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強く優しく美しき義姉
しおりを挟む「やーっとあなたと二人で話が出来る。嬉しいわ」
「すみません」
「あなたが悪いわけじゃないんだから謝らなくていいの。愚弟の言いつけ通りに貸出申請書を書いて提出したの。額にね」
「ああ、あの紙はエミリア様が貼られたのですね」
「そっ。あそこに貼ればよく見えたんでしょうね。すぐ予定をつけてくれたわ」
楽しげに笑うエミリアは食事をした翌日からずっとフローリアと食事をしたいと言っていたがそれをヴィンセントが拒んでいた。
リガルドが言いにくそうにしながら伝えた〝申請書〟という言葉にティーカップの持ち手を折ったエミリアはその場ですぐに申請書を書いた。大きな紙に大きな文字。それを自らの足で運び、そしてヴィンセントの額に思いきり張り付けて目の前でニッコリ笑ってやればこうして許可が出た。
「四六時中ヴィンセントと一緒にいて息苦しくならない?」
「いえ、こう見えて健康ですから」
「ええ……そうね」
そういう意味ではないが、胸に手を当てて誇らしげに答えるフローリアにエミリアは訂正しない事にした。
「リガルドがね、ヴィンセントが大事な仕事中もあなたを肌身離さず抱きしめてるって言うものだから心配してたの」
「心配、ですか?」
「ええ。バカが移るんじゃないかって」
ハッキリ言ってしまうエミリアを見ているとフローリアは「実はアーサーではなくエミリアが実の姉なのではないか」と思ってしまう。
いくら結婚して家族になったからといってここまでズバッと言える強さの理由は何なのか知りたかった。
「そういえばデアとひと悶着あったんだって?」
「ひと悶着?」
「大きな声が聞こえたわ」
「私が怒らせてしまったんです。デアさんは親切に私にヴィンセント様の事を教えようとしてくださっただけなのに、私が余計なことを言ったみたいで」
「どうせデアが勝手に怒ったんでしょ。あなたが気にすることないわよ」
フローリアとデアの性格を考えれば水と油。仲良く出来るわけがないのだ。まだ世の中を把握しきれていないフローリアに嫌味は通用しないことを知らないデアがヴィンセントについて自慢げに語った事は想像に難くなかった。
「私あのデアって子が大嫌いなの。気に入らないわ。ヴィンセントの幼馴染だかなんだか知らないけどいつもヴィンセントにベッタリで気持ち悪い。下心見え見えなのよ。最初から望みないってわかってるくせにしつこく付きまとうんだからストーカーだわ」
嫌いなのは表情を見ているだけで伝わると苦笑しながら聞いていた。
「ま、あんな子の話はどうでもいいわね。ヴィンセントと結婚してみてどう?」
「幸せです」
「即答ね。もう子作りはしてるの?」
「子作り?」
「……まだなのね」
意外だとエミリアは声を小さくして一度顔を逸らした。
ヴィンセントの様子から察するに毎日シていてもおかしくないと思ったが、フローリアはまだ純潔で母になるのはまだ先かともうすぐ産まれ来る我が子がいるお腹を撫でた。
「エミリア様は結婚されていかがですか?」
「んー……まあまあかしらね」
「まあまあ?」
幸せだと言わないことに首を傾げるフローリアは二人の仲睦まじさを見ているだけに不思議だった。
「夫のことは好きよ。大好きだし愛してる。でも義母は微妙」
「義母?」
「ヘレナ様のことよ」
「ああっ」
ポンッと手を叩いて納得したフローリアに小さく笑いながら紅茶を一口飲んだエミリアは真ん中に置いてある皿からマカロンを取ったが、それは口に運ばれず手の中で握り潰された。
「大嫌いなのよね。ホンットむかつく!」
さっきは『微妙』だと言ったのが『大嫌い』に変わり、言葉通り嫌悪感を露わに声を荒げ始めた。
「産まれてくる子が男の子じゃなかったらどんな嫌味を言われるかわからないわ。こっちは跡取り産んであげるんだからそっちが敬いなさいよって感じ! いつだって自分が優位に立ってなきゃ気が済まない偏屈ババアよ。時々、嫁いでくるとこ間違えたかなって思うの」
フローリアもヘレナは苦手だ。あの威圧的な物言いや目つきはオーランドとの初対面時によく似ている。だからヘレナも悪い人間ではないはずだとわかっているが、オーランドよりもずっと強い悪意を感じるためどう対処すればいいのかまだわかっていないため接触は避けていた。
「でもあなたがお嫁に来てくれて本当に良かった。嫁いできた者同士仲良くしましょ。意地悪なババアからは私が守ってあげる。だから私のおしゃべりに付き合って?」
「ふふっ、喜んで」
エミリアが味方についてくれるなら心強いと嬉しくなった。渋々送り出してくれたヴィンセントには申し訳ないが、こうして女同士でするお喋りはフローリアにとって初めての事で雰囲気だけでも楽しかった。
