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番外編
花喰い鳥の求愛。
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鳥の民×侍従
王妃の筆頭侍従官という、とても名誉ある地位に着いたばかりのシュリは、とても困惑していた。ただの公爵家の侍従と違って、侍従官というのは立派な官職というが、アリスレア個人に尽くすという意味ではなにも違わない。
シュリはシュリのできる精一杯で、王妃に誠心誠意お仕えするだけだ。
彼が困惑しているのは純血の鳥の民、サルーンの求愛である。
シュリはしばらく前に、侯爵家に押し入ってきた慮外者に斬られて死にかけた。主人を護って生命を落とすのは、最終手段とはいえ自分の使命だと思っている。痛くて苦しかったが後悔はしていない。
後悔といえば、死にかけた自分を生かすために飲まされた神の甘露の副作用を鎮めるために、サルーンに大変な貧乏くじを引かせてしまったことである。
神の甘露というのは神々の回春薬で、有り体に言えば春を楽しむための興奮剤なのだそうだ。身体が活性化して生命力が漲ってくる過程で、壊れた体組織を修復したり、成長を促したりするらしい。アリスレアが、異なる世界の知識での仮説を説明してくれた。
ともかく、死にかけたシュリはその神の甘露を用いて生命を繋ぎ止め、副作用として身体が熱に浮かされることになった。その熱を発散するのに付き合ってくれたのが、鳥の民の純血種、サルーンであった。
熱くて苦しくて、もっと、とねだった我儘を、全て叶えてくれたように思う。ドロドロに溶けて意識が混濁していたから、曖昧な記憶だけれど。
分厚い筋肉に覆われた腕の中で目を覚まして、一瞬なにが起こったのか理解できなくて、シュリは小さく恐慌状態に陥った。サルーンは優しく宥めて状況を説明して、シュリを落ち着かせてくれた。
自分の主人が神の甘露を口にしたときの状態を思い出して、自分もそうなったのだと理解したシュリは、落ち着くと同時に、サルーンに対してどうしようもなく申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
きちんと謝罪して、感謝の気持ちを伝えて、あれは緊急の医療措置だったから気にしないで欲しいと言わなければ、と思っていたところ、突然やって来た風の妖精たる銀の君に攫われるようにして、シュトレーゼンに運ばれた。
シュリは謝罪を終えていないことに戸惑った。謝罪というのは時間が経てば経つほど、しにくくなるものだ。
しかし自分が連れてこられた理由を知ると、すぐに気持ちを切り替える。神の甘露を飲んだ侯爵継嗣が奥方と閨にこもっているというなら、お世話するのは自分意外あり得ない。
と思っていたのに。
日暮れ間近になって、大きな羽音を響かせてサルーンが空から降ってきた。真っ直ぐに妖精たる銀の君に詰め寄って言い放ったのは。
「風の精霊を従えし、銀の王よ! 私の番をどこにお隠しになられた⁈」
「なんと⋯⋯彼は其方の番であったか。それはすまぬことをした」
虚をつかれた銀の君は、素直に非を認めて謝罪した。風の眷族として明らかに銀の君の方が高位ではあるが、鳥の民の番を連れ去ったというのなら、明らかに非は銀の君にあった。
そうしてシュリは番の自覚もないままに、急ぎサルーンのために用意された客間に連れ込まれ、盛大にかき口説かれた。
「はじめて会った瞬間に、あなたが私の番だとわかった。けれど只人のあなたは番を感じる本能が薄い⋯⋯故に、ゆっくり、大切に見守っていたのです。神の甘露に冒されたあなたを獣のように貪ったのは、逃げられても仕方のない所業ですが⋯⋯あなたでなければ、溺れることはなかったでしょう」
寝台に腰掛けたシュリの足元に跪いて、サルーンは大きな翼を揺すった。白い羽が舞って、ひらひらとシュリの上に降り注ぐ。
「地味な男になにをおっしゃいますか。私の方こそ申し訳なく思っております。なんの面白みもない、固くて渋い果実はたいして美味くもなかったでしょうに。私が気に病まぬよう、番だなどと仰ってくださってありがとうございます。ですが、本当の番の方がお気を悪くされますよ」
副作用に悶えるところに居合わせて、熱を発散させるのに手を貸した相手が、たまたま清童だったというだけだ。シュリは清童だったのは自分の都合だと思っている。それを気に病まれては大変に申し訳ない。
愛や恋の感情を抜きに失ってしまったのは切ないが、命を助けていただいた代償なのだから。
シュリは穏やかに微笑んで、跪くサルーンに立つように促した。サルーンは自分の想いを軽く流されて、気分を害した。
