の御許に行かれ、新たなる人生を迎えるまで、安らかにお眠りになるべきです」
『そんなの、いや、よ。あたしは、安らかな眠り、なんて、いらない。この女を道連れにして、地獄にいく、のよ』
「困りましたわねえ。どうすれば、エルネット様はプリエマから離れて下さるのでしょうか?」
『絶対に、離れ、無い』
本当に困りましたわ。最終手段は神様に強制的にどうにかしていただくという方法しか思い浮かばないのですが、こういう時に限って神様が出て来ないのですよね。
「ウォレイブ様、やはりわたくしには何も出来ないようですわ」
「そんな! このままではプリエマが!」
『恨んでやる、呪ってやる、プリエマァァァァ』
これは、相当根深い怨念ですわねえ。
わたくしは溜息を吐きながらトロレイヴ様とハレック様の元に戻ります。
途端に、エルネット様の怨霊から庇う様にわたくしの前にお二人は立ち位置を変えてくださいました。
本当に紳士ですわね。
「ウォレイブ様、エルネット様はウォレイブ様への想いが反転してプリエマへの怨念に変化してしまったのだと思います」
「そんな、ではボクは何をしたらプリエマを救えるんだい?」
「しばらくの間、プリエマから離れてみてはいかがでしょうか?」
「嫌よ! ウォレイブ様、私から離れないでください!」
プリエマがそう言ってウォレイブ様の胸に抱き着きます。
「きゃぁぁぁっ」
ほら、そんな事をするからエルネット様の怨霊がパワーアップするのですわよ。
エルネット様の怨霊は、プリエマの首に噛みついております。せっかくふさがった傷口がまた傷つけられておりますわね。
……噛み千切るおつもりなのでしょうか?
神官の方々が一斉に呪文のような物を唱え始めます。
『ぎゃぁぁっ』
「あふっ……くぅ」
あ、エルネット様の怨霊がプリエマの首元から離れましたわね。
プリエマは痛みの為か、それとも別の原因かはわかりませんが、ボロボロと涙を流してウォレイブ様の胸に縋りついております。
「……一応、王宮の礼拝堂に行って、神様に祈りを捧げてまいりますわ」
「頼めるか、グリニャック嬢」
「ええ、けれどもお役に立てるかはわかりませんわ」
「構わない。今は出来ることは全てして、プリエマを救いたいんだ」
「わかりましたわ。トロレイヴ様、ハレック様、礼拝堂に参りましょう」
わたくしはそう言うと、ウォレイブ様の私室を出て礼拝堂へと向かいました。
礼拝堂につくとすぐ目に入るのが、石碑に飾られたアーティファクトです。今もあの時と変わらぬ輝きを放っておりますわ。
わたくしは意味がないと思いつつ、石碑の前に行くと、神様にエルネット様の魂をこの世界から解放して欲しいと祈りを捧げました。
…………まあ、わかっておりましたが、何の変化もありませんわね。
わたくしは小さくため息を吐き出しますと、トロレイヴ様とハレック様と共に王宮を後にいたしました。
応援ありがとうございます!
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