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第3章 時震後1年が経過した

46.2024年4月、塩竃・石山ベース

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ー 塩竃ベースー

  千代は姓を決めた。千代が育った家には井戸があって大変冷たくて美味しい水だったのを思い出して、澄井としたので、今は澄井千代であるが、皆の呼び名は千代である。ベースに入って半年ほど経ったころ、入所者に1)15歳以上で親兄弟がいない者、2)12歳上で学力3以上の親兄弟がいないものは姓をもって良いとなった。

 千代のルームメイトの場合については、千代が12歳であり学力4になっていて親兄弟はいないので該当し、モヨが15歳でやはり親兄弟がいないので、水田モヨになった。ヨシはまだ11歳なのだが、兄がいて連絡が取れないのと、12歳になっても学力が3に届くかどうか微妙である。また、12歳で年齢が千代と同じ沙月については、すでに秋田という姓がある。

 最も入所の早いモヨとヨシ、それに続いた千代はベースに来てすでに10ヵ月前後になっており、すっかりここでの生活に慣れている。沙月は4カ月ほど入所が遅いが、もともと賢い彼女が頑張ったこともあって、同様に違和感なくここに溶け込んでいる。

「千代ちゃん、こんど山名という領に行くことになるそうね?」
 夕食から帰って来て、2段ベッドの下段に腰かけて、沙月が勉強机の椅子に腰かけている千代に聞く。モヨとヨシもそれぞれ椅子に腰かけて聞いている。

「うん、領主の山名様が領を開発することを了承したので、もうすでにブルドーザーが入って整地をしているよ。田んぼでなくて麦と大豆を育てるらしいわ。それと山際では牛を飼うということだし、領の中心に事務所と市場が出来ている。うちは、その事務所にいって、いろんな事務をすることになっている。
 いろんなところ同じようなことが始まっているけど、今人では手が足りないので、どんどんベースで勉強した者が散らばって行くことになるよ。うちもそこで、地の人に仕事のやり方を教えるのも役目になっている。だけど、うち自身がそんなに仕事を知っているわけではないから、多分一緒に仕事をしながら、できない算数とか字を教えることになると思う。

 いずれにせよ、うちが少し早かったけど、モヨちゃんやヨシちゃん、沙月ちゃんも同じように行くようになるよ。その時は、私たちは女であまり力仕事はできないから、コンピュータを使えると便利だよ」

 千代が説明するが、最近では元人という呼び方に対して21世紀人を今人と呼ぶようになっている。
「うーん、コンピュータよね。それがあれば、計算が出来るだけでなく、事務仕事は何でもできるので必要だよね。最初に千代ちゃんが選ばれたのはやっぱりコンピュータの能力ね。私も頑張っているのだけどなあ」
 沙月が悔しそうに言うのにモヨが慰めるように返す。

「沙月ちゃんはまだ入って間もないし、それでもうちより増しよ。うちは勉強についてはもう大したことがないと諦めたよ。でも、どうしても必要な字とか計算は覚えるし、大体出来るようになってきたけどね。うちの師匠の美沙さんが言っているもの、『人にそれぞれ特徴と得意なことが一つや二つはある』ってね。
 だから、その得意なことを見つけて伸ばすのが大事なのよ」

 モヨは、まだ12歳前後の幼い3人に比べ、15歳の大人のとば口に差し掛かっており、栄養状態が改善されたこともあって、どんどん女らしくなってきている。
 また、手先が器用で、何でもきちんとやらない時か済まない性分と積極的な性格から、部屋でも仕事場でも、リーダーシップを取っている。そこを見込まれて、靴工場のデザイナー兼企画係の三宅美沙の手伝いをするようになった。そこで、デザインについてセンスがあることを見込まれて、その面でも手伝っているところだ。

 美沙が言うには「私も学校の勉強はさっぱりだったわ、ハハハ」ということで、モヨは大いに自信をつけているところである。
「うーん、でもやっぱり私たちが仕事をして生きていくには、コンピュータは必要だと思うわ。でも、使いこなすにはものすごく沢山のことを知らなくてはならないし。特にあの『英語』というのもいくらかは解らないといけないし、とにかく大変!」
 沙月が尚も言うが、今後はヨシが応じる。