サルーンは既に三十を越えている。純血の鳥の民らしく翼を支える上半身は筋肉に覆われていて、羽毛も密になって生えていて美しい。顔立ちも男らしい甘さに満ちていて、鳥の民からもその他の種族の男女からも、絶えず秋波を送られてきた。
男として常識ある範囲で恋人を作ったが、この歳まで婚姻を結んでいないのは、そこまで深い想いを抱ける相手がいなかったからだ。
けれどシュリに会った瞬間、なにを排除しても彼だけは手に入れたいとの渇望が、腹の底から湧きたった。
「シュリ殿、本当にあなたは私の番なのです。黒き森で果物を探して贈ったのも、美しい夜露に濡れた花を贈ったのも、あなたは鳥の姫への贈り物だと思っておられたが、全部、愛しいあなたへの贈り物だったのですよ」
「⋯⋯まさか。神鳥の魂を宿していらっしゃる、若奥様への贈り物ではなかったのですか?」
「我ら鳥の民は夜目が利きません。その中で夜露に濡れた花を贈るのは、最上の求愛なのですよ」
サルーンはシュリの手を取った。
「⋯⋯急なことで、どうしていいのかわからないのです」
「お嫌でなければ、私の愛に身を委ねてくれるだけでいいのです」
嫌ではないと、シュリは思った。ただ、本当に自分の気持ちがわからずに困惑していた。
神鳥のために心を砕くサルーンは、アリスレアに仕えるシュリにとって頼もしい同士だ。出会って間もないが確かな絆も感じている。それが愛なのかと問われると、突然なにもわからなくなるけれど。
「愛しています。もっと早く、あなたに伝えればよかった。ずっとあなたが欲しかったのです。神の甘露に冒されたあなたに付け込んだ、卑怯な私を許してください」
口付けが降ってきて、シュリは思わず目を閉じた。上向いて目を閉じて、力なく結んだ唇からは花茶の香りがする。抵抗しないのを了承と受け取って、サルーンは唇を重ねた。物慣れない若い番の柔らかな唇を舌でノックすると、おずおずと開くのが可愛い。
「神の甘露がなくてもあなたに焦がれていることを、証明させてください」
朝になったら花を摘みに行こう。鳥が運ぶ花は瑞祥だ。
サルーンは逞しい腕でシュリの身体を寝台に沈めて、その背中の大きな翼で囲った。誰にも渡さない。誰にも見せない。自分だけの愛しい番だから。
シュリの頼りない腕が躊躇うように背に回って、サルーンは歓喜に震えた。
わけもわからず流されているのはわかっているけれど、必ず心も手に入れる。サルーンは番に対する執着と大人の余裕の狭間で、シュリの口内を思うさま貪ったのだった。
王妃の筆頭侍従官という、とても名誉ある地位に着いたばかりのシュリは、とても困惑していた。ただの公爵家の侍従と違って、侍従官というのは立派な官職というが、アリスレア個人に尽くすという意味ではなにも違わない。
シュリはシュリのできる精一杯で、王妃に誠心誠意お仕えするだけだ。
彼が困惑しているのは純血の鳥の民、サルーンの求愛である。
シュリはしばらく前に、侯爵家に押し入ってきた慮外者に斬られて死にかけた。主人を護って生命を落とすのは、最終手段とはいえ自分の使命だと思っている。痛くて苦しかったが後悔はしていない。
後悔といえば、死にかけた自分を生かすために飲まされた神の甘露の副作用を鎮めるために、サルーンに大変な貧乏くじを引かせてしまったことである。
神の甘露というのは神々の回春薬で、有り体に言えば春を楽しむための興奮剤なのだそうだ。身体が活性化して生命力が漲ってくる過程で、壊れた体組織を修復したり、成長を促したりするらしい。アリスレアが、異なる世界の知識での仮説を説明してくれた。
ともかく、死にかけたシュリはその神の甘露を用いて生命を繋ぎ止め、副作用として身体が熱に浮かされることになった。その熱を発散するのに付き合ってくれたのが、鳥の民の純血種、サルーンであった。
熱くて苦しくて、もっと、とねだった我儘を、全て叶えてくれたように思う。ドロドロに溶けて意識が混濁していたから、曖昧な記憶だけれど。
分厚い筋肉に覆われた腕の中で目を覚まして、一瞬なにが起こったのか理解できなくて、シュリは小さく恐慌状態に陥った。サルーンは優しく宥めて状況を説明して、シュリを落ち着かせてくれた。
自分の主人が神の甘露を口にしたときの状態を思い出して、自分もそうなったのだと理解したシュリは、落ち着くと同時に、サルーンに対してどうしようもなく申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
きちんと謝罪して、感謝の気持ちを伝えて、あれは緊急の医療措置だったから気にしないで欲しいと言わなければ、と思っていたところ、突然やって来た風の妖精たる銀の君に攫われるようにして、シュトレーゼンに運ばれた。
シュリは謝罪を終えていないことに戸惑った。謝罪というのは時間が経てば経つほど、しにくくなるものだ。
