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七年目、離れていても貴方を想う

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 季節がまた廻った。 
 副官歴七年というのは、それなりに長いほうらしい。 
 他の、例えば青洲様の副官は、以前殉職した奴は三年ほどで、常盤様の所は四年くらいか。
 それなりに優秀だからその地位をいただく訳で、ある程度鍛えられたら幹部候補として移動することが多いとか。 
 これが瑞穂の国独特の事なのか、他の国も同様なのかは興味がないので知らないが、他の将官のとこもちょくちょく顔が変わっているようだ。 
 で、俺も最近紅緒様の幕僚の方々から「参謀の勉強もしてみたらどうだろう?」と言われることが増えた。 
 俺は紅緒様から直接色々教えてもらったり、参謀的な物の見方や考え方の講義をしてもらっていて、それを俺なりに現場で役立てていることがあって、それなら本格的に学べばいいという事だそうな。 
 でも俺は紅緒様の副官だからこそ意見を聞いて貰えるんであって、俺の物の見方や知識もすべて紅緒様が与えて下さったものだし、特にその分野に秀でているって訳じゃない。 
 それに紅緒様の幕僚は、紅緒様自ら厳選した方々なんだから、癖は強いけどかなり優秀だ。もしも俺が参謀部に入っても、そこに割り込める気がしない。 
 だいたい俺が守りたいのは紅緒様であって、お国だとかそんな崇高さは持ち合わせていないんだから、幹部候補にはそれに相応しい人間がなればいいと思う。 
 紅緒様も強いて俺に幹部候補の話はなさらないから、それでいいんだ。 
 なのに、だ。 

「……お断りは」 
「無理、だな。兄上までなら私でも断れるが、陛下のお言葉であれば従わざるを得ない」 
「なんでまた……」 
「お前が優秀だからだ。何年も前から幹部候補育成研修に出せと言われてたんだが、本人が望まないと断っていた。しかし、お前の働きでテロが最小限の被害で防がれたろう? 『そう言った可能性を予見して防御壁を持ち込むほどの見識あるものを、埋もれさせておく訳にはいかない』のだそうだよ」 
「マジっすか……あれは偶然とかダメっすか?」 
「ダメだな。軍の内部で遺体の確認を怠ったという兄上の副官の不祥事を打ち消すのに、お前を英雄に仕立て上げて喧伝した以上、そんな事は言えない。すまないが、研修に行って来てくれ。代わりに私が普段講義をしているという事で、一週間ほどで研修を終わらせてもらう予定にしている」 
「いや、紅緒様のお役に立てるなら俺の名前ごとき、どうしてもらっても構わないっすけど……。お傍を一週間も離れるなんて」 

 俺にとって辛いのはそれだ。紅緒様のお傍に一週間もいられない。 
 もしも日帰りとかであれば、研修が終わった後に紅緒様のお顔を見ることも出来るだろう。でも研修は首都で行われるから、前線から離れなければいけない。日帰りではとても帰れない。 

「これが軍事行動がある時なら断れたんだが、今は緊張状態にあるとはいえ平時。一週間ぐらい離れても、業務に支障はなかろうと言われてしまった。私だってお前がいないのは寂しい」 

 執務席にかけたまま、俺を上目遣いに見る紅緒様の視線にぐっと言葉に詰まる。 
 正直嫌だ。行きたくない。でも紅緒様を困らせるのはもっと嫌だ。 
 致し方なく俺は「行きます」と小さく返事をしたのだった。 
 それから一か月後、俺は首都へと研修に来ていた。 
 紅緒様とは出発前に、俺がいなくてもきちんと飯を食う事と、日付が変わる前には寝てもらう事を約束して。 
 研修には他の部署から来た奴も参加していたが、俺にとってあまり会いたくない人もいる。 
 と言っても、幹部候補でなく、研修の一環の視察に同行すると言う形で、常盤様がいらっしゃるのだ。 
 常盤様は同行する幹部候補の中に俺がいるのを最初からご存じだったようで、俺の顔を見た途端獰猛な笑顔を浮かべられた。 
 俺としては紅緒様にお会いできないだけでも気が滅入るのに、最初から上官に目を付けられているのだから、面白いはずがない。 
 講義の内容は紅緒様が常々話してくださることと被っていてが、解説の分かりやすさは天と地ほども違う。考え方や例題の提示にしても、紅緒様は過去合った事例とその時の対処、並びにその後に考案された戦術や戦略も同時に教えてくださった。 
 もう何を聞いても見せられても、俺は紅緒様の事が頭に浮かぶ始末。 
 だが、だからこそ紅緒様の突き抜け具合も解るんだけど。 
 そして昼食時、後ろに人の立つ気配を感じて、俺はあることを思い出した。 