「沙月ちゃんは欲張りすぎ。聞いたけど千代ちゃんは、このベースで元人の中では大人も入れてコンピュータに関しては一番だよ。沙月ちゃんは私より4ヵ月遅く始めたのにもう私を抜いているし、充分優秀だよ。モヨさんが言うように、人にはそれぞれ得意なことがあるからそれを探すんだ。うちはまだ見つからんけど……」

 ヨシは、最後は少し悲しそうに話すのを見て、千代が取り繕うように言う。
「ま、まあ。うちの住んでいた水菜村は、三村のお殿様、三村庄左エ門と言ったかな、その殿様の領地でね。随分この塩竃ベースを目の敵にしていたけど、どうも山名様と同じように領を譲るらしいわ。知り合いも多いので、皆暮らし向きが良くなるだろうから、嬉しいよ」

「千代ちゃんも暮らしはひどかった?」
 その話は聞いてことのなかった沙月が聞く。
「うん、おばちゃんの家に貰われていたからひどかったけど、そこの子は私ほどではなかったけど。まず、食べ物が食うや食わずでしょう。少し作が悪いと覿面に減るし、それから冬は寒いのね。寝る時はぼろに包まってだから、今の暖房と布団は有難いわあ」

「うん!うちが感激したのはエアコンと布団よ。それから食べ物!あ、それから服もね。そ、それから働くのも楽だし、少なくとも苦しくはない。ああ、全部か!」
 ヨシが口を挟んで頬を両手で挟んで舌を出す。

「確かに、村の人たちがこのベースと同じ生活が出来れば、良い生活ができるでしょうが、家なんかはそのままでしょう?ここみたいに食堂があるわけではないし、食べ物も変わらないわよね。服だって、只で配ることはないと思うけど……」
 沙月が首を傾げて、誰にともなく疑問を呈すると、千代が答える。

「こういうことらしいわ。まず、三村のお殿様とご家来衆にはそれなりのお金が払われて、皆さんはベースが雇う形にするそうだよ。だから、私達ももらっている給料というものが払われて、食べるには困らないとうことね。村は今のままだと、機械で耕すには効率が悪いので整地をして、水路も整えます。
 その際には周辺の荒れ地や林も整地して農地や平地にします。そして村というより領の中心には事務所と市場が出来ます。市場には食堂も併設されて、今人の食事が広まります。また、大抵は何かの工場が出来てそこにも働き口が出来る訳です。そのような建設工事が沢山行われるので、村人はその仕事に雇われます。

 村人はそうやって雇われてお金を手に入れて、食べ物や服などを買うし、また食堂で食べることができるわけです。家を良くするのは時間がかかるでしょうが、そうやってお金を稼ぐことができれば、だんだん良くなっていくはずだよ。ね、今よりは絶対に良くなると思わない?」

「「うん、絶対によくなるね」」
 村の生活を経験しているモヨとヨシは声を揃えて言うが、沙月は首を傾げる。

「でも、皆がそんなに得をするということはないはずよ。そこには凄く沢山のお金がかかるわよね。一体、だれがそんなに沢山のお金を払えるの?」
 沙月の誠に鋭い質問に、流石に千代もはっきりは答えられない。

「うーん。そうね、確かに誰かが、そのお金を出しているのだけど、ベースを作った日本政府?」
「うん、きっとそうだよ。このベースを作る位だから、凄いお金もちなんだ!」
 ヨシが明るく言う。


  ー*-*-*-*-*-*-*-

ー石山ベースー

 仁科義男は、妻となった由香と息子になった良太を伴って、琵琶湖観光船に乗っている。仁科が由香と結婚式を挙げたのは3月半ばであるので、まだ新婚ほやほやである。式は由香の希望で、ベースの会議場で挙げた。京であるとなにかと煩わしいという由香の希望であり、その際に由香と共に良太の籍も仁科にした。

 今人の戸籍はコンピュータに残っていてあるので、その配偶者になるものは戸籍に載ることになる。ちなみに塩竃ベースの千代など、新たに姓を作った者はその時点で日本国籍に加わっている。その際に、今人、元人の別は、それが公式の呼び方ではないこともあって書いていないが、その時点の事由、例えば、『由香26歳、1467年8月20日生まれ、旧姓「橘」、婚姻により入籍』と記されるのですぐに判ってしまう。

