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第321話 早く帰ってふて寝したい

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「じゃあ、ちょっと前置きが長くなってしまったが、食べようか」
 ユキが言う。
「はい。では、いただきます!」
 佐野は快活を装って箸を取る。そして鍋の中を見るふりをして、ちらりとユキの顔を盗み見た。
 心なしか、ホッとしているようである。
 やっぱりな。でもそれは当然のことだ―― 
 佐野は、落胆とあきらめが入り交じった気持ちでそう思う。
 この食前の十数分のやりとりで、橋本建設の受注額の下落は、どうにかまぬがれたのだから。
 また、部下の心の古傷は癒され、かつ、勤務先の利益追求において、足を引っ張る要因が消えたのである。
 素晴らしいではないか。受注額が上がれば、新参者の自分へも、その恩恵がもたらされるのだ。これ以上の喜ばしいことはない――
 佐野は手前に置かれた焼き物をもそもそと口にしながら、そのようにぼんやりと考える。
「全然、楽しくなさそうだな」
 不意に鍋の向こうから声がして、佐野はそこで我に返った。
「い、いえ! 美味しいです」
 慌てるあまり、とんちんかんな返事をしてしまう。 
 そして、ユキの指摘は図星であった。
 去年は星崎の下僕と置いてきぼり。今年は失恋。自分とこの店とは、相性が悪すぎるのだ。
 なので正直、ここでお開きにして帰りたい。さっさと部屋へ戻り、布団をかぶってふて寝したい。
 このまま花壇へ行っても、どうせ仕事の話しかできないのだ。それなら現場事務所にいるのと同じではないか。
 鍋物も、いよいよもって煮汁が半分以下になってきた。味もかなり塩辛くなっていることだろう。
「田上課長。うどんを頼んで、鍋に入れませんか」
 佐野は作り笑顔で提案する。
「きっと、ものすごく塩辛くなっていますから」
 鍋物へ麺やご飯を入れて食べるのは、食事の終わりを意味する。
 佐野はユキへ、この気まずい会食を早々に切り上げたいと遠回しに伝えているのである。



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