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見えた本性
しおりを挟む「おはようございます」
「あら、重役出勤ね」
「ええ、まあ」
暫く休んで顔を出すというのはもう何度目なのか、リリーはさすがに恥ずかしく感じていた。
「あの女に先越されてるわよ」
「え? ああ……まあ、いいのではないでしょうか?」
「あらあら、余裕な人は違うわね」
「そういうわけではありませんけど……」
広場の方を見るとエステルがクロヴィスに何かを渡しているのが見えた。ラッピングからしてクッキーかマカロンかだろうと推測するも焦りはない。
リアーヌの反応は間違ってはいないが公に自慢する事でもないため首を振って教室へ向かおうと歩き出した時、リリーに気付いたエステルが小走りで駆け寄ってくる。
———相変わらず小動物みたいな走り方するのね。
「リリー様! 心配していたんですよ!」
わざわざ皆に聞こえる高い声での心配の声に白々しいと思いながらも笑顔を見せ
「ご心配おかけしたようですみません」
「体調はもうよろしいのですか?」
「ええ、もうすっかり」
「良かった! リリー様とクロヴィス様が戻られないと聞いて心配で夜も眠れなかったんです。これでようやく安心出来ました」
皆が見ている場になると演技が大袈裟になるのは相変わらずで旅行の初日を思い出す。
「エステルちゃんってやっぱ優しいよな」
「ああ、天使だわ」
キラリと光る涙を浮かべてそれを指先で拭う姿は心優しき天使で間違いない。だがリリーはこれが演技だとわかっている。エステルはリリーのために涙を見せたりはしない。何があろうと———
「死んだかどうかの確認が取れなきゃ心配で夜も眠れないよね」
突如聞こえた声に男子生徒が振り返って道を開けると笑顔のセドリックが姿を見せた。女子生徒からの黄色い悲鳴を受けながらゆっくりと歩く姿にリリーは何か企んでいる事に気付いた。
こういう時のセドリックは世界で一番嫌な奴になる事を知っているから。
「私はリリー様ならきっと生きてると思っていました」
「まあ、クロヴィスも一緒だったしね。クロヴィスには何がなんでも戻ってきてもらわなきゃいけない。そうだよね?」
言いがかりをつけられたエステルが困惑したように声を上げるもセドリックの笑みは変わらない。
「どうしてそんな言い方をするんですか……ひどい」
今にもこぼれ落ちそうなほど目にいっぱいの涙を溜めたエステルは顔は覆わず口を押さえるだけで泣き顔を隠そうとはしなかった。
カツ……カツ……とゆっくりと足音を響かせながら近付くセドリックの表情は笑顔なのに笑っていないように見えてエステルは無意識に一歩下がってしまう。
「そう、僕って酷い男なんだ。だからこんな事も出来ちゃうんだよね」
セドリックの言葉の意味を理解していないエステルの耳に届いた突如響いたザワめき。
二人を取り囲むように円になっていた生徒達が左右に分かれて道を作り、奥から足音が二つ聞こえてきた。
「フレデリック?」
フレデリックの顔が見え、そしてその前を歩く少女の姿にリリーは眉を寄せた。
「……あなた……庭で会った……」
見覚えがあった。クロヴィスが結婚するかと聞いてきた時にティーセットを割ったメイド。名前も知らず、見たところ同い年ぐらいとなれば間違いなく父親のお気に入りだったメイド。アネットが寵愛から外れた理由のメイドだった。
リリーに気付いた女はリリーを睨み付けてから視線を逸らした。
最初に疑った身内の犯行というのは間違いではなかったが、セドリックの対応から見るにエステルを疑っているのも間違いない。
「……どなたですか?」
一瞬驚いた表情を見せたエステルは平静を装ってセドリックに問いかけるが声に動揺が出ている。
「あれ、知らない? この子はブリエンヌ家のメイドさんで、当主のお気に入りだった子だよ」
「そうでしたか。リリー様のお屋敷には行った事がないので知りませんでした」
「そうだよね。でも彼女は君を知ってるみたいだよ?」
「え……?」
後ろ手を縛られた女はフレデリックに押されて地面に膝をつき、痛みに眉を寄せるもエステルを見上げて涙を流す。
「エステルごめん……ッ」
その言葉だけで女とエステルが繋がっている事が証明される。裏が取れているからこそ自信たっぷりに連れてきたセドリックを見ればわかる話だが、エステルの歪んだ顔が何よりそれを物語っていた。
「リリー・アルマリア・ブリエンヌを亡き者にしようと計画したのがエステル・クレージュ、お前だろう」
「違います!」
「そして実行したのがマリー・シュピッツ、お前だ」
「何を根拠にそのような事をおっしゃるのですか⁉」
否定を無視して進めるフレデリックにエステルが噛みつくと前に出たのはフレデリックではなくセドリックだった。
「これ、見えるかな?」
「あれは……」
透明の袋に入ったハンカチにリリーが反応し、セドリックが周りに見せるように掲げると気付いた生徒達がまた一斉にザワつき始めた。
「これはリリーちゃんが川に突き落とされた日、風に飛ばされて岩場に引っかかった彼女のハンカチだ」
「それが何か?」
