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九歳編

挿話2

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 アリスが帰って来た。
 けれども、ろくに挨拶もしないうちに魔法省に面接に行ってしまった。
 精霊の聖域で魔法を習得してきたらしい。
 本当にシナリオにない行動をとってくれる。

「ハンス王子、お姉様のことが気になるのですか?」
「アリスの事かい? そうだね、もちろん気になっているよ。精霊の聖域に招かれるなんて、滅多にないことだからね」

 本当に滅多にないことだから、ありえないと思っていたのに、まさか修正したシナリオをさらに修正しなくてはいけなくなってしまったではないか。
 本当なら、アリスは魔力操作の訓練に数年かかり、ろくな教育も受けないまま、ハンス王子の婚約者候補になるはずだったのに、わずか一年半余りで帰ってきてしまった。
 しかも魔法省に入るだなんて聞いていない。
 あそこは特殊な部門で簡単には手を出せる場所ではないのだ。
 それに同母兄のサルバドールもいる。本当に厄介なことこの上ない。

「お姉様は本当にすごいですよね、たかが侍女見習いの私とは全く次元が違うっていう感じです」
「ライラも十分に頑張っているよ」

 ヘレナの部屋で、こうして人目を忍ぶように二人でお茶会を開くのは、何度目になるだろうか。
 こうしてでも捕まえておかないと、こっちまでシナリオの想定外の行動をとられると困ってしまう。
 ふわり、と開けた窓から風が吹き込んできて髪を揺らす。
 同時にカップの中に入れられたハーブティの香りがあたりに漂い、その心地よさに思わず目をつぶってしまう。

「心地いい風ですね」
「ああ、本当に」
「この風をお姉様も感じていらっしゃるのでしょうか?」
「どうかな?」
「お姉様には風の高位精霊様が加護を与えていらっしゃるから、ここよりも心地いい風を感じていらっしゃるかも……」
「それはどうかな。高位精霊とはいえ、風の種類まで変えられるとは思えないよ」

 まあ、高位精霊の能力なんて誰も知らないのだから、適当なことを言ってもわからないだろう。

「サルバドールお兄様も魔法省に入ってから、家に一度も帰っていらっしゃらないのですよ」
「そうなのかい? それは不義理だね」

 関係のないサルバドールの名前を出して一度お茶を濁す。

「魔法省ってどんなところなのでしょうか、私は分野が違うので全く分かりません」
「そうだね、僕もよくわからないのだけれども、魔法使いを保護育成している機関だと聞いているよ」
「そうなんですか。ハンス王子は何でも知っててすごいですね」
「なんでもは知らないよ。知っていることだけしか教えることは出来ないよ」
「でも私よりたくさんの事を知っているじゃないですか。十分にすごいです」

 褒めそやされて悪い気はしないだろう。

「ありがとう。なんだか照れてしまうな」
「ハンスー。ハンスー、どこなのー?」
「あ、母上が呼んでる」
「ヘレナ様ですか。正直言って私少し苦手なんです」
「そうかい? いつも楽しそうに話しているじゃないか」
「だって、いつも我が家に入った流行の品がいつ手に入るのかとか、そういう話ばかり振っていらっしゃるんです。父もできる限りヘレナ様にお譲りするよう努力はしているのですが、中々に難しい品もありまして、そういう場合怒ってしまわれて、そんなときがひどく怖いのです」
「そうなのかい? それはひどいな。僕から母上に言っておこうか?」
「いいえ、いいんです。私が我慢すればいいだけの事ですから」
「ライラ、君は昔から我慢ばかりしているね」