「あ、そうだ。エミリア様はお料理出来ますか?」
「もちろん。夫の胃袋はガッチリ掴んでるからね」
「……胃袋を……」
ウィルが渡してくれた濡れタオルで拭いたばかりの手でグッと握る真似をして見せるエミリアに向けるフローリアの表情は引きつっていた。
「あ、直にじゃないわよ? いくら私が片手でリンゴを粉砕出来るからってさすがにアーサーのお腹を突き破って物理的に胃袋掴んだりしないわよ。……浮気でもしない限りはね」
誤解を解きながらもやるつもりはあると更に拳に力を入れて手の甲に血管を浮かび上がらせた。キレイなネイルが施されている指なのに今の腕はヴィンセントよりも逞しく見えてしまいフローリアは目を瞬かせる。
「リンゴを片手で……?」
「妊娠すると皆出来るようになっちゃうのよね。ほら、母は強しって言うでしょ? 母親になると信じられない力が出るからリンゴくらい簡単に粉砕できるようになっちゃうの。あなたも妊娠すればきっと出来るようになるわ」
しれっと嘘をつくエミリアの言葉を疑うはずもなく、フローリアは自分がリンゴを粉砕できるようになったらヴィンセントに見せようと決めた。
「でもどうして?」
「いつもしてもらってばかりなのでヴィンセント様の好物を作りたいんです。でもお料理なんてした事がなくて……。ヴィンセントが喜んでくださることをしたいんです」
「かーわいー! 初々しいわ! あなたがそんなこと考えてるって知ったらあの子めちゃくちゃ喜ぶわよ! きっと明日にはママね」
「そ、そうでしょうか?」
テーブルを挟んで抱きしめられる勢いとヴィンセントより強い力に一瞬息が止まりそうになりながらもヴィンセントが喜ぶというお墨付きには笑顔を見せた。
前髪に頬を擦りつけるエミリアはまるでペットでも可愛がるように暫くフローリアを撫でまわしていた。
「あの子はじゅうぶんにメロメロだけど、メロメロすぎるぐらいだけどね。そもそも男なんてツボさえ押さえておけばそれだけでもう離れられないんだから」
「その壺はどこに売ってますか!? 買いに行きたいです!」
大きな声でエミリアに問いかけるフローリアの真面目な顔に思わず吹き出したのは部屋の隅で待機していたウィルも同じ。ウィルは呆れ笑いではあったが、フローリアらしいと目を閉じた。
「ど、どうかされましたか?」
「いいえ、何も。ツボはね……料理の時に教えるわ」
「はい!」
エミリアは強いだけではなく男の壺についても知っているのかとフローリアの中で尊敬度が増していく。料理のりの字さえ知らない自分とは大違いだと尊敬の眼差しを向けられるとエミリアはまたおかしそうに笑った。
「エミリア様は男性のことをよくご存知なのですね」
「アバズレじゃなかったって事実だけは伝えておくわね」
「アバズレ?」
「男の事なんてね、大体教科書の一ページ目に書いてあることが全てだから」
「教科書、ですか?」
「男の教科書」
「それも買いたいです!」
こうなるとわかっていて言ったエミリアにウィルが『からかわないでください』と注意をするも返事はなく、部屋中に響き渡る大きな笑い声にやれやれと首を振る。
エミリアは嫌な人間ではないがズバッとものを言うためウィルは少し苦手意識があったものの、フローリアには丁度いいのかもしれないと思った。
何も知らないフローリアに良くも悪くも様々な知識を与えるからだ。内容によってはヴィンセントが怒り狂う可能性もあるがエミリアとて王族育ち。分別は弁えているはずとあまり心配はしていなかった。
「ヴィンセントの好物知ってる?」
「いえ」
「天使よ」
「天使は神様によってのみ創られるものですが……」
「そう。じゃあ天使にそっくりなあなたを差し出せばあの子から褒美がもらえそうね。リボンで飾って箱に入れて送りつければあら不思議。部屋に鍵がかかって一日中ベッドの中から出られなくなっちゃう」
「エミリア様、それ以上はヴィンセント様に怒られますよ」
そういった話は全て自分がすると決めていることを知っているだけに放置は出来なかった。
女同士の下話は生々しいと聞いたことがある。実際、メイド達が話していた下の話は生々しいというよりえげつないもので、ウィルは輪に入りたくないと廊下を進めば三秒でつく部屋をわざわざ遠回りして三分かけて向かっていた。エミリアもその人種だと直感した。
「あなた達二人の子供は天使のように可愛いでしょうね」
「神が与えてくださる子ですから」
「そうね。きっと宝物になるわ。私もこの子が宝物だもの。生まれてくるのが楽しみよ」
お腹を撫でながら優しい声で話すエミリアの微笑みは聖母のように見えた。
「あなたに子供が出来ればこの子の妹か弟になるのよね。ふふっ、嬉しいわ」
