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第一部 owner&butler

プロローグ【初夜】

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 別に、初めからこうなることを望んでいた訳ではない──という見え透いた嘘を吐くつもりはないけれど、一応弁明の為に言わせて欲しい。

 夏の暑さは心を惑わせる、そう思うんだ。

 学生の頃、夏休みになると恋人が欲しい──なんて考えたりしなかっただろうか。


 あの時のわたしは、多分それと同じだったんだ。


 なんてことを考えながら、隣で寝息を立てる彼の頭をそっと撫でた。


(体、べたべたする……)

 互いの汗と涙とそれから体液にまみれた体。ああそうだ、一度目にした時には雨にも濡れていたんだっけ。そのせいでベッドシーツはぐちゃぐちゃ──不快な筈なのに何故だろう、気持ちがよいこの感覚。

 季節は夏だ。


 冷房を低温にしていても、あれだけ濃厚な行為をすれば、流石に汗もかく。

「さっむ……」

 そうだ、途中で冷房の設定温度を22度にしたんだった。寒いわけだ。

「リモコン……リモコン……遠いなぁ」

 求める物は部屋の中央のコーヒーテーブルの横。夏祭りに着て行き、先程脱ぎ捨てた浴衣の上にあった──彼が放り投げたせいだ。

「そうだ……」

 冷房の温度を上げるのではなく、わたしたちの体温を上げればいいんだ。
 そう思い立ったわたしは、夏掛けで隠されていた彼の体に手を伸ばし、触れた。

「…………ぅ………………んっ」

 しばらく遊んでいると、小さな呻き声と共に彼が起きた。長い睫毛を乗せた瞼がスッと持ち上がり、蒼色の瞳はまだぼんやりとしている。

「……コンタクト、外すの忘れてましたね」

 わたしが言うと、彼は「あ……」と呟きくしゃりと笑った。

「ところで……ほたるさん」
「なんですか?」
「その、何をしてらっしゃるのですか?」

 彼の目線は起き上がって隣にぺたりと座るわたしの右腕から手のひら──更にその先へと向けられる。

「いや、ですか?」

 ゆっくりと首を横に振る彼。

「私の記憶が正しければ、ほたるさん……先程から二度ほど、あなたの中にお邪魔したと思うのですが」
「三度目は、ダメなんですか?」

 またしても、ゆっくりと首を横に振る。

「もう起きてしまいましたし、ここで止めろと言われましても──無理です」

 わたしの手をそっと振りほどき身を起こす彼。キシッとベッドが音を立て、わたしの体は優しく押し倒された。

(月明かりが、眩しい)

 今宵は満月だ。わたしと同じタイミングで彼も気が付いたのか、顔をスッと左に向ける。白地にパステルカラーの小花柄が描かれた──わたしの部屋のカーテン。その隙間から覗く月と目が合うと、彼は切れ長の目元を弛緩させていやらしく笑った。

「──狼」

 言いながら彼は、わたしの腰に跨がる。

「狼になっても?」
「さっきからずっと狼だと思います」
「そうですか?」
「そうですよ」

 あれで狼でないというなら、何だというんだ。獅子か……? いや、獅子って狼よりも強者──激しいのだろうか。

「待って下さい。今度はわたしが、わたしが狼役です」

 首を傾げた彼の肩を掴み「下りてください」と言うと、少し不満げに彼はわたしの隣で胡座をかいた。

「大胆ですね」
「狼ですから」

 皺くちゃのシーツの上に彼を押し倒し、腰の上に跨がった。わたしは「がおー」っと両手の指ををわとゃわちゃと動かす。ふふっと小さく笑うと彼はその長い腕を、わたしに触れようと伸ばす。

「流石に届かないと思いますよ」

 伸びてきた両腕の手首を掴み、わたしはそれにするすると自分の手を這わせてゆく。少しずつ前屈みになり目と目が合うと、途端に真剣な顔になった彼に、じいっと瞳の奥を覗かれる。


 彼の長く艶やかな黒髪がシーツの上にはらはらと広がっている。


「おとなしい狼ですね」
「そ、そんなことは……」

 言うや否や掴んでいた腕から手を離し、彼の唇にそっと自分のそれを重ねた。

 彼が夢中になり始めた頃合いを見計らって、わたしは左手で彼に触れながら腰を浮かせる。わたしも彼も、互いを受け入れる準備は万端なようだ。

「──────っ…………んん……っ」

 舌が絡み合っているので、可笑しな声が漏れてしまう。それを掬い上げるように、彼の大きな手がわたしの頬を包み込んだ。

「え……あの、どうして」

 彼はぐい、と手に力を込め、わたしの顔を押しやった。触れ合っていた唇が離れ離れになり、宙ぶらりんになる銀の糸。

「ちゃんと──ちゃんと声が聞きたいのです」
「……声、ですか」
「お顔も、はっきりと見たいのです」
「……顔」

 恥ずかしがるように咳払いをした彼は、上半身を起こして目を伏せながら、ぼそぼそと呟く。

「恥ずかしいので、いい加減察してくださいよ……」

 頬から離れた彼の手は、そのままわたしの腰に伸びてきて、そして──────



 







 ぐちゃぐちゃでべたべたなシーツが、更に汚れてしまう──きっと朝になったら彼が洗濯をしてくれる。いつだって洗濯は彼の仕事。わたしが手を出したら駄目だと言って怒るのだ。

『私は貴方様の執事です。洗濯は私の仕事です』

 と。

 頭の隅で、ぼんやりとそんなことを考える。

 ああ、でもそうだな──明日からはわたしも、ちゃんと手伝おう。



 だって、今日からわたしたちは────

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