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松平重富は弟・一橋治済に、今でも田安家当主の座に未練のある松平定信に若年寄に内定した田沼意知を殺させる秘策を伝授する

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「さればそこでだ、治済はるさだよ、家基いえもと最期さいご放鷹ほうよう随従ずいじゅうせしものほとんどが清水しみず家と所縁ゆかりがありしことを定信さだのぶおしえてやるのよ。さすれば定信さだのぶのこと、清水しみず重好しげよし疑惑ぎわくけるであろうぞ、いや、治済はるさだよ、おまえけさせてやるのよ…」

わたくしが?」

「そうだ。いか?本来ほんらいなれば、家基いえもところしたところで一番いちばんとくをするのはだれか、それはもうすまでもなく、将軍たる家治いえはるおとうと重好しげよしぞ?血筋ちすじからもうさば、治済はるさだよ、おまえよりも重好しげよしほうが将軍たる家治いえはるちかいのだからな。にもかかわらず、治済はるさだよ、おまえ重好しげよしいて家基いえもとわりし次期じき将軍となれたは偶々たまたまにて、家基いえもとんだ時点じてんでは、いや重好しげよしにかかりし時点じてんでは、だれもが重好しげよし家基いえもとわりし次期じき将軍にえらばれるとおもうていたはず…、治済はるさだ当人とうにんにしてもな…、だが実際じっさいには家治いえはる家基いえもとわりし次期じき将軍としてえらびしは、重好しげよしではのうて、治済はるさだよ、おまえであった…、それは家治いえはるこころ何処どこかに重好しげよしたいする疑念ぎねんが…、重好しげよしにとってはおいたりし家基いえもところして、おのれ家基いえもとってわろうとしたのではあるまいかと、家治いえはるはその疑念ぎねんがあったればこそ、治済はるさだ次期じき将軍にさだめたに相違そういなく、てがはずれた格好かっこう重好しげよし今度こんどおのれつみを、すなわち、家基いえもとごろしのつみ治済はるさだかずくべく、ふたたび、意次おきつぐむすび…」

 そこで治済はるさだが、「ふたたび?」とくちはさんだので、重富しげとみうなずくと、

「そもそも家基いえもと最期さいご放鷹ほうよう随従ずいじゅうせしもの清水しみず家と、ともうすよりは重好しげよし所縁ゆかりのあるものめられたは、家基いえもとってわろうとほっした重好しげよし意次おきつぐとの合作がっさくにて…、つまりは意次おきつぐ家基いえもと最期さいご放鷹ほうよう随従ずいじゅうせしもの人選じんせんになえばこそ、重好しげよし所縁ゆかりのありしもの数多あまた家基いえもと最期さいご放鷹ほうよう随従ずいじゅうせしことがかないしわけで、そこに一橋ひとつばしすきはなく、それがあかし家基いえもと最期さいご放鷹ほうよう一橋ひとつばし家と、いや治済はるさだ所縁ゆかりのありしもの誰一人だれひとりとしてしたがえず、さればかり家基いえもと病死びょうしではのうて他殺たさつだとして、その場合ばあいかんがえられるのは家基いえもと放鷹ほうよう帰途きとりし品川しながわ東海とうかいにて一服いっぷくられた以外いがいにはかんがえられず…、実際じっさい家基いえもときゅう発病はつびょうせしは品川しながわ東海とうかいり、そこで休息きゅうそくりし直後ちょくごなのだからの、しからば治済はるさだ所縁ゆかりのありしもの誰一人だれひとりとしてその家基いえもと最期さいご放鷹ほうようしたがえず、それゆえすくなくとも治済はるさだもの使嗾しそうして家基いえもところそうにも、ころせるはずがなく、されば重好しげよし次期じき将軍のねらい、そこで意次おきつぐむすんで、家基いえもと放鷹ほうようねらい、その放鷹ほうよう重好しげよしもの数多あまたしたがわせ、そして放鷹ほうよう帰途きと家基いえもと品川しながわ東海とうかいへとおびせ、そこで家基いえもと一服いっぷくったと、そうかんがえるほう自然しぜんであろうぞ…」

 重富しげとみなが口上こうじょうにも、治済はるさだ欠伸あくびもせず、それどころか興味深きょうみぶかげに深々ふかぶかうなずいた。

「そして家治いえはる当初とうしょはそうおもえばこそ、次期じき将軍には重好しげよしではのうて治済はるさだえらんだにもかかわらず、このだんになって家治いえはるもどうやらいたらしい、寵臣ちょうしんいや奸臣かんしん意次おきつぐめにすっかり籠絡ろうらくされ、家基いえもところした首魁しゅかい治済はるさだ相違そういなく、そこでせがれ意知おきとも治済はるさだつみあかしを、それも逆罪ぎゃくざいあかしてさせようとおもうので、ついてはそのためにも…、意知おきとも探索たんさく指揮しきらせるべく、意知おきとも若年寄わかどしよりへとすすませてしいと、家治いえはるにおねだりをし、家治いえはるいまとなっては治済はるさだおのれ養嗣子ようししに、つまりは次期じき将軍としてむかえたことも忘却ぼうきゃくし、意次おきつぐが言われるままに意知おきとも若年寄わかどしよりへとすすませたらしい…、無論むろん意次おきつぐとしては愚息ぐそく意知おきともにまともに探索たんさく指揮しきらせようなどとは露程つゆほどにもおもってはおらず、それどころか無実むじつ治済はるさだ家基いえもとごろしのつみかずけ、そうして治済はるさだ次期じき将軍のからきずりろし、それにわって重好しげよしを…、家基いえもところしたまこと下手人げしゅにんたる重好しげよし次期じき将軍にえようとほっしており、これを阻止そしするには、そして家治いえはるまさせるには最早もはやみちひとつ…」

 重富しげとみにここまで言われれば、治済はるさだにも容易よういにそのさきさっせられた。

意知おきともころすよりほかみちはない…、と?」

「そのとおりぞ。さすれば定信さだのぶのこと、かならずや意知おきとも暗殺あんさつ決意けついするであろうぞ。いや無論むろん、まさかに定信さだのぶみずからのよごすことはあるまいが、なれどひとをして意知おきともころさせようと決意けついするはず…」

 定信さだのぶのそのおもみのはげしい性格せいかくからしてそれはおおいにありた。

「そのうえ治済はるさだよ、定信さだのぶにはこうささやいてやるのよ…、次期じき将軍の実父じっぷたるおのれ意知おきともころすわけにはゆかぬが、なれど定信さだのぶ意知おきともころしてくれれば、定信さだのぶ田安たやす家の当主とうしゅえることにもやぶさかではない…、とな。そもそも重好しげよしかる暴走ぼうそうはたらいたはやはり、御三卿ごさんきょう筆頭ひっとうたる田安たやす家が当主とうしゅ不在ふざい明屋形あきやかたであることに起因きいんし…、わば重石おもしがなければこそ、重好しげよしかる暴走ぼうそうを、いや謀叛むほんはたらいたに相違そういなく、されば二度にど重好しげよしのような不心得ふこころえものを、いや謀叛むほんにんさぬためにも、田安たやすやかたにはやはり当主とうしゅがいるほう重石おもしとなり、そこで定信さだのぶには重石おもしとなってもらいたい…、とな。さすれば定信さだのぶのこと、よくからまり、愈愈いよいよもって意知おきとも暗殺あんさつ決意けついかためるに相違そういなく…」

 重富しげとみのその提案ていあん治済はるさだひざった。
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