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空色の瞳

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「しつこい毒よねん。三ヶ月も抜けないなんてん。」

やっと歩けるようになったのはつい最近。まともに喋れるようになったのは昨日。完全にリハビリ中のネズミより足手纏いな今日この頃の私。

仕事はネズミとリヒトが回し、私はその間、『血染めの狼王』に守られながら簡単な家事作業をやってる。

最近やっと握れるようになった急須を傾け、クジャクの湯呑みにお茶を入れる。

自身の筋力がここまで落ちているのかと急須すら持てなかった時は絶句した。が、どうやら弛緩作用のある毒が筋肉を緩めて力を入れさせないようにしているとか何とかで筋力自体は前のままらしい。まあ、それも結局は身体を動かさなければ落ちていくのだが……。

ー ああ、早く剣が振りたい。

剣すら持てない今の手をギュッと握り締める。

剣を振りたくてしょうがない。
足手纏いが嫌なのもあるが、剣を振れば少しは弱気で脆弱な自分を払拭出来るかもしれない。今、無心で何かに集中する時間が私には必要な気がする。

エリアスの姿を、フェルゼンの姿を、ディーガの姿を、払拭する為に。


「それにしても着流しにエプロンなのねん。ネズミの趣味? 」

「オイラ的には新妻感を出したいんだなぁ。何か案あるかい? 裸エプロン以外で。」

「何の話をしている…。」

仕事もまともに出来ないので罪悪感が祟って、最近ネズミの着せ替え人形になりつつある。

ネズミは以前と同じように私を弄る。何事もなかったように。

何があったか誰も聞かないし、私が攫われた後の事も誰に聞いてもはぐらかす。

ー 気を遣われているのだろうな。

まさかこの罪人達しかいない『刑受の森世界』で気を遣われるなんて。

「アンタ、色々動揺してるみたいだから言っとくけどん。別に誰かれ目を掛ける訳じゃないわよん。罪人はやっぱ、罪人でしかないわん。」

まるで私の思考を読んだようにクジャクが溜息混じりで喋る。

「アンタはわっちを助けた事でわっちの中で価値が出たのん。わっちがあの一撃で死んでいたらディーガに攻め込まれて『リンク』は終わっていたかもしれないわん。命の恩人を、功労者を見捨てる程わっちも落ちちゃあいないわん。」

よく覚えときなさいと際どい胸の空いたドレスで胸を張って説教するように言い聞かせてくる。

ちょっとそのドレスの所為で頭に言葉が入ってこない。言葉をそのドレスが台無しにしてる気がする。

「まぁ、最年少者は皆んな可愛いってこったぁ。オイラもついつい弄っちゃうってもんよ。」

「嘘付け。貴方は絶対最年少じゃなくても私を弄ってる。」

「分かっちゃう? 」

ケラケラとネズミが笑う。
そんなネズミを憎々しく思っていると私の尻に鼻を当てて『血染めの狼王』がスンスンと嗅ぐ。

目覚めた時のような性急なアピールはしてこなくなったが、ちょくちょくこうして奴は私にちょっかいをかける。そして毎回お決まりとばかりに前足に巻かれた汚い血で黄ばんだ布を見せてくる。 

だからそれが何?


「まぁ、聞いて欲しいんでい、最年少。お兄さん達、シュネッちが心配でさぁ。食事も喉が通らないんでい。」

「……毎日三食お代わりありで食べてるだろ。」

「言葉のアヤよん。アンタはね、もうちょっとあの素朴なイケメンと会話なさいなん。……でないと毒が抜けようとも守らせてもらえないわよん。」

座れとネズミとクジャクが促す。

リヒトが今、台所で手伝ってくれているので戻りたいのだが、座らないと逃がしてくれそうにない雰囲気だ。

大人しく座ると『血染めの狼王』が私の膝に頭を乗せてスリスリと甘えている。

頭なぞ撫でてやらん。
そんな事しても可愛くない。
オマエは魔獣だ。


「アンタが精神的にきてるのは十分、分かってるわん。でもねん。素朴なイケメンも結構きてんのよん。もっと頼って、話してやんなさいなん。」

「しかし、私は十分リヒトに迷惑を……。」

「そっから、ダメなのよん。アンタが今、何が苦しくて辛くてどうして欲しいのか。自身でも分かってなくても話すだけで違うわん。……もっと甘えてやんなさいん。甘えるって悪い事じゃあないのよん。それが救いになる時もあるのん。」

「守るだけが、立ち向かうだけが守る方法じゃないっしょ、シュネッち。」

真剣な眼差しで二人の話の熱量が上がってく。持つ湯呑みにも力が入り、クジャクのにはヒビが入ってる。

私がいけないの?
気持ちの整理が付いてないし、自分の中で折り合いをつけるものだと思ってるのだけど…。

話し合いの案件?
いや、リヒトには多大なる迷惑はかけてるのだが…。
でも、やはり自分の中で…あっ、今睨まれた。

「後で話し合います……。」

「「今!! 直ぐッ!!」」

痺れを切らしたクジャクに首根っこ掴まれて部屋に放り込まれる。

半ば、放心状態で床に座り込んでいると今度はリヒトが投げ込まれた。

「頑張んなさいん。」とクジャク的には激励の意味を込めて容赦なく投げられ、リヒトは顔面で着地した。

「リヒトッ!? 」

「人の心配は良いから話せよぉ~。」


ガチャリッ

…鍵を掛けられた音がした。
アレ? この部屋鍵なんてあったんだ。

初めて知った事実と部屋に閉じ込められたという事実。

慌てて、扉に飛び付いたが鍵なんて見当たらない。

まさか、態々外から南京錠掛けたの?
話し合いさせる為に!?

