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煌めきの都
不本意な結婚 Ⅱ
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__息災で。
父からはその言葉をもらっただけだった。
大学へ行ったあの日もそう。
社交辞令のなにものでもないその短い言葉。
それでも、これまで世話になったことへの礼を述べ、マイャリスは馬車へと乗り込んだ。
父はどうやら挙式には参列しないらしい。
州侯として長らく州城を空けるわけには行かないということなのだろう。州都の郊外ででも挙式をしてしまえば参列は可能だろうが、そうしないのはやはりそこまで興味は無いからだと、マイャリスは思った。
別段それについて、悲しいだとか、寂しいだとか、悔しいだとか、そうした思いは抱かないが__。
離れ行く、霧にまどろむ煌めきの都を見納め、街道をひたすらに南下する一行。これから輿入れをする一行とは思えないほど、ひっそりと、そして質素な装いだった。
__まるでいつかの、寄宿学校へ入れられたときのよう。
寄宿学校もハイムダル地方にあった。まさしく踏襲するようでマイャリスは自嘲する。
道中の護衛には、2名の武官がつけられた。
近衛の長であるリュディガーが不在であるから、副官のオーガスティンは州侯から外すわけにはいかない。故に、つけられたのは近衛の2名のみである。
何度か顔は見たことがあるから、おそらくオーガスティンの隊の者なのだろう。州で一番の地位である父。その養女とはいえ娘が移動するには、いささか規模が小さすぎると、世間では指摘されるだろう。
だが、マイャリスにはそれでよかった。
自分にはこれが似合いなのだ。
草の葉に隠れた影のように、細く生きるのが。この輿入れの有様に、義憤に駆られているマーガレットを諌めているのが。
「__ありがとう、マーガレット」
「いえ。ただ……こんな……」
「私は本当に気にしていないの。貴女をつけてもらえただけで、本当に十分なのだから」
やや広い馬車は、長旅を想定したものである。
道中寝ることもできるよう寝台も誂えてあって、マイャリスはその寝台へと移動して腰掛けた。
「私は、実家に近づいた形ですし」
マーガレットの出身はハイムダル地方に近いのだ。
「嫁げ、と言われた直後は、どこか行き先もわからなかった。遠くになっていた可能性だってあったのに……でも、貴女は二つ返事で了解してくれたでしょう。私は、本当にありがたかったのよ」
薄衣を取り去って微笑むと、マーガレットは難しい顔の中に笑みを見せる。
「お嬢様を、お一人になんてできませんから」
この言葉は、どんな貢物よりもマイャリスにとって嬉しいものだ。
それから街道沿いで宿を求めながら3日が経った頃、いよいよ道が街道と呼ぶには粗末なものになり始め、薄暗い森や谷あいを進むようになった。__山岳地帯に入ったのだ。
__何故、南部の離れた場所を封土として与えられたのか、か……。
オーガスティンが、行けばどうしてそこなのか分かるだろうと言っていた。
マイャリスは、窓の外を見つめながら思案する。
谷は深く、川の流れも急になってきた。地形として見通しが悪く、霧__瘴気も溜まりやすい。
地元の者が使う道はほかにもあるのだろうが、主要な目立つ道は、この街道一本といえる。
護衛の話では、あと2日はこうした道が続くらしい。
__もし、リュディガーのところから去りたいと思っても、この道をたどるしかない。つまり……簡単に後を追える……。
「……閉じ込めるため……」
「なにか、おっしゃいましたか?」
お針子の仕事に集中していたマーガレットは、マイャリスの機微を逃さぬ特技を身につけているから、小さく零した言葉も拾うのだ。
何も、と首をふったときだった、馬車が大きく片側に傾いた形で停車した。
外ではなにか騒がしい。
顔を見合わせたマーガレットは、お待ちを、と言葉を残して扉を開けて護衛を呼ぶ。
彼女らの会話を聞くに、どうやらぬかるみに車輪が嵌ったらしかった。
「__昨日からこのあたりから上流にかけて雨が降って、川の水が幾分か街道へ溢れていたためのようです。今、脱輪を試みますので」
それを聞き、マイャリスは薄衣を被ってから扉へと歩み寄る。
「では、私は降ります。軽いほうが良いでしょう」
護衛の一人に言えば、彼は、とんでもない、と首をふった。