 そう、この相手ぐらいはシナリオ通りに動いてくれないと困る。
 シナリオ通りに動かすには強力な餌が必要だ。

「いいんです。私はそういう運命なんだともう諦めていますから」
「諦めたらだめだ!」

 その言葉と共に二人の影が重ね合うように一つになる。

「ハンス王子……」
「ライラ、僕は健気な君が好きだよ」
「ハンス王子っ私も、ハンス王子のことが……」
「ハンス、……あらライラもいたの」

 ヘレナがついに二人を見つけてしまい、陰は再び二つに分かれる。
 ヘレナは今二人が抱き合っていたのを見たのだろう。からかう気なのか、目や口元がチェシャ猫のように三日月の形に変化していく。

「ヘレナ様、これはっその……」
「いいのよぉ、若い子の火遊びって大事だもの。でもねえ、私以外が見たら大変だったんじゃないかしらぁ?」
「はい……」
「母上、ライラは悪くない、僕が抱き寄せたんだ」
「あらっ、流石は第三王子様。お手が早いですこと。姉だけじゃなく妹にまで手を出していたなんてね」

 この言葉に思わずイラっとしてしまう。
 あれは完全にシナリオの想定外の出来事だったのだ。
 ヘレナはハンスの母親だと言われれば誰もが納得するような美貌の持ち主だが、性格に問題があった。
 とにかく人をからかうのが趣味なのだ。
 しかも自分のさじ加減でからかい方を変えるため、本人は少しからかっているつもりでも、相手には大ダメージを与えているなんてこともよくあることだ。

「アリスには振られ済みですよ、母上。それにライラに手を出すなんてとんでもない。僕たちは清い関係だよ、ねえ、ライラ」
「はっはい!」
「ふふふ、いいお返事ねぇ。でもライラ、お仕事をサボって私の息子と逢引きなんて、侍女頭が知ったらどう思うかしら?」
「ひっ」

 顔が青くなる。

「母上、ライラをからかうのはほどほどにしてあげて下さい。彼女は繊細な心を持っているんです」
「繊細な心ねえ、そんな心の持ち主が、私の息子を誘惑しようとするかしらぁ」
「誘惑なんてしてません」

 このままでは又シナリオからずれてしまうと軌道修正しようと試みる。

「そう?まあいいわ。ハンス、例の薬が切れているの、街の薬師のところに買いに行ってもらえないかしら。ああそうだわ、ライラといってきなさいな」

 シナリオに戻ったことで、よし、と心の中で思う。
 ヘレナのいう例の薬というのは、若づくりをするための薬で、元は魔法省に務めていた薬師に特別に処方させているものだ。
 一年ほど前から、城下視察の際にお忍びで買いに行っているのだ。

「わ、私がご一緒してもいいんですか?」
「ライラも一緒に?僕は構わないけど、母上の侍女見習いを勝手に連れ出してもいいのですか?」
「勝手にじゃないわ。主たる私が許可したんだもの。でもあくまでも城下視察を兼ねたお忍びの買い物よ。デートじゃないから、そこのところを気を付けてちょうだいね」
「分かりました、ヘレナ様」
「分かったよ母上」

 急遽二人で買い物に行くことになったように見えるが、これはシナリオ通りだ。
 この買い物で二人の親密度が深くなるのだ。

「じゃあ行こうか、ライラ」
「はい、ハンス王子」

 そう言って二人で薬師の経営する薬店に向かう。あくまでもお忍びなので、警備は最低限しか連れていない。
 それが今回二人の親密度が上がるキーポイントだ。
 少ない護衛のせいで、二人は誘拐されかけてしまい、それを二人が力を合わせて脱出するというシナリオだ。
 ありきたりなシナリオだが、こういう細やかなイベントを繰り返していくことで、親密度を上げていくのだ。
 アリスのシナリオが読めなくなってきた以上、こちらだけでもシナリオ通りに進めなければならない。
 しかし、アリスは本当にどこに向かおうとしているのだろうか。
 魔法省に入らなくても道はたくさんあっただろうに、なぜ中でも奇抜な魔法省に九歳で、否、年を重ねているのだから十歳か。十歳で入省するなどと言っているのだろうか。
 こちらのシナリオにどれほどの影響をもたらしてくるのかが予測できない。
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