しかし自分が連れてこられた理由を知ると、すぐに気持ちを切り替える。神の甘露を飲んだ侯爵継嗣が奥方と閨にこもっているというなら、お世話するのは自分意外あり得ない。
と思っていたのに。
日暮れ間近になって、大きな羽音を響かせてサルーンが空から降ってきた。真っ直ぐに妖精たる銀の君に詰め寄って言い放ったのは。
「風の精霊を従えし、銀の王よ! 私の番をどこにお隠しになられた⁈」
「なんと⋯⋯彼は其方の番であったか。それはすまぬことをした」
虚をつかれた銀の君は、素直に非を認めて謝罪した。風の眷族として明らかに銀の君の方が高位ではあるが、鳥の民の番を連れ去ったというのなら、明らかに非は銀の君にあった。
そうしてシュリは番の自覚もないままに、急ぎサルーンのために用意された客間に連れ込まれ、盛大にかき口説かれた。
「はじめて会った瞬間に、あなたが私の番だとわかった。けれど只人のあなたは番を感じる本能が薄い⋯⋯故に、ゆっくり、大切に見守っていたのです。神の甘露に冒されたあなたを獣のように貪ったのは、逃げられても仕方のない所業ですが⋯⋯あなたでなければ、溺れることはなかったでしょう」
寝台に腰掛けたシュリの足元に跪いて、サルーンは大きな翼を揺すった。白い羽が舞って、ひらひらとシュリの上に降り注ぐ。
「地味な男になにをおっしゃいますか。私の方こそ申し訳なく思っております。なんの面白みもない、固くて渋い果実はたいして美味くもなかったでしょうに。私が気に病まぬよう、番だなどと仰ってくださってありがとうございます。ですが、本当の番の方がお気を悪くされますよ」
副作用に悶えるところに居合わせて、熱を発散させるのに手を貸した相手が、たまたま清童だったというだけだ。シュリは清童だったのは自分の都合だと思っている。それを気に病まれては大変に申し訳ない。
愛や恋の感情を抜きに失ってしまったのは切ないが、命を助けていただいた代償なのだから。
シュリは穏やかに微笑んで、跪くサルーンに立つように促した。サルーンは自分の想いを軽く流されて、気分を害した。
サルーンは既に三十を越えている。純血の鳥の民らしく翼を支える上半身は筋肉に覆われていて、羽毛も密になって生えていて美しい。顔立ちも男らしい甘さに満ちていて、鳥の民からもその他の種族の男女からも、絶えず秋波を送られてきた。
男として常識ある範囲で恋人を作ったが、この歳まで婚姻を結んでいないのは、そこまで深い想いを抱ける相手がいなかったからだ。
けれどシュリに会った瞬間、なにを排除しても彼だけは手に入れたいとの渇望が、腹の底から湧きたった。
「シュリ殿、本当にあなたは私の番なのです。黒き森で果物を探して贈ったのも、美しい夜露に濡れた花を贈ったのも、あなたは鳥の姫への贈り物だと思っておられたが、全部、愛しいあなたへの贈り物だったのですよ」
「⋯⋯まさか。神鳥の魂を宿していらっしゃる、若奥様への贈り物ではなかったのですか?」
「我ら鳥の民は夜目が利きません。その中で夜露に濡れた花を贈るのは、最上の求愛なのですよ」
サルーンはシュリの手を取った。
「⋯⋯急なことで、どうしていいのかわからないのです」
「お嫌でなければ、私の愛に身を委ねてくれるだけでいいのです」
嫌ではないと、シュリは思った。ただ、本当に自分の気持ちがわからずに困惑していた。
神鳥のために心を砕くサルーンは、アリスレアに仕えるシュリにとって頼もしい同士だ。出会って間もないが確かな絆も感じている。それが愛なのかと問われると、突然なにもわからなくなるけれど。
「愛しています。もっと早く、あなたに伝えればよかった。ずっとあなたが欲しかったのです。神の甘露に冒されたあなたに付け込んだ、卑怯な私を許してください」
口付けが降ってきて、シュリは思わず目を閉じた。上向いて目を閉じて、力なく結んだ唇からは花茶の香りがする。抵抗しないのを了承と受け取って、サルーンは唇を重ねた。物慣れない若い番の柔らかな唇を舌でノックすると、おずおずと開くのが可愛い。
「神の甘露がなくてもあなたに焦がれていることを、証明させてください」
朝になったら花を摘みに行こう。鳥が運ぶ花は瑞祥だ。
サルーンは逞しい腕でシュリの身体を寝台に沈めて、その背中の大きな翼で囲った。誰にも渡さない。誰にも見せない。自分だけの愛しい番だから。
シュリの頼りない腕が躊躇うように背に回って、サルーンは歓喜に震えた。
わけもわからず流されているのはわかっているけれど、必ず心も手に入れる。サルーンは番に対する執着と大人の余裕の狭間で、シュリの口内を思うさま貪ったのだった。
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