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076 大壺

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 歓迎の宴、舞踏会のさなか、天狼の介入により星クズの勇者の失踪事件が起きたせいで、初っ端から慌ただしくなった感のある、ラジール王子の帰還および調査団の滞在。このままズルズルなし崩し的に日数を消化するのかとおもいきや、そうはならなかった。
 枝垂はちょっと舐めていた。
 大人たちの社会性と心身に染み込んだ勤労意欲と社畜魂、それから切り替えの早さを。
 大人たちは動揺を隠しつつ、日常の業務を淡々とこなす。
 卒倒した王様たちも、翌朝には普通に目を覚まし、ケロリとして公務につく。どうやらひと眠りしている間に、心の折り合いをつけたようだ。「あれはあれ、これはこれ」といった感じで。
 しかしそんなタフな大人たちに支えられているからこそ、この社会はつつがなく回り続けていられるのだ。感謝せねばなるまい。
 でもって学生の本分は勉学である。
 だから枝垂はいつも通りに初等部の授業を受けていたのだけれども……

「うぅ、落ち着かない。まるで授業参観みたいだよ」

 枝垂の集中をさまたげていたのは「辺境での勇者の暮らしぶりを観察する」との名目にて、教室にまで押しかけてきたアリエノールである。監査部の人間もまた仕事熱心であった。オウランよりいろいろ言われたらしいけど、彼女はいまだに自分がどうするか決めかねているよう。とりあえずコウケイ国のみなが守ろうとしている枝垂を、己の目で見極めようとしているらしい。
 王様より「監査部の人間と枝垂との不用意な接触は控えるように」と命じられているマヌカ先生は、「授業風景を拝見したい」との申し出をやんわりお断りしようとしたのだけれども「今後、あらわれるかもしれない星クズ判定の者たちのためにも、是非、参考にさせて欲しい」と言われては断りきれなかった。
 さすがは監査部の人間である。わずかな隙あらば、グイグイきて遠慮がない。

 落ち着かないのは枝垂のみではなくて、クラスメイトたちも同じ。
 なにせアリエノールはラジール王子のいい人にて未来の王妃候補、連合軍のエリート、軍服姿も凛々しい美人で、背筋をのばしブーツのカカトを鳴らし歩く姿もかっこよく、スマートで洗練された都会の女、さらにはムクラン帝国のお姫様でもあるのだから。
 ソワソワ要素がこれでもかと、てんこ盛りである。

 そんなアリエノールは授業のさまたげにならない程度に教室内を動いては、さりげなくシモンやルチルらに声をかけて相手をドギマギさせつつ「ねえ、枝垂くんってばどんな感じ?」なんぞと情報収集をするから、油断も隙もありゃしない。
 この第一初等部の生徒たちは、みな城内に務める親御さんを持つご子息ご息女であるがゆえに、親経由にて上から「外部の者にベラベラと星クズの勇者について話さないように」との通達を受けて入る。
 とはいえ、所詮は子どもである。
 長い銀髪さらさら、青い目をした年上の綺麗なお姉さんから話しかけられたら、ひとたまりもなかろう。

「エレン姫さまによれば、懐柔の方向に大きく舵を切るって話だけど、上手くいけばいいんだけどなぁ」

 ラジール王子はいい人なんだけどちょっとアレなもので、この手のことではいまひとつ頼りにならない。
 コウケイ国としては、中央の事情や情報に明るい味方は是が非でも欲しいところである。
 枝垂がそんなことをつらつら考えつつ、文字の書き取りに精を出していたら、急に身の内がもぞもぞとムズかゆくなってきたもので「なんだ?」
 それは枝垂のみではなくて飛梅さんも同じであった。木偶人形が頭の梅の簪を揺らしながら、身をよじっている。
 この感覚を何に例えたらいいだろうか。
 寝ているときに、急にそわそわしだして落ち着かなくなって、じっとしていられなくなってしまうようなとでも言おうか。

 ソワソワがぞわぞわに変わり、カラダを内側からくすぐられる。
 それがみるみる大きくなって、たちまち全身に及んだもので、枝垂は耐えきれずに立ち上がって、「かはっ」と呼気を吐き出す。
 はずみで椅子がガタンと倒れたもので、みんなの視線が枝垂に集まり、マヌカ先生が「どうしました? 枝垂くん」と慌てて駆け寄ろうとしたところで……

 ポンっ!

 何もないところから、突如としてあらわれたのは大きな壺である。
 蓋付きのモノで三十リットル――枝垂の梅壺にて亜空間収納「梅蔵」で保管されてあるうちのひとつ。
 それが勝手に飛び出してきたとおもったら、カタカタ震えているではないか!
 飛梅さんにまで異変が生じていたのは、枝垂と「梅蔵」を共有しているから。
 吐き出した? ことにより体内の不快感は消えてスッキリ!
 だけど、かつてない事態に枝垂も困惑を隠せない。
 そんな場面を目撃することになった教室内の一同もあんぐり。
 しかしながら、壺の表面にぴしりと亀裂が入ったのを目にしたとたんに、みんなは一斉にズザザと後退っては壺から距離をとった。

 震える壺が割れる。
 それすなわち、中から得体の知れない何かが飛び出そうとしていたからである。


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