「すんません、紅緒様! 今日はおやっさんに何が出るのか聞き忘れた……す?」 

 俺は今でも毎日紅緒様の好きそうな話を、食堂のおやっさんから仕入れているが、今日はしなかったのだ。それをお詫びしつつ振り返ると、そこにいたのは紅緒様でなく常盤様で。 

「お前、兄貴はいないぞ……?」 
「っす。その……いつも昼飯一緒なんで」 
「おう」 

 眼を逸らした俺に、にやっと常盤様が笑った。 

「なんだよ。お前、兄貴がいないと寂しいのかよ?」 

 揶揄うような言葉にジト目になると、どうもニヤニヤしているのは常盤様だけでなく、周りの連中もだ。 
 俺はむっとすると、常盤様を置いて食堂に向かう。 
 流石に首都の軍本部の食堂ともなれば、出てくるものも豪華だ。 
 膳を受け取って窓際の席に座ると、俺は謎の分厚い肉に食いつく。肉にかかっているソースに入った大根おろしが、肉の臭みを消していて旨い。 多分牛だな。
 そう思っていると隣に人が座った。 

「今日は牛……かな? 紅緒様、獣臭いのは苦手って言ってらっしゃったけど、今日のは大根おろしが効いてっから、そんな臭くないっす。旨いっすよ? 俺が保証しますから、食ってみてくださいよ!」 

 肉が嫌いな紅緒様でも、食えるなら食ってほしい。そんな気持ちを込めて、肉を小さく切り分けてフォークに刺して差し出す。 
 いたのは紅緒様でなくて、唖然とした顔の常盤様だった。 

「……あのよ、お前、兄貴にいつもそんなことしてんの?」 
「……だって、紅緒様、肉は本当に苦手なんすもん。小食なのに更に食わなくなるんで、先に俺が食って『旨いっす』て保証して、ようやく食ってくれるんすよ。どうしてもダメな時は、俺の皿に『ごめん』って言いつつ入れてくるし。俺は肉好きだから、ご褒美ですって毎回言うんすけど」 
「…………そうか」 
「っす」 

 差し出したフォークを引き下げて、自分の口に入れると、常盤様が苦虫を噛み潰したような顔をする。 
 そんな顔するなら、俺にわざわざ近づいてこなきゃいいのに。その癖、この人は陛下と青洲様と同様、手紙もそうだけど、遠征先で見つけた菓子やらを紅緒様に食ってもらいたいがために、俺に送ってくるんだから変わった人だ。まあ、そんなことしても俺の中では、クソ野郎はクソ野郎なんだけど。 
 溜息を吐きながら俺は食事を続ける。俺が黙っているからか、常盤様も何も話さない。 
 黙々と食べ進めて食事を終えると、俺はテーブルの上に備え付けてある茶瓶を取った。 
 そして同じく備え付けの湯飲みを二つ取ると、そこに茶を注ぐ。 

「はい、紅緒様。お茶っす」 
「いや、お前、本当に大丈夫か?」 

 俺から湯飲みを受け取っておいて、常盤様が滅茶苦茶怪訝そうな顔を向けてくる。俺はガシガシとイラつきながら、頭を掻いた。 

「大丈夫に見えますか!?」 
「……その、なんか、すまん」 
「まったくっすね!」 

 溜息を吐きながら出した言葉に、常盤様が頷く。 
 結局、一週間の研修中、何かある度に俺はいない筈の紅緒様に何度も話しかけ、その都度常盤様に「正気に戻れ」と言われることに。 
 研修最後の日には、同じく研修を受けていた候補たちから「やっと戻れるな!」とか「おめでとう!」とか祝福されたのは、いったい何だったんだろうか?
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