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天つ通い路

君影草と受難な龍騎士 Ⅳ

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 マイャリスは口元に拳を当てて、視線を落とし考える。

「あるいは、マイャリス・キルシェ・コンバラリアでも」

「え……」

 次から次へと提案される姓名に、思っていた以上に融通が利くことに驚きを隠せない。

「さすがに、ラヴィル姓は無理だが……キルシェ・マイャリス・コンバラリアでも、好きに選んで構わない。肝要なのは、名前をどうするか、だろう。__どうせ、婚姻したら、違う苗字になるのだし」

 __え……今、なんて……?

 腕を組むフォンゼルの言葉に、マイャリスは一拍遅れて血が沸騰するのがわかった。

「それとも、婿入りか?」

「団長閣下、何のお話です……?」

 ビルネンベルクが怪訝にするのを見、フォンゼルは顎をしゃくってマイャリスが顎に当てた拳ではなく、左手を示した。

 彼が示した左手には金色の指輪が光っていて、さすがにビルネンベルクもそれの意味するところがわからないはずがないようだった。

 ビルネンベルクの真紅の双眸が、静かに細められる。

「左手のそれは……」

 その眼光の鋭さ。

 彼がその目をすることはしばしば目撃してこそすれ、自分に向けられたことは、これまで記憶する限りない。

 別段やましいことなどにのだが、どうにもその視線には相手を萎縮させるものがあって、マイャリスも例外ではなかった。

「……彼女は、やんごとないお生まれだった。その彼女の後見人には、この私__ビルネンベルク家の者で、かつ彼女の師であった私が相当」

「彼女はもう成人だろう。後見人といっても、身元保証人という意味合いだ。それはわかっていたはず」

「だとして、そうした話は私を飛び越えるものなのですか」

「それなら、予め私とイャーヴィス元帥閣下の耳に入っていたからな。中央としては、今回の婚約について、予想の範囲で承知のことだ」

 __耳に入れて、いた……?

 内心、どういうことだろう、と言葉の意図を探っていれば、ビルネンベルクの真紅の双眸が彼らに向けられ細められる。

「__お相手は?」

 フォンゼルは顎をしゃくって、リュディガーを示す。

 視線を一身に受けることになった当人は、軽く咳払いをした。

「まさか……」

 ビルネンベルクはマイャリスに視線で事実かどうかを問いただしてくるので、これには苦笑を浮かべて小さく頷くしかできなかった。

 対して、なんてことだ、とビルネンベルクは頭を抱えてため息を零す。

「彼女の処遇が話し合われているとき、求婚することの不都合を聞かれた。聞かれたときは、何事かと思ったが……相手が相手だから、予め打診することは間違ってはいない。__龍騎士という社会的に認められた身分がある者との婚姻で、今後、野垂れ死になんてことにもならんだろうから、それが選択肢として示されてもよい、と言うことになった」

 __やはり、話をしていた……のね。

 その事実は少しばかり気恥ずかしくはあったが、考えてみれば、自分は特異な存在である。

 後見人を見繕われるということは、一般的な貴族社会の慣習もあるが、誰彼構わず婚姻を結ばれては具合が悪い部分があるということだろう。

 事実、フォンゼルの口調から、そうした側面があることを察する事ができた。

「とは言え、相手にも選ぶ権利はある、と釘を刺しておいたが……」

「はっ。杞憂でした」

 後ろで手を組んで踵を揃えて立つリュディガーに、ふっ、と鼻で笑うフォンゼル。

 __杞憂……。

 武官らしく、はっきりと返されるリュディガーの答えが、気恥ずかしくて、マイャリスは顔を俯かせた。

「__まあ、ひとまず、おめでとう」

 ぱちぱち、と軽く祝福する拍手を受け、彼はきびきびとした動きで頭を下げる。

 それに倣う形で、マイャリスも礼をとろうとする__が、服の裾を持ったところで手を優美な手が阻止するようにとった。

「キルシェ、悪いことは言わない。リュディガーはやめておきなさい。伝説の、弓射を落として卒業ができない学生なのだから。それに、彼、碌でもないから。唐突に、音信不通になるような男だからね。__君に見合う御仁ならいくらでも見繕う」