周りが強行する程、私はリヒトと話さなければいけないのか!? 
私がいけないの?


「シュネー、その…。」

リヒトが心配して私に手を伸ばす。

その表情には少し陰りがある。
あの二人の話から察するに、きっとこの顔をさせているのは私なのだ。


覚悟を決めてリヒトの前に座る。

正直、今の感情を言葉にしようとするのが怖い。自分の中で何かが変わってしまいそうで、溢れてしまいそうで。

もう話したらもう戻れなくなってしまうのではないかという恐怖が心に巣食う。

ー でも、言葉にしなくては…。それでリヒトをまた守れるようになるなら。


「私は…。私は、怖いんだ。ずっと、ずっと本当は怖かった。ディーガの事がなくてもずっと、ずっと。私はあの行為が怖い。同性に触られていると何時か私もあの日見たエリアスみたいになるんじゃないかって怖いんだ。」

リヒトが驚き、私を凝視する。
私は私で、自分の口から紡がれる言葉の内容に驚いている。でもその言葉はストンと理解出来ていなかった部分を埋めていく。そして改めて自分と向き合う。

「ディーガに触れられて弄られて。もう自分でも恐怖が抑えられなくなった。」

ポタポタと床に涙が零れ落ちる。
苦しくて辛くて情けなくて、こんな弱い自分が悔しくて涙が止まらない。リヒトが涙を拭うように私の頰に触れ、穏やかだけど少し強張った表情を浮かべていた。

「僕に触れられるのも怖い? 」

「怖くない。寧ろ……。」

頰に触れた手を胸に当てる。
リヒトの温もりがじんわりと心臓まで届き、鼓動が速くなる。

「そういう行為が嫌いな癖に、怖い癖に、あの日のエリアスを恐怖し、嫌悪している癖に…私はリヒトに触れて欲しいと思ってる……。」

リヒトにならと。
リヒトがいいと矛盾する心は叫ぶ。リヒトの温もりが欲しいと身体が勝手に反応する。

「私はあの日のエリアスになってしまったのだろうか。怖いんだ。ぐちゃぐちゃになるんだ。自分で自分が怖い。私は…私は……。」

息が苦しい。
過呼吸を起こし掛けた私をグイッとリヒトが私を抱き寄せる。身体全体を包み込むようにリヒトの温もりが伝わり、呼吸が楽になる。
リヒトが諭すように優しく語り掛ける。

「君はエリアスになんてならないよ。なる筈がない。シュネーはシュネーだ。」

何処までも続くあの空のような瞳が私を映す。そこにはあの日のエリアスのような姿ではなく、愛おしそうにリヒトの事を私に話してくれた、あの時のゲルダのような表情を浮かべる私が居た。

「聞いてシュネー。シュネーが怖がったり、嫌悪しているものは本来、愛の形の一つに過ぎない。幼いシュネーはそれを理解する前にエリアスの所為で拒絶してしまったんだ。…怖かったよね。幼い君には。」

大丈夫だからとリヒトが背を撫でる。心地良くて何時の間にかに震えていた身体の震えが落ち着いていく。

「だからきっと君の中で芽生えたものに心と身体がついていけなかったんだよ。君に芽生えたものは本当は尊い事なんだ。悪い事じゃない。決してそれはエリアスの手段として用いるそれとは違うんだよ。だから君はエリアスにはなりっこない。」

リヒトの優しい表情に熱が帯びる。そして優しく口付けを額に落とし、次は軽く私の唇と重ねた。

「愛そうとしてくれてありがとう。愛してくれてありがとう。……君の心は、身体は僕を愛してくれようとしてるだけなんだ。だから怖がらないで、エリアスなんかに縛られないで。」

「愛…そう…と? 」

「そうだよ。シュネー。」

リヒトを見つめるとそこには一心に私を見つめる空の色の瞳がある。

それは決して冷たい雪が降る事のない暖かな日和の空の色。優しく包み込むこんでくれるような安心感をくれるリヒトの色。

その瞳を見るだけで心が揺れる。

ああ、そうか。
私はずっと貴方の事が……。


「好き。あの日のエリアスのようになってしまっても良いと思えてしまう程。好き。」

リヒトの空色の瞳が潤む。
包み込むようなリヒトの温もりが離れ、ふわりと柔らかな布団の感触が私を包む。

世界が土色の天井だけになったが、やがてリヒトが覆い被さり、私の世界がリヒトだけになった。

「君はエリアスにはならないよ。それは絶対だ。…好きだよ、シュネー。ずっと君に伝えたかった。君を愛してるんだ。」

何時も優しいリヒトが余裕ない表情を浮かべて私を見つめてる。でもその瞳は何処までも真っ直ぐで愛おしい。怖くなんかない。

「何度だってこれからは伝えるよ。だから僕にシュネーを愛させて。」

余裕なく何度も重なる唇。
それがとても心地良くて満たされていて、流れる涙すらも温かくて。
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