「__先程から、雨が振り始めました。雨脚は徐々に強くなるかと。雨をしのげる場所は近くにございませんから、どうぞそのまま車内で待機を」
「……わかりました。ですが、やはり降りたほうが早いということであれば、遠慮なくそのように。くれぐれも、怪我をしないように」
「はい。お心遣い痛み入ります、お嬢様」
丁寧に礼を取る彼を見て、マーガレットは扉を閉めた。
外からは、御者2人と護衛2人が慌ただしく動く気配がする。それを聞きながら、マイャリスは再び寝台へと腰をおき、マーガレットも元の席へともどって中断したお針子を再開した。
「マーガレット。次の街へついたら、彼らに労いの物を……お酒とかがいいのかしらね、それを__」
「おい! 何者だ!」
マイャリスが思わず言葉を逸するほど、突然、護衛のひとりが外で怒声を放った。
その直後、馬車の外では御者と護衛だけではない、多くの足音とともに怒声や剣戟が聞こえ、マーガレットは反射的に持っていたお針子の道具を放るようにして手放し、マイャリスを扉から隠す。
「__賊」
マイャリスがつぶやくと、大きく馬車が揺れ始める。
嘶く馬__馬が周囲の混乱に染まり、暴れ始めたのだ。
みしみし、と軋みはじめ、やがて危うい均衡にあった馬車は転がった。マイャリスもマーガレットも、舌を噛まぬように歯を食いしばり、天地が幾度か入れ替わる馬車の中を転がる。
「__っ」
轟音を立てて、やっと動きを止めた馬車。
強かに体を打ったのは確かだった。
体を起こそうと手をつく__が、体は川の浅瀬の中。そこで自分が車外へ放り出されていることを知った。
「薄衣を被っている方だ!」
吐き捨てるように誰かがそう言い放つと、むんずと髪の毛が掴まれた。
痛みに思わず悲鳴を上げると、更に容赦なく髪の毛を引き上げられる。その痛さから、痺れのある腕を伸ばして掴む男の手を剥がそうと試みる。
「州侯の娘!」
__ああ……そういう目的……。
マイャリスは、その瞬間、抵抗することを止め、甘んじて受けることを決めた。
「貴方方に従います。ですから、侍女と御者、護衛は__」
皆まで言わせず襟首を無造作に捕まれ、体が放り出される。
体は軽々と宙を飛び、固い石畳の街道へと落ち__マイャリスは後頭部あたりに鈍い衝撃を受け、それが痛みに変わる前に意識を手放した。
父からはその言葉をもらっただけだった。
大学へ行ったあの日もそう。
社交辞令のなにものでもないその短い言葉。
それでも、これまで世話になったことへの礼を述べ、マイャリスは馬車へと乗り込んだ。
父はどうやら挙式には参列しないらしい。
州侯として長らく州城を空けるわけには行かないということなのだろう。州都の郊外ででも挙式をしてしまえば参列は可能だろうが、そうしないのはやはりそこまで興味は無いからだと、マイャリスは思った。
別段それについて、悲しいだとか、寂しいだとか、悔しいだとか、そうした思いは抱かないが__。
離れ行く、霧にまどろむ煌めきの都を見納め、街道をひたすらに南下する一行。これから輿入れをする一行とは思えないほど、ひっそりと、そして質素な装いだった。
__まるでいつかの、寄宿学校へ入れられたときのよう。
寄宿学校もハイムダル地方にあった。まさしく踏襲するようでマイャリスは自嘲する。
道中の護衛には、2名の武官がつけられた。
近衛の長であるリュディガーが不在であるから、副官のオーガスティンは州侯から外すわけにはいかない。故に、つけられたのは近衛の2名のみである。
何度か顔は見たことがあるから、おそらくオーガスティンの隊の者なのだろう。州で一番の地位である父。その養女とはいえ娘が移動するには、いささか規模が小さすぎると、世間では指摘されるだろう。
だが、マイャリスにはそれでよかった。
自分にはこれが似合いなのだ。
草の葉に隠れた影のように、細く生きるのが。この輿入れの有様に、義憤に駆られているマーガレットを諌めているのが。
「__ありがとう、マーガレット」
「いえ。ただ……こんな……」
「私は本当に気にしていないの。貴女をつけてもらえただけで、本当に十分なのだから」
やや広い馬車は、長旅を想定したものである。
道中寝ることもできるよう寝台も誂えてあって、マイャリスはその寝台へと移動して腰掛けた。
「私は、実家に近づいた形ですし」
マーガレットの出身はハイムダル地方に近いのだ。