「時間だよ!」
これから子供の話をしようという時にノックとドアが開くのが一緒のように思わせる登場の仕方にエミリアは額に手を当てながら溜息をついた。
「時間ピッタリね、ヴィンセント」
「愛しの妻を待たせるわけにいかないからね」
「誰も待ってないわよ」
「僕が待ってた。フローリア、帰ろうか」
時計を見るとピッタリ時間通りに迎えに来たヴィンセントに呆れながらドレスの下で足を組んで威圧的な態度を見せるもヴィンセントには響かない。これは独占ではなく契約だからと強気だった。
「どこへ?」
「僕達の愛の巣だよ」
「仕事部屋でしょ」
「花壇だと思います」
「寝室だよ」
フローリアでさえ間違えている〝愛の巣〟にエミリアは嘲笑を向けてはヴィンセントを悔しがらせる。
「まあいいわ。連れて帰りなさい。毎日誘うつもりだから」
「申請書に僕が許可を出さなきゃ無理だよ」
「あーそう。フローリアの意見は無視するつもりなのね。あなたは自分が一緒にいたいからって理由で拘束して愛しい愛しいフローリアの時間を奪うのよ。私にか相談できない事もあるのにあなたってホント自分勝手ね」
「フローリアはそんなこと思ったりしない。義姉さんとは違うんだ」
まだ二人は新婚。新婚当初は誰でも相手が素敵に見えて何でも言うことを聞きたくなる。だが次第にそれもやめて夫婦間でも取り決めという契約を結ぶようになる。それをヴィンセントはまだ知らず、想像さえしていないのだと同情の目を向けた。
「離れた時間があるから一緒にいる時間が愛しくなるの。醜い嫉妬姿に幻滅されるより心の広い男だってこと見せつけた方がいんじゃない?」
頬杖をつきながらの小馬鹿にしたような言い方でもフローリアを膝に乗せてしまえばバリアを張っているようなものでヴィンセントには何の効果もなかった。
「一秒たりとも離れたくないんだ。今日だって義姉さんが貸してくれって鬼のようにしつこく迫ってきたから渋々貸してあげたんだよ。おかげで全然仕事が捗らなかった」
「情けないわね」
「フローリアが活力剤なんだ」
抱きしめて頬に口付けては愛しそうに見つめながら頬を撫でる。部屋に入らない使用人達でさえヴィンセントのご執心は知っている。甘すぎると苦情が出ているのもわかるとエミリアは肩を竦めた。
「あなた、変わったわね」
「フローリアのおかげです」
「良い事だわ」
自覚があるのは良い事だと感心する。
神さえいればそれでいいと思っているような男の末路がロクなモノではない事ぐらい容易に想像がつく。長男ではないからと結婚も考えず、王子というより教会関係者のように毎日教会に通って祈り続けている姿は見ていて心配になるほどだった。
天使に会いたいと願ったところで天使になど会えるはずがない。皆がそう思っていた。諦めていないのは本人だけで、二十五年という年月を神への祈りに捧げてきた。
その結果、ご褒美と呼ぶべき軌跡が起こり、まるで人格が変わったように甘くなったのだからエミリアも驚いていた。
「人は愛を知るだけでこんなにも優しくなれるんだって初めて知ったよ」
「嫉妬深くもね」
「そうだよ。だから返してもらう」
「はいはい。でもフローリアと一つ約束をしたからまた借りるわよ」
「何約束したの?」
バッと顔を向けてフローリアに確認するヴィンセントの必死な顔にどうしようか迷ったが言わない事を選んで首を振る。
ヴィンセントの唇に人差し指を当てて「内緒です」と囁けばキッとエミリアを睨み付けるヴィンセント。
「変なこと教えるつもりじゃないよね?」
「内緒です」
「義姉さんがやっても可愛くない。オエーッだよ」
「あなたの頭ってリンゴみたいね。少し触ってみてもいい?」
「逃げようフローリア!」
ニッコリ笑って指を動かし関節を鳴らすエミリアの怪力の餌食になる前にフローリアを抱えたまま部屋から飛び出した。
今まで何があっても慌てる姿など見せなかった男が表情豊かになったものだとおかしくてたまらなかった。
「ありがとうございます」
「いいえ。あの子のために出来る事があるならしてあげたいもの。妹が欲しいってずっと思ってたから私も嬉しいのよ」
「料理の際はくれぐれもお気を付けください」
「わかってる。怪我させないようにすればいいんでしょ」
「いえ、ご自身の身を守られますようお願いします」
「え?」
ウィルの注意がどういう意味か、この時のエミリアにはわかっていなかった。ヴィンセントを『過保護すぎる』と言うウィルが何故フローリアに『危険だ』と言って料理をさせてこなかったのか———
エミリアは厨房で初めて知ることになる。
応援ありがとうございます!
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