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 ユエン・サーキス公爵。この国の宰相である。彼は昨夜のことを思い返していた。

 昨夜、娘のマリアンヌにキッチンの鍵を渡した。マリアンヌはその意味を理解し、神妙な顔つきでそれを受け取っていた。手が震えていたことにはっきり気づいていたが、気がつかないふりをした。

 建国以来スタンピードが発生したことはなかった。我が国は女神と契約をしており結界を張っている。特に王都は厳重な結界を張ってあるはずだった。しかし結界は破られ魔獣が大量に王都に入り込んできた。王城と我が家は辛うじて難を逃れたが、犠牲者は多数に上る。

 張ってあった結界は無惨にも無くなっていた。誰かが結界を剥がしたらしいが、そんなことができる人物は限られている。その人物の割り出しと動機も探らなければならないし、再度結界を貼り直すには魔術師が多数必要である。魔獣はいつ現れるかわからない。街中に出た際には騎士を派遣しなくてはならない。今のところ、王都を中心に見回りを強化しているが、彼らの疲労はピークに達しているであろう。

 食料は地方の領地から魔力による自動配達システムで毎日届く仕組みになっている。おかげで物資が足りず飢える心配はないはずだが、料理人の不足のため調理されたものはなかなか食べられない。体力的にも気力的にも限界は近づいている。

 そんな状態でユエンは、マリアンヌを屋敷に置いていかなくてはならないことに心を痛めていた。あの子は健気にも公爵家の娘ということでその責務を果たそうとしているが、まだ12歳である。執事のセバスチャンがついてはいるが、やはり不安はあるだろう。

 今日屋敷を出たら、今度はいつ戻れるかわからない。仕事は山積みで家に戻る時間も惜しいくらいだ。王族の方々もこの事態に心を痛め極力我慢をしてくれている。自分の個人的な意見を言うわけにいかない。

 ユエンは出かける支度をすると部屋を出た。いつもよりも1時間早い。マリアンヌはまだ寝ているだろうか。

「父上、おはようございます」

 階下に降りるとすでに息子のレオポールがいた。彼は騎士団の副団長である。連日の見回りや魔獣征伐で疲れているはずだが、マリアンヌとの別れを考え早く起床したとみえる。

「おはよう。どうしたのだ?」

 ユエンは何か様子がいつもと違うことに気づいた。

「おはようございます。旦那様、若旦那様」

 セバスチャンがダイニングから出てきた。

「朝食の準備ができております」

 今日はりんごだろうか。と、ユエンは考えた。たった1個のりんごでも彼は貴族の誇りを持って食している。それはレオポールもマリアンヌもそうだ。自分の教えを忠実に保つ子供たちに彼は安心していた。

 そして彼はダイニングルームに入り、いつもの彼の席に着いた。
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