「嫁げ、と言われた直後は、どこか行き先もわからなかった。遠くになっていた可能性だってあったのに……でも、貴女は二つ返事で了解してくれたでしょう。私は、本当にありがたかったのよ」
薄衣を取り去って微笑むと、マーガレットは難しい顔の中に笑みを見せる。
「お嬢様を、お一人になんてできませんから」
この言葉は、どんな貢物よりもマイャリスにとって嬉しいものだ。
それから街道沿いで宿を求めながら3日が経った頃、いよいよ道が街道と呼ぶには粗末なものになり始め、薄暗い森や谷あいを進むようになった。__山岳地帯に入ったのだ。
__何故、南部の離れた場所を封土として与えられたのか、か……。
オーガスティンが、行けばどうしてそこなのか分かるだろうと言っていた。
マイャリスは、窓の外を見つめながら思案する。
谷は深く、川の流れも急になってきた。地形として見通しが悪く、霧__瘴気も溜まりやすい。
地元の者が使う道はほかにもあるのだろうが、主要な目立つ道は、この街道一本といえる。
護衛の話では、あと2日はこうした道が続くらしい。
__もし、リュディガーのところから去りたいと思っても、この道をたどるしかない。つまり……簡単に後を追える……。
「……閉じ込めるため……」
「なにか、おっしゃいましたか?」
お針子の仕事に集中していたマーガレットは、マイャリスの機微を逃さぬ特技を身につけているから、小さく零した言葉も拾うのだ。
何も、と首をふったときだった、馬車が大きく片側に傾いた形で停車した。
外ではなにか騒がしい。
顔を見合わせたマーガレットは、お待ちを、と言葉を残して扉を開けて護衛を呼ぶ。
彼女らの会話を聞くに、どうやらぬかるみに車輪が嵌ったらしかった。
「__昨日からこのあたりから上流にかけて雨が降って、川の水が幾分か街道へ溢れていたためのようです。今、脱輪を試みますので」
それを聞き、マイャリスは薄衣を被ってから扉へと歩み寄る。
「では、私は降ります。軽いほうが良いでしょう」
護衛の一人に言えば、彼は、とんでもない、と首をふった。
「__先程から、雨が振り始めました。雨脚は徐々に強くなるかと。雨をしのげる場所は近くにございませんから、どうぞそのまま車内で待機を」
「……わかりました。ですが、やはり降りたほうが早いということであれば、遠慮なくそのように。くれぐれも、怪我をしないように」
「はい。お心遣い痛み入ります、お嬢様」
丁寧に礼を取る彼を見て、マーガレットは扉を閉めた。
外からは、御者2人と護衛2人が慌ただしく動く気配がする。それを聞きながら、マイャリスは再び寝台へと腰をおき、マーガレットも元の席へともどって中断したお針子を再開した。
「マーガレット。次の街へついたら、彼らに労いの物を……お酒とかがいいのかしらね、それを__」
「おい! 何者だ!」
マイャリスが思わず言葉を逸するほど、突然、護衛のひとりが外で怒声を放った。
その直後、馬車の外では御者と護衛だけではない、多くの足音とともに怒声や剣戟が聞こえ、マーガレットは反射的に持っていたお針子の道具を放るようにして手放し、マイャリスを扉から隠す。
「__賊」
マイャリスがつぶやくと、大きく馬車が揺れ始める。
嘶く馬__馬が周囲の混乱に染まり、暴れ始めたのだ。
みしみし、と軋みはじめ、やがて危うい均衡にあった馬車は転がった。マイャリスもマーガレットも、舌を噛まぬように歯を食いしばり、天地が幾度か入れ替わる馬車の中を転がる。
「__っ」
轟音を立てて、やっと動きを止めた馬車。
強かに体を打ったのは確かだった。
体を起こそうと手をつく__が、体は川の浅瀬の中。そこで自分が車外へ放り出されていることを知った。
「薄衣を被っている方だ!」
吐き捨てるように誰かがそう言い放つと、むんずと髪の毛が掴まれた。
痛みに思わず悲鳴を上げると、更に容赦なく髪の毛を引き上げられる。その痛さから、痺れのある腕を伸ばして掴む男の手を剥がそうと試みる。
「州侯の娘!」
__ああ……そういう目的……。
マイャリスは、その瞬間、抵抗することを止め、甘んじて受けることを決めた。
「貴方方に従います。ですから、侍女と御者、護衛は__」
皆まで言わせず襟首を無造作に捕まれ、体が放り出される。
体は軽々と宙を飛び、固い石畳の街道へと落ち__マイャリスは後頭部あたりに鈍い衝撃を受け、それが痛みに変わる前に意識を手放した。
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