 ベースでの結婚式は、21世紀の普通の式程度であったが、由香も十分満足したようであるし、彼女の両親、10人ほどの親類はむしろ豪華さに驚いたようだ。由香の父である橘正文は従5位の文書所の下級公卿である。
 仁科は、由香から公卿のしきたりがなかなか面倒なことを聞いて、むしろ自分の方のやり方を通すことにした。そのため、まず橘家を、自分が取締工場長を勤めている会社の上司である社長と共に訪れ、結婚の挨拶をした。その際には、結納としてテレビ受像機を送り、結納金として100万円を渡した。

 テレビを贈ったのは、すでに京の橘家では使えるからだ。未だ工事中の皇居と共に、公卿の住んでいる街区には今では電線が引かれており、さらに京の街にはKTVの局のテレビ放送も始まっているし、贈った受像機は北海道と沖縄の局の放送も受信できる。

 橘正文達の公卿は、日本政府が皇室を取り込んだことで、宮内庁の職員という扱いになり、給与制になって毎月日本円が払われるようになったことで、生活が楽になったと喜んでいる。
 この給与については、当初はかき集めた永楽通宝による銭と日本円としたが、人々が京に3ヶ所作られた万物市場(スーパーマーケット)を使い始めると、まもなく日本円のみになった。人々がマーケットで使える日本円を欲しがるようになったから、どこでも使えるようになったためだ。

 このため、由香の再婚は両親からも、親しい親族からも喜ばれている。
「由香が再婚とは良かった、良かった。大女で醜女と言われた由香でおすが、今人から見れば別嬪さんとはなあ。立派な婿さんに貰うてもらい、由香も良太も安泰じゃあの」

 由香の叔父の、従4位の橘道有が身も蓋もない正直なことを言った。彼女の父も叔父も、仁科が42歳と聞いて聊か心配していた。元人の42歳は老年にかかろうという年齢であるからであるが、実際に仁科を見てその若さに驚いて安心した経緯がある。

 無論、彼らの価値判断に家柄もあるが、今人が自分達よりはるかに豊かで優れた人々という観念がある。しかも、仁科は会社の幹部でもあり収入も多い。そこには、自分たちの身分とは違う価値観があった。多分、太平洋戦争に負けた後のアメリカ人に対する日本人の感覚に近いものがあるだろう。

 そして、石山城塞(ベース)の試験を受けて、息子を連れてさっさと行ってしまった由香を心配はしていたので、少なくとも安楽に暮らせるようになるとの安心感が強かった。とは言え、2人には以前のように食うや食わずの生活をしていれば、これほど素直に祝福はできなかったかもしれない、という意識もあった。

 由香の母の美也にとっては、ベースに行った娘と孫が良い生活が出来ているということを娘から報告されて、喜んでいたところにこの結婚の知らせであった。また、娘から早めに相手とのことを聞いており、相手も成熟した大人でもあるので、孫共々大事にしてくれるだろうと心から祝福している。

 ちなみに、仁科は早い方であったが、今人が元人の女性を娶るというケースにはその後も沢山生じた。しかし、逆のケースは少なかった。元人の女性にとってみると、今人の旦那はヘタレではあるが、優しいことは事実であり、元人に比べれば子供も大事にする。

 また、長い間の教育と、21世紀の文明に対する慣れという圧倒的なアドバンテージもあるので、比べれば収入も良い。とは言え、彼女らが出会う者は普通の男が殆どであるために、日本の社会の中では普通ではあるので、玉の腰に乗ったがごとくの意識を女性側が持つと、不和な家庭になることも間々ある。

 仁科一家が乗っている観光船は、政府が準備している観光資源の一つであり、大津で乗船して琵琶湖を一回りする、排水量5百トンの船であり、乗客数は2百人である。空港の部分開港は今年の暮れであり、まだ先が長いが、この船は元人に対する21世紀文明のPRセンターの役割りも兼ねている。

 当然、それに伴って舗装道路が伸びており、荒れ果てた神社仏閣も整備されている。その過程をみるためもあって、現在では北海道から週ごと、沖縄からは月ごとのフェリーが出ており、月間の観光客は、5万人に達する。
 ホテルについては空港周辺、大阪、京、琵琶湖周辺に続々と建設中であるが、現状の国内観光客に対しては既存の宿と、寺社の宿坊を手入れして使っている。