「ココ。コレ、何かわかるかな?」
「……何ですか?」
真っ白なハンカチには踏まれた痕がついていたが、エステルはそれが何なのかわからなかった。とぼけているわけではなく、本当にわからないといった様子にセドリックはエステルの目の前にそれを差し出し軽く揺らして見せた。
「これはね、リリーちゃんを川に突き落とした犯人の足跡だよ」
「私だと言いたいのですか?」
「まさかまさか。あの日、君がフランソワ・ウィールズと一緒にホテルに居たのは確認が取れてる。さっきフレデリックが言っただろう? 君は計画者だ」
マリーと呼ばれた女が謝った以上、隠し通すのは難しいとエステルも悟ってはいるだろうが逆転のチャンスを窺っているように見えた。
まだ自分からは認めない。その強い意志が鋭い目つきとなってセドリックを睨み付ける。
「これはね、ブリエンヌ家の紋章なんだよ」
「ッ⁉」
エステルとマリーの目が同時に見開かれる。
「使用人に履かせる靴に紋章が入ってるなんて貴族なら誰もが知ってる。知らないのは貴族ではない者……そうだなぁ、ここでいうと君と君」
「そ、それが何ですか⁉ リリー様の家には大勢の使用人がいるはずです! なのに何故私達だと決めつけるのですか!」
エステルの言葉にセドリックはわざとらしい溜息を吐き出して首を振る。
「こういう靴はね、新人に履かせるんだよ。長年働いてる使用人は信用があるから紋章付きの靴は履かせない。でも入ってきたばかりの新人は何をするかわからないから、信用できない人間にはこういうのを履かせておくんだ。で、彼女の家の新人はこの子だけ。この意味、わかるかな?」
意地悪な問いかけにエステルの顔が更に歪んでいく。
逃げられない。
そう感じたエステルはその顔でマリーを見た。
「え、エステル……あ、あたし……!」
「黙りなこの役立たず!」
突如響いた声に誰もが耳を疑った。
エステルが出した声とは思えない低めの声と表情はほとんどの者が見たことがないもので、この声はリリーでさえ初めて聞くものだった。
「アンタが気をつけてればバレなかったのに……何やってんのよ!」
「ごめんなさい!」
「はっ……はははっ、ははははははっ! まさかこんなくだらないミスでバレるなんて思ってなかったわ!」
豹変したエステルの顔はもはや『愛らしい』とはかけ離れていた。
「何のためにアンタをアイツの家に送り込んだと思ってんのよ! 媚び公爵ぐらい簡単に堕とし込めるはずでしょ! 顔しか取り柄がないくせにそれで役に立てないならアンタに存在価値なんてないじゃない!」
上から怒鳴りつけるエステルにマリーは反論できなかった。怯えたような表情で震えながら地面に両手をついて謝り続ける。
「おかしな話だと思わなかったのかい?」
「は? なに?」
「女好きの媚び公爵っていう恥の二つ名を持つ彼が娘と近い歳の娘を本気でお気に入りにすると本気で思ったのなら君は的外れの天才だ」
「どういう意味よ!」
何が言いたいのかわからないエステルはイラついたように声を大にして腕組をしながらセドリックを睨み付ける。
随分強気な態度だとおかしそうに笑うセドリックが後ろに立つフレデリックにハンカチを渡してゆっくり歩き始めた。エステルの前からゆっくりと後ろへ———
「女好きだけど少女好きではないんだよ」
「なっ……!」
「彼は貴族の中では確かに変わり者だ。媚び公爵なんてあだ名もつけられてるしね。でもあだ名の中にもあるように彼は公爵だ。それなりに賢く生きてきたから公爵の地位を手に入れてるんだ。馬鹿じゃない。何もせずへらへらしているだけで公爵の地位に居座れるほど貴族の世界は甘くない。裏切りが多い中で生き残るために必要なのは洞察力と直観力、それに確かな眼だ。彼は媚びる中でそれを身につけてきた。媚び慣れた人間に媚びは通用しない。か弱い子兎の皮をかぶったハイエナの媚びは特にね」
「どういう……ッ」
後ろに回ったセドリックを視線で追うエステルの拳が震えているのをセドリックは視線だけで見てクスッと声を漏らして笑った。それが癪に障ったのか勢いよく振り向くエステルの前に人差し指を立てて止めた。
「彼女がどれほど可愛かろうと彼は信用してなかったって事だよ」
「ッ!」
「だから靴を履かせた。大体さ、身分も証明できない人間を可愛いってだけで雇うと思う? ありえないよ」
ゆっくりと首を振りながら肩を竦めるセドリックの嫌味にエステルの顔が引きつり始めた。
「踊り子がいるって聞いたけど? 踊り子だって何の身分証もないじゃない!」
「彼女は特別だよ。とびきり美人で有能だ。若さだけが取り柄の君とは違うんだよ」
「このっ……!」
最大の侮辱にカッとなったエステルが手を振り上げるもそれが振り下ろされる事はなかった。
「クロヴィス、様……」
「証拠は全て揃っている。これ以上の足掻きは自分の首を絞めるだけだ。やめておけ」
その声と表情に怒りはなく、ただいつも通りの表情と静かな声だけが流れていく。先程までのザワつきが嘘のように静まり返り、マリーのすすり泣く声だけが聞こえていた。
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