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第一章

8.慌ただしい朝

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 翌日、そしてその翌日と、さくらはいつかこの悪夢から目覚めるのではないかと微かな期待を抱きながら朝を迎えていた。しかし、目覚めて直ぐに目に飛び込んでくるのは、豪華なベッドの天蓋のカーテン、大きなバルコニーから燦々と降り注ぐ朝日だった。その度にこれが現実だと思い知らされ、心にぽっかりと大きな穴が開いたような空虚な絶望感に襲われた。

 自分の生活そのもの―――家族や友人、そして過去、ましてや未来までも奪われたさくらが、まともな精神状態でいる事は簡単な事ではない。しかし、自分の事をすべて理解してくれる人たちがいる事がせめてもの救いだった。

 右も左も分からない見知らぬ場所に放り出されたさくらにとって、侍女たちの献身的な世話と、心地よい部屋、口にあった料理などが大きな慰めになり、壊れてしまいそうな神経を何とか正常に保っていた。


☆彡


 すべてを知らされてから三日目の朝、何故かいつもより慌しかった。

 侍女達は何かに急かされているようでありながら、さくらへの身支度の念の入れ方が、半端ではなかった。
髪の毛は丹念にしっかりと結い上げられ、化粧もしっかりと施された。何の説明もされていないのだが、忙しく動き回る二人にさくらは理由を尋ねるタイミングが掴めず、ただただ人形のようにされるがままでいた。

「さあ、たいへんお待たせ致しました。お支度が整いました」

 ルノーは、ふぅと一息つきながら、座っているさくらのドレスの裾をそっと整えた。それからさくらの手を取って立たせると、ゆっくりさくらを姿見鏡の前に連れて行き、とても満足げ言った。

「いかがでございましょう?」

 鏡に映った自分の姿を見て、さくらは息を呑んだ。それはまるで別人を見ているようだった。
優しいパステルカラーのイエローとピンク、そしてホワイトのまるで春風のような色合い。そしてその色に合った薄手のシフォンのような美しくやさしい生地がより一層春めかしくさせている。首元には大きな真珠の首飾りが輝き、耳もとにも同じデザインのイヤリングが優しく揺らいでいる。

「きれい・・・」

 さくらは自分に見入ってしまった。そして心の底の方から、忘れかけた感覚が湧いてくるのを感じた。あの弾むリズム。お洒落をした時の浮ついた楽しい感覚。さくらは思わず微笑んだ。美しく着飾った自分の姿に、女子としての喜びを素直に感じ、辛い気持ちが少しだけ和らいだ気がした。
 微笑んでいるさくらを見て、ルノーとテナーもホッと胸をなでおろした。

「お気に召されましたか?」

 出来栄えには自身はあったものの、さくらの気に入らねば、ルノーにとっても不本意なのだ。

「はい。とっても」

 さくらは鏡を通し、ルノーに答えた。それにしても気になった。この衣装・・・。どう考えても普通ではなさそうだ。満足げに自分を眺めているルノーに、理由を聞いてもいいか少し躊躇した。その横でテナーは、既に忙しく後片付けを始めている。
 
 その時、部屋の呼び鈴が鳴った。テナーは慌てて駆けつけ、扉を開いた。そこにいたのは教育係というトムテ博士だった。
 トムテは部屋に入り、さくらに一礼すると

「やや! これは、なんと美しい!」

と、さくらの着飾った姿を褒め称えた。さくらも会釈を返したが、どうもトムテの衣装が気になった。
 金や銀などがあしらってはあるが、全体的に黒ですっきりと纏められたマントを羽織り、胸には勲章のような物をつけている。何かの式典に参列するかのような品のある風貌だった。自分の特別な衣装、そしてトムテの格式ばった衣装に、さくらはますます疑問が沸く。とうとう、もみ手をしながら近づいて来るトムテに尋ねた。

「あの、今日って何かあるんですか?」

 トムテは、にっこりと微笑んでうなずいた。

「今から、ご案内申し上げます。そこでご報告がございますよ」

 トムテから直接は教えてもらえないらしい。さくらは少し落胆したが、それ以上問い詰めようとも思わなかった。

(もうすぐ分かるなら、別にいいや・・・)

 さくらはまた自暴自棄的な気持ちに戻ってしまった。そう、どうせ私の事でも、私の意思とは関係なく事は進んでいくのだ。勝手にしてくれ。
 そんなさくらの気持ちをよそに、トムテは上機嫌のようだ。恭しくさくらの手を取ると、部屋の外に連れ出した。
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