「うわ!凄い、広いね、それに綺麗だ!」
 船に乗った良太がはしゃぐ。この時代、石山は港でもあるので、数万トンクラスの船が見られるが、幅が15m、長さは20mほどもある椅子が並んでいる1階の客室は広く感じるのだろう。船は新造ではあるが、別に注文が入って建造していたものを回したもので、琵琶湖に浮かべるために建造途中の船を分割して運んだものである。

「ほんま、綺麗おすな。お母はんも船に乗るんは初めてでよし、ほんま琵琶湖を一周できるなんて楽しみ」
 由香が、にこにこして息子の声に応じる。

「まあ、すこしペンキの臭いが残っているほど新しいことは確かだな。いいんじゃないいかな。椅子の感じもいいし、観光客は喜ぶと思うよ。なにより、辺りが人工的なものが少なく緑に覆われて、景色がいいな」
 仁科が観光客を受け入れる立場で言う。

 彼も日本政府が観光客の受け入れに積極的であることを承知していて、琵琶湖一周コースが目玉の一つであることを認識してでの言葉である。
「ほんま、うちは人工的というのはよう分かりませんが、水辺は綺麗でおすな」
「うん。来年には海外から観光客が押し寄せてくる。彼らは大抵この船に乗るはずだ。琵琶湖は水も凄くきれいだし、景色も最高だから喜ぶと思うよ。観光も大きな産業だからね、このように美しいところは大事だ」

「父上、観光っちいうんはいろんなところを見て回ることでっしゃろ。なんで産業になるんやろか?」

 良太は、一緒に住むようになって最初は仁科のことを「先生」と呼んでいたが、何度も言って結局「父上」と呼ぶようになったのだ。仁科は「父さん」と呼ばせようと思ったが、良太には抵抗があるらしい。

「ああ、観光に来るとお金を払って車に乗るし、この船にも乗るよね。そして、食べる、泊まる、買い物をする、すべてここ日本でお金を使う訳だ。そうするとそのお金はいろんな人の収入になる。
 父さんの会社の場合は、服を作ってそれを売って収入を得ている。そのお金の中からお父さんの給料、お金も出ているんだ。だからどちらも産業だよ」

 そのように話すうちに、アナウンスがあり船が揺れて出航する。
「2階に上ろう。景色がいいし、上では風が強いが、今日は暖かいから気持ちがいいぞ」
 仁科の声に2人が頷いて従う。

 由香はこの時代に育った者として、決して夫とは肩を並べようとはしないで、斜め後ろ程度の位置で従い、良太は仁科と肩を並べる。そして、上階のプラスチックの長いすにも少し離れて座る。由香は人目のある時はそんな風であるが、夜の2人きりの時は奔放であり、その豊満な体で乱れる。仁科はその落差がたまらないと思っており、16歳もの年の差がある若い妻が可愛くてたまらない。

 ちなみに、現在彼らはベース内の子供のいる妻帯者用のプレハブのアパートに住んでいるが、会社が近くに建設中の従業員宿舎の3DKの宿舎に住むことになっている。仁科の勤める㈱大阪アパレルの製品は政府の保護政策もあって作る端から売れており、石山事業所を拡張する予定で、新工場をベースの隣接地に建設している。

 そこで、そこで働く従業員の宿舎も建設しているのだ。政府は、元人の家は電気や水道、排水などを考慮しておらず、基本的に使い物にならないという認識である。だから、工場や新農場を建設する場合には従業員宿舎を準備するのを原則としている。

 そのための費用の30%を政府が援助しており、これらの宿舎は徐々に授業員に払い下げる計画である。そのようにして、21世紀の水準の家屋を急速に増やしていこうということだ。今人である仁科にしても、本土にあった自分の家と貯金を失っており、それなりの給料をもらっていても、そう簡単に家は買えない。

 彼が住もうとしているのは、5軒が繋がった長屋形式の家であり、家賃の形で定年までには買い取る予定である。21世紀の日本で住んでいた一戸建てにくらべて、やや不満ではあるが、時震という大災害のゆえだからやむを得ないと考えている。



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