「えぇっと……その……それは__」

「先生」

 マイャリスが困惑していれば、リュディガーが口を開く。

 それはひどく静かで、落ち着き払った声だった。

「誤解されておられるようですが、私は今、彼女に吟味されている状況です」

「……詳しく聞かせなさい」

 リュディガーは居住まいを正しながら、ひとつ咳払いをする。

「数年をかけて、ラヴィル州侯におもねって取り入ったナハトリンデンですよ、私は。『氷の騎士』などと御大層な異名までつけられた懐刀。そんな輩の本性はどうなのか、本当に生涯をともにできるのか、してもよいのか、その価値はあるのか、と見定めているんです。彼女は大学へ戻り、その護衛に私は着任しますが、それを通じて吟味して……だから、今後、見限られてそれきり、という可能性もあるわけです」

 リュディガーの物言い、言葉に、マイャリスは小さく首を振って抗議するが、彼はちらり、と視線を向けて肩を竦める。

「__加えて、今、私は落第しかけているという。せっかく彼女が時間を割いて指南してくれたというのに、それが無駄になってしまった状況です。最低でも、そこを通過しないとならないだろう、と私は思っていますので……悠長なことを言っていられない立場なのです」

「なるほど。それはそうか……」

 ビルネンベルクは、冷たかった視線を放つ目元を、柔和に歪めた。

「教鞭を振るう立場にある後見人としては、そこは譲れない部分だな」

「ええ、でしょう」

 ぽんぽん、と優美な手が、マイャリスの手を包み込むように叩く。

「__いいね、キルシェ。厳しい目で、あの男は見るべきだ。本人もその自覚はあるらしいから、安堵しているが……。口ではなんとでも言えるからね。とにかく、私の気に入りに、これ以上の苦労はさせたくはないから、彼が弓射と矢馳せ馬で相応の成績を修めねば、許すつもりはないので、そのつもりで」

「は、はい……」

 許されなかった場合はどうすればいい__とは、ビルネンベルクに口が裂けても聞けないマイャリスは、顔を強張らせて同意するしかできなかった。

 くすくす、とそこで笑い声がして、そちらを見れば、フルゴルが法衣の袖で口元を隠しながら笑っていた。

「ビルネンベルク殿に同意します。私も、そこは譲るべきではないと思います。__曲がりなりにも、稀人であるマイャリス殿の良人となる立場となるのですから、武官出の者が、必修の弓射で落第していたなど……」

「ああ、私も同意見だ。彼女の本来の地位を知って、それを欲する者は多いだろう。引く手数多に違いないし、もっと見合う者は実際にいる。だと言うのに、龍帝陛下の体現者と言わしめる龍騎士が、弓射で躓いた者など__」

「あぁ、あぁ、もう、そこを何度も言わないでくれ。後生だから。本当に、げんなりしているんだ」

 さもうんざり、として二柱の言葉を遮ったリュディガーは、天井を仰いだ。

「__こう、もう少し労われてもいいと思うんだがなぁ……」

「たわけが」

 はぁ、とため息とともに項垂れたところで、フォンゼルがぴしゃり、と言い放つので、リュディガーは弾かれて崩していた姿勢を正した。

「帝国としては、天津御国から下っていただいた一門の末裔を託すわけだ。それ相応の相手に委ねねば、礼を欠くことと同義。この婚姻は、有り難くも迎えさせてもらうものだ__と、それを肝に銘じておけ」

 切れ長の目は、苛烈なほど鋭く射抜く。

 異論は許さない、と言わんばかりの口調で、リュディガーは表情が引き締まった。

「御意」

 固く、強く、はっきりと迷いなく答えるリュディガーは、粛々と頭を下げる。

 そして、頭を上げたとき、マイャリスへと視線を向けてきた。その視線の、まっすぐなこと。これまでにないほど固い決意と熱意が感じられて、マイャリスは顔が朱に染まるのを感じ取って隠そうと顔を伏せ、左手を握り